集合写真、どこに映る?

今、「時間の本質」というタイトルの質問が出てますが、それを見てふと思いました。

人間には五感+第六感というのがありますが時間という感覚は、このどれにも当てはまらないように思うのです。

五感というのは、身体的感覚と云えそうですが、時間って身体的感覚なのでしょうか?
そう思ったら、空間という感覚もあるし。
なにやら訳がわからなくなってきました。

これについての答えって、あるのでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • 時間を感じる感覚器官は?、、、と云うことでの質問なのですが、時間とはなに?なんてことにまで考えが移ってしまいました。

    回答ナンバー10さんのお礼欄でちょっと触れましたが“存在時間”と云う言葉に皆様はどのような考えを持ちますか?

    人間は、物の移動や変化に時間を意識しますが、移動や変化を認めなくても、そこに存在すると云うだけでも時間が必要だと思うのです。

    時空と云いますが、空間自体の存在も時間があってこそ、ですよね。

    このように考えていると貧弱な私の頭は、存在し続けながらの移動や変化と、その時間との関係をどのように結びつけたら良いのか分からなくなってしまうのです。

    ただ“存在時間”は動いている船と乗客の関係なので、その二つの間に時間は存在しない、とは思っています。

      補足日時:2024/10/19 11:02
  • 時間は観念、と云った表現もあるし。

    やはり時間って、五感からの情報を意識に揚げて作り出した概念、あるいlは観念?と云う事かなと思いました。

    回答を下さった皆様、ありがとうございました。

      補足日時:2024/10/21 08:30

A 回答 (13件中1~10件)

今、暇なので、少しチャチを入れさせていただきます、



一般相対性理論によって、位置座標は「縦・横・高さ」に「時間」を加えて示される「四次元空間である」と、アインシュタインは解いています。
「観念」ではなく、物理現象です。
「五感」とか「第六感」とかは関係ありませんし、コウモリと人間によって「時間が変わる」事はありません。

なお、話はこれとは離れますが、空間は4次元でなく、量子力学の世界では「弦理論では9次元空間」「超弦理論では11次元空間」であるとされています。

>感じ方は違っても時間そのものは“共通”なんですよね?
時間は、「相対的」なものです。
「地上に置いた原子時計と、飛行機に載せて戻ってきた原子時計では、
飛行機に乗せていた原子時計の方が時間の進みが遅い」という実験データーが有ります。
貴方が地上にいるとき、富士山の山頂は時間が遅れて進みます。
地球は自転しているので、富士山の山頂の方が早く移動しているためです。
この時間の相対性は、GPSでのカーナビの精度にも大きく影響を与えますので、
GPS衛星で一般相対性理論に基づいて時間補正がされています。

理論的に物質が高速を超えて移動する事は不可能ですが、もし宇宙船が高速で移動していると仮定した時、外から見ている人から観測した時に、高速で移動している宇宙船の内部は「時間が止まっている」ように見えます。
宇宙船の中に居る人にとっては、時間は停止することなく普通に流れています。
しかしこのため、宇宙船に乗った人が例えば1日移動して地球に帰還した時、
戻ってきた地球は数万年の時間が経過しています。
これを「浦島効果」と読んでいます。
映画の「インターステラー」ではこの理論に忠実に従って、ストーリー構成がされています。ご覧あれ。

時間は、観測者によって相対的に伸び縮みするものです。

>時間の感じ方
はい。退屈な時は時間が進むのは遅く感じますし、恋人と会話しているときはあっという間に時が経ってしまいます。
これは「認知」によるものであって、時間そのものが伸び縮みしている訳ではありません。

>時間の矢
時間は「現在」から「未来」に対して流れており、「過去」に後戻りが出来ません。
実は、数学的(数式)では「過去」に戻る事は可能なのです。
このため「時間の矢」については様々な意見(理論)が論議されていますが、今の科学では「時間の矢」を実証する事は出来ていません。
最も支持されている理論は「エントロピー増大の法則」によるものだとされています。

この点が「時間とは何か」が解明されていない、最大のポイントです。
このため、時間を説明するには「科学」だけではなく、「哲学的な要素」も多分に含まれている所以です。

まぁ、こんな話が素人にも分かり易くYouTubeで投稿されているのですから、動画を見れば楽しく勉強できますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
YouTubeも参考にします。

“次元”の事は全く想像できません。
時間については、単なる想像の域を出ませんが、次のように思いました。

頂いた回答では、観測によって時間の相対性が現われる(この表現が適当かどうか?)とのことですが、それはあくまでも物理的現象であって、時間はそれには関わってはいないのでは、との思いが消せません。

時間を計るといっても、それは“物質現象”であって時間そのものを測ってるわけではないんですよね?

ただ、頂いた回答にあるような時間の理論が、四次元の現世界の物理現象を“利用”するのに役立っているとは思いますが。

お礼日時:2024/10/18 21:44

キヴェさんおはようございます。


 『「ことば道」』のNo.12https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9428130.html?order= …さんがよかったです。私にもわからなくて相手は難しい単語を使いたくさん書く人なので私の方にわからない原因があると聞きがたい感じを持っていたのを打ちこわしてくれたのがNo.12さんです。ありがとうございました。あるかないかわからないです。Avishai Cohen Trio『Seven Seas (Live at Blue Note Tokyo - 2023)』

があります。Piano の loop が7拍子で1単位です。空間という感覚はありません。視覚と触覚があります。光と重力です。聴覚があります。音です。絶対音感が周波数を得ます。絶対律感が bpm を得ます。1分という単位があります。繰り返します。客観的な時間の単位があります。『世界最高精度・高精度の原子時計が物理学の新境地を拓く』https://ex-press.jp/lfwj/lfwj-news/lfwj-science- …さんがあります。感覚から離れます。歴史があります。繰り返しません。物が溜まります。以下に過去質問を列挙します。
2001/11/06『時間の反対語は』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/164256.htmlさんがあります。
2003/01/12『時間の認識と錯覚について興味あり』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/443301.htmlさんがあります。
2005/10/12『『存在と時間』の翻訳』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/1708814.htmlさんがあります。
2007/04/04『空間はなぜ、質量やエネルギーをそこに存在させる事が出来るんですか?』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/2892658.htmlさんがあります。
2007/12/30『「今」を認識する時間』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/3639314.htmlさんがあります。
2008/01/13『「時間の反対は空間」について』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/3675849.htmlさんがあります。
2008/02/03『言語的・非言語的コミュニケーションについてこういった解釈でいいでしょうか?』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/3740984.htmlさんがあります。
2008/07/08『時間の認識について・・・ご意見ください!(>□<)』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/4161238.htmlさんがあります。
2008/11/30『不可逆過程って?』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/4519115.htmlさんがあります。
2010/05/22『時間と空間と歴史について』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/5913949.htmlさんがあります。
2010/07/26『言葉がなければ人間は考えることが出来ないのか』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/6066592.htmlさんがあります。
2010/12/04『木村敏著の『時間と自己』の解釈について質問です』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/6362159.htmlさんがあります。
2012/06/01『量子力学への疑問』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/7508667.htmlさんがあります。
2012/11/15『本当のランダムってあるの?』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/7799435.htmlさんがあります。
2013/01/31『人間の記憶に時系列が存在しない理由』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/7921683.htmlさんがあります。2015/11/28『実験結果からみると、自由意思の存在は幻想になるのでしょうか?』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9119436.htmlさんがあります。
2023/12/09『時間と空間に最小単位(>0)は存在するか?』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13676063.htmlさんがあります。
時間が流れます。空間が流れません。空間には互いに直交する3つの方向に目盛が刻まれています。空間上の1点が場所です。時間上と言いません。時間上の1点が時刻です。空間上を移動することに対応するのは時間上を経過することです。時間が流れるに対応するのは物が移動することです。時間が流れることに対応するのは空間が歪むことです。時間の流れに対応するのは物の移動と空間の歪みどちらがふさわしいですか?
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この回答へのお礼

時間の流れに対応するのは空間の歪み、かと思います。

お礼日時:2024/10/20 08:57

視・聴・嗅・味・触の五つの感覚。




時間てのは、独立した存在では
ありません。

物質の変化を、時間と称している
だけです。

物質の変化は、五感によって
認識出来ます。
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この回答へのお礼

人間が物理的に又、感覚的に捉える時間というものは、そうでしょうけれども、宇宙の存在と云うことを思うと、やはり空間とともに《独立》した“存在”であるように思うのです。

何故かって云えば《存在》とは《継続である》とも云い得る、からです。
し続けてこそ《存在》となるのだろうと思います。

お礼日時:2024/10/19 19:40

空間については、位置の変化として捉えられるのではと思います。

人間は視覚によって位置の変化を捉えますが、生まれつき盲目の人はまた違った空間の捉え方をするかもしれません。
感覚器官を通して得られた情報を心の中でどのように処理するかによって、知覚される感覚は異なってきます。また時間については直接それを味わうような感覚器官を人間は持っていないだろうと思います。

時間というものは例えば数と同じような抽象的概念であって、具体的な内容を持つ自然界の現象を数という概念に還元する行為によって、万物の根源は数であると捉える見方があります。感覚的に流転し続ける自然現象を感覚に頼らない常に一定の数で表せるという考え方は現在の数学や哲学などのいわゆる形而上学の基本となっています。

一方で、自然を数で表す行為は、自然をただ単に人間の知性の及ぶ範囲内で解明できるかのような思い込みをしているに過ぎず、自然は人間の知性を遥かに超えたものだという意見もあります。

「同じ川は二度渡れない」という言葉があります。過去と同じ川渡りをまた体験してみようとしても、その時点ですでに過去と同じ川の流れは過ぎ去り、結局体験できるのは、つねに現在の川の流れでしかあり得ないです。過去も未来も頭の中にしか存在しないうえに、人間が体験できるのは現在しかない。つまり「時間」が流れていく感覚とは、私たちの思考や感情と同じように意識が作り出した仮構の存在ではないのか。

しかし、過去は確実に経験として存在したし、これから先も必ず未来は存在するはずだと僕は感覚的に日頃からそう思っているわけです。

見方を変えて、人間の脳の働きに予期と想起というものがあります。
今現在、何かしらの状況を知覚した時、人間の脳はまず記憶のデータベースにアクセスし、類似の記憶について検索を始め、検索された記憶をもとに計算を行い、何らかの予測結果を導出し過去を想起させます。続けて想起の結果をもとに次に起きそうな出来事の確率計算を行い、何らかの未来を予期します。
こういった脳の働きは、ヒトがうまく生き延びていくための一種の生存手段でもあったのではないかと思います。

結局人間は、時間の流れを感覚器官を通して体感してはいないが、人間が認識できる今現在の変化について、そこに「時間」の概念をあとから当てはめただけではないかと考えることもできます。
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この回答へのお礼

五感では感知できない時間が、抽象概念であるとは理解できます。
そこで、その概念がどのようにして生じるのか、に付いて想像してみました。

例えば体の痛み。この痛みが続けば“継続”と云う認識を得ます。この認識を《意識(客観視!?)すること》によって、時間と云う概念が生まれる、と。

また、盲目の人の空間感は自身の身体を動かすことで、それと知るのではないでしょうか。健常者に於いても目をつぶれば、同様であるとも。もちろん視覚からが安易であるとは思いますが。

※ 認識と意識と云う語を使い分けています。人間以外の動物(一般としての)は、認識はするけれど意識はできず、という事を根拠にして。

お礼日時:2024/10/19 19:26

>時間=観念、という捉え方はどうですか。


▶時間≠観念 ですね。

と言うのも、{時間}は止める事も進める事も出来ません。
つまり「意思介入」が不可能です。
しかし「観念」は、人間が思い通りに出来ます。

なので、2つは共存は出来ても相反する存在です。
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この回答へのお礼

YouTubeを見ると「時間は存在しない」なんて、いっぱい出てくるので時間とは認識によって生じるものか?と考えてみました。

でも、ほんとのことを云うと時間って、絶対時間というものがあるのでは?と思っているのです。

それは“存在時間”というものです。
“存在時間”は測定できない、という考えです。

お礼日時:2024/10/19 03:58

例えば同じ地理的環境であっても、コウモリと人間では感覚器官が異なるので各々にその地理的環境の受容の仕方は異なりますが、時間については人間が心の中につくった概念であって身体的感覚ではないと思います。



身体的感覚には、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚という古来から「五感」と総称される感覚以外にも、現在では痛覚、温度覚、圧覚、平衡感覚、内臓感覚など20種類ほどの感覚があるとされています。

このうち、「時間」という概念は、上記感覚の変化の過程ではないかと思います。
「空間」については例えば人間でいえば視覚、聴覚、平衡感覚、温度覚で受容された情報を元に脳内で形作られるイメージになり、コウモリになれば主に聴覚情報を元に脳内で作られるイメージであって、各々にその形作られるイメージは違うものになっているだろうと思います。

一方で、人間には知覚されず他の生き物では知覚されるような感覚があるとすれば、それは人間には分かりようがないのではと思います。

あくまで個人的な感想です。
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この回答へのお礼

取り上げられた痛覚・温度覚・圧覚・内臓感覚は、触覚から分科させたもの、との解釈をしてみましたが?
そして、この類いで見た場合は平衡感覚も触覚の範疇に入るのだろうか、との疑問が残りました。

また、コウモリが聴覚情報で“空間”を捕らえているとするならば、人間は視覚で空間を捉えている、と見て良いのでしょうか。

お礼日時:2024/10/18 19:58

No.2です。



> 時間は“観念”なのでしょうか。
現存する物理現象、と言う事です。
その感じ方(進み方)が、人によって違うだけです。
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この回答へのお礼

感じ方は違っても時間そのものは“共通”なんですよね?

お礼日時:2024/10/18 19:36

面倒臭い。


私は貴方の家庭教師では無いので、
自分で勉強してください。
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この回答へのお礼

承知。

お礼日時:2024/10/18 19:34

時間の感じ方は感覚でなく認知に属する問題だと思われる。



もし世の中の現象全てが可逆現象なら、時間の感じ方は全く違うものになるだろう。
コップを割っても元に戻せるし友達と喧嘩してもなかったことにできるし若返るも思いのまま。

しかし世の中は不可逆現象に満ちている。
時間の矢が操作できないのはそのためである。

現在の科学で分かっているのはここまでである。

ついでだが、時間は空間と密接に結びついている。
時空という。
つまりこの世は(ct,x,y,z)の4つの数字で表される四次元時空である。
この中で速度ゼロすなわちx軸、y軸、z軸方向に動かない物質は速度cでct軸方向に移動している。
物質が速度を持つと物質のベクトルはct軸を離れ、ct軸上には物質の速度のct成分のみが投影される。
これが「静止している観測者から見て、速度を持つ物質の時間は遅く進む」理由である。
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この回答へのお礼

“速度”はまさに時空間に置ける“現象”ですね。

速度ってのは、時間が“伸び縮み”するのではなくて、物理的長さの“長短”なんですよね?

お礼日時:2024/10/18 19:33

これでも観て


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この回答へのお礼

できれば、あなたの言葉で答えを知りたい。

お礼日時:2024/10/18 19:07

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