モテ期を経験した方いらっしゃいますか?

希望とは、神が人間にのみ保つことを許された、魔法の力ではないでしょうか
希望とは、我が人生を創造する、人間にのみに与えられた特権ではないでしょうか
希望とは、不屈の精神を生み出す、建設のエネルギーではないでしょうか
希望とは、最も暗い悲哀の中でさえ見出せるのです。
だから、「絶対的幸福」の条件の一つに挙げたいのです。
ご意見をお寄せください。

A 回答 (11件中1~10件)

>腐った目には正義の人格者も、詐欺師に見えるものです。



あなたのいう人格者を崇拝するあなた自身が、他人を人格否定しかできないのであれば、その人格者も正しい教えを後世の人間に伝えることができていないということですね。残念ながらその程度の人間ということです。

ちなみに特定の宗教における聖人は別の宗教においては異教徒であり悪魔崇拝者であると判断されることも多く、絶対的な聖人は歴史上いまだかつて存在したことは一度もないんですけどね
    • good
    • 0

>希望を与える聖人哲人を称え



それは単なる偶像崇拝でしかなく、作られた希望はただのマインドコントロールでしかないです。あなたのいう聖人哲人はおそらく単なる詐欺師か神輿に担がれたお飾りに過ぎないでしょう
    • good
    • 0
この回答へのお礼

偶像崇拝はダメとか、マインドコントロールがダメとかは、
貴方がマインドコントロールされているからですね。

釈迦やイエスやソクラテスが、いかに多くの人に希望を与え、魂を救済したかご存じないようですね??。

腐った目には正義の人格者も、詐欺師に見えるものです。

お礼日時:2024/12/14 14:28

実存主義と云ったものとも関係があるのかも知れませんが、今正に死のうとしていた場合でも存在している幸福と云ったものがこの世にはあるような気が致します。



そうでなかったなら、死に往く人が笑顔のままで死んでゆくと云った現実は無いと思います。それでは『今正に死に往く人の心の中に存在している幸福』とは何かに思いを馳せてみたいと思います。

少なくとも貴方が考えている希望とは違うものと思われます。そう考えた場合では「絶対的幸福」の条件の一つに挙げる事が出来るのかは不透明に見えると思われます。

如何なものでしょうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

本当のことを言うと
「絶対的幸福」とは「希望」などと言う、そんな簡単な事ではないと分かっております。

毒杯を仰ぐソクラテスは、「生も歓喜、死も歓喜」だとしたら、永遠の生命を悟った人にしか分からない事かも知れません。

普遍的な愛とか、究極の真理とか、大我への道とか分からないので、正確な答えは出ません。

お礼日時:2024/12/14 14:55

しかし、希望は絶望をうむ麻薬かもしれません。

支配者は希望をコントロールすることで搾取をすることも可能です
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうだと思います
だから、希望を奪う支配者に復讐しなければなりません。
その逆に、希望を与える聖人哲人を称えなければなりません

お礼日時:2024/12/11 08:10

「希望」を辞書で引きますと「何かの実現を望むこと」等と出てきます。


とは言え、人の没落や国の滅亡を望むことを「希望」とは言いませんし、自分のみの利益を望むことは「希望」とは言わず、「志望」という言葉の方が適当であると思います。

つまり「希望」という日本語には理想的・公益的意味合いが含まれていると思います。
「希望」や「理想」という概念を好まない、あるいは否定する向きは昔からあり、また、近年その傾向は強まっていると思っていまして、その理由は、人々が希望が持てないということよりも、自分の利益に固執している心理状態故ではないかと考えています。「希望」は世の中が悪いほどに「持ちやすい」と思うからです。

また、「希望を持つ」ということに「他力的」と「自力的」の別を認識すべきだと思います。自力的なほど自分の、人間のポテンシャルを発揮できると思いますから。

希望を持ち、自力的に行動しようとする力は、仰るようにもっとも偉大な力と言っていいし、絶対的幸福の条件と言って間違いないと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

希望は「自力的」だと思います
希望は労苦から生まれると思います、
労苦を惜しまぬ勇気と情熱から生まれると思います
故に、受け身と惰性は、希望の敵であると思います
流されて生きる事は、不幸へとみずから流れていく事である
勝負は結局、自分自身との勝負なのですね

お礼日時:2024/12/11 08:16

京都大学霊長類研究所によると


チンパンジーには絶望が無いそうです。

つまり、絶望てのは、将来を考える
能力があるから発生する心理なのです。

絶望が無いから、どんな悲惨な境遇に
おかれてもめげません。

そして、絶望は希望とセットです。

希望がある、ということは絶望もある
ということです。



「絶対的幸福」の条件の一つに挙げたいのです。
ご意見をお寄せください。
 ↑
希望が絶対的であれば
絶望も無いはず。

しかし、現実には絶望があります。
ありますどころじゃない。
絶望に満ちています。

絶望があったら、それは絶対的では
ありません。

絶望とセットになっている希望は
絶対的とは言えません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ハイ
何でも反対があるんですよ。
善と悪、愛と憎しみ、正義と悪、幸福と不幸、
「最も暗い悲哀(絶望)の中でさえ希望は見出せます、取り戻せます」

お礼日時:2024/12/11 08:03

はい、「希望」は、がんばれる、生きる原動力だと思います♪


私も大切にしています(⁠^⁠^⁠)

でも、「愛」の方がもっと大きいかな…と思います。

守りたいものがあると、普段の自分からは想像できないようなパワーが出たりしますよね?
子供の頃、お稽古ごとの帰りに可愛い小さな子犬が道端をうろうろしてて、その近所のお店や大人の人に、この犬の飼い主さん知りませんか?って聞いて回ったことがあります。
とても引っ込み思案で知らない大人の人とは話せなかったのに、わんこのためにパワーが出たのだとびっくり、嬉しくなりました(⁠^⁠^⁠)

ごぼうの党の奥野さんのスピーチで知りましたが、アインシュタイン曰く、この世で、この宇宙で一番偉大なエネルギーは「愛」だそうです。

今、日本も世界も大変な時代ですが、大切にしたいです…☆

*ごぼうの党 奥野さんスピーチ


*アインシュタインの娘への手紙。日本語訳
https://ameblo.jp/souun/entry-12803507131.html
    • good
    • 0
この回答へのお礼

「愛」にエゴがくっつくと『溺愛』とか『盲愛』になりますね。
愛が変形すると憎しみに変化しますね。
私は、普遍的な愛の中身について深く思索し結論しました
 真実の愛とは。
・傍観せず共に苦しむ事。
・己の可能性を信じ、己に勝つ事。
・一歩踏み出す勇気を持つ事。
だと思います
慈悲は愛より深いですよ、だから私は「慈愛」と言う言葉が好きです。
ちなみに「愛」の反対は「傍観」でした。

お礼日時:2024/12/11 07:54

自分を幸せにするために生まれてきたなら希望という感情は


幸せ枠に当てはまるのかも。
当てはまるものは自らだすプラスエネルギーの数値も高いんだろうな。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

幸せの中身は「充実」なんですね。
その充実は「挑戦」しなければ得られないんです
挑戦するには「希望」が無くてはならないんですね。
その+エネルギーは「哲学」なんですね。
ですから、一番大事なものは「深い哲学」ということになりますね。

お礼日時:2024/12/11 07:42

「希望」って意外と至る所に転がっている物です。


それを見つけて掴み取る意思がなければ無意味に終わります。

偉大な力とは、希望を掴み取ろうとする強い意思なのだと思いますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

その強い意志は「崇高な哲学」から生み出されるものだと思います。

お礼日時:2024/12/11 07:36

「絶対的幸福」の条件が沢山あっては「絶対的」ではなく、単なる「幸福の条件の一つ」になるのではないでしょうか。

    • good
    • 1
この回答へのお礼

長い人生にあって、少なくとも地位や名声や財産よりも
わが胸中に炎のごとく燃えたぎる”希望”の一念が、最も重要だと思います。

お礼日時:2024/12/11 07:25

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

関連するカテゴリからQ&Aを探す


おすすめ情報

このQ&Aを見た人がよく見るQ&A