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幸福の科学は排他的原理主義カルトですか?また、もしそうでないとしても、信者や職員のなかでマインドが排他的原理主義カルトに陥る人が多数いるように見受けられます。エル・カンターレとはヴィシュヌ神、つまり那羅延天なのですが、那羅延天を最高とする考え方、思想体系、ヒエラルキー、カーストには幾分かの視野狭窄があります。だから、ヴィシュヌ神と互角以上の存在としてシヴァ神、大自在天を位置づける思想の方が視野が広いし、バランスも取れています。宇宙におけるシヴァ神の役割を軽視してはならず、キリスト教にも仏教にもシヴァ神的視点の加味が有益であり、幸福の科学をイノベーションした包括的宗教が誕生するとしたら、エル・カンターレつまりヴィシュヌ神を最高とするのではなく、ヴィシュヌ神もシヴァ神も共に最高か、またはシヴァ神の方が実は格上かも知れないという可能性を残し、宇宙の真の神は更に更に更に更に上にある、エル・カンターレつまりヴィシュヌ神やシヴァ神より上にある、とする方が自然であり、大川隆法的な視野狭窄では本当に良い、本当に素晴らしい宗教には今ひとつ、届かない。大川隆法の敗因は、ヴィシュヌ神を最高とする余り、シヴァ神を軽視、排除、除外、低次元扱いする奢りと洞察力の無さ、判断力の甘さにある。シヴァ神を軽視する幸福の科学は世界宗教たり得るか?

A 回答 (4件)

本当の宗教という意味では、人間性の真実を的確に掴んでいる事が最低条件かと思います。

ユダヤ教の神は『在りて在る者=ヤーハウエイ』

キルスト教では『神』ですが、イスラム教ではアッラ―(やはり神という意味)のようです。

ヒンズー教なるものもありますが、この宗教にも沢山の神が存在している様です。

我が国の宗教は、神道と仏教ですが、どちらにも神が存在しています。神道の云う事を聞くなら『自分以外は全てが神』と云っているように聞こえて来ます。そうして仏教と云うならその神とは『仏性です。』

その仏性とは『一切衆生悉有仏性』という訳ですが、全ての命あるものには『命の働きが宿っている。』との主張です。ユダヤ教の事は知らないのですが、似たように見えています。

仏教には沢山の宗派があって、其々が沢山の独特なしきたりを持っているように見えています。そうして仏教の中の最終の宗派とも云ったものが、生まれたようです。

それが禅宗と云ったものですが、これはすごいものの様です。釈迦の得た悟りの効用を、『釈迦のように恵まれた才能を持っていない者でも、悟りを開く事が出来るように一つ程、或いは二つ程の秘密が仕掛けられたようです。』

この仕掛けによって、宗教的な才能が恵まれていない、愚鈍な者でさえも、悟りを開く事を可能にしたようです。

仏教に於いての仏性とは『命を働かせている機能』という意味です。この機能と自我意識が出会う事を悟りを開くと云っています。初めに悟りを開く事によっての効用を始めに書いて置きます。

その為には、仏性の働きを先に書いた方が分かり易いと思います。

仏性の働きは『脳の機能』を云っています。牛でも馬でも猫であったとしても全ての生きとし生ける者が、生まれた瞬間から『自分が何者かを知っていて、その自分らしさを演じ始める働きの事です。』

植物であっても同じです、桜ならその種に準じた働きを働く機能を有している働きをする事を意味します。その花の色から匂いから咲く時期やその他の全てを知り尽くして芽を出しているという意味です。

人間も同じです、肌や髪の色から目の色でさえも既に知っています、又体臭からその他の機能、心臓の動かし方やホルモンの調節の仕方や呼吸の回数までも知り尽くして働かせています、それも生まれるや否やです。

生れる前に学校などで習って来た訳でも無しにです。そうして生まれて来て幾つになったとしても、素晴らしい出来事に出会った場合では,誰に習う訳でも無しに『スタンディング、オベ―ション』と云った感動までも共感し合えると云った事も知っています。

処が実感として仏性を感じ取る事の難しさは、道元は既に持っているというのにどうして修行をしないと理解出来無いのか?と云った疑問から仏門に入ったと云われています。

そうしてお経からの修行に入って行ったようですが、何年しても仏性との出会いが無かった事で、一旦は諦めて、最新の禅に於いての修行に切り換えたようです。道元禅師の話は余談です。話を進めます。

仏性は分かり難いという話をしていますが、実は大変に分かり易いと云った話もあります。それは神経症とかノイローゼの話をする場合です。

神経症に詳しくない人の為に簡単にノイローゼと神経症の話をしたいと思います。神経症の原因は実に簡単な事と云う事が出来ます。

人間の機能に付いて話すなら実に簡単です。眠る事を今の精神医学では十分に理解出来ていません、眠る場合では『自我意識は無くなって行きます』そうして完全に自意識がなくなった場合では。、無意識の自分(仏性)が身体も心も支配しています。』これが熟睡した事を意味します。この交替が出来なくなった場合を不眠症と云っています。メカニズムの解明が待たれているところだと思います。

不安障害や恐怖症の話をします、是は右脳(仏性)の機能である情報(不安を伴っている情報)が送っている情報に背を向けている事が原因です。送られている情報に対して着信拒否をしている事を意味します。

高所恐怖症の話が分かり易いかも知れません、高い処にいる場合では右脳の機能としては『たちどころに今いる高さの情報』を自意識に伝えていますが『自意識は聞きたくないとか、その情報をお受け取りたくないとして着信拒否とか、感じないような工夫をするようになります。これが恐怖症になる人の心の裏側になります。

書痙とか吃音と云った症状が在りますがこう云った神経症の症状も同じです。神経症の場合では症状別な治療方法が在る訳ではありません、たった一つの治療方法で良くなります。それは森田療法などで行っている『不問』と云った治療です。

症状を不問にするだけの療法です。そうしてこの事が徹底された時点で『症状が出たところで、出なくなったところで』不問になっています。

そうして何時しか症状が出る事が無くなって、全く良くなる時点がありいますが、その時に『ちっとも嬉しくなくなる時』が訪れます。』この時を完治したと表現します。』

又余談になりましたが、悟りを開くと云った話の続きです。

右脳の機能は、自意識には測り知る事が出来ません、それは機能が違う事から推し測る事が出来ます。只参考にするための情報は持っています、次に挙げてみます。

人間の脳の機能です。(脳の構造です。)人間の脳内には二つの意識が存在していると云った科学的な説明です、ウイキぺデアからです。

是はてんかんの治療のために左脳と右脳を繋いでいる脳梁の切断を一つの治療の方法として行っていた時代の話です、沢山の脳梁が切断された人が存在していた時代の研究成果の一つです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。

こういった話はにわかには信じられないかも知れませんので、動画で説明させて頂きます。この状態を自らが脳卒中になったために、体験として語っている動画を載せてみます。

脳科学者である女史が脳卒中になってしまって、右脳の自分と左脳の自分を体験として語っているものです。  

  

人間の苦しみは心の矛盾とか対立とか分裂を生き難さとか、苦しさとして感じています。漠然とした不安感は、右脳の機能である生命の源からの『圧迫感』という意味があります。

右脳には生まれ持った働きがあります。その働きとは『自我意識の働きによる働き、=人間を動かす、或いは人間の生きるための動機付けと云った一面もあります。

思春期頃に脳の機能分化は完成に近づきます、その頃になると『心は二つの機能になって相争うようになって来ます。』これが『失楽園の心の裏側を示しています、』

聖書の中でアダムとイヴが知恵の木の実を食べた事が原因で、神に背く事になったと書いています。この事は全ての人間に付いて語っている言葉です。

右脳の機能と自意識が折り合い難くなると云った内容です。赤ん坊でさえも出来ていた事柄でさえも、神を疑ったために神経症とか恐怖症になってしまって苦しんでいるという意味です。

悟りの効用です、今の精神医学の見解である、症状を抑えると云った見解ではその症状が悪いものと云った見解によって、症状を感じなくさせる効能を発揮する事が求められている事を意味します。

これは脳の機能を阻害する機能と云っても良いと思います、不安と云った情報を送る事によって人間の安全を図る機能を『はたらなくする効能』が精神薬の効能です。

処が森田療法などによる治療は、不安はそのままにして受け取ることによって、小さな不安は、その小さなままの不安、大きな不安はその大きなままの不安として、ありのままに受け取る事によって、只の不安として処理される事を意味します。

神経症でも不安症でも恐怖症であっても、自分自身によって自分自身に送られてくる情報を、加工無しで受け取る事が出来るなら、例え死の間際の情報であったとしても、笑顔のままで感謝出来る事を意味します。

脳梁の中での出逢いを『悟』=『自分自身を知る』という様ですが、若い時にこの二つの意識の出会いがあるなら、この事が人間の心に『化学反応を起こす事が出来る様です。』それは禅の言葉を借りるなら『生死の問題が解決する。』という意味ですが、哲学的な表現方法を借りるなら『絶対矛盾の自己同一』になりますが、絶対に折り合える筈がない者同士が折り合う事を意味します。

分かり易い言葉にするなら『死にたくないと思っている自我意識が、何時か来る死を受け入れられないとしていながら、右脳(仏性)の永遠性の中に溶け込まされてしまって、既に自分自身が永遠の命を持っていたと実感する事を意味します。』

この実感が悟りの真実ですが、今の曹洞宗では悟りは無いと云って、釈迦を嘘つきと云っているように聞こえる事を云っている様です。

二つの意識の出逢いと云う化学反応は、ホットラインという回路構成を完成させます。是が絶対の安心と云った死でさえも覆す事がない安心を保証します。この心境が涅槃と云った境涯ですが、心の中が静寂になったという証です。

パニック障害の心の中が賑やかなのとは対照的です。是が心の矛盾が解消した印です。
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大川隆法氏は経典『太陽の法』で2037年まで法を解くと予言していましたね。

でもあっけなく後継者を指名することなく亡くなりました。そのような宗教が世界宗教になれるはずがないです。信者は教祖の復活を祈り続けているなんてカルトそのものですよ。

そもそも霊言って何でしょう。死者の魂を呼び出すことができるのなら、クロマニヨン人を呼び出しましょう。そしてどういう経過で世界の覇者になったのかを聴いてみましょう。

歴代の有名な数学者をよびだしてもらえば科学の発展に寄与できますよ。たとえばフェルマーの最終定理なら呼び出して「証明法を見つけたけれど余白がなくて書けない」ことを解決して貰いましょう。

オイラーやガウスなどを呼び出せば現在の数学上の未解決問題もどんどん解けるはずです。でもそんなことはしなかったですね。

数学上の未解決問題
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AD%A6 …
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そもそも「カルト」と言う表現自体が単なるレッテル貼りに過ぎず意味を持ちません。

実際学術用語としては不適切(∵定義できない)とされているようです。
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宗教全体的にカルト的要素が有ります。


深入りしないでご先祖さんを崇拝しましょう。
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