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【戦後80回忌】今年は戦後80回忌だそうです。昭和天皇は第二次世界大戦の戦争を知らなかった。全て軍部が勝手にやったとGHQに言いましたが、軍部は随時、昭和天皇に戦況報告に皇居を訪れており、第二次世界大戦の戦争を指導したトップは昭和天皇だったのでは?

日本人は中国人の中国の教育が反日教育嘘ばかりの歴史を中国政府が教えていると言いますが、日本政府も日本人に学校教育嘘の歴史を教えているのでは?

世界の誰も昭和天皇が第二次世界大戦を知らず、軍部が勝手に暴走して開戦したって、天皇主義の天皇絶対主義の中で、昭和天皇にご意見も聞かずに、昭和天皇の意向も聞かずに第二次世界大戦の開戦はあり得ないと思います。

いまの開かれたインターネットで世界の声が聞ける時代にどう思いますか?

A 回答 (7件)

> 昭和天皇は第二次世界大戦の戦争を知らなかった。

全て軍部が勝手にやったとGHQに言いましたが、

天皇はそんなことをGHQに言ってない。
「木戸日記」が東京裁判に証拠書類として提出された。これが、GHQに対する天皇の弁明に相当します。
なぜなら、天皇本人がクドクド申し開き(自己弁明)するのは、みっともないからである。それは側近の仕事だろう。天皇の側近ナンバーワンは、木戸幸一・内大臣だった。
「木戸日記」には、天皇が誰と会ったか、どんなことを言ったかが、日誌のように記録されている。木戸は天皇を擁護するため、むしろ進んで日記を公開したのである。

> 軍部は随時、昭和天皇に戦況報告に皇居を訪れており、

その通りです。木戸日記からもそれが裏付けられます。

> 第二次世界大戦の戦争を指導したトップは昭和天皇だったのでは?

実態は「集団指導体制」だったようだ。両極端は誤りである。「戦争指導のトップは天皇だった」も、「天皇はまったく戦争を指導してない」も。

> 世界の誰も昭和天皇が第二次世界大戦を知らず、軍部が勝手に暴走して開戦したって、天皇主義の天皇絶対主義の中で、昭和天皇にご意見も聞かずに、昭和天皇の意向も聞かずに第二次世界大戦の開戦はあり得ないと思います。

それはその通りだ。天皇はある程度口を出していた(お考えを言っていた)。木戸日記からそれが裏付けられる。
なお、同書は長い長い本で、私は図書館でぱらぱらと数ページ見ただけです……。「裏付けられる」は学者が言ってました。

木戸幸一日記 - 東京大学出版会
https://www.utp.or.jp/book/b299732.html
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この回答へのお礼

みんなありがとうございます

お礼日時:2025/01/11 13:05

昭和天皇は国家の主権者であり、軍の最高司令官であった。


そしてマッカーサーとの会見では、先ずは食糧難に苦しむ国民を助けて欲しいと食料援助を求めた後、自分の責任を認め、戦犯として戦争の責任は自分独りにある。だから、他の拘束されている戦犯者は全員解放してほしいと宣言している。

それは概ね事実であろうと推測されている。
私も昭和天皇がマッカーサーにそう言ったであろうことは間違いないと思っている。

しかし、マッカーサー以下の占領軍司令部は、何故か天皇に責任を負わせることはせず、天皇を処刑しろという米国議会をも説得し、むしろ日本を民主主義国家に造り変えるために天皇の権威を利用しようとした。

背景には、実際には昭和天皇には戦争を主導するような権限は無かったことをGHQが把握していたことに加え、マッカーサーが会見した結果として、昭和天皇の人間性が民主主義国家に相応しい人物であったことが確認されたからでしょう。
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質問者様は「輔弼」や「天皇機関説」という言葉をご存じでしょうか?


知らないなら、そもそも「天皇がトップなのか?今の教育がウソの歴史なのか?」を検討するだけの知識がない、といえます。


戦前の憲法ですでに「内閣の輔弼」という言葉が明記されています。これは現憲法の「内閣の責任」というのと同じ意味です。

また対米戦争の宣戦布告は国会で決議されていて、たしかにその時点では大勢翼賛体制でしたが、戦前最後の衆議院選挙は普通に行われています。
つまり民主的な選挙で選ばれた国会議員たちが大連立を組んで国会で「戦争を開始する議決をした」わけです。

天皇においては、御前会議で質問する、という形で意向を伝えることはあっても、国会での議決を覆したことはありません。

以上のことから、戦前の日本は立憲君主制であり「戦争を指導したトップが昭和天皇個人だった」ということはありません。

ただ、ややこしいのは天皇が個人ではなく「機関」だとされていたことで、これを「天皇機関説」と呼びます。天皇(という機関)は国権の最高部署であり軍司令官としての権限(総帥権)もあるので、機関としての「天皇」には責任がある、と考えることもできます。

今の私たちの問題は「ウソを教えている」のではなく、日中戦争から太平洋戦争までの12年戦争についての総括を、GHQ主催の東京裁判に任せ《国民自ら総括と反省を怠ってきた》ことにあります。

だから最初に書いたように質問者様に限らず日本人は「輔弼・天皇機関説」など、当時の天皇の責任・議会の責任そして国民の責任を考える基本的な知識を学ばず、天皇に責任があった?なかった?という議論に終始するのです。

この問題を考えるのには、まず「天皇個人の責任なのか?機関としての天皇という部署の責任なのか?」ということを考える必要があります。

そして「個人」という事なら、昭和天皇は明確に戦争責任を認めておられます。

天皇とマッカーサーの通訳をしたパワーズ元少佐の証言


日本の記録ではなく、GHQ側の証言なので信用に足りるでしょう。

しかし、機関としての天皇には、先ほど書いたように「内閣の輔弼」があるのですから責任はありませんし、実際、国会で宣戦布告を決めた後、昭和天皇に対して「報告」はしても採決を求めてはいません。

>昭和天皇にご意見も聞かずに、昭和天皇の意向も聞かずに第二次世界大戦の開戦はあり得ないと思います。

当時の日本の立憲政治の仕組みとしては、天皇に意見を聞くことはありません。意向については御前会議で《質問》という形で伝えることはできました。
しかし、開戦を決議したのは国会であり、天皇の責任を問題にするなら「選挙で国会議員を選んだ国民の責任」も同時に考えないといけません。

東京裁判の結果を受け入れて、日本人自身で総括してこなかったのは《むしろ国民の責任が浮き彫りになるから》です。
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「いまの開かれたインターネットで世界の声が聞ける時代」というのは, おそろしいことに「自分の好きな意見だけを聞ける時代」でもあるのだ. 自覚できてるよね?



なお「天皇主義の天皇絶対主義の中で」とか書いているが天皇自身はそう思っていなかったという....
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天皇陛下は、きちんと戦争責任を自覚されていました。


なので戦没者への追悼や戦争被害国・被災地の慰問を心がけていらっしゃいました。

戦争の法的責任を問わなかったのは、GHQ が戦後の日本を統治するためにそうしたからです。
そして、サンフランシスコ講和条約の署名国もその方針に従いました。

たとえば
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C …

質問者さんは、そういった歴史的な経緯をご存じないのですか?
インターネット上にも、書籍やテレビ番組にも、いくらでも公表・公開された情報が存在しますよ。
歴史では、何が「正しく」て何が「うそ」かは立場によって異なるので、いろいろな情報や見解を客観的に入手して、自分なりの立場・立ち位置で判断するしかありません。
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>今年は戦後80回忌だそうです。



何処にそんな事が書いてありましたか。
仏教でいう 3回忌・7回忌 は 満2年後・満6年後ですよ。
この数え方なら「戦後80回忌」は 昨年で終わっている筈です。
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>いまの開かれたインターネットで世界の声が聞ける時代にどう思いますか?



インターネットで、もっと多様な意見や歴史を調べた方が良いよ。
好みのページばかり見て、考えがおかしくなってる。
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