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第二次世界大戦(日ソ戦争)の時に、なぜソ連は、日本がポツダム宣言を受諾した後も日本を攻め続けたのですか?千島・樺太だけでなく北海道も欲しかったからですか?教えて下さい。

A 回答 (11件中1~10件)

北海道が欲しかったのです。


北海道が手に入れば、アジアにウラジオストック以外の念願の優良な不凍港が手に入り、海軍艦艇が太平洋にも進出しやすくなります。

ソ連軍は、満州攻略で怒涛の快進撃を続けました。樺太も千島列島も北海道も、同じような快進撃が可能なら、平和裏に進駐をするはずの米軍よりも素早く北海道まで軍が進めると判断していたのだと思います。

しかし、現実には、大した戦力もなかった樺太でも苦戦し、千島に至っては初戦の占守島の戦いで、米軍の侵攻に備えて強力な日本軍精鋭部隊が元々配置されていたこともあって、ソ連軍は上陸部隊が大損害を受け、意図した速攻が失敗に終わってしまいました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

お礼日時:2025/01/13 18:58

建前論で言うなら、ポツダム宣言の受諾を表明しても戦争が終わったわけではありません。

ポツダム宣言の受諾は言わば「ギブアップを宣言した」と言うだけです。プロレスならギブアップを宣言すれば試合も終わりますが、戦争の場合は終戦のための手続きが必要になります。
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日露戦争で負けたのが


悔しくて、悔しくて、悔しくて、悔しくて
それの仕返しが遣りたくて
火事場泥棒。
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それ以前に、不可侵条約無視は戦争犯罪に等しい。

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ポツダム宣言を受諾したのは日本が「戦争やめる」と言っただけの話であって、実際にやめることを取り決めるのは降伏文書に調印した時になります。

まあ普通の国でしたらその前に戦闘停止命令が出るのですが、そこはソ連ですので。
 当時の戦闘計画によれば、少なくとも留萌と釧路を結ぶ線の北側全部は占領する予定だったようですね。
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北海道が欲しかったからです。




占守島の戦い、というのがありました。

太平洋戦争終結直後の1945年(昭和20年)8月18日 - 21日に、
千島列島東端の占守島で行われた
ソ連労農赤軍と大日本帝国陸軍との間の戦闘。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%A0%E5%AE%88 …
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>「千島・樺太だけでなく北海道も欲しかったからですか?教えて下さい。


その通り、北海道は日本軍が頑強に抵抗。渋々、引き上げ。
ここで負けていたら、日本はドイツや朝鮮みたいに2分されていたかもね。

天皇制が維持されていたかどうか、そこはアメリカのマッカーサーのおかげか。アメリカは沖縄・小笠原返したよね。

今の日本は領土交渉で北方領土として国後・択捉・歯舞・色丹島の4島しか要求しないね。

還れ祖国へ
https://www.youtube.com/watch?v=AdNpPF1svDo
唄われない蛍の光
https://www.youtube.com/watch?v=juDquPo4dCQ
9人の乙女の碑
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「切り取り自由」という内諾をヤルタで得ていたからです。

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日本がポツダム宣言を受諾した日は8/14、


天皇の玉音放送は8/15、です。
そして、日本が降伏文書に調印した日は9/2になります。
この違いで、世界での終戦日の認識が異なっているのが現状です。

ソ連は、日本が抗戦を放棄した隙を狙って、北方に侵略してきたのです。
あの、巨人の隙間を狙った江川獲得と同じです。
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火事場泥棒

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