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西洋文化、聖書で見ると働くことは罰であり
日本文化だと古事記から見ると働くことは善

これだけで西洋文化と付き合うことは日本人にとって良くない事なので
西洋文化とは断絶とまではいかないけれど
西洋人のような野蛮な文明文化とは距離を置く方が日本人にとっていいことだと思うし
日本文化をもっと大事にしようと思ってくれそうですが

なんで西洋文化圏に住む人たちは白人至上主義的な思考から全く成長しないのですか?

A 回答 (6件)

>>西洋人のような野蛮な文明文化とは距離を置く方が日本人にとっていいことだと思うし日本文化をもっと大事にしようと思ってくれそうですが



西洋人の価値基準は、キリスト教をはじめとする宗教にあります。神を信じ、それを第一に考えるわけです。
彼らから見たら、日本人は無宗教の人種であり、また、日本人自らが「私は無宗教です」と言う方も多いわけですね。
そうなれば、西洋人からみれば「神を信じないなんて、こいつら獣と同じで信用できない、動物と同じだ。なんで人間ではないのに、日本人や日本文化を大事にする必要があるんだ?」という論理でしょうね。

ただ、最近は、インターネットで日本文化やその宗教観が海外に紹介されることもあって、若干、改善されつつあるようです。

>>なんで西洋文化圏に住む人たちは白人至上主義的な思考から全く成長しないのですか?

実際に、武力や科学の力で世界を支配してきたのが白人ですから、仕方ないでしょう。
日本が高度成長期、その少し前の昭和の頃は、「海外製品、舶来品はいいなあ、国産はダメだ!」って雰囲気でしたし、米国のホームドラマで海外家庭の暮らしぶりをみて、そこに登場する家電や自動車、家などに憧れる日本人は多かったものでした。(あの大きな瓶の牛乳っていいなあ・・なんて思ったものです)
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この回答へのお礼

なるほどやはり西洋文化は悪でしかないな

お礼日時:2024/12/10 14:29

西洋だと


キリストに対してイーブンにしきれなかった罪悪感から
それと比べたら、働く大変さくらいは罰みたいな感覚が強いのではないか
と思います。

日本では
害のないことに集中するほうが
有害なことをするよりもまし、みたいな感覚が強いのではないか
と思います。

前者は争いが激化したことの反動の大きさへの反省。
そしてまたその埋め合わせの方向への振幅の大きさ。
後者は和を最優先にするために振幅を最小限にしようとする傾向。

協調の必要性の程度の違いということで
小麦文化と稲作文化の違いの表出の一つ
と言ってよさそうです。
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この回答へのお礼

うーん・・・

お礼日時:2024/12/11 08:11

労働の本質と意義


聖書では、労働は神の創造の計画の一部として位置づけられています。創世記には、神が人間を創造し、地を耕し守るように命じたと記されています。労働は神への奉仕であり、礼拝の一環とされています。新約聖書では、労働を通じて神に仕え、隣人に奉仕することが強調されています。労働は神からの祝福とされ、喜びをもって行うべきものとされています。

一方、カール・マルクスは、労働が人間の自己実現の手段であり、本来は創造的で満足感を得られる活動であると考えました。彼は、労働を通じて人間が自己を表現し、自然と物質的な交換を行うことで、人間の本質を確認することができると述べています。

労働の疎外と祝福
聖書は、労働を神からの祝福とし、喜びをもって行うべきものとしています。伝道者の書には、労働の中に幸せを見つけることが神の賜物であると記されています。

一方、マルクスは資本主義社会における労働が疎外されていると批判しました。資本主義では、労働者は自分の労働の成果を所有することができず、労働が単なる生計手段となり、自己実現の喜びが奪われると考えました。彼は、労働が商品化され、人間関係が商品と商品の関係に変わってしまうことを懸念していました。

未来の労働と神の計画
聖書は、労働が神の創造の一部であり、人間がその中で自己を実現し、他者と共に生きることを強調しています。労働は、神への奉仕と礼拝の一環として、現在の労働にも喜びと祝福を見出すことができます。

マルクスは、未来の社会においては労働が強制的で苦痛なものではなく、自己実現や創造的な活動として行われるべきだと考えていました。彼は、労働が自由で創造的な活動となることで、人間が真の自由を実現できると信じていました。

統合的な視点
このように、聖書の労働観とマルクスの労働観を統合すると、労働が人間の自己実現と神への奉仕の両面を持つ重要な活動であることが浮かび上がります。労働は、自己表現と創造の手段であり、同時に神の計画の一部として祝福されるべきものです。資本主義社会における労働の疎外を克服し、未来の自由で創造的な労働を目指すことは、神の計画の実現に向けた一歩とも言えるでしょう。

この視点から、労働の意義と価値を再評価し、より豊かな人間社会を築くための指針とすることができます。
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この回答へのお礼

聖書のうんぬんとか労働はこうだとかでなく
質問に答えてください

お礼日時:2024/12/10 22:14

No.1です。



> 労働とは人間に与えられた罰であると…
罰としての労働はあります。
しかし、自らが働く者を否定はしていません。
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この回答へのお礼

聖書のうんぬんではなく質問に答えてくださいいいいいい

お礼日時:2024/12/10 22:15

お金絡みだと思います。


労働でお金持ちと、貧乏人の格差と、差別が生まれる観点から、労働は悪という宗教理念かと思います。
現実問題として、労働でお金を得ない地域では
過疎化と内戦が勃発して混乱しているのです。

労働しないことと、労働することの両面を考えたら
双方に、いい面も、悪い面も備えています。
でも、人間はご飯を食べないと生きていけません。
野生の動物も食べて生きています。
もしかしたら、人間の存在意義が、地球規模での理念なのかもしれませんね。だとしたら、人間は
自然の恩恵を受けているので、自然のために
自然に資源的なものをきれいにしてかえすように努める事なのでしょう。
宇宙があり、地球ありきの生物だという事を忘れないで、自然を破壊しないように環境汚染とならないように、人は仕事をして、賃金を得て、生活を潤し豊かにし、家族をつくり、地球環境を汚染しない事や戦争をせず平和に自然とともに生きる考えを子に引き継いでいく使命があり、それが現代社会と未来につながるのだと思います。
ちなみに私は無宗教です。
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この回答へのお礼

よく日本人で私は無宗教って言う人いるけど
必ず宗教に属してますよね
仏教とか
そうでなくてもすべての自然のものに感謝するこころ
も宗教ですから

お礼日時:2024/12/10 14:33

> 西洋文化、聖書で見ると働くことは罰であり


そんな事はありません。
西洋でも東洋でも、
農民は食を得るために土地を耕して穀物や野菜を育て、
漁民もまた食を得るために船を作って海に出るのです。
地域を納める領主は、そのおかげで生きていけるのです。
そのような庶民の行動を否定するような領主(国)は教えは、
有ろうはずがありません。
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この回答へのお礼

ググてみると
労働とは人間に与えられた罰であるというのはキリスト教的伝統にあります。 アダムは神の掟を破った罰として、エデンの園を追放され、苦行としての労働を課せられます(ギリシアのプロメテウスの神話でも、人間は神をだました報復として労働が課せられます

僕の質問の意味合いを読んで僕の書いた
質問の「回答」をお願いします

お礼日時:2024/12/10 13:53

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