後藤新平さん(台湾開拓の父)
久田佐助さん(名船長)
肥沼信次さん(ドイツ人を救った医者)
八田與一さん(華南平野の父)
李方子さん(韓国障害児の母)
ダショー西岡さん(ブータン農業の父)
樋口季一郎少将(ユダヤ人を救った少将)
杉原千畝さん(ユダヤ人にビザを発給し続けた外交官)
(杉原さんは有名人かな?)

できれば、何かを成し遂げて人民を救ったようなかたを教えてください。

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A 回答 (4件)

「賀川豊彦」(アフリカのシュバイツアー、インドのガンジー、日本のカガワ)でしょう。



海外では日本の20世紀を代表するクリスチャンと認められており、アメリカやヨーロッパで伝道を行っています。

また、戦前から「世界連邦」の設立を唱えたり、太平洋戦争前には平和使節として日米関係修復にも尽力したり、アジア諸国を巡回講演するなど、国際的な平和活動家として非常に有名です。

終戦後、蒋介石に「日本は憎い。それでも賀川先生が中国のために祈っていることを考えれば、日本を憎みきれない」と言わしめるほどでした。

彼の伝記は各国語に翻訳されて世界中で読まれているほどです(その数は1千万部以上とされます)。

また、いまの協同組合や共済の仕組みを考えた人でもあり、これで当時の貧しい農家や災害での被災者がたくさん救われてきました。

海外ではもっとも有名な日本人の一人で、よく「巨人」「超人」と形容される人ですが、今の日本では意外なほど知られていませんね。

参考URL:http://www.jrt.co.jp/tv/ohayo/20C/17Toyohiko/
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
賀川豊彦さんのことは知りませんでした。
海外でそこまで有名な方にもかかわらず、日本人に殆ど知られていないのはもったいないですね。

お礼日時:2005/05/20 15:26

グーテンホフ・光子はいかがでしょうか?



 エステライヒの外交官・グーテンホフ伯爵に見初められて嫁ぎ、ヨーロッパ社交界で話題になった女性です。
 その話題を元にゲランが香水に光子と命名しました。
 彼女は子供達に自由・平等・博愛を説きつづけたとのことです。1950年代、光子の息子が一冊の本を執筆しました。そのタイトルは『汎ヨーロッパ主義』です。この本はヨーロッパは経済・軍事などヨーロッパは一つに統一されねばならないと説かれました。それを具現化したのがEEC→EC→EUです。

グーテンホフ・光子は現代ヨーロッパを作った母というべき人です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
以前知ってるつもりで見たような気がします。
確か、他の子供たちも色々な分野で活躍していたような覚えがあります。
ただ、晩年はけっこう寂しい人だったんですよね。

お礼日時:2005/05/20 15:50

「井上大佑」はいかがでしょうか。


アメリカのタイム誌で、「今世紀もっとも影響力のあったアジアの20人」に、ガンジー、毛沢東、昭和天皇らとともに選ばれたほどの人物です。

タイムの抜粋
「今や世界を席捲し、シナトラやマドンナになりたいと願っている人々に福音をもたらしたカラオケ。
それはマシンにメロディーを吹き込むことを 考えた、気さくでのんびり屋の発明家、井上大佑によってもたらされた。」

日本も含む世界で非常に大きな功績を上げた方で、超有名人ですが、どうしてだか日本では無名です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
この方のことはテレビで見たことありました。
ただ、「今世紀もっとも影響力のあったアジアの20人」に選ばれていたのは初めて知りました。

お礼日時:2005/05/20 15:16

台湾の友人から、第7代台湾総督の 「明石元次郎」 氏が現地では日本人としては大変尊敬されていると教えてもらった事があります。



下記サイトにあるように、台湾の発展に心から尽くした人だったようです。

実は日本人としてこの人の存在を知らなかったので、恥ずかしい思いをしたのを今でも記憶しています。

何となく戦前・戦中の日本人って、どの人もアジア諸国で極悪非道で、残虐行為しかしなかったようなイメージしか与えられていなかったので、同じ日本人としてホッとした気分でした。

参考URL:http://www.a-eda.net/asia/akashi1.html
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この回答へのお礼

ありがとうございます
私もこの方の存在は知りませんでした。
こんな日本人がいるかと思うと、うれしい気分になりますね。

お礼日時:2005/05/19 16:06

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Q日本人男子の平均身長は本当に170~171cmなんでしょうか・・・?

日本人男子の平均身長は本当に170~171cmなんでしょうか・・・?

駅や街中など、大衆の中を歩いていても180cmの自分自身が大きく感じません。

若い人たち(特に10代後半から20代)の5人に3人は175以上、180近くあるように見えます。

みなさんは日常生活の中で日本人の平均身長について疑問をもたれたことはありませんか??

ご回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

質問者さんはこういう場合の日本人男子は何歳という感覚でしょうか?
20歳以上の平均をとるとなると、確かに20~30代は175くらいあるかもしれませんが、50歳以上なら165前後だと思います。70歳以上なら160以下だと思います。

 私は50歳ですが、私が20歳の頃、平均身長は165といわれていました。30年間で5センチ以上平均が上がったんですね。

 ちなみに質問者さんの年齢は分かりませんが、高校時代、真ん中あたりでしたか?
180もあれば、男子が20人いても、背の高さは5番以内だったと思いますが。。。

Q元外交官、杉原千畝が救ったユダヤ人について

 「日本のシンドラー」ともたたえられる元外交官の杉原千畝について、去る10月11日にその生涯がドラマとして放送されました。ナチスから迫害を受けていた6千人ものユダヤ人の命を救うことを、自分の保身よりも優先させたその信念には心から敬服します。

http://www.ytv.co.jp/rokusen/main/story.html

 さて、今回のドラマを観て少々分からなかったことがありました。
 杉原千畝の偉業に関しては、ある程度知っておりました。しかし、彼が救ったユダヤ人たちは、ビザの発給を受けた後にどのような生涯を送ったのでしょうか?
 無事に日本を経由して中米の小国などへ行き着いた?あるいは、アジアの各地にたどり着いた?そして、イスラエル建国後にシオニズムの流れに乗って、同国へ渡った?それとも生き延びた人々は不幸にも少なかった?

 一概には言えないでしょうけれども、杉原千畝のなした功績がどのように後世に引き継がれたのか、知りたくなりました。

 ご存知の方はどうぞご教示くださいませ。よろしくお願い申しあげます。

Aベストアンサー

回答4は、事実関係が逆だと思います。

ユダヤ難民側に日本の通過ビザを取るように要求したのは、ソ連の方です。やっかい者のユダヤ難民が、ソ連領になるリトワニアから確実に出て行くなら、出て行かせようというのが、当時のソ連の方針でした。日本の通過ビザが、ソ連から確実に出て行くことを、保証するものだったわけです。

日本側も、最終目的地(オランダ領アンティル)の入国ビザと、旅費があることを、通過ビザを発給する条件としました。この条件を満たしていれば、杉原以外の領事も、ユダヤ難民に通過ビザを発給していました。

出国先が決まっていなかったり、旅費を持っていない外国人を入国させると、国内に居着かれてしまいます。今もそうですが、十分な旅費を持っていないと、どの国も、入国を拒否します。

杉原の場合は、十分な旅費の無いユダヤ難民に、人道上の見地から、ビザを大量発給したことが、外務省の命令違反になりました。杉原は、情報収集で、ユダヤ人と付き合いがあったので、ユダヤ人の相互援助組織の力を知っており、旅費のないユダヤ難民を入国させても、日本国内のユダヤ人団体が面倒を見るだろうと知っていたので、ビザの大量発給に踏み切ったようです。事実、十分な旅費が無いという理由で、入国を拒否されたユダヤ難民がかなり出てしまい、オランダ大使館と日本国内のユダヤ人団体が身元を保証するという条件で、入国が許可されました。

以下の質問もご覧になるといいですよ。

http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1707706

回答4は、事実関係が逆だと思います。

ユダヤ難民側に日本の通過ビザを取るように要求したのは、ソ連の方です。やっかい者のユダヤ難民が、ソ連領になるリトワニアから確実に出て行くなら、出て行かせようというのが、当時のソ連の方針でした。日本の通過ビザが、ソ連から確実に出て行くことを、保証するものだったわけです。

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もし、最終身長が自分の父親を超えなかった息子を、これから毎年死刑にしたら、日本人男性の平均身長は世界一高くなりますか?

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同じ事を海外でもやれば、日本人は無理でしょう。

Q杉原千畝は英雄か。

杉原千畝の「命のピザ」の発給と、ドイツのユダヤ政策を時系列で並べると下記のようになります。

1933年 1月:ヒトラー、首相に就任
1933年 4月:ユダヤ人の公職追放
1934年 8月:ヒトラー、総統に就任
1935年 9月:ニュールンベルク法制定(ユダヤ人の市民権剥奪)
1938年11月:水晶の夜事件
*1939年 8月:杉原、リトアニア副領事に着任
1939年 9月:ドイツ軍ポーランド侵攻、第2次大戦の開始、ワルシャワ陥落
1940年 6月:ソ連軍がリトアニアに進駐
*1940年7月:杉原のビザ無制限発行
1940年 8月:ソ連がリトアニアを併合
1940年9月:杉原、リトアニアから強制退去。
1940年10月:ワルシャワゲットーへのユダヤ人強制移住開始
1940年11月:ワルシャワゲットー封鎖
1943年 4月:ワルシャワゲットー蜂起
1942年 1月:ヴァンゼー会議(ユダヤ人絶滅政策を決定)
1942年 7月:絶滅収容所へのユダヤ人移送開始(虐殺の開始)
1944年 ?月:ラウル・ワレンバーグがユダヤ人を救う
1944年 ?月:オスカー・シンドラーがユダヤ人を救う
1945年 5月:ヒトラー自殺、第3帝国の崩壊

杉原がビザを発行した当時は、まだユダヤ人絶滅政策は決定しておらず、ワルシャワゲットー封鎖さえ行なわれていなかった事がわかります。
結果的には多くの命を救った事になりましたが、ピザを発給している時点ではこれが虐殺から命を救う事になるとは杉原には予想できなかったはずです。

ワレンバーグやシンドラーは自分の身の危険を顧みず絶滅収容所から虐殺寸前のユダヤ人を救ったのはまさに英雄的行為といえますが、杉原の場合は本当に英雄と言えるでしょうか。
日本国内で杉原が英雄視される理由を教えてください。

杉原千畝の「命のピザ」の発給と、ドイツのユダヤ政策を時系列で並べると下記のようになります。

1933年 1月:ヒトラー、首相に就任
1933年 4月:ユダヤ人の公職追放
1934年 8月:ヒトラー、総統に就任
1935年 9月:ニュールンベルク法制定(ユダヤ人の市民権剥奪)
1938年11月:水晶の夜事件
*1939年 8月:杉原、リトアニア副領事に着任
1939年 9月:ドイツ軍ポーランド侵攻、第2次大戦の開始、ワルシャワ陥落
1940年 6月:ソ連軍がリトアニアに進駐
*1940年7月:杉原のビザ無制限発行
1940年 8月:...続きを読む

Aベストアンサー

当時まだ強制収容所はありませんが、ニュールンベルク法によってユダヤ人が迫害されていた事は事実です。年表だけを見ていると当時の世相や雰囲気は想像し難いかも知れませんが、だからこそドイツから国外に脱出を図るユダヤ人が多数存在したのです。殺される事が確定した人間を助ける行為は英雄的で、これから身に危害が加えられる可能性が高いが、まだ確定的ではない人間を助ける行為はそうでない、と言うのはどうにもお役所的発想ではないでしょうか。
確かに杉原のビザ発給は領事館に押しかけたユダヤ難民達の異様な雰囲気に身の危険を感じた故の行動ではないか、との見方もあるようですが、少なくとも杉原は外務本省の指示に反してビザを発給したのですから、自分の地位を危険に晒しての行動である事は認められます。
さらに、杉原を英雄視しているのは当のユダヤ人達であり、日本人がそれを知るのは戦後随分経ってからなので、日本人の独りよがりと言う訳では無いでしょう。

Q明治時代の日本人より現代の日本人の方が平均身長が高いそうなのはなぜですか

遺伝的には、親の身長が低ければ、子の身長も低くなるのが普通でしょうか?
もしそうなら、明治時代の日本人より現代の日本人の方が平均身長が高いそうですが、それはなぜですか。

Aベストアンサー

うまれ半分、育ち半分といいます。
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Q杉原千畝と東條英機

杉原千畝(外務省)が6千人のユダヤ難民を救ったエピソードはTVで何度も紹介されるのに、東條英機(関東軍参謀長)が同じくユダヤ難民2万人を救った逸話は絶対に出てこないのは何故でしょうか。一般に知られたらまずい何かがあるのでしょうか。

Aベストアンサー

こんにちは。

樋口季一郎少将(ゼネラル・ヒグチ)の件ですよね。

私も以前から不愉快に思っておりました。
理由としては、軍人が(特に旧日本軍の)良いことをしたなんて認めたくない人々が、マスコミ関係者に多数いるからではないでしょうか。
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Q日本人の平均身長は世界基準では

日本人の平均身長は世界基準では、やはり低いのでしょうか?

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http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=148637379

このサイトがわかりやすいですが、欧州の各国の数字が出ていないので
一概に言えませんが、日本人の平均身長は中程度だと思います。

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リトアニアのユダヤ人は何故 杉原千畝に助けを求めたのでしょうか?
当時ドイツと日本は同盟国であり日本はナチスのユダヤ迫害に賛成する立場
ユダヤ人にしてみれば日本人の杉原に助けを求めるのは自殺行為な気がするのですが

Aベストアンサー

1.ドイツ占領下のポーランドからリトアニアに逃亡してきたユダヤ系難民は各国の領事館・大使館からビザを取得しようとしたが、多くがソ連の名に従って閉鎖していた。日本領事館はその時点でもまだ閉鎖していなかったため、難民が殺到した。
 あえていうならば、開いていたのがここくらいだったということ。

2.1937年に「第1回極東ユダヤ人大会」が開かれたが、ここで樋口李一郎陸軍少将はドイツのやり方を厳しく批判し、「ユダヤ人追放の前に、彼らに土地を与えよ」と演説した。
 また後のオトポール事件で樋口とその周辺は多くのユダヤ人を死の淵から救ったが、当然ドイツは激怒して日本に抗議を行った。東条英機はそれを受けて樋口の査問を行ったが、結果的におとがめなしとなった。樋口はその際に「ヒトラーごときの遠吠えにおびえて人道に背く行為を行うのは帝国の恥」と述べたともいう。

 ということで、確かに日本はドイツよりではあったが、ユダヤ人迫害政策に賛成していたわけではありません。ユダヤ社会でも「日本はユダヤ人に同情的である」という見方が醸成されていたようですよ。
 自殺行為ではなく、わずかに残った藁というところだったんじゃないですかね。

1.ドイツ占領下のポーランドからリトアニアに逃亡してきたユダヤ系難民は各国の領事館・大使館からビザを取得しようとしたが、多くがソ連の名に従って閉鎖していた。日本領事館はその時点でもまだ閉鎖していなかったため、難民が殺到した。
 あえていうならば、開いていたのがここくらいだったということ。

2.1937年に「第1回極東ユダヤ人大会」が開かれたが、ここで樋口李一郎陸軍少将はドイツのやり方を厳しく批判し、「ユダヤ人追放の前に、彼らに土地を与えよ」と演説した。
 また後のオトポール事件で樋口...続きを読む

Q最近の 日本人20歳代の「平均身長・体重」は? 

日本人の20歳代の「平均身長」と「平均体重」をすぐに知りたいのです。

教えてください!!

できれば、その文献名もお願いします。

Aベストアンサー

        男        女
    身長平均 体重平均  身長平均 体重平均
20歳 171.3 65.4 157.8 50.4
21 171.4 65.2 158.2 50.8
22 169.5 65.4 158.2 52.9
23 171.9 64.6 158.0 51.8
24 170.3 65.7 157.0 50.5
25 171.0 64.6 157.9 50.4
26-29 170.7 66.0 158.1 51.8

国民衛生の動向 2000年度版より

細かいので、あとは平均してくださいませ。

Q【歴史の捏造】杉原千畝について

ナチスの虐殺から多くのユダヤ人を救ったとされる杉原千畝ですが
杉原の命のビザ発行とナチスのユダヤ人政策を時系列で並べると下記のようになります。

1933年 1月:ヒトラー、首相に就任
1933年 4月:ユダヤ人の公職追放
1934年 8月:ヒトラー、総統に就任
1935年 9月:ニュールンベルク法制定(ユダヤ人の市民権剥奪)
1938年11月:水晶の夜事件
*1939年 8月:杉原、リトアニア副領事に着任
1939年 9月:ドイツ軍ポーランド侵攻、第2次大戦の開始、ワルシャワ陥落
1940年 6月:ソ連軍がリトアニアに進駐
*1940年7月:杉原のビザ無制限発行
1940年 8月:ソ連がリトアニアを併合
1940年9月:杉原、リトアニアから強制退去。
1940年10月:ワルシャワゲットーへのユダヤ人強制移住開始
1940年11月:ワルシャワゲットー封鎖
1943年 4月:ワルシャワゲットー蜂起
1942年 1月:ヴァンゼー会議(ユダヤ人絶滅政策を決定)
1942年 7月:絶滅収容所へのユダヤ人移送開始(虐殺の開始)
1944年 ?月:ラウル・ワレンバーグがユダヤ人を救う
1944年 ?月:オスカー・シンドラーがユダヤ人を救う
1945年 5月:ヒトラー自殺、第3帝国の崩壊

これを見ると、杉原が命のビザを発行した当時は、ユダヤ人絶滅政策は決定しておらず、ゲットー強制移住さえも始まっていなかったことが分かります。
杉原にはビザの無制限発行がユダヤ人の命を救うことになろうとは予想も出来なかったはずです。
恐らく、リトアニアへのソ連の進駐で、ユダヤ教の信仰を禁止される事を恐れたユダヤ人達が宗教の自由を求めての国外脱出のために杉原の元へ殺到したのが事実ではないでしょうか。
要するに杉原は、ユダヤ教信仰のために尽くしてあげた優しい人であって、
絶滅収容所からユダヤ人達の命を救ったワレンバーグやシンドラーと並び称されるほどの人物ではありません。

ですが日本では、杉原はナチスの横暴に義憤を感じ自分の職を賭してでもユダヤ人の命を救おうとビザを無制限に発行した日本のシンドラーだ、ということになっています。
これは、日本の都合のよい歴史の捏造です。
史実を無視した厚顔無恥さはまるで韓国のようだと思ってしまいます。
日本人として恥ずかしい限りです。
ユダヤ教信仰のために尽くしてあげた優しい人、で良いのではないでしょうか。
それを余計な尾ひれをつけて偉人に仕立て上げようとする根性が気に入りません。
恐らく杉原も天国で困惑していることだと思います。

皆さんはこの歴史の捏造についてどう思いますか?

ナチスの虐殺から多くのユダヤ人を救ったとされる杉原千畝ですが
杉原の命のビザ発行とナチスのユダヤ人政策を時系列で並べると下記のようになります。

1933年 1月:ヒトラー、首相に就任
1933年 4月:ユダヤ人の公職追放
1934年 8月:ヒトラー、総統に就任
1935年 9月:ニュールンベルク法制定(ユダヤ人の市民権剥奪)
1938年11月:水晶の夜事件
*1939年 8月:杉原、リトアニア副領事に着任
1939年 9月:ドイツ軍ポーランド侵攻、第2次大戦の開始、ワルシャワ陥落
1940年 6月:ソ連軍がリトアニアに進駐
*1940...続きを読む

Aベストアンサー

ビザ発給とナチスの脅威は無関係と言えそうですね

さらに穿った見方をすれば、杉原がソ連通であったことと、ビザ発給には金品の授受が少なからずあったということを考えると、
杉原のほうからユダヤ人側へビザ発給の見返りに金品の要求を持ちかけたのかもしれません。

とすると杉原は偉人どころか、人の弱みに付け込んで甘い汁を吸おうとしたチンピラ役人だったと言えます。


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