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機械論によって物質から精神が生まれると考えることができます
精神は物質が生み出した幻影で電気信号から来ていると考えるのが機械論です
ならば肉体が死に物質へと戻ったとしても
また物質からやり直し電気信号から自我が生まれるのを期待すればいい
機械論は物心一元論故に転生を受け入れていると思うのですがどうですか

A 回答 (6件)

命ある者には命を働かせている力が働いています、この事を発見した人がお釈迦様です。



一切衆生悉有仏性と云っています。この仏性が在るお陰で人間は生命を貰って更に生きさせて頂いています。

これは大変に分かり難い話をしていますが、道元が若い頃『誰でもが仏性を持っていると云うのに如何して修行をしないと仏性を感じる事が出来ないのか?』と云った疑問が仏門に入るきっかけになったと云われています。

処がこう云った話が伝っていますが、人間の悩みとか疑問は仏性との仲違いに端を発している場合が沢山在ります、例を挙げるなら『神経症』と云ったものです。

今の精神医学では神経症の原因ははっきりとはわかっていませんと云う事が定説になっています。ところが神経症になってい完治した場合ではその原因はしっかりと分っています。

はっきりと云うなら『心の矛盾』が原因で神経症は発症しています。人間の苦しみの原因は仏性と関係が在ります。その意味する処は『仏性』の機能に在ります。仏性は生れたものではないからです、そのおかげで滅する事も無い存在です。この意味は『仏性の永遠性に付いて語ると分かり易いかも知れません。』

赤ん坊が生を授かった瞬間から『仏性』が生命の維持機能の役目を果たしているからです。赤ん坊の脳は全く未熟ですが生命の発生装置とか生命の維持機能と云った役割は大変な役割を果たしています。心臓や消化器系統とかホルモン関係とか自律神経系統とかもその仏性の管轄です。

生れた瞬間であったとしても自意識に対して『安心する事でも不安になる事や恐怖する事さえも知っていて伝えています。』

こう云った働きを言い替えるなら『命の働、とか命を働かせる働き』と言い替えても可能と思います。

こう云った機能が神経症の症状になっている事もあります。高いと教えたりせまいと教えたり、人を見た瞬間に相手の性別から年齢から良い癖でも悪い癖でも直ぐに見破っています。こう云った直感から来る不安感とか恐怖感を嫌う事から神経症の症状になっています。

又考えを湧き上がらせる機能も持っていますが、そう云った機能と仲たがいする場合を強迫観念とか強迫行為と云っています。

高い処に上がった場合では一瞥するだけで,その危険性とかそれらにまつわる全てを自意識に教えていますが、この機能とか教えられている情報を嫌う場合が『恐怖症とか不安障害』と云っています。

あまり時間がありませんのでここで結論です。神経症の治し方です。様々な症状が在りますが全てが『仏性からの情報を嫌う事から発症しています、ですので神経症の多岐に渡る症状とか、鬱の場合ではウイルス性の場合ではウイルスをワクチンで撲滅すると治りますが、ウイルス性では無いものに関しては、神経症と同じ方法で治って、うまくするなら完治する事が出来ます。

症状別な治し方は存在していません、総てはこの方法で治ります、又人生に付いての深い疑問とか、命に対する深い恐怖感がある場合もこの方法で治ります。

その方法は簡単な方法です、抱えている症状或いは深い悩みも同じです、その抱えているものをそのままにしておく方法です。森田療法で云う処の『症状を口にしないでいいるだけの方法です。』これを不問と云います。

人生に対する深い疑問『禅』を学ぶ事が良いかも知れません、禅には苦云う言葉があるからです。

人間が抱える疑問には理由があるからですが、禅の仕様にその疑問をぶつけるなら同じ答えが返って来ます。『お前は何故そう思うのか?』

此の答えは人間に湧き上る疑問はその疑問が湧き上る時、既にその疑問の中に答えがあるという意味です。

死にたくない願いが強い人の場合では、永遠の命を希求する場合が在ります。この場合も同じですが『永遠を希求する者が永遠を見せているからです。』

こう云った悩みを解消する方法の答えが『幼子とか嬰児』になります、その理由は脳が一つの者として働いているからです。

悟りを開くという意味は『自分自身を知る』という意味ですが、道元と同じです、自分の苦しみを晴らす事を『無明の闇を晴らす』とも云いますが、もう一つの意識=仏性と出あ会うという意味です。

脳梁の中での出逢いに拠って、仏性と出あう場合が在ります。この事を哲学的表現した言葉が在ります、西田哲学の要旨とも云うべきものです。それは『絶対矛盾の自己同一』ですが、この出会いに拠って『争っていた心にけじめが付きます。』それはキリスト教的に表現するならば『神の後を歩く事』を意味します。今までの心の中の賑やかさとは、神と出番争いをしていた事を意味します。』

神経症は心の矛盾の産物を生き難さとして味わっている事を意味します。この出番争いが無くなって世界は『心の中に静寂さが広がっています。』この静まり返った心の中を涅槃寂静と形容しています。

二つの意識の間に科学的な変化が訪れた事を意味します、二つの意識の間にはホットラインとも云うべき太い回路が構成されたからです。

『また物質からやり直し電気信号から自我が生まれるのを期待すればい。』という訳にはいかないと思います。命を働かせている者に気が付かない限り。

桜でも猫でも生み出す事は難しいかも知れません。
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それは「攻殻機動隊」などSF界では前世紀からよくあるテーマです。


考え方自体は古いのですが、AIの進化によって現実世界は「ターミネーター」的な未来観が本筋に思えるようにもなりました。

すなわち、人の心が肉体から機械に転生する未来観と、人間精神のほかに機械精神が誕生して両者が覇権争いをする未来観という、ふたつの方向性です。

どちらが未来の主流になるんでしょうか。それとも第3の道が新たに登場するのでしょうか。
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転生はどうも無理っぽいですが、クローン人間を作るとか、脳の電気信号を再現させたならば、同じ自我意識が生まれ、それを保存することによって永久不滅の自我意識を作ることができる。



そんなことを言う人は結構いますよね?
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機械論は物心一元論故に転生を


受け入れていると思うのですがどうですか
  ↑
転生の可能性を受け入れている
ということだと思います。

たとえ転生が可能としても
そこに意識の連続性、同一性が
無ければ、あまり意味があるとは
思えませんが。
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哲学的にはそうかもしれないが、生物学や科学的には正しいとはいい難い

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>肉体が死に物質へと戻ったとしても


>また物質からやり直し電気信号から自我が生まれるのを期待すればいい

 氷砂糖を彫って造られた彫刻を水に溶かして砂糖水にした後、放置し続けて砂糖水の中の砂糖の分子が熱運動によって偶然、元の彫刻の形に戻る事は確率的には極々低いものの完全な0ではない。
 しかし元の彫刻の形に戻るまでには宇宙の年齢すら比較にならない程の極端に長い年月を要するため、元の形に戻る事を期待するのは間違っています。

>肉体が死に物質へと戻ったとしても
>また物質からやり直し電気信号から自我が生まれるのを期待

という話も、一度失われた情報が元に戻る事を期待しているわけですから、砂糖水が元の彫刻に戻るのと同様に宇宙年齢をはるかに超える年月を要するため、元の自我が復元される前に、全宇宙の恒星の寿命が尽きて「人間が生存可能な環境」が何処にも存在しなくなる事でしょうから、期待するだけ無駄です。
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