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1941年12月8日、日本はアメリカというワニの口に自ら飛び込みましたね?

それは、あたかも、以下の動画のようです。もちろん、アメリカという巨大な「ワニ」と戦って、勝算など無い事は、当時の帝国陸海軍も分かっていたでしょう。

しかし、おそらく、この動画の豹のように、他に選択肢が無かった、にっちもさっちも、行かない状態に追い込まれていたのではないでしょうか?

従って、もし、この運命を変えれたとすれば、さらに過去の歴史を変える必要が有ります。

1940年7月10日から10月31日、英国本土航空戦。ドイツ空軍とイギリス空軍の間で戦われた航空戦で、ドイツ空軍は、作戦機1,918機とパイロット2,662人を失った。

失われたパイロットはこれまでドイツ空軍の栄光を支えたベテランパイロットであり、ドイツ空軍はこの痛手から立ち直ることができなかった。イギリス側の損害、航空機 915、戦死 449

従って、大日本帝国陸海軍は、このドイツ空軍の敗北を見て、ドイツの勝利に期待する事をあきらめるべきでした。

1941年4月13日、日ソ不可侵条約締結。

1941年6月22日、独ソ戦開始、この時が、アメリカとの関係を改善するチャンスでした。せっかく、日ソ不可侵条約を結んだのですから、ヒトラーが日本に相談無く、勝手にロシアと戦争を始めた事を理由に、日独同盟を破棄し、ロシアの味方をすれば良かったのです。

アメリカはロシアを支援する為に、武器弾薬、食料、石油を載せた船を、津軽海峡を通って、ウラジオストクに続々と陸揚げしました。

そのアメリカの支援物資と共に、1万人の日本兵を、ウラジオストクから、シベリア鉄道を使って、モスクワに送るのです。そうしたらアメリカの補給を使えるので、補給の心配は要りません。

アメリカはロシアに支援物資は送っても、兵士は送りませんから、アメリカ兵の代わりに、1万人の日本兵が、ロシアの為に戦えば、わずか1万人の日本兵によって、日米関係が良くなる事は確実です。

当時、日中戦争で、日本軍は百万人の大軍を中国大陸に送っていましたから、それに比べれば、わずか1万人の日本兵でドイツと戦うのは難しい事ではないです。しかし、現実には、

1941年7月28日、日本軍は、ベトナム南部のフランス領インドシナ(仏印)に、愚かにも進駐し、アメリカを怒らせて、アメリカから石油を禁輸されてしまいます。

その結果、日本は以下の動画の、豹ような状態に追い込まれて、ワニ(アメリカ)と戦うしか無くなってしまうのです。

ワニと豹
https://x.com/i/status/1863587984823496724

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    アメリカは、アジア人が何人死のうが、そんな事は気にしません。それは、現在、中東やパレスチナで、アジア人が何人死のうが、何もしない事を見れば分かります。

    ですから、アメリカは、日本兵が、例え1万人でも、ヒトラーと戦ってくれれば、大喜びで、日本を支援します。

    ロシアに送った1万人の日本兵は、大真面目に、ドイツ軍と直接戦う必要は無いのです。どうせ1万人くらいでは、大した働きはできません。

    前線の後方で補給物資の輸送とか、あるいは、「督戦隊」として、前線から逃げてくるロシア兵を撃つ任務をやれば良いのです。それなら、大した損害は出ません。

      補足日時:2024/12/08 16:50
  • HAPPY

    当時は、軍部だけでなく、朝日新聞を始めとする、マスコミもアメリカとの戦争を煽っていたのです。当時の新聞を読めばわかりますよ。

    そういう状況で、戦争に反対するのは困難です。ですから、どこかの国と戦争して、現状を打開するしか無かったのです。何もしないでは国民が許しません。

    ですから、ヒトラーと戦うのです。どうせ戦うなら、アメリカと戦うより、ヒトラーと戦った方がマシです。戦勝国に成れるからです。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/12/08 16:55

A 回答 (6件)

全てが終わった後でいろいろ機密解除された情報を知っている現代人だからそのようなことが言えるのであって、当時の人が質問者様のように考えるのは無理だったのではないかな。



バトルオブブリテンでドイツ軍がどの程度被害を受けたかという詳しい情報は機密扱いされてたはずです。
そういう日本政府が手に入れられない情報を元に「大日本帝国陸海軍は、このドイツ空軍の敗北を見て、ドイツの勝利に期待する事をあきらめるべきでした」と主張するのは無理があります。

ソ連がレンドリース法の対象となったのは1941年10月以降で、実際の援助物資の輸送はさらに後です。
もし「アメリカの補給を使えるので補給の心配は要りません」といってソ連と共にドイツと戦うよう日本政府内を説得するにしても、南部仏印進駐以前の頃には米国からソ連に援助が行われるという情報が無いのです。
どうやって説得しましょうか?

レンドリース法によりソ連へ本格的に物資援助が行われるようになるのは1942年以降です。
この援助規模拡大には真珠湾攻撃で米国が戦争の当事者になったことが大きく影響しているのですから、もし真珠湾攻撃が行われていなければソ連への援助はかなり少ないままだったでしょう。
そこに日本が日本からの補給無しで軍を送って、まともに戦えますかね?

つーか、ソ連で使われている言語を話したり書いたりできる日本兵って当時どの程度いたのでしょうね。
意思疎通ができないと、どんな任務もろくにできないと思うのですが。
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戦争は異常な感情の高まりと無知が産む。


日本は米国のワナにハマったという見方も可能だが、自分たちの異常な感情の高まりと無知が決定打になったことは間違いない。

米国の首脳部も、猿のような日本人が鬼のように強い航空戦力を持っていると知っていたら、果たしてハルノートを突きつけただろうか。彼らは日本軍が何をしようと、フィリピンとハワイに置いたそれほど大きな戦力ではない陸海空軍力で、日本の猿たちを叩きのめせると多寡をくくっていた。

両者があまりにも相手のことを知らな過ぎた。それが太平洋戦争の真実だと思います。
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マスコミが国民を煽り、それに乗っかるなんて、国を治める人間として失格です。


そんなトップだから、日本が負けたのです。

確かに、杉原千畝がドイツのユダヤ迫害の事実を熟知し、打診したにもかかわらず、軽くあしらって、ドイツ、イタリアと三国同盟を結んでしまったのですから、もし、しっかりドイツの本性を見抜いていれば、三国同盟締結せず、アメリカの敵になることも避けられたかもしれません。
いずれにしても、日本のトップの判断が間違っていたのです。
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豹はその前にアジアで食い散らかしてますがね。

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山本糞野郎のなせる業ですね。



酒好きで女好きな我儘が旗振ると、一国をも滅ぼすという教訓ですね。
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他に選択肢は無かった、などと一般的に言われていますが、そんなことはありません。


そこには決断があったはずです。
我慢に我慢を重ねることが必要なときもあります。
つまり、まんまとアメリカの罠にはまった、とも言えます。
日本が、判断を誤ったのです。
正当化するのはやめましょう。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

当時は、軍部だけでなく、朝日新聞を始めとする、マスコミもアメリカとの戦争を煽っていたのです。当時の新聞を読めばわかりますよ。

そういう状況で、戦争に反対するのは困難です。ですから、どこかの国と戦争して、現状を打開するしか無かったのです。何もしないでは国民が許しません。

ですから、ヒトラーと戦うのです。どうせ戦うなら、アメリカと戦うより、ヒトラーと戦った方がマシです。戦勝国に成れるからです。

お礼日時:2024/12/08 16:55

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