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次の例文は,どちらが正しいと思いますか?
私は,2の方が適当と思うのですが,いかがでしょう?
(1と2は,「に」が無いか有るかだけのちがいです。)

1 人間は,ものを考えるという特徴がある。

2 人間には,ものを考えるという特徴がある。

A 回答 (10件)

なるほど。

No. 9 のアスナロウさんは国語学に造詣の深い方なので、アスナロウさんの仰ることが正しいのでしょうね。もしそうなら、ド素人の私は、7 と 8 にて偉そうなことを言ってしまいました。済みませんでした。
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この回答へのお礼

ご回答,ありがとうございました!
たいへん勉強になりました。
どうもありがとうございましたm(__)m
賛否両論あるようですが,私は未来永劫にわたるさんの考えに賛成です。
むずかしいことはわかりませんが,2の言い方が,腹にストンと落ちるというか,自然という感じがするんですね。~は,…という〇〇がある。には,やはり違和感があります。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2024/12/24 00:53

どちらも正しい表現で、意味が異なります。



1 人間は,ものを考えるという特徴がある。

この場合、「人間は」で「人間」という普遍性をは捉えて表現しています。この「は」は普遍性を表す係助詞です。

2 人間には,ものを考えるという特徴がある。

「には」の場合、人間を「に」で対象として位置付け、「は」でその特殊性を捉え表現しています。この「は」は特殊性を表す副助詞です。

普遍性の「は」の場合、他との比較・対照の認識がなく、特殊性の「は」の場合は動物と異なりというような他との比較・対照が前提にあります。■
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この回答へのお礼

ご回答,ありがとうございました!

お礼日時:2024/12/24 00:46

たとえば明治、大正、昭和、平成、令和までに活躍してきた、それなりに評価されて書店に並んでいる作家たちが真剣に書いてきた本をそれなりに読んでいれば、(1) なんてのは圧倒的に少なく、(2) が普通であることがわかると思います。

(1) は、何も考えないでしゃべっているとき、書いているときでさえいい加減な思いで物を書き、書いたあとに自分でそれをチェックしたりしない人だけが使う言い回しだと思います。

そうは言いながらも、人間は常に注意して物を書いているわけではなく、しっかりした文章家でさえ、(1) のようないい加減な言い回しを口にしたり、時にはうっかり書いてしまうことさえあるでしょう。

しかしそういう作家たちのうっかりしたミスをきちんと修正するのが、まともな出版社の編集者だったのですが、現代ではすべてが無茶苦茶なので、どうなっているのかは知りません。
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質問者さんは、日本語を大切に考え、普段から文章の達者な作家などの文章をたくさん読んでこられたのでしょう。

そういうことが伺える質問です。

私の見る限りでは、日本語を母語とする人たち(日本で育ち、主に日本語だけで暮らしている人たち)で、しかもある程度は教養があると思われているような人たちでも、この2つが両方とも正しいと思っている人が大多数だと思います。

しかし私は、(1) のような文章を見ると、気持ちが悪くなります。「~は、~を持っている」というならわかります。しかし「~は、~がある」なんて、不自然で非論理的だと思います。「人間は~という特徴がある」という日本語が正しいのなら、「机の上は、本がある」と「机の上には、本がある」という2つが同じように正しいと言いたくなります。

私は、たとえこれからいくら自称日本人たちが (1) を盛んに使おうと、私だけは頑強に (2) つまり「人間には、~がある」という言い回しか使わないようにしていきます。死ぬまでそれは続きます。
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どちらも正しいです。


その文の前後にどんなに文があるかによって、全体の文章のバランスから、どちらの文の方が適切か決まってくると思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答,ありがとうございました。

お礼日時:2024/12/22 15:01

直接の回答ではないが一言。


カンマは英語だから正しくないという回答があるが、小学校ならそうかもしれないが正しくないとはいいきれない。

学術論文を投稿する際、日本語の場合でも句読点はカンマとピリオドを使うよう規定されている(私は複数の学会に所属しているが全ての学術論文の規定にある)。
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どちらが正しいか、という問題ではありません。


文章としてはどちらも間違いではありません。
が、表現としては、どちらも適格な表現とはいいかねます。
特徴→広辞苑では、他と異なり、目立つ印・・・
言い換えれば、一見して判断可能(必ずしも視覚情報に限りませんが)。
人を一見するだけで、「ものを考える」が判断できますか。
文字通りの見てくれ、の相違なら可能ですね。
正しい、間違い、の二者択一思考しかできないならば、「特徴」この言葉を使ったのは間違い?。
>(1と2は,「に」が無いか有るかだけのちがいです。)
それだけで、正しい、正しくない、となぜいえるのか?。
「に」は文法で助詞、と言われます、それなりの働き、機能を持っています。
それを理解した上で受け取る側がそれに応じた反応をする必要があります。
それができないだけなんです。
詞(ことば)にはすべて意味があります、という人もいますが、具体的な意味はありません、相手に何かをさせる示唆をする、とでもいうのかな、そんな働きを持ちます。
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この回答へのお礼

早速のご回答,ありがとうございました! たいへん勉強になりました。どうもありがとうございましたm(__)m

お礼日時:2024/12/22 12:21

どちらも正しいです。

この場合所有を意味してるのだと思いますが
 私の家は、書斎がある。
 私の家には、書斎がある。
どちらも問題ありません。意味は殆ど同じでしょうが、言いたい状況により一方がより積極的に使われるといった違いは多少あるかもしれません。もっと言うなら
 私の家に、書斎がある。
という言い方もあります。同様に「人間に、ものを考えるという特徴がある」という言い方もあります。あくまで一例ですが、「人間に、ものを考える特徴がある、ということは…」という言い方の時に頻繁に出てくると思います。

「は」「が」といった日本語の助詞は外国人が日本語を学ぶ上で非常に難しいものとして知られています。日本人は意識せずに使い分けますが、その違いの説明を求められると多くの日本人も説明出来ません。
「は」「には」「に」の違いの説明も、やはり難しいです。
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この回答へのお礼

早速のご回答,ありがとうございました! たいへん勉強になりました。どうもありがとうございましたm(__)m

お礼日時:2024/12/22 12:21

どちらの例文も正しいとは言えないです、「,」(カンマ)は英語の読点なのでこの場合は、



1 人間は、ものを考えるという特徴がある。

2 人間には、ものを考えるという特徴がある。

ですと、どちらも日本語として正しくなります。
しいて言えば、「という」言葉は不要で

1 人間は、ものを考える性質がある。
2 人間には、ものを考える本能がある。

と言い換えると単刀直入なのでは。
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この回答へのお礼

早速のご回答,ありがとうございました!
たいへん勉強になりました。
どうもありがとうございましたm(__)m

お礼日時:2024/12/22 09:38

当方も2の方が適当だと思います。


因みに、1の「人間は,」を生かすなら、末尾は「ものを考える。」としかなりません。
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この回答へのお礼

早速のご回答,ありがとうございました!
たいへん勉強になりました。
どうもありがとうございましたm(__)m

お礼日時:2024/12/22 09:38

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