自分独自の健康法はある?

主語が大きい質問をよく見かけます。

例えば、「男性はなぜ浮気するのですか?」とか、「女性はどういう人を好きになるのですか?」とか。
「男性は1人でする頻度はどれくらいなのですか?」という、完全に個人による例もありますね。

なぜこのような質問が起きるのでしょうか。単純に心理というか、主語が大きくなる理由をお聞きしたいです。

A 回答 (26件中1~10件)

単にアホウなお人なのだと思いますよ。


まず想像力が無い。自分の思い浮かべる範囲の中でしか考えることが出来ていない。
知識が乏しい。SNSなどで一つのことを聞いて全てに当て嵌まると思い込んでしまう。
心理面で言えば、自分以外も同じに思っているに違いない。同意を求めたい、自分の中で答えは決まっていることを他人から聞きたい欲求もあるでしょうね。
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特定の人に限定した訳では無い場合を想定した質問であるとからだと思います。


なので、質問者のお気持ちとしては記載内容にて皆がわかると思う前提で質問されてるんだと思います
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仮に「男性はなぜ浮気するのですか?」を例にとると、書き手は、



・「(自分の周囲にいる数名の)男性はなぜ浮気するのですか?」の()内の語句を質問文上で省略している
※()内の内容は質問によって変わる

・したがって、世の中全ての男性が浮気をするとは言っていない

・そして省略した()内を読み取るのは、読み手の努め

という身勝手な理論を展開なさってます

ただ、国語の観点からすると、文字として表されていない内容を、個人の判断で推測して読み取ることは原則的にできない(しない)ことになっているので、「男性はなぜ浮気するのですか?」の「男性」は「世の中の全ての男性」を指していて、特定の個人ではありませんって話になります

主語デカ質問をする本人たちも、主語が示す範囲は限定すべきであることをうっすらとは認識しているが、論理的思考ができなかったり、語彙力不足で難しく、結果的に主語がデカすぎるまま、質問を垂れ流すに至るのではないかと思われます

なので、まあ言うならば甘えですよね
書き手が、自らの国語力不足を棚に上げて、読み手は自分に寄り添って、書いてないことまで想像するべきだって話ですので
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主語が大きい、という言葉は言い換えると、その傾向がある、という意味だと思うんですが。



例えば、小学3年生は、中学3年生よりなぜ身長が低いんですか?
って質問があった時に、小学3年生は←これは主語が大きいですか?

この答えは、まだ中学校3年生より年齢が言ってないから、成長がまだ達して無いから。というのが自分の一つの答えですが、この場合、小学3年生という言葉、主語が大きい、と捉えるんでしょうか?

あなたが出した例で言うと、男性はなぜ浮気をするのですか?
その答えの一つは、子孫を残す為、種をばら撒く様に本能的に作られた男性という姓だからです。というのが答えです。何も100人、1,000人全ての人が違う、ということを厳密に聞いているのでは無くて、大まか、100だとしたら80人以上男性の当てはまる傾向を聞いているのです。
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まあ確かにそうですね。

最近多くなってきた様に思います。素直に捉えれば、そこに何らかの法則性があるのか、みんな同じことを感じているのではないか、を知りたいということなんでしょうが、どう考えても個人的問題やろ、と思うものもありますもんね。そうなると何が知りたいのか、という質問の主旨自体が不明確になるから正直やめてほしいですね。
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安易に何かに原因を求めたり属性を設定したりしたがる事があるのかもしれませんね


~には男性が多いとか、~な人はと考えると分析が進んだように見えるからでしょうかね?

SEKAI NO OWARIのHabitの歌詞に
君たちったら何でもかんでも分類区別ジャンル分けしたがる という部分があります
この質問的な意味での歌詞ではないと思いますが、なんとなく共感できる気がする箇所です
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ほとんどの質問は「人それぞれです」が正解だと思うのですが


それでは納得がいかない性格のひとが多い・・からかなw
みんなそうなんだ・・と思いたいから
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「それが恥ずかしい事」だと知らないんですよ。

貴方も、回答している方も「恥ずかしい事である」という前提で考えていますよね?

しかし「恥ずかしいことだ」と知らずに「恥をかいている自覚が無い」と言う人がいるのです。本人は分かっていないでしょう。

(質問者)当人は反論されたり、賛同されたりしていると思っています。実際は(私たちは)「恥ずかしいのを見た」ので「居たたまれなくてフォローしている」だけですよね。その時に冷静にデータを出す人もいれば、諭す人もいるし、馬鹿にする人もいます。

「なのに?」

「このやり方だと多くの人が反応してくれる」

と勘違いしてしまう。この更に可笑しな解釈と進化の成り行きは(その人の尊厳を考えると)悲しいのであって、怒る物ではありませんよ。もしかしたら、自分も「そうなっていたかもしれません」からね。原因は無礼ではなく、無知なのです。

「何が恥ずかしい事なのか知らずにSNSデビューをすると
 すべてが罰ゲームとなるであろう。他人に脅されてもや
 ってはいけない事を、自発的にしてしまうのだ」

SNSもソーシャルである以上、社会経験が無い人が活動するのには危険すぎますよね。特に恥をかいているのを知らずに自信を持ったり、犯罪行為をしているのを知らずに自信を持ってしまう所は危なすぎます。

自分が「そうならない様に」気を付けるネタだと思いましょう。問題なのは「そうした行為をしてしまう人」は「何をすると恥になるのか?」一生分からないという事です。こちらの方が(当人にとっては)深刻な(辛い)現実なのですよ。自分じゃなくてよかったと思うのが妥当です。

以上、ご参考になれば。
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主語、というよりこういう場合は主題、ですね。


分析能力皆無だから。
自分が知りえる範囲内(井戸の中の蛙)での見てくれのみで判断。
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主語が大きいという感性は解りませんが


人それぞれです。

日本人はこうしなくてはならないという感性が強く
そうでない人を非難する仲間外れにする感性があって
これは日本人独特の感性性質だそうです。

アメリカ人やヨーロッパではそのようなことはなく
他人は全く違う人だそうです。

そのような感性がうつ病、仲間外れやいじめにつながっていますので
考えなくてはいけませんね。
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