教えて!gooの解凍をよく参考にさせていただいていたのですが、
たまに高飛車な態度の人や自分の知識を見せびらかしたいだけで質問者そっちのけの人、
質問の意図をまったく無視しているような場合があるように思います。

私の場合も人に何かを教えるときにそうなってしまう事があると思うのですが、
そうならないように冷静に謙虚な気持ちでいられるにはどうしたらよいのでしょうか?

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A 回答 (6件)

高飛車な態度や、自分の知識をひけらかすだけの回答をよせる方の、心理を分析してみましょう。


初めに、質問に対し自分はその質問への回答を知っている、という優越感があると思います。そこに落とし穴があると思うのです。問題になるような回答をする人は、その人の知っている回答が唯一の物である、とかこの回答が絶対正しい、という「思い込み」があるのではないでしょうか?
もしかすると、違った角度からみれば別の回答があるかも知れません、問題のある回答をされる方は、そのことに気付いていない、或いは他の回答があることを知らない、といえると思います。
これを回避するためには、様々な視点から考えをすすめる「想像力」また、複数の回答があることを知る「広範な知識」が必要だと思います。

結局、高慢な回答をされる方は、「自分は想像力がない」「偏った知識しかない」ことを表明しているようなものです。
「実ほど、頭を下げる稲穂かな」
「無知の知」
といった言葉の意味をかみしめて、謙虚でありたいですね。

このご質問には、自分自信も反省させられました、ありがとうございます。
ご質問への回答としては、「様々な視点からの回答を想像してみる」ことと、「想像力の源泉となる、広範な知識を身に付ける」という姿勢が大切だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

優越感はありますよね、そこで一呼吸おけるようにならないといけないんでしょうけど・・・
確かに思い込みが強すぎると一人よがりになってしまいそうです。
様々な視点から考えられるように注意しようと思います。

お礼日時:2001/09/25 11:20

過去にこんな質問・回答がありました。


「知ること、知ったかぶること。」
長いのですが、ご参考になる部分もあるかと。

でも、これでqueschanさんの質問の意図に沿っているかな・・・?^^;アセアセ

↑というスタンスで回答するようにしているのが、私なりの謙虚な気持ち、のつもりなんですが、まだまだポカが多い人間のアドバイスなので、あまりご参考にはならないと思います。申し訳ありません。m(__)m

参考URL:http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=41824
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

質問者の意図に沿っているかな?と考えるのは大切ですよね。

質問文で「質問の意図をまったく無視しているような場合」と表現しましたが、
質問に対する回答以外はだめと言うことではなくて、まったく無視している場合はだめだと思います。
多少話がそれたりするのは構わないと思っています。

紹介していただいた質問・回答とも通じている部分はあると思いました。
でも本当に長かったです。

お礼日時:2001/09/25 11:30

私の場合は、なるべく客観的に見ることを心がけています。


もしくは、回答がすでに出ていたら考えて、少しだけの意見の相違なら
書き込まない。
きっとそこから先は質問者本人さんが考えて行動したりなさるだろう、
と思うようにしています。

この回答への補足

高飛車な態度や知識を見せびらかしたいだけで質問者そっちのけの人、
質問の意図をまったく無視しているような状態になる人の
心理的なメカニズムはどうなっているのでしょうか?
専門家の方に限りませんので幅広い皆さんの意見が聞けたら嬉しいです。

補足日時:2001/09/24 00:11
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

すみません堂堂巡りになってしまいそうですが
客観的に自分を見ることができるように
冷静に謙虚な気持ちでいられるためにはどうしたらよいのでしょうか?

お礼日時:2001/09/24 00:10

「質問者そっちのけ」ここにヒントがあると思います。


相手の立場に立って考えるという習慣をつけるとよいと思います。難しいかもしれませんが…。

相手の立場に立つには、相手の言い分を良く聴くことが大切です。「聞く」ではなくて「聴く」です。相手の心の叫びを聞き取ることです。

困っている相手に、その解決の経験や解決の糸口を知っている自分を重ねて、「こうしなさい」ではなくて、「こういう方法『も』ありますよ」と示してあげる。強制の言葉を使わないようにすることです。

冷静に謙虚な気持ちを保つには、自分の考えが唯一のものとしないことです。ほかに別の可能性・回答があるのではないかと自身に常に問い掛ける習慣が必要だと思います。
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この回答へのお礼

ご教示ありがとうございます。

強制や断定は気を付けた方がいいと言うことですね・・・

お礼日時:2001/09/24 00:09

そういう悩みを抱えるあなたは、きっと大丈夫です。


本当に傲慢で高飛車な人はそんな悩みとは無縁なのではないでしょうか。

アドバイスとしては、なにか言葉を発するとき、心の中でその言葉を自分自身に言ってみてはいかかでしょうか?
自分を客観的に見るということは難しいことです、聞く人の受け取り方によっても、自分の伝えたいことが歪んでしまうがあるということを理解しておけば、よりよい人間関係が築けるのではないでしょうか。

そういう悩みを持つことにより、人間は成長していくのだと思います。
はっ!もしかして、私も偉そうですか??

この回答への補足

ごめんなさい、質問文中の解凍の文字は回答の間違いです。
いきなり暴走してしまいました、全然だめですね。

補足日時:2001/09/23 02:23
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

k-kasumiさん全然偉そうではないですよ。
確かに自分を客観的に見るのは難しいですね。

お礼日時:2001/09/23 02:22

人間ってやっぱりそんなところがあるんでしょうね。

自分の知識を見せびらかすためになにかするみたいに。私もそんな時あります。だからあまり偉そうな事は言えないのですが、普段からそのことを気にかけてイメージトレーニングと言うか、そうならないように気持ちを持っていく癖をつけるように私はしています。人間の心って難しいですよね。あまり回答になっていないようで申し訳ありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

気を付けるしかないんでしょうね。
やっぱり人より優位に立ちたい、自分を凄く見せたいと言う気持ちが作用するのでしょうか?

お礼日時:2001/09/23 02:21

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こんにちわ。
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たいした質問ではありませんが、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

能ある鷹は爪隠すってのですよね。
謙虚な姿勢は後天的なものがほとんどだと思います。
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性格は影響していると思いますが、最初から謙虚ってことはないと思います。

自信がある方が謙虚になれると思います。
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Q謙虚さとマイナス思考と傲慢の違い

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 同じような人に聞くと「僕はもう年ですから」と言っていました。
 これは謙虚なのか、マイナス思考なのか、ぎりぎりのところだと思います。
 謙虚は美徳で、マイナス思考はせっかく伸びる力を抑えてしまいます。
 まったく正反対なのに、表現は近いですね。
 謙虚すぎると、傲慢だとも言えます。

 別の例を挙げますと、ある商人は「きたないところですみません」といい、別の商人は「うちは日本一です」と言ったとします。
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 謙虚は美徳ですが、マイナス思考や傲慢は美徳とは言われません。
 しかし、表現ではわかりません。
 
 ではその人の心の中なのか、とも思うのですが、自分が同じような発現をしたとしても、「謙虚なのか、マイナス思考なのか、傲慢なのか」ははっきりとはわからない場合も多いと思います。

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 あるスポーツ得意の筋肉モリモリの男性に「君はすごいねえ」と言ったら、「いやー、僕なんか全然ダメですよ。5年やってまだ県レベルで入賞したことないのですから。」という返答が返ってきました。
 同じような人に聞くと「僕はもう年ですから」と言っていました。
 これは謙虚なのか、マイナス思考なのか、ぎりぎりのところだと思います。
 謙虚は美徳で、マイナス思考はせっかく伸びる力を抑えてしまいます。
 まったく正反対なのに、表現は近いですね。
 謙虚すぎると、傲慢だとも言えます。

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Q謙虚で寛大な人間になるには

こんにちは。宜しくお願い致します。

よく「謙虚になりなさい」「寛大になりなさい」等と言いますが、
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私自身も謙虚で寛大な人間になりたいと思っています。

しかし、謙虚で寛大な振る舞いは、一部の方々を図に乗らせてしまうように思います。
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というのが、お決まりのパターンです。
なんとか怒りを爆発させずに済んだケースであっても、その怒りは数年経っても消えません。

こんな私が謙虚で寛大な人間になるには、どうすれば良いでしょうか?

宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

#1です。丁寧なお礼ありがとうございます。
沢山の回答がついているのも、doronpappaさんがひとつひとつに真摯に向き合ってらっしゃるからだと思います。

(抜粋)
 >私を不快にさせる人間は、価値観の相違というよりも、
 >防衛的・妄想的・病的に、自分を上位・正義・正当する他、
 >自分に合わせて事実を否認・歪曲してしまうような人間

自分が変わるのではなく、何でも自分の都合のいいようにしてしまうタイプの方ですね。でもこれは多少どの人間にもある習性ですね。こういった方は、それが強く出ているだけなのでしょう。一般的に好まれるタイプでないとは思いますが、もしかしたら変わりたいのに変われなくて苦しんでいるのかもしれませんし、その人のそんなやり方のお陰で助かっている人もいるかもしれませんし、色々な解釈の仕方があります。そう考えると、自分にはわからないけど、その方なりに悩みもあるだろうし、お互い大変だよね、という気持ちになることはできます。

ただ、だからといって自分が傷つけられたり、戦ったりするのは不毛なので、ここで「彼らとの距離」が必要になってきます。【心の距離】は今の考え方で少しずつ取るとして、【お付合いの適度な距離】の取り方はケースバイケースになります。端的に述べますと、職場であれば、プライベートな接触はなるべく避け、仕事上では感情を別にして事務的にこなす。友人であれば、直接接触する機会を上手な言い訳で避け、個人的な付き合いにならないようにする、等です。

これらは知識で理解するのは難しく、経験して会得していくのが殆どです。時には傷ついたり悩んだり腹を立てたりケンカしたりしながら、少しずつ学んでいきます。最初は、色々とわからないことだらけなので、寛大な精神と適度な距離がわからず、doronpappaさんが仰る通り、どちらか片方しか実践できないと思います。しかし、少しずつ経験を積めば考え方にも余裕が出てきて、両立ができるようになってくると思います。

なぜかと言うと、若いうちは色々と尖った考えをしているのは自然なことですし、そのような尖った時期も謙虚・寛大な精神や適度な距離等を得るのに必要なことだからです。人と衝突したり、色々と考えたり、悩んだり怒ったりしながらでないと、人間はなかなか成長しません。知識だけで成長できないのが残念なところです。これが人生は一生勉強といわれる所以だと思います。

そのような過程を経て、年を追う毎に、何かできても過去の自分や、失敗した恥ずかしい自分を見返したりして、まだまだ自分は勉強中です、と自然に謙虚になっていけるのだと思います。

結果だけいうと「失敗しながらも経験するしかない」という非常にシンプルかつ参考にならない回答になってしまい、申し訳なく思いますが、このような考え方をしている人間も世の中にはいるんだな、と思って少しでも参考にして頂ければ幸いです。

#1です。丁寧なお礼ありがとうございます。
沢山の回答がついているのも、doronpappaさんがひとつひとつに真摯に向き合ってらっしゃるからだと思います。

(抜粋)
 >私を不快にさせる人間は、価値観の相違というよりも、
 >防衛的・妄想的・病的に、自分を上位・正義・正当する他、
 >自分に合わせて事実を否認・歪曲してしまうような人間

自分が変わるのではなく、何でも自分の都合のいいようにしてしまうタイプの方ですね。でもこれは多少どの人間にもある習性ですね。こういった方は、それ...続きを読む

Q傲慢さを克服し、謙虚さを理解したい

何が謙虚で、何が傲慢なのかよくわかりません。人の役に立ちたいと思えば思うほど、偉そうだと嫌われてしまいます。馬鹿のくせに教えようしているとまで。そんなつもりないのにです。しかし、傲慢だといわれるならそうなのでしょう。ぜひ反省して克服したいのですが、具体的に謙虚とは、傲慢とは、何なのかわからないまま、頭が真っ白になって反省になりません。人の役に立ち、崇高な人間になりたい、そうすることで平穏な日々を生きたいと願うのは傲慢な間違いですか。私は誰よりも人間らしくありたいと願い行動するのに、間違いですか。何がいけないのか。どうしたら、謙虚に、他人を理解して寄り添うことになるのですか。いまよりも正しい方法があるのですか。どうかヒントをください。宜しくお願いします。

Aベストアンサー

例えば、今ここで回答をする事も、人によっては傲慢な行動に見えてしまうのかも知れません。

自分ではそういうつもりはないのに、です。

人の役に立ちたい、何かの役に立ちたい、と願って行動しても、受け取り手がそれを望んでいなかったのだとすれば、それは「余計なお世話」になるのだと思います。

算数や数学とは違い、世の中の出来事には正しい答えというものはありません。

どんな出来事も、人の見方によっては色んな角度から見たその人なりの答えがあるのです。
それを「これはこうするのが正解なのだよ」と言い切ってしまうのだとすれば、それは自分の答えが一番正しいと言う傲慢以外の何物でもないような気がします。

人にはそれぞれ、求められている立場というものがあります。
教師ならば教師、医者ならば医者などが、生徒や患者などに物を教える立場と、自分が友人や知人などへ助言する立場とでは、やはり違ってきて当然なのだと思います。

傲慢と謙虚。
これは実際、とても曖昧な物であり「これは傲慢」「これは謙虚」と個人が線引きをする事自体、傲慢な事なのだと思います。

なんでもかんでもこれは正しいのだと、自分の意見を他人に押し通す事は言わずとも理解出来る所でしょうが、知っているのにわざと教えない事も、また一方では傲慢に思える事のような気も自分の中ではあります。

「人の役に立ちたい」と願う事自体は悪い事ではありません。
しかし、実際役に立つかどうかは「自分が決める事ではない」事も確かなのです。

あなたがどんなに「これは人の役に立つ事だ」と思ってやった事でも、相手に「役に立たない」と思われればそれが現実なのです。

願いはあくまで願いだけ、その後の結果は結果として、しっかりと受け止めなくては、最後まで自分の行動に責任を持つ事にはなりません。

自分の気の済むようにやりたい事だけをして、それを相手が認めてくれないからと嘆いているだけでは、やはり何の解決にもならないのではないでしょうか?

あなたの場合は、初めの想いも立派、その後の行動も立派なのですが、最後の責任がまだ曖昧なような気がします。

取り合えず、自分の意見はあくまで一つの意見、それを正解とするかどうかは相手の判断に任せる、と言った方向性で良いのではないでしょうか?

どんな行動も自己満足の世界であるのです。
そもそも、初めから傲慢も謙虚も人の作った言葉だけで、そんなものは存在するかどうかも分からない事なのです。

自分以外の他人を介する場合には「一番正しい方法は存在しない」と心のどこかに置いておけば、それが自分の行動を決める上で、一番正解に近いのではないか?と思います。

この回答も、一つの意見として参考頂ければ幸いです。
謙虚過ぎて嫌味ですかね(笑

例えば、今ここで回答をする事も、人によっては傲慢な行動に見えてしまうのかも知れません。

自分ではそういうつもりはないのに、です。

人の役に立ちたい、何かの役に立ちたい、と願って行動しても、受け取り手がそれを望んでいなかったのだとすれば、それは「余計なお世話」になるのだと思います。

算数や数学とは違い、世の中の出来事には正しい答えというものはありません。

どんな出来事も、人の見方によっては色んな角度から見たその人なりの答えがあるのです。
それを「これはこうするのが正解なのだよ...続きを読む


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