フランス人はナポレオンをどのようにとられているのでしょうか?
具体的には英雄ととらえていますか、それとも反逆者ととらえていますか?
ナポレオンをどうとらえているのか教えてください。
うわさ、推測抜きでお願いします。

A 回答 (1件)

大した回答にはなりませんが…。



ある時「英雄とはどんな人か?」という話になり、アメリカ人がナポレオンの名を挙げたら同席のフランス人二人がちょっと驚きながら「彼が『英雄』!?まぁ彼のしたことの中には認められることもあるのは事実だけど…。」と言っていました。彼らの話し振りからは「反逆者」とまでは行かないまでも、あまり良い印象は持っていないように思えました。
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そうであるなら、何か、その時代の事情があって、このような名前になっているのでしょうか?
どなたか、教えてください。

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ま、「ナポレオンは苗字ではない」の一言で解決する疑問ですね。
あなたのように「・」を姓名と間違える場合があるので
「ルイ=ナポレオン」という風に書くほうを私は好みます。
(表記法は必ずしも決められてない)
その方がこれひとつで名(正確に通称ですが)だということがわかるでしょ。

有名なルイ=ナポレオンは、フルネームでは
シャルル=ルイ=ナポレオン・ボナパルト。
ただし皇帝に即位したために、通例としてはナポレオン3世と呼ぶか、
通称のルイ=ナポレオンで呼びます。
平凡な組み合わせの名前が多いのでヨーロッパでは通称がよくつかわれました。

ところでルイ=ナポレオンはナポレオンの甥というのは単に戸籍上のことで
実際には血縁関係は全くありません。彼はジョゼフィーヌの孫でしかありません。
彼はほぼ確実にルイ・ボナパルト(ナポレオンの弟)の子ではないので
ボナパルト家の血は一滴も流れていません。
母親のオルタンスはナポレオンの養女のため、ま、義理の孫ではあるけど。

それから20世紀に入って、ジェローム家系(ナポレオンの弟の一人で男系が残る唯一の家系)は
苗字をナポレオンに変更してナポレオン公(公とはプリンスの方です)と
名乗っています。しかしこれとルイ=ナポレオンとは関係ない、というか
当時、ルイ=ナポレオンが大統領や皇帝になるころは
(元ウェストファリア王)ジェローム・ボナパルトが生存していました。
その子の代で、ナポレオン3世失脚後のことです。
ナポレオン姓に変えたというか、新しくしたのはこの一家が政治家で
選挙などに出るからでしょう。

ま、「ナポレオンは苗字ではない」の一言で解決する疑問ですね。
あなたのように「・」を姓名と間違える場合があるので
「ルイ=ナポレオン」という風に書くほうを私は好みます。
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世界史が好きですし、得意です。しかし、一つわからないことがあります。ナポレオンは英雄、英雄と呼ばれていますが、それは果たして何故ですか?ベートーヴェンも彼が皇帝になったことから失望したというし、ナポレオンがスペイン侵略したためにゴヤが「1808年5月3日」を描いて批判しているし、ウィーン会議だってナポレオンが侵略しまくったから、それを元に戻すために行われた会議だし、ナポレオンは英雄というよりはむしろ、悪者のように世界史的には登場するのに、どうして英雄なんでしょうか?フランス人から見て。ってことですか?でも、それを言ったらヒトラーだってドイツの英雄だったんだし、スターリンだってソ連の英雄だったじゃないですか。でも、ヒトラーやスターリンはただの独裁者としてしか論じられず、だけどナポレオンは英雄、英雄と称えられている。この理由がいまいちわかりません。誰か教えて下さい。

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今の話ですか。昔の話ですか。


今の話なら、フランスの貴族の多くは不動産管理業で暮らしています。働かないで優雅に生きています。

(ヨーロッパの貴族は、元をたどればどこも親戚同士なのでどの国も似ている。)



フランスは城が多いので有名ですが、貴族の大半はそこに住んでいます。余った部屋をホテルとして一般公開しています。




>下の人たちからどのようにみられていたのですか?

鼻持ちなら無い存在と思われています。実際に彼ら貴族は、鼻持ちなら無い人たちです。




>逆にどのような迷惑をかけていたのですか?

彼らは、庶民と接する事がほとんどありません。
フランスの格式高い店では、金がある庶民の成金でも入れない、貴族しかは入店を許されない店があります。彼ら貴族は、庶民(成金も含む)が立ち入らないそういう店に行くのが普通で、庶民と絡んで揉め事を起こす事すらありません。
直接的に、貴族が庶民に迷惑をかけるという事はあまり無いでしょう。


間接的な迷惑は、ヨーロッパで深刻な問題です。現在では、欧州委員会が貴族政治に似た事をしています。
欧州委員会の面々の多くがドイツ系の貴族です。やっているのは内政干渉です。イギリスはそれに嫌気が指して脱退しました。彼らは善意のつもりで内政干渉をしているのでしょうが、庶民にとっては国民の代表が議会で決めた国の決め事の上に、欧州委員会の内政干渉が入るので、迷惑な存在でしょう。

グランすも含めてヨーロッパは、ナポレオン戦争以降、国民の政治が行われていると思っている人がいますが、未だに貴族社会の影響が強い地域です。

今の話ですか。昔の話ですか。


今の話なら、フランスの貴族の多くは不動産管理業で暮らしています。働かないで優雅に生きています。

(ヨーロッパの貴族は、元をたどればどこも親戚同士なのでどの国も似ている。)



フランスは城が多いので有名ですが、貴族の大半はそこに住んでいます。余った部屋をホテルとして一般公開しています。




>下の人たちからどのようにみられていたのですか?

鼻持ちなら無い存在と思われています。実際に彼ら貴族は、鼻持ちなら無い人たちです。




>逆にどのような迷惑を...続きを読む

Qナポレオン戦争を描いた映画

19世紀の欧州を席巻したナポレオン・ボナパルト。
英雄との評価がありますが、私は単なる侵略者だと思っています。
彼を物語にした映画を探していますが、うまく見つかりません。
フランス革命を描いた映画にも強く関心があります。
また、ナポレオンそのものだけでなく、ロシア側からみた・描いた映画も観てみたいです。ロシアが どのようにしてナポレオン軍を破ったのか、興味が尽きません。
調べれば簡単ですが、それでは教科書のようで、やはり面白くありません。感情移入できる映画がいいな、と思います。

ご存知のかた よろしくお願いします!

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戦争と平和、は、サイレント以外ではハリウッドとソ連で映画化されています。が、まずハリウッド版をみてから、ソ連版をご覧になるといいとおもいます。ソ連版はお国のメンツをかけて作ったので、原作に忠実すぎて長いです。あと、ロシア・ソ連映画独特のゆったりとした進み方も楽しめないと、しんどいかもしれません。4時間以上あるはずですが、これ以上のナポレオン映画はないでしょう。特に、1812年に彗星がでるシーンでは、ハリウッドとロシア人の感覚がいかにちがうか、よーくわかります。

で、そのソ連版戦争と平和を撮った監督セルゲーイ・ボンダルチュークが、西側の俳優と映画作法で「ワーテルロー」をつくりました。これが今のところ、みた限りでは一番面白いナポレオン映画です。あと、アウステルリッツを扱った映画がありましたが、これは駄作でした。ただ、この作品だけ、当時最新の通信システムだった、フランス式腕木信号機が動いているシーンがあって、おっ、とおもいました。

アベル・ガンス監督の無声映画「ナポレオン」も独特でいいですが、ちょっとナポレオン万歳がすぎる感じがしますね。でも、時代がかっていて、私は好きです。

戦争と平和、は、サイレント以外ではハリウッドとソ連で映画化されています。が、まずハリウッド版をみてから、ソ連版をご覧になるといいとおもいます。ソ連版はお国のメンツをかけて作ったので、原作に忠実すぎて長いです。あと、ロシア・ソ連映画独特のゆったりとした進み方も楽しめないと、しんどいかもしれません。4時間以上あるはずですが、これ以上のナポレオン映画はないでしょう。特に、1812年に彗星がでるシーンでは、ハリウッドとロシア人の感覚がいかにちがうか、よーくわかります。

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Qナポレオン法典、海外で受容された理由は?

「余の真の栄誉は40回の戦いの勝利ではなく、永久に生きる余の民法典である」

世界の民法でナポレオン法典の影響を受けていないものは無いそうですが、フランス軍に来られた側からすれば、敵のドグマじゃないですか。平和的な輸出ではない。拒否されず、まっとうに評価された理由を教えて下さい。

Aベストアンサー

ナポレオン法典というのは、つまり、古代から続くローマ法と、ゲルマン時代からの慣習法とを、17~18世紀にヨーロッパ中で大流行した啓蒙思想の考え方のもとでまとめて、新しく法律の形にまとめたものです。
というわけで、ゼロからナポレオンが作り出したものではなくて、もともとヨーロッパで、慣習法や君主の勅令や議会の決議などとして広まっていたものをまとめて成文化したものです。

さらに言えば、取り入れた側も、取り入れても良いと思った部分だけを取り入れただけで、フランス民法典の全てを取り入れたわけでは全くありません。
実際、例えば、ナポレオン失脚の後、オーストリアではフランス民法典のつまみ食いみたいな形でオーストリア民法典ができますし、ドイツでは法典論争(まさにナポレオン法典を拒否すべきかどうかの論争)を経てドイツ民法典ができますが(少なくとも形上は)フランス民法典からの派生というよりはローマ法・ゲルマン法からの直系です。

また、英米法は、フランス民法典の直接の影響を受けていません。もちろん人間の考え方(判例や法律制定)を通じての間接的な影響はあるでしょうが。

ナポレオン法典というのは、つまり、古代から続くローマ法と、ゲルマン時代からの慣習法とを、17~18世紀にヨーロッパ中で大流行した啓蒙思想の考え方のもとでまとめて、新しく法律の形にまとめたものです。
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