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哲学、現代思想における『ポストモダン』とはいったいどのような思想なのでしょうか?ポスト構造主義とどのように違うのでしょうか?この思想内容を知るためにはどのような本を読めばいいのでしょうか。
雑誌「現代思想」増刊の、これに関する書籍紹介を呼んでもいまいち何から手をつければいいかわかりません。理解するためにはどんな本に手をつければいいのか知りたいので、色々あげていただけると嬉しいです。
色々な意味を含む概念なので難しいことは承知していますがよろしくお願いします。

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A 回答 (4件)

ポスト・モダニズムの領域であると一般的に言われるのは、建築・文学・思想の三領域です。



やはり「文化」に足場を置く概念の用語ですので、狭義の「ポスト・モダニズム」が「テクノロジー」を扱うことはないと思います。

たとえばリオタールは、市場のポストモダニズム、消費文化やマス・メディアのなかに現れる、理論抜きの、単なる様式としての「折衷主義」が存在することは認めているのですが、本来的に、「リアリズムに対して挑戦する文学と芸術の様式」(キャサリン・ベルジー)がポスト・モダン性、ということになります。

ただ、未来永劫ないか、というと、そうもいえなくて、近代にアンチを唱え、「文化」という視座からテクノロジーを読み込んでいく解釈がありうるとしたら(具体的にはどんなものか想像もつかない、単に「可能性」としての話ですが)、ポスト・モダニズム的テクノロジー理論というのも登場するかと思います。

文学の領域では、リオタールがあげるのは、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』、そのほかに、現代のポスト・モダニズムの系列に属する作家として通常あげられるのが、ホルへ・ルイス・ボルヘス、フリオ・コルタサル、マリオ・バルガス・リョサなどの南米の作家や、トマス・ピンチョン、ジョン・バース、ドン・デリーロ、リチャード・パワーズ、ポール・オースターらのアメリカの作家でしょう。

あるいは文学には、創作の他に文学理論という領域もあって、ここでポスト・モダニズムはカルチュラル・スタディーズという形をとって発展していきます(うーん、ここらへんはかなり入り組んでいるので、だいたいそんなもん、くらいに受け取ってください)。

さて、思想面からポスト・モダニズムを見ていくとなると、ほぼポスト構造主義と同一になるかと思います。

ポスト構造主義の入門書など読んでいくと、絶対に、「差異」、「テクスト」、「ディスクール」といった、ポスト・モダニズムの鍵概念が出てくるので。
とくに、フーコー、デリダ、クリステヴァあたりは重要かと思います。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=856717

ここで間テクスト性についての回答をしているんですが、間テクスト性というのはまさにポスト・モダニズムの方法でもあるんですね(うーん、回答が少し文学寄りすぎる感じはしますが)。あらゆるものが「テクスト」である、という考え方は、重要かと。

そのほか、ポスト・モダニズムを考えていくとき、非常に重要になってくるのが、ニーチェの思想です。ポスト・モダニズムとは、19世紀の「ニーチェの哲学の長たらしい脚注」(テリー・イーグルトン)にすぎない、という見解もあります。

ヨーロッパの近世から近代に至るまでの哲学は、数学を理想とし、「自我」や「理性」という原理から、演繹的に導かれた知の体系を築いていこうとした。こうしたありかたに、いちはやく批判を投げかけたのがニーチェであったわけです。これこそポスト・モダニズムのエッセンスとなるような考え方ではないか、というわけです。

日本はなんでも古くなるのがおっそろしく早い不思議な国で、「ポスト・モダニズムはもう古い」みたいな見方もあるんですが、そんなこともないと思います。

確かにフランス現代思想家のおもだったところがみんな鬼籍に入ったということもあって、これからの現代思想がどうなっていくのか見えにくくはなっているとは思いますが。

実はわたしは文学のほうの人間なので(すいません、いまごろになって言い出して)あげるとしたら文学理論の人ばっかりになっちゃうのですが、日本人の思想家で言うと、たとえば蓮実重彦や柄谷行人、浅田彰、東浩紀ということになるかと思います。
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この回答へのお礼

再度長文ありがとうございます。調べてみたらテクノロジーとの関連で語られているので、広域ではそれも含めることができるかもしれません。

お礼日時:2005/05/21 22:41

あまり確信は持てないのですが…政治学の先生に昔聞いたところ、ポスト・インダストリアル・ソサイエティ、脱工業化社会と関係があるというような説明をされました。

ダニエル・ベルですね。現実の社会における脱工業化社会、消費社会に生きる人々がポストモダン的、ということですかね?
僕は政治学が専門で、あまり哲学的なことはわからないのですが、見田宗介の『現代社会の理論』なんかも面白いかもしれません。
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私は学部のゼミが社会思想・社会理論だった者です。


現在は街の法律家です。

何だか元気のない日本社会・閉塞感みたいなものは、「大きな物語」のなさによるのかなと、大学で勉強していた頃のこと思いました。
一人一人が小さな物語を紡ぎあげて行く、苦しい作業。しかし、そこに個人一人一人が生きがいを見出せたなら、素晴らしい。

構造主義の方法さえも、近代までの形而上学的伝統(はじめに物語ありき)から自由でない!と批判するのがポスト構造主義のようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。やはりポスト構造主義もポストモダンと深い関係があるようですね。

お礼日時:2005/05/20 22:13

ポスト・モダニズムというのは、まず、第一義的に、モダニズム、近代性を批判的にとらえ、脱近代化を推し進めようとする理論の総称、ということになると思います。



ポスト構造主義というのは、学問的方法、あるいは思考方法を指す言葉ですから、属する人は重なり合いつつも、その用語が対象とする領域が異なるわけです。

ポスト・モダニズムを考えるとき、それが批判しようとしている「近代」、あるいはモダニズムがどのようなものなのか、どのようにとらえるのか、ということがもんだいになっていきます。

ポスト・モダニズムについて書かれた文献では、かならず引用されるのが、リオタールの定義です。

リオタールは『ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム』(水声社)のなかで、近代とは、

「愛による原罪からの解放というキリスト教の物語、認識による無知や隷属からの解放という啓蒙の物語、労働の社会化による搾取と阻害からの解放というマルクス主義の物語、産業の発展による貧困からの解放といいう資本主義の物語」

という「大きな物語」が信じられた時代、といいます。ポスト・モダンの状況とは、その物語が信じられなくなったような状況である、と。

こうした「大きな物語」が信じられなくなった状況において、複数の小さな物語を生み出すこと。そうしてその複数の物語を異種混合させ、差異を増殖させ、未だ知られざるものを探求し続けることによって、回答を出すのではなく、新たな問題を浮かび上がらせていく。

こうした核になる部分は非常に有名なのですが、リオタールの思想というのは、まさにポスト・モダニズムの目指したものである反体系主義的かつ多元的思考を体現したものですから、追っていくのがなかなか大変でもあります。

まず入門書として、
・キャサリン・ベルジー『ポスト構造主義』(岩波書
店)
わたしも最近読んだんですが、この本は大変おもしろく読むことができました。リオタールに触れているのは最後のあたりなのですが、やはり通しで読んでください。これを読んでおくと、リオタールの前掲書、あるいは
・『こどもたちに語るポストモダン』(ちくま学芸文庫)
もかなり読めるようになります。

そのほかに便利なのが
・久米博『現代フランス哲学』(新曜社)
この本を用いて思想の系譜をたどっていくことも可能です。

むしろ、ポスト・モダニズムの世界観に対応した文化形式であるとして、芸術の分野におけるポスト・モダニストの作品を実際に見ていったほうがわかりやすいかもしれません。

特に、建築の分野。そもそもポスト・モダニズムという言葉が登場したのは、まず建築学の分野、「機能主義」を追及したル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエらのモダニズム建築のアンチテーゼ、歴史的様式の遊戯的な引用と自由な折衷とを主張するものとして登場したわけです。

この「遊戯的な引用と自由な折衷」というのが、やはり思想におけるポスト・モダニズムの特徴とも言えるわけで、見ておいて損はない、と思います。

こうした本としてわたしがおもしろいと思ったのは
・鈴木博之『現代建築の見方』(王国社)

それからサイトですが、この“New York建築案内”
http://www1.vecceed.ne.jp/~y-satoh/newyork/index …
これは大変良くまとまったサイトで、「建物の様式と歴史的流れから検索する」というところから見ていくと、ニューヨークのモダニズム建築、ポストモダニズム建築が一目でわかるようになっています。

とりあえず、このあたりから初めてみては、いかがでしょうか。

もう少しリオタールの思想、あるいはリオタール以外の、ポスト・モダニズムに位置付けられる人にについて具体的に知りたいというのであれば、補足ください。
できるかどうかわかりませんが、可能な範囲で答えます。

この回答への補足

長文をありがとうございます。大変興味深く読ませていただきまして、とても参考になりました。

70年代のアメリカ建築で「ポストモダン」という用語が使われたことは知っていましたが、実際に建築という分野に触れたことはなかったのでさっそくチェックしてみます。

建築以外の分野でもポストモダンと関連づけて語られる分野はあるのでしょうか?(たとえばテクノロジーとか。)また、ポストモダンという思想は本当に字義どおり現在も発展している思想なのでしょうか?

やはり自分の興味としては哲学(も現代哲学という用語は使わないようですが)や思想なので、ぜひリオタールやポストモダニズムに位置づけられる人々(日本の思想家もいるのでしょうか)を紹介してほしいです。


よろしくお願いします。

補足日時:2005/05/19 18:47
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Qポスト構造主義・ポストモダンとはどういう意味??

ポスト構造主義とかポストモダンという言葉をよく目にするのですが、簡単に言うとどういうことなのでしょうか?又、両者は同義なのでしょうか?

Aベストアンサー

> 簡単に言うとどういうことなのでしょうか?
短く簡単に述べると抽象的になり
簡単かつ具体的に述べると非常に長くなり、と
実は非常に難しいご質問です。
でも、頑張ります。

「ポスト」はラテン語で「後に来る」とか「次の」といった意味です。
「ポストモダン」とは「モダン(モダニズム=近代主義)の次の」という意味で
思想・哲学・建築・文学の分野で使われる用語ですが
ここでは思想・哲学に限定しましょう。

西洋史上、「近代」は概ねルネサンス、大航海、宗教改革以降の時代
特に市民社会と資本主義を特徴とする時代を指します。
そういう意味では現代も「近代」の延長上にありますが
1900年代後半から近代主義を批判する文化上の運動が活発化し
これ以降の時代を「ポストモダン」と呼びます。

思想・哲学史上における「ポストモダン」の代表的なモノに
1960年代に流行った「構造主義」があり
構造主義の流行が去った後の、構造主義の成果や反省を踏まえた次世代の思想を
「ポスト構造主義」と呼びます。
ちなみに現代は思想史上では「ポスト構造主義」時代にあたります。

このように、ポスト構造主義とかポストモダンというのは
時代区分の一種であって、その流れに属す思想は実はいろいろあります。
それゆえに一言で言うのは難しいのですが
共通する特徴として
●近代の行詰りを克服すべく、近代をいろいろな角度から反省している
●なかでも「形而上学」を反省しようとする態度が大きい
といったことが挙げられると思います。
ちなみに、ポストモダンの条件』を著した哲学者リオタールによれば
「ポストモダンとは大きな物語の終焉」だそうです。
何のことやら、よく分かりません。

形而上学というのは西洋哲学の主流の思想で
古くは古代ギリシャのアリストテレスによって始まり
「我思う故に我あり」で有名なデカルトによって一旦の完成を見た
(と教科書で教えられた筈の)ものです。

さて、以下、大胆に自己流に解釈します。
形而上学とはぶっちゃけ「理性」を武器に「絶対的に正しいものは何か?」を
言葉によって問うて来ました。
その到達点が「我思う、故に我あり」から始まる難解な思想なのですが
19世紀も終わり頃になると、まあ世界大戦勃発だの何だのと暗い世紀末だったので
思想的にも大反省期に入る訳です。
その中でも、大きくメスが入ったのが「言葉」で
ソシュールの「記号論」なんかが有名ですが
簡単に言えば「人間は言葉でしか物事を考えられないが
言葉には限界があり、よって思考にも限界がある」といったことを訴えたのですね。
これは例えば「日本語しかしゃべれない日本人は日本語でしか物事を考えられないので
日本語にない概念については語ることが出来ない」と言えば
何となくお分かり頂けると思います>翻訳できない言葉とかって結構ありますよね。
このように言葉の構造を探ることで言葉の限界を考察したのが記号論ですが
この記号論を発展させて、思考やら文化やらの構造を考察したのが「構造主義」で
メルロ=ポンティなんて人が有名です。

OKWaveにも「○○って、どういうことなのでしょうか?」といった質問が沢山寄せられますが
このように「ひとつの正解に還元できる」という考え方は実は非常に形而上学的な発想で
構造主義的に答えると「ひとそれぞれ、いろいろな考え方があります」
みたいな発想から入り、それぞれの偏見みたいなことを考えていきます。
なので、ときに「相対主義」だと批判されます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%B3

> 簡単に言うとどういうことなのでしょうか?
短く簡単に述べると抽象的になり
簡単かつ具体的に述べると非常に長くなり、と
実は非常に難しいご質問です。
でも、頑張ります。

「ポスト」はラテン語で「後に来る」とか「次の」といった意味です。
「ポストモダン」とは「モダン(モダニズム=近代主義)の次の」という意味で
思想・哲学・建築・文学の分野で使われる用語ですが
ここでは思想・哲学に限定しましょう。

西洋史上、「近代」は概ねルネサンス、大航海、宗教改革以降の時代
特に市民社会...続きを読む

Qポストモダニズムとは?

ポストモダン、ポストモダニズム、とはどのような意味なのでしょうか?

Aベストアンサー

ポストとはAFTER(後)の意です。
つまり「ポスト・モダン」というのは「モダン」主義の後に来る
思想や様式のことです。
概ね、20世紀に入って
芸術や建築、文学、哲学などさまざまな分野で
新しい思想や様式が生まれました。
これらはモダン主義(=モダニズム)と呼ばれるようになりました。
もちろん分野によって違いはありますが
いずれも科学的な態度を重視し、合理性や普遍性を重視する点で共通します。
象徴的な分野は建築で
先日テロで倒壊してしまったニューヨークの貿易センターなどが
モダニズムの代表的建造物です。
そうです、あの四角くて装飾を排した合理的なデザインです。
建築の分野では20世紀も後半、だいたい60年代後半に入ると
そのような合理的で普遍的で使いやすいデザインは
実はどれも同じようなカタチになってしまい
人間味に欠け面白みがない、といった批判が出てきます。
そこで、再び装飾や自由な造形というのが復活してきます。
これがポスト・モダンです。
フィリップ・スタルクがデザインしたアサヒビールの本社などを
思い浮かべてみて下さい。
そう、あの金色のウン●が載ったビルです。
ちなみに最近ミッド・センチュリー・モダーン(50年代モダン)の
家具(イームズのシェルチェアなど)が人気ですが
あれは、プラスチックで量産しやすいなど、合理性を重視しつつ
丸味や配色などポップな楽しさも加わった
丁度、モダンからポスト・モダンへの移行期のデザインです。
ちょっとだけ思想的な背景に触れておきます。
18~19世紀というのは「近代」と呼ばれますが
科学がものすごく発達した時代です。
機械化がすすみ工業化し、医学は進歩し、など
生活が一気に豊かになり
このまま科学的態度に基づいた合理主義を押し進めれば
人類は「世界」を解明し「真理」に到達し「理想」を手に入れられるのでは?
と思っていました。
これがいわゆる「近代主義」です。
20世紀に入ると、この「近代主義」に陰りが生じてきました。
科学は必ずしも万能ではないことが分ってきました。
機械化は非・人間的でもあることに気付きました。
2度目の世界大戦が起こり、ついに核爆弾が使われました。
それに懲りることなく、やがてベトナム戦争が起こります。
やがて、60年代後半にフランスで起こった市民革命などを象徴に
近代主義に対する批判が60年代~80年代にどんどん出てきました。
これらがひっくるめて「ポスト・モダン」と呼ばれています。

さて「ポスト・モダン」のポスト、つまり21世紀の
新しい思想や様式は、まだ生まれてきていません。
NYのテロ事件や日本の核配備など
世界がきな臭くなってきた今、そろそろそれらを批判する
新しい思想や様式が
生まれてきてもいいころだと思います。

ポストとはAFTER(後)の意です。
つまり「ポスト・モダン」というのは「モダン」主義の後に来る
思想や様式のことです。
概ね、20世紀に入って
芸術や建築、文学、哲学などさまざまな分野で
新しい思想や様式が生まれました。
これらはモダン主義(=モダニズム)と呼ばれるようになりました。
もちろん分野によって違いはありますが
いずれも科学的な態度を重視し、合理性や普遍性を重視する点で共通します。
象徴的な分野は建築で
先日テロで倒壊してしまったニューヨークの貿易センターなどが
モダニズ...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Qモダン→ポストモダン→?

モダンから、ポストモダン(1970年代以降?)に移り、
現在がポストモダンを乗り越えた時代だとすると、
現在はいったいなんと呼ばれている時代なのでしょうか?
また、なんと呼ぶべき時代なのでしょうか?

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

まず、誤解していらっしゃるのではないかと思うのですが、「モダン」も「ポストモダン」も、「中世」や「近代」のように時代区分を指す言葉ではありません。
「モダン」は、「モダニズム」以外の文脈でも、単に「現代風」くらいの意味合いで使われることもありますが、「ポストモダン」といった場合はこれは「ポストモダニズム」とほぼ同義で使われるものです。

時代区分でいうなら、「現代」はあくまでも「現代」です。
それに対して、「モダン」あるいは「モダニズム」、「ポストモダン」あるいは「ポストモダニズム」は、大ざっぱに言うと、芸術・思想における傾向の総称です。

ご質問の「モダン」→「ポストモダン」のつぎは、の回答としては、ポストモダニズムに続く大きな芸術・思想的潮流はまだ登場していない、ということになるかと思います。

ただし、そもそもポストモダニズムという概念は建築から起こってきたものです。
モダニズム建築が、機械美を称揚し、装飾よりも機能を重視した結果、伝統的な様式や装飾をことごとく切り捨てたことに反発して、1960年代から起こったムーヴメントです。
その概念がほかの芸術や思想にも波及していった、という経緯があります。

ポストモダニズムの先陣を切った建築の領域では、現代建築はもはやポストモダニズム建築ではない、ポスト・ポストモダニズム建築というものが登場しているようです。

これが広く使われているのかどうなのかわかりませんが、わたしが読んだ五十嵐太郎『現代建築のパースペクティブ』(光文社新書)のサブタイトルは「日本のポスト・ポストモダンを見て歩く」というもので、本文にも

「単純なモダニズムを批判しつつ、ひたすら複雑性をめざしたのはポストモダンの建築だった。しかし、ポスト・ポストモダンは違う。単純なかたちの要素を用いてときにはそれを反復すること」のように記述されています。

さらに著者の五十嵐は、モダニズムとポストモダニズムをたたみこんだポスト・ポストモダニズムを「オルタナティブ・モダン」と呼ぶことを提唱していますから、建築の領域では「ポスト・ポストモダニズム」というのは、市民権を獲得しているのかもしれません。

けれども、文学や思想ではまだその用語はまだあまり一般的ではないのではないかと思います。

まず、誤解していらっしゃるのではないかと思うのですが、「モダン」も「ポストモダン」も、「中世」や「近代」のように時代区分を指す言葉ではありません。
「モダン」は、「モダニズム」以外の文脈でも、単に「現代風」くらいの意味合いで使われることもありますが、「ポストモダン」といった場合はこれは「ポストモダニズム」とほぼ同義で使われるものです。

時代区分でいうなら、「現代」はあくまでも「現代」です。
それに対して、「モダン」あるいは「モダニズム」、「ポストモダン」あるいは「ポスト...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q形而上学とは

現在、国語の授業で
「広告の形而上学」という形而上学をテーマにした論文を扱っています。
文章の雰囲気は分かるのですが形而上学
というテーマそのものがよく分からないので
どうも、しっくりこないでいます。

「形而上学」というものをくだいて説明して
頂きたいのですが。。。

中学3年の私にも分かるくらいのレベルで説明して頂けたら嬉しいです。(教科書は高校1年生のものですが)

宜しくお願いします。

Aベストアンサー

すごい教材を使用されていますね。大学受験レベルなんじゃ。。。
もしかしてその文章の出典は『ヴェニスの商人の資本論』(岩井克人)でしょうか?

No,1の方の説明が正しいと思うのですが、もっともっと噛み砕いてみると。。。

まず「形而下学」は形あるもの、目に見えるものと解釈してください。それに対する「形而上学」は形のないもの、目には見えないものということになりますね。人間の視点や物理的なもの(形而下学)に対する神の視点や精神的なものが「形而上学」と考えることができると思います。



あと、ソシュールの言語論も把握すると、理解が深まると思います。

人間の頭の中で考えることって、区切りがつけられず【無限】に広がっていきますよね。世界や宇宙だって、区切りがつけられず【無限】に広がっていく存在です。人間は他人に対して、そういうものを表現して、考えをわかってもらい、指し示しているものを共有しようとします。

その「表現」の際に使われるのが「ことば」ですよね。ことばで考えを説明し、ことばで指し示しているものが何かをわかってもらおうとします。

けれども、ことばは【有限】の音の組み合わせですよね。「椅子」ということばがあれば、「い」という発音と「す」という発音の組み合わせです(厳密には違いますが)。発音できるものは【有限】というのは、五十音表を見てもわかると思います。

ここで矛盾にお気づきでしょう。我々は、無限の世界を有限の言葉でしか説明できないのです。

そうすると、ことばはある一つの意味を指すのでは使い切れません。ことばに複数の意味や広がりのある意味をもたせないと、無限の世界を表現できなくなってしまうのです。ことばに対してモノが一対一の対応関係をもつことはないのです。

たとえば「犬」ということばを聞いて、あなたと僕とが思い浮かべる「イヌ」は別のものでしょう。それは、「犬」という言葉が意味するものが広い範囲のものをカバーしているからです。

じゃあその範囲ってどこまでって考えると、それはあいまいなイメージでしかないのです。範囲を確定しようとすると、「狼」でもなく「豚」でもなく「猫」でもなく「馬」でもなく…と、延々と「犬ではないもの」を消去していくことしかできません。

ことば一つ一つの意味にはこういう広がりがあるわけです。すると、ことば一つ一つには意味はなく、他のことばとの違い、つまり、【差異】によってしか意味をなさないということがわかると思います。これを裏返せば、「差異が意味をつくる」ということになります。



ソシュールの話が長くなりましたが、重要なのは最後の段落です。「差異が意味をつくる」という結論が出ていますが、「広告の形而上学」でも同じようなことが言われてないでしょうか。

広告は「形がない」ものです。「形のない」商品、つまり形而上的な商品です。それが商品として成り立つのはなぜなんだろうと考えると、他の広告があって、その広告と違いがあるから商品として成り立つわけですね。広告同士の差異が広告の価値を決めて、商品として売れるわけです。たくさんのあふれる広告の中では「差異が意味(価値)をつくっている」わけですね。



おわかりいただけたでしょうか。長くなりすみません。。。

すごい教材を使用されていますね。大学受験レベルなんじゃ。。。
もしかしてその文章の出典は『ヴェニスの商人の資本論』(岩井克人)でしょうか?

No,1の方の説明が正しいと思うのですが、もっともっと噛み砕いてみると。。。

まず「形而下学」は形あるもの、目に見えるものと解釈してください。それに対する「形而上学」は形のないもの、目には見えないものということになりますね。人間の視点や物理的なもの(形而下学)に対する神の視点や精神的なものが「形而上学」と考えることができると思います。
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Q『ラディカル』という言葉の使い方について

『ラディカル』という言葉の解釈に迷っています。
辞書などでは「根本的な」「基礎的な」また、「過激な」や「急進的な」などと載っていて、意味そのものはよく理解できるのです。
しかし、社会、歴史、美術、建築などでは、それぞれの分野で意味や解釈のニュアンスが違っているような気がしてなりません。
考えすぎなのでしょうか?
『ラディカル』という言葉の意味や解釈の基礎知識や良い本などありましたら教えてください。

Aベストアンサー

「ラディカル」と聞いて私がイメージするのは、物事を根本的に、
底の底から変えてしまうような、鮮烈で強力な力です。何よりも、
「我々の既成概念を根本から変えてしまうこと」を含意している
ことが、重要だと思います。胸躍る言葉でもありながら、危険と
隣り合わせのニュアンスも感じます。
政治であれ美術や建築であれ、ラディカリズムを標榜する思想は、
急激で落差の大きい変化を求めるでしょう。既成概念を覆すこと
が目的ですから、より戦闘的であり、挑戦的でもあります。

先進資本主義国では、社会が安定化し、規制のシステムが固定化
する中で、「ラディカルであること」は徐々に力を失っているの
だと思います。それは、政治的であれ哲学・文学・美術・建築、
その他あらゆる分野で。
現在、おそらく「ラディカルな」という形容詞をつけた場合に、
程度の問題として変化の度合いが大きいことを指し示している
だけで、本当に根本的な意味での変革を指していることは稀で
しょう。それ以外では、単に政治的な意味での「過激派」を指
している場合のみに使われているのでしょう。後者の場合は、
もはやイスラム過激派のような、全く我々には理解不可能な「他
者」を指す言葉でしかなくなっているのかもしれませんね。

(このような答えで質問者様の要望にあっているか疑問なのですが、
 もし「意味や解釈のニュアンス」が違っているような例を教えて
 いただければ、もう少しまともな答えができるかもしれません。)
 

「ラディカル」と聞いて私がイメージするのは、物事を根本的に、
底の底から変えてしまうような、鮮烈で強力な力です。何よりも、
「我々の既成概念を根本から変えてしまうこと」を含意している
ことが、重要だと思います。胸躍る言葉でもありながら、危険と
隣り合わせのニュアンスも感じます。
政治であれ美術や建築であれ、ラディカリズムを標榜する思想は、
急激で落差の大きい変化を求めるでしょう。既成概念を覆すこと
が目的ですから、より戦闘的であり、挑戦的でもあります。

先進資本主義国で...続きを読む

Q大きな物語の消滅

この分野は無知なのですが、ポスト・モダンについて興味が
ある者です。

リオタールは『ポスト・モダンの条件』のなかで、近代とは、

「愛による原罪からの解放というキリスト教の物語、
認識による無知や隷属からの解放という啓蒙の物語、
労働の社会化による搾取と阻害からの解放という
マルクス主義の物語、産業の発展による貧困からの
解放といいう資本主義の物語」

という「大きな物語」が信じられた時代
としていますが、どうして「大きな物語」が信じられなくなった
のでしょうか。
また、どうして近代以前では「おおきな物語」が信じられていたの
でしょうか。
教えて下さい。

Aベストアンサー

どうもです。

ポスト・モダンとは近代をいろいろな角度から見て、疑問を投げかけていく事だと思うんですが、このポスト・モダンは結構やっかいで、確かにそうだよなぁ...と思ってしまうんですよ。例えば『産業の発展による貧困からの解放といいう資本主義の物語』の終焉なんですが、確かに今は昔のように、中流階級、労働階級なんてふうに別れているわけでもなく、私たちは生活しています。ある意味みんな労働者だし、中流階級です。さらにインターネットなるテクノロジーの登場により更に階級が不鮮明になったと思います。(インターネットの中では階級、つまりアイデンティティが不鮮明、誰でもジャーナリストのように書きたいように書けるし、チャットなど目上とか、偉い人達と対等に話せます)。階級など存在しない.... 本当にそうでしょうか?お金がなければインターネットなどできませんし、ネットワーク自体、capitalists がコントロールしています。持つもの、持たないものの格差は確実に存在しています。

僕は去年までメディアの生徒だったので、ちょっとメディアについて話しますね。19世紀の近代において写実主義/リアリズムといのが一部中流階級の間で流行っていました。(これはロマン主義の反義語です)これは美化したり理想家することなく、客観的に存在する物をありのままに描かきだすという思想です。しかしこれは中流階級の人達による”見方”現実だったんです。つまりそれは真実であっても、中流階級に住む人達による真実だったんです。そこで現代に戻って、今のメディアを見てみると、なんらこの19世紀の写実主義/リアリズムと変わる所がないように思います。メディアは彼らの目線で世の中を言葉に写し、そしてその言葉を売っています。

思うんですけど、確かに17-19世紀の世の中と今の世の中は違います。僕らはいろいろ見方ができるほど知識も豊富に持てるようになりました。でもこのmodernityは続いていると思うんですよ。だからpost-modernとpost-modernityという言葉は、うーん って感じなんですよね。でも僕はpost-modernの哲学者は嫌いではありません... むしろ好きです。

僕もまだ学校で勉強している者です。お互いがんばりましょう。

どうもです。

ポスト・モダンとは近代をいろいろな角度から見て、疑問を投げかけていく事だと思うんですが、このポスト・モダンは結構やっかいで、確かにそうだよなぁ...と思ってしまうんですよ。例えば『産業の発展による貧困からの解放といいう資本主義の物語』の終焉なんですが、確かに今は昔のように、中流階級、労働階級なんてふうに別れているわけでもなく、私たちは生活しています。ある意味みんな労働者だし、中流階級です。さらにインターネットなるテクノロジーの登場により更に階級が不鮮明になった...続きを読む

Qメタファーとは

メタファーとはなんでしょうか?まったく意味がわかりません。
何かわかりやすく説明しているいいサイトなどありましたら合わせてよろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
メタフォア(メタファーとも言います。metaphor)は、比喩の一種で、シミル(simile)と並んで、代表的な比喩の修辞技法です。

メタフォアは、「暗喩・隠喩」と呼ばれ、シミルは「直喩・明喩」と呼ばれます。形の上からは、「……のような」「……に似た」というような言葉が入っているのがシミルで、入っていないのがメタフォアだという区別がありますが、内容的にはかなり難しいです。

易しい例を挙げると、一般的に、次のように対比させます:

「彼は、キツネのようにずるい」……「ように」がありシミル。
「彼は執念深いこと、蛇のようだ」……「ようだ」がありシミル。

メタフォアはこれに対し、

「彼はまさに希代のキツネだ」
「彼は蛇だ」

前者のシミル(直喩)では、「ように」などがあるのとは別に、「何を喩えているのか」が、明示されています。彼がキツネなのは、「ずるさ」が比喩されています。彼が蛇なのは、「執念深さ」で比喩されています。

しかし、後のメタフォア(暗喩)では、どこがキツネで、どこが蛇なのか、明示されていません。「ように」とか「似て」は、「キツネのように狡猾だ」「蛇に似て執念深い」などで使うので、何を比喩しているのか明示する言葉が来るのです。

彼はキツネだ。彼はイヌだ。彼は蛇だ。……などは、よく使う比喩なので、メタフォアの形をしていても、前後の関係から、何がキツネで、何がイヌか分かります。「キツネだ」というと、狡賢いになりますし、「イヌだ」というと、誰かの忠実な手先だという意味です。

シミルの形をしていても、どこが比喩なのか分からないシミルもあります。例えば、「青い湖水を静かに泳いで行く白鳥のように彼は穏やかに微笑した」というのは、「穏やかさ」を比喩するシミルですが、「青い湖水を静かに泳いで行く白鳥」が、どういう関係で、「微笑の穏やかさ」になるのか、よく分かりません。

こういうのは、形の上では、シミルですが、実質はメタフォアになっています。

メタフォアというのは、「詩」で多く使われますし、効果的に使うと、非常に印象的になります。

「兵士は、獲物を探す鷹の目で、遙か眼下の平野を見下ろした」というのは、おそらく、「鋭い視線・注意深い視線・鷹のように獰猛な意志」などの比喩なのでしょうが、読む人によって色々なものが、想像され、了解されます。

「西欧中世の古風な宮廷舞踊会の毎日のように、時が傍らを過ぎ去って行った」というのは、「ように」がありますが、これはシミルではありません。時間が経過したというのは、分かるのですが、どういう風に経過したのか、その部分がメタフォアになっています。

華麗に過ぎ去ったのか、繰り返しのように過ぎ去ったのか、静かに過ぎ去ったのか、典雅に過ぎ去ったのか、退屈に過ぎ去ったのか……読む人により、前後の文章により、色々なイメージや意味になります。

つまり、何か「比喩」なのですが、意味が明白でない代わり、イメージや雰囲気があり、「暗示的な比喩」であるのです。

メタフォアが多い文章というのは、イメージや雰囲気は豊かなのですが、それで何なのかが分かりにくいような文章です。メタフォアのイメージや雰囲気を味わうことが意味あることになります。

「新月の夜の緑の沼の眸で、スレートの笑いを彼は頬に浮かべた」では、何のことかよく分かりません。「暗い緑の眸で、スレートのように硬い笑いを彼は頬に浮かべた」なら分かります。「スレートの笑い」は、シミルで言えば、「スレートのように硬い」になるのです。

しかし、そう言ってしまうと、イメージや雰囲気の余韻が出てこなくなるので、メタフォアという、何をどう比喩しているのか、イメージなどは分かるが、それが何を意味するのか、自分で味わって了解しなければならない修辞の形式を使うのです。

メタフォアというのは、文章修辞の典型で、詩の本質は、このメタフォアのできぐあいに係っているという見解もあります。

また、以上は、文章修辞のメタフォアですが、メタフォアは、人間の概念思考に常に付随するもので、あらゆる芸術や日常生活にも、メタフォアが関係するというのが、一般的な考えです。三番目のURLは、かなり難しい文章ですが、メタフォア論になっています。

>日本語の修辞法―レトリック
>http://www.sanseido.net/Main/hyakka2/Rheto/rheto_rhe.html#two

>特別企画 第六回 比喩
>http://plaza5.mbn.or.jp/~gendaibun/kikaku/kikaku0601.html

>メタファーと認知
>http://www.ec.kagawa-u.ac.jp/~mogami/metapher94.html
 

参考URL:http://www.sanseido.net/Main/hyakka2/Rheto/rheto_rhe.html#two,http://www.ec.kagawa-u.ac.jp/~mogami/metapher94.html

 
メタフォア(メタファーとも言います。metaphor)は、比喩の一種で、シミル(simile)と並んで、代表的な比喩の修辞技法です。

メタフォアは、「暗喩・隠喩」と呼ばれ、シミルは「直喩・明喩」と呼ばれます。形の上からは、「……のような」「……に似た」というような言葉が入っているのがシミルで、入っていないのがメタフォアだという区別がありますが、内容的にはかなり難しいです。

易しい例を挙げると、一般的に、次のように対比させます:

「彼は、キツネのようにずるい」……「ように」がありシミ...続きを読む

Qインターテクスチュアリティ

今度のレポートでインターテクスチュアリティについて調べて発表するという課題がでたんですが、これについて詳しく説明されているサイトなどはないでしょうか?
テクストとテクストの相互的関係だというのは自分の頭の中ではなんとなくわかるのですが、それをどうやって説明したらいいのか悩んでます(汗

Aベストアンサー

お礼欄拝見しました。
わかりにくいところをこんなふうに指摘していただくと、こちらも自分の文章を見直すことができて、とても助かります。気にせず、じゃんじゃん「ツッコミ」を入れてください。

そうですね。この部分は実はどこらへんまで書こうかためらいながら書いたところで、確かにわかりにくいですね。

>絵画や音楽などがテクスト化されて文章を構成する一要因になっていると考えていいのでしょうか?

むしろ、絵画や音楽、衣服、建築、そうしたものはすでに非言語的なテクストとして存在している、と考えたほうがいいと思います。
非言語的なテクストっていうのはわかりにくいかな。

つまりね、絵にしても、意味を持っている。
『入門』では『草枕』のなかに出てくる“オフィーリア”が取り上げられていますね。
漱石が見た“オフィーリア”、これもすでにひとつのテクストなんです。
直接的にその絵があらわしている意味もあれば、間接的・従属的に表れてくる意味もある。
そういった意味で、すでにテクストなんです。

ただ絵は絵で、そのままでは作品の中に移し替えることはできない。
電子テキストならリンク貼って、こんなことなんだよ、と指し示すことができますが、文学作品だとそれはちょっとまずい。
だから移し替えをおこなうとき、作者は引用しようとするプレテクストを「変形」するんです。
その「変形」のやり方は、前田の本の中で『舞姫』や『草枕』を例にとって、かなり詳しく触れられていますので、そちらを参考にしてください。
こうした変形がどのようにおこなわれているか、そういうところまでふくめて見ていくのが、間テクスト性ということだと思います。

ここらになると、ロラン・バルトにもふれなきゃいけないかな、などと考え出してキリがなくなってくるので、いったん切り上げます。

『文学テクスト入門』よりもう少し突っ込んで、間テクスト性のことが知りたければ、『現代文学理論―テクスト・読み・世界』(土田知則・神郡悦子・伊藤直哉著 新陽社)がいいと思います。むずかしかったら構造主義詩学あたりはすっとばして4章の「テクスト理論の諸相」だけでも参考にするといい。

あと、間テクスト性には触れていないけれど、こうした文芸批評の流れを知りたければ、やっぱり筒井康隆の『文学部唯野教授』が読みやすいかな。

お礼欄拝見しました。
わかりにくいところをこんなふうに指摘していただくと、こちらも自分の文章を見直すことができて、とても助かります。気にせず、じゃんじゃん「ツッコミ」を入れてください。

そうですね。この部分は実はどこらへんまで書こうかためらいながら書いたところで、確かにわかりにくいですね。

>絵画や音楽などがテクスト化されて文章を構成する一要因になっていると考えていいのでしょうか?

むしろ、絵画や音楽、衣服、建築、そうしたものはすでに非言語的なテクストとして存在してい...続きを読む


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