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どんな善行を積んでいようと、信者で無ければ見守りの対象外で救わない。

でも、神道の神々は、
その人がどの神を信仰しているかではなく、人々の善行そのもので見守ってくれている

と、考えてよろしいのでしょうか?

でも、まぁ、ちょっとおっちょこちょいな性格だったりもしますけどね。

「キリスト教やイスラム教、ユダヤ教の神が救」の質問画像

A 回答 (9件)

私としては、そんなイメージで良いと思います。


現実に聖書には、確か義者を144,000人としていたと思います。
(楽園への導き人数:エホバの証人の聖書によると・・)
つまり、1000グロス分しかパイがないみたい。
それ以外は、不義者です。(楽園には行かれないが助ける)
ただし、どちらにも該当しない者は、対象外になる様子。
(いわゆる地獄行き)
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貴方は宗教によって救われると思っていますか、そう思っているなら甘い考えです。

助かりたいとか救われたいと考えている間は救われる事はありません。その状態を『迷える子羊状態』と形容しています。

助かりたいとか救われたいとかの考えが及ばない事が分かって、いよいよもうだめだと思って、自分が全てを諦めた場合にだけ救いが成就します。

諦めが付かない状態では大変に苦しい思いが付き纏います。その理由とは、助かりたいと云った事を考える事自体で苦しみが増しているからです。

その苦しみから解放されるためには『助からなくても良くなった場合だけだからです。』

人生には救いなど無かった事を受け入れた場合だけ、救いが成就される事を意味します。

助かりたい気持ちがある場合では救いは成就されないし、苦しみの解消がどんどん遠くなって行きます。

帰依するとかしないとかの問題を考えている間では何も解決しないと思います。
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信者で会っても救わないのは


古今東西の戦争を見ればあきらか。
神などいない。
他力本願の人間が作り出した幻想。
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ねぇ坊や、自分の吐いた嘘を信じ込んで恥ずかしくないの?



私の回答に文句があるなら、きちんと反論すればいいのに、君はそれができないもんだから、腹立ち紛れに鸚鵡返しししたり、「結論を歪める」とか「こじつけ」だとか、全く根拠のない、小学生並みの単なる感想に過ぎないコメントを並べた挙句、「線引きだ!選別だ!」と喚き立てたりして、情けないったらありゃしない。
負けて悔しいなら泣けばいいんですよ(゚∀゚)

さあ、負け犬の遠吠えをどうぞ!
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
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この回答へのお礼

惨めな負け犬がキャンキャン吠えてる感じですね。
ちゃんと理由を上げてるでしょ。日本語が読めませんか。それとも、都合が悪いことからひたすら目をそらすから負け犬なのですか

繰り返しになりますが、もう一度記載しますね。

 それは明らかにこじつけですね。
・キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の神は、人と人以外の生き物の間を線引きし、人の命しか認めないでしょ。
・そして、洗礼など、神に帰依するための儀式を経て、救いがある信者とそうでない異教徒の選別をする。帰依しなければ天国への門は開かれない。神は人間かどうか、信者かどうかで命を選別してますね。

 これに反論するのであれば
・キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の神も、命を差別せず、人間以外の動物も神の審判で天国や地獄へ行くと言えば良いでしょ
・また、人の命では、異教徒でも、信徒と同じく公平な審判が行われる教義になっていると言えば良いだけですよ。

 事実を認めることができずに負けて悔しいなら泣けばいいんですよ(゚∀゚)
くすくすくす

お礼日時:2025/01/29 19:49

キリスト教とイスラム教は改宗しないと死後は地獄行です。


ユダヤ教は改宗すると選ばれた民(選民)になり、世紀末で人類が
滅びる時神の代理のメヒアが現れ選民だけが救われます。

神道は身体(み)は霊(ひ)の借宿であるので、亡くなると、霊が
身体から離れ、あの世に戻るのです、だから御先祖様がお守り下さる
のです。
国家神道は今まで漠然と民衆に広まっていた口伝を天照大神が天皇家の
皇統の始まりを示す物として、国家神道として明治時代に形作られました。

一般民衆の、お天道様信仰の神道とは別物です。
巨岩、巨木なども神が宿る物として祀るのです、縄文人の感性は
鋭敏なので、何かを感じる場所に神社を建てました。
最近の科学調査で色々な事が解って来ました、断層の境目や地磁気が
来るっている場所とかに神社が多く建てられているのです。
現代人は脳が劣化して、縄文人の感性が失われましたが少しでも
縄文人の感性が残って居る人なら、巨石、巨木、神社を訪れると
感じる物があるかも知れません。

縄文時代は3000年前~17000年前の14000年間続いた時代です。
縄文時代では人を殺す武器と戦争をした痕跡が見つかって居らず
平和な時代だったのです。
9000年前から稲作の痕跡が見つかり、4000年前に鉄を加工した炉の
遺跡も見つかって居ます、日本列島は世界の考古学者、歴史学者の
注目の地になっています。
歴史教科書は書き変えなければならないのに、未だに文科省は
動かないのです、何故なの??!
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酷い誤解ですね。


キリスト教・ユダヤ教・イスラム教への誤解と言うより、
宗教全般についての無知と言いますか、信仰に対する無理解ですよね。
「信者でなければ見守りの対象外」だなんて、あなたはよくもそんな酷い神を思いつきますね。
どこの輩がそんな鬼みたいな神を信じると言うんですか?
キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の神は天地万物を創造したお方ですから、言うまでもなく、いつも全ての人を見守っておられます。
ところが、人間は皆その恩を忘れてしまい、神を呪い、神を憎み、神の御心に反する悪い行いを重ねているのです。
その罪の悲惨から救い出すのが信仰の力なのです。

「帰依した信者しか救わない」のは当たり前の話で、帰依してもいない人が救われたって、何の意味もないじゃないですか。
そもそもあなたの言う「救う」って何ですか?
キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の場合で言えば、人が救われるとはすなわち罪を赦されること、神と人との間を隔てている罪の力から解放されて神のものとされ、神と結ばれ、神と共に生きることです。神に自分の身を預け、何もかもすっかり委ねてしまうところにこそ救いがあるのです。
他の宗教だってそうでしょ?
神仏に全てをお任せするところに永久の安寧があるわけじゃないですか。
神に信頼しない人が救われるなんて矛盾そのものじゃないですか。

あなたは地獄に落ちないで天国に入れられることが救われることだと思っているんですか?その場合、あなたの犯した罪は何によって帳消しになるんですか?まさか、あなたが積んでいるつもりになっている「善行」ですか?

はははははははははははははははははははははは(乾いた笑い)

神の御前では、人間の為す善行などほんの僅かなものです。
私たちが日々積み重ねている悪行を打ち消す力は全くありません。
仮に高僧や聖人と呼ばれる人の善行なら効果があるとしても、
私やあなたの場合、いいことした気になっている以上の意味はありません。
いいえ。善行は善いことを為す、そのこと自体に意味があるのです!!!

それに、必死で善行を積み重ねなければ入れないような天国に入る意味ありますか?そんなの競争社会の成れの果てで、この窮屈な世の中より更に息苦しい地獄のような場所ですよね。本当に天国に行きたいですか?仮にあなたが何かの間違いで天国に入れたとしましょう。そこにはあなたの嫌う神がいて全てを治めているのですから、信者にとって天国でも、神に信頼したくないあなたにとっては地獄のような場所でしょう。あなたは神に向かって悪態をつき、「おい神!何で俺をこんな酷いところに連れて来やがった!?さっさと帰せ!」と喚き散らすのではないでしょうか。すると神はその願いを聞いて、あなたをこの滅びゆく地上に戻してくれるでしょう。あなたがそれを望みました。

あなたはどうせ神道の神々を信じているわけではないのでしょうから、神道を持ち出したのは創造主なる神を信じないための言い訳に過ぎないと思います。それはともかく、あなたの考えによれば、神道の神々は「人々の善行そのもので見守ってくれる」とのこと。つまり、神道の神々は善行を為さない私やあなたのような人間を見守ろうとはしないわけですね。そして一生懸命に善行を積んだ人を高く評価し、あまり善行に励んでいない人は少しだけしか評価されないということになりませんか?俗世間と同じように霊界でもランキングがあるのでしょうか?あの世もなかなか辛そうですね。
(断っておきますが、私はあなたのような理解の仕方はしません。神道の神も当然、見守りと引き換えに善行を要求したりせず、ただどんな人をも見守るからこそ「神」と呼ばれるのだと思います。その見守りにお応えするのが信仰、信じて依り頼むことであり、それが天国への道ではないでしょうか)

一方、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の神様や浄土真宗の仏様の場合、善行を積むことのできない私たち罪人や悪人でさえ、ただ信じて依りすがるだけで救ってくださるという、大変ありがたい存在です。どんな人をも分け隔てせず、ただ信じるだけで、その人を引き上げてくださいます。その恵みを拒まずに両手を広げて受け取った人が、感謝の意を表すために善行に励むというのが、人間としての真っ当な生き方だと私は思います。私が勝手にそう思っているのではなく、古今東西の宗教がそう教えているのです。

もし神道の神々が実在するなら、他国の神々を腐してまで自分たちが持ち上げられることを望まないでしょう。ご質問の文言は「贔屓の引き倒し」ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

はははははははははははははははははははははは(乾いた笑い)

 万物に公平な神を語るのに延々と文章を連ねるのって、なんとか結論を歪める必要があるからじゃ無いですか。

例えば、
>一方、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の神様や浄土真宗の仏様の場合、善行を積むことのできない私たち罪人や悪人でさえ、ただ信じて依りすがるだけで救ってくださるという、大変ありがたい存在です。

 それは明らかにこじつけですね。
・キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の神は、人と人以外の生き物の間を線引きし、人の命しか認めないでしょ。
・そして、洗礼など、神に帰依するための儀式を経て、救いがある信者とそうでない異教徒の選別をする。帰依しなければ天国への門は開かれない。神は人間かどうか、信者かどうかで命を選別してますね。

お礼日時:2025/01/27 02:01

キリスト教やイスラム教、ユダヤ教の神が救うのは、


帰依した信者だけ。
 ↑
違います。
ユダヤ教はユダヤ人のための宗教ですが
それを全人類に広げたのが
キリスト教、イスラム教です。

だから、キリスト教などは、自分たちの
考えが、普遍的で全人類に妥当する
と主張します。
これを「普遍主義」といいます。
彼等が自分たちの価値観を押しつけるのは
そうしたバックボーンがあるのです。



どんな善行を積んでいようと、
信者で無ければ見守りの対象外で救わない。
  ↑
信者で無い人間を救いたいから
無理矢理帰依させる、なんてことをやって
来たのです。



でも、神道の神々は、
その人がどの神を信仰しているかではなく、
人々の善行そのもので見守ってくれている
と、考えてよろしいのでしょうか?
 ↑
よろしくありません。

キリスト教のような創唱宗教と異なり、自然発生した
神道には、教義はありません。

だから、善行を促し、悪行を抑制する
天国、地獄もありません。

黄泉の国があるだけです。
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仏教が 伝来する前は、日本には 神道しかなかったですから、


全員が 神道の信者と見なしていたと思われます。
当然 神道には 色々な神様がいます。
現在は、一般国民の信教の自由は 憲法で保障されていますが、
皇室と呼ばれる人たちは 神式の行事しか出来ませんよね。
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イスラム教もそうかもしれませんが、キリスト教に関しては「考え方によって様々」となります。

予定説のように「救われる人間は最初から決まっている(∴クリスチャンであっても救われるとは限らない)」と言った立場もありますし万民救済を支持している立場もあります。

どんな宗教もそうでしょうが「◯◯教は全部同じ教え」と言うわけではありません。
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