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藤原朝臣秀吉として天正13年(1585)には関白に就任した後、同年に正親町天皇から「豊臣氏」を下賜されましたが、その後の秀吉の公式な名乗りは氏・姓・名字・諱・名はどうなるのでしょうか?

豊臣朝臣羽柴藤吉郎秀吉 でよいのでしょうか? 木下に戻したのでしょうか?

豊臣は氏(源平と同じ扱い)だと思うのですが、資料によっては名字のような扱いで書いているので、後学のためにおねがいします。

A 回答 (8件)

>豊臣は氏(源平と同じ扱い)だと思うのですが、資料によっては名字のような扱いで書いているので、



そうです。
秀吉は、源の頼朝のように、
豊臣の秀吉で良いのです。
頼朝は源氏の宗家なので名字が要らない。
名字は、分家が名乗ったもの。
豊臣も秀吉と秀頼は宗家なので名字不要。
【の】を入れずに読むから、名字と勘違いされて広まっているのです。

藤原朝臣秀吉を名乗った場合は、藤原氏の当主ではないので、まだ羽柴秀吉だったはずです。
羽柴の名字と豊臣の氏を家臣たちにバラまいて使わせたのは、自分が羽柴家と豊臣氏の当主だから、同じ名字や同じ氏ならば、当然当主に従えと主従関係を明らかにできる効果があったためです。
羽柴家康、羽柴家当主秀吉の家臣
豊臣朝臣家康、豊臣氏当主秀吉の家臣

当時の世間的には、頼朝は鎌倉殿と呼ばれ、源頼朝などと呼ばれていないように、秀吉も殿下などと呼ばれ、豊臣秀吉などとは呼ばれていません。
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お礼日時:2025/01/28 04:25

No.5の記述に間違いがあったので訂正します。


(うじ)(かばね)が現代の氏姓(しせい)とごっちゃになるから間違って広まってしまうのです。

※秀頼は生まれながらの貴族で豊臣氏の宗家です。
彼は藤原の道長や平の清盛などのように、名字・苗字を必要としません。
そうすると、豊臣氏の初代秀吉も、豊臣の秀吉で良いとなります。
中臣の鎌足が、藤原氏を貰ってから、藤原の鎌足と後世で呼よばれるようになった例と同じに習うなら、豊臣の秀吉、豊臣の秀頼と呼ぶのが正しいはずです。

エビデンスとして、明治の『職員録』
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/nu05/nu05 …
8ページ目
大納言 正二位行源朝臣具視(岩倉具視)
参議 従三位守藤原朝臣利通(大久保利通)
14ページ目
民部省
大輔 従四位守兼大蔵大輔菅原朝臣重信(大隈重信)
少輔 従五位守大蔵少輔越智宿禰博文(伊藤博文)
(当事者たちも誰か分からないので、末尾に小さく苗字を追記しています)
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お礼日時:2025/01/28 04:25

ページ書き忘れ


大隈重信と伊藤博文は、P14 民部省
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/nu05/nu05 …
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お礼日時:2025/01/28 04:25

昔の身分の高い人たちは、役職名で呼ばれました。


秀吉は晩年、太閤殿下などと呼ばれていたようです。
では、その役職をもらう際の朝廷での名称は、豊臣朝臣秀吉です。
関白になった時は、内大臣藤原朝臣秀吉
豊臣の姓を賜り、太政大臣豊臣朝臣秀吉
太閤になった時も、太政大臣豊臣朝臣秀吉

朝廷で必要なのは一族を示す「氏うじ」と階級を示す「姓かばね」です。
(○○会社の取締役××。みたいな豊臣の朝臣秀吉)

氏は、一族の属性を示すもので、名前ではなく属性表記なので、助詞の【の】を必要とする。【の】を書かず、【の】を読むのはなぜか?
昔の朝廷のしきたりで、公文書は漢字だけで記載したからです。
平仮名やカタカナは女子供の文字として、格式の高い文書では使われない風潮があった名残で、平仮名は抹消され、読みで復元される。
氏(うじ)は、100を超える種類がありましたが、源・平・藤・橘の4種類が最大勢力となり、他はほとんど消滅してしまいました。

姓(かばね)は「八色の姓」という制度上、本来八種類(真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連・稲置)、貴族の階級を八段階で示しましたが、藤原氏が朝廷の役職を独占したとき、朝臣(あそん)を使い、みんなが藤原朝臣となり他の姓(かばね)は、ほとんど使われなくなりました。

秀吉は家臣達を自分の一門とするために、豊臣をばらまいたので、
家康も秀吉の家臣時代は、「豊臣朝臣家康」だった。
池田輝政は右近衛権少将に「豊臣朝臣輝政」としての任官。
山内一豊は従四位下土佐守に「豊臣朝臣一豊」としての叙任。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/dd43ad2 …
※秀頼は生まれながらの貴族で豊臣姓の宗家です。
彼は藤原道長や平清盛などのように、名字・苗字を必要としません。
そうすると、豊臣姓の初代秀吉も、豊臣の秀吉で良いとなります。
中臣鎌足が、藤原姓をもらってから、藤原鎌足と後世で呼よばれるようになった例と同じに習うなら、豊臣の秀吉、豊臣の秀頼と呼ぶのが正しいはずです。

エビデンスとして、明治の資料を貼ります。
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/nu05/nu05 …
明治二ー三年『職員録』
(当事者たちも誰か分からないので、末尾に小さく苗字を追記しています)
P8 岩倉具視は、大納言 正二位行源朝臣具視
P8 大久保利通は、参議 従三位守藤原朝臣利通
P9 副島種臣は、参議 正四位菅原朝臣種臣
大隈重信は、大輔 従四位守兼大蔵大輔菅原朝臣重信
伊藤博文は、少輔 従五位守大蔵少輔越智宿禰博文

http://bud.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/downloa …
木戸孝允は、正三位守藤原朝臣孝允
などの記名で資料が残っています。

https://note.com/yoshihitohosaka/n/n8ef57f8840e0
位階と任官が必ずしも一致するとは限らず、位階>官職、位階<官職というケースはありえます。位階>官職のときには「行」、位階<官職のときには「守」、兼官のときには「兼」と公文に書かれます。
 例えば、三條実美はある書において「従一位行右大臣藤原朝臣実美」のように表記されています。木戸孝允は「従三位守参議大江朝臣孝允」のように表記されています。従三位なら参議の正四位下より上だから「行」ではないかと思うでしょうが、明治初期において官位相当表が改定されており、参議は正三位相当でした。位階と官職が相当のときは、「大蔵卿(おおくらのかみ)正四位下藤原朝臣宗頼」のように官職名から先に表記されます。
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> 豊臣朝臣羽柴藤吉郎秀吉 でよいのでしょうか? 



正しいと言うか、大間違いと言うべきか。
仮にフルスペックで表記したら、そう言う感じになります。
そう言う観点で言えば「正しい」です。

ただ、当時の書面や書状で、そんな表記がされていたかと言うと、まあ無いでしょう。
基本、氏姓(豊臣朝臣)と名字(羽柴)の併記、併用などしませんし。
字(仮名,藤吉郎)と諱(忌み名,秀吉)に至っては、併記,併用するなどあり得ません。

当時は、上位者の名前を口にしたり表記することは、不吉で非礼な行為だったから。
また、正確に言えば言うほど、その度合いも高まります。
簡単に言えば、「豊臣朝臣羽柴藤吉郎秀吉」なんて言うのは、秀吉を呪い殺したい場合くらいでしょう。

とにかく名前を言わないのが、当時のマナーです。
官職,役職(ご老中など)や封地名(越前殿など)などで呼び合ったり、主君は「上様」「殿」などと言うわけ。
天下人となった秀吉も、ほぼ「関白さま」とか「太閤殿下」としか呼ばれてないでしょう。

一方、豊臣氏の家格は、事実上、摂家と同格で、源平より上位と考えるのが妥当です。
そもそも秀吉は、大名になった後、「平朝臣」を名乗っていましたが、平氏の最高位は、平清盛などの「太政大臣」で、関白にはなれないんです。
だから秀吉は、関白になるために、摂家の近衛家の猶子になって、一時的に「藤原朝臣」を名乗ってます。
更に、関白に叙せられた翌年、豊臣朝臣に改め、貴族として最高位の「関白太政大臣」に登り詰めると言う流れです。

「木下」に関しては・・論外かと。
豊臣朝臣は氏姓であって、木下や羽柴は名字だし、氏姓を豊臣朝臣にした時点では、名字は羽柴ですから。

でも、いずれにせよ上述の通り、氏姓と名字は併用しませんので、秀吉が「豊臣朝臣羽柴・・」などと名乗ったり、周囲がそんな記載や呼称した事実は、存在しないと思いますし。
本人に「秀吉さま」などと言ったら、首が胴から離れても不思議じゃありません。
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この回答へのお礼

解決しました

お礼日時:2025/01/28 04:26

平朝臣秀吉というのが宮中の名前でしょうね。



秀吉は宮中では平氏を称していたと思います。
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この回答へのお礼

うーん・・・

お礼日時:2025/01/28 04:26

豊臣朝臣羽柴秀吉です。



豊臣: 天皇から下賜された氏(源氏や平氏と同等の扱い)。
朝臣: 貴族としての姓。
羽柴: 武士としての名字。関白就任後もしばらく羽柴を使い続けた記録があります。
秀吉: 諱(個人名)。

木下は出自を伝えるために名乗っていただけなので羽柴にしてからは戻す必要がないので使っていません。
藤吉郎も幼少期から使ってた名前で木下藤吉郎という形でセットです。
羽柴にしてから下の名前も秀吉にしたので、以降、木下藤吉郎は名乗っていません。
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ありがとう

お礼日時:2025/01/28 04:26

出生する度に名前を変えていましたが、苗字は死ぬまで羽柴だったらしいです。

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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2025/01/28 04:26

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