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中国では、王侯将相いずくんぞ種あらんやという言葉の下で、秦朝に対して農民反乱が起きました。平等思想だと思いますが、日本でも似たような平等思想は、あったのですか?教えて下さい。

A 回答 (6件)

王侯将相いずくんぞ種あらんやとは神の元、天の元には万人平等であるという考えですが、日本では天皇の元に万人が平等なのです。

最初から確固としてこういう考えがあったわけでは無いですが、2000年近い日本の歴史の中でこういう考えが醸成されてきました。戦時中天皇は現人神であるとされ、これをマイナスにとらえる人もいるでしょうが、この権威は良い意味で侵しがたいものがあります。

中国の書物・宝物で王朝が変わるごとに燃やされ、破壊されるものが多数ありましたが、日本では正倉院の宝物のように連綿と受け継がれたものがあります。皇侃による『論語』の注釈書である論語義疏は中国では長く失われた書物と考えられていましたが1000年の時を超え足利文庫から発見され、そのすべてを日本で復刻し清に逆輸出されたこともあります。

中国と日本とでは平等の概念が違うんです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

お礼日時:2024/11/06 17:11

そう言われると、日本にはそういう思想らしい


ものは見当たりませんね。

下剋上とか、一揆とか、はありましたが
思想といえるまでに昇華しているかは疑問です。

強いて言えば仏の前には平等だ
ぐらいですかね。

思想と言える段階にまで達したのは
明治になって、西洋思想が入って来たから
でしょう。

諭吉の、天は人の上に人を作らず。


思想らしい段階に達しなかったのは
日本の歴史が比較的平和だったからでは
ないですか。

平等思想は、治乱興亡が多かったので
発達してきたのだと思います。

日本はあの戦争で非道い目に遭いましたが
中国は、あれ以上の惨禍に
600回も遭っています。

人口が1/3に激減したことも
一度ではありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

お礼日時:2024/11/06 17:12

日本では、「下克上」


実力がある武将が、昔からの領主を討って、成り代わる状態。
司馬遼太郎の国取物語の影響で、斉藤道三が有名。
ラストが織田信長に登用された秀吉。一番下から天下人にまで成り上がりました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/11/06 17:13

南北朝時代の婆沙羅大名ですね。


土岐頼遠は光厳院の車列と出くわし、下馬の礼を求められると「何?院?犬?犬なら射てしまえ!」と光厳院の牛車に矢を射かけました。さすがに大問題となり、激怒した足利直義によって斬首刑にされました。
室町幕府の執事(後の管領職)であった高師直は「院だの王だのめんどくさいから、本物はどこかに島流しにして、木像か金属像に替えてしまえ!」と主張しています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/11/06 17:13

それ平等思想ではなく易姓革命というやつでは?

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/11/06 17:13

ありません。

天皇制が続いています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/11/06 17:13

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