投稿回数変更のお知らせ

【歴史・日本史】712年に古事記、720年に日本書紀が同じ時代の内容がたった8年間で2つの歴史書が作られた歴史的背景を教えてください。

古事記と日本書紀は作った勢力の王が違ったのでしょうか?

でもその時代にはすでに天武天皇という絶対君主がいて、日本のトップは1人だったはず。

なぜ古事記と日本書紀の日本史の歴史内容が違うのでしょう?

A 回答 (7件)

古事記も日本書紀も勅命を受けて編纂されたもので携わった人が違うだけで基本は同じです。

内容にも違うところはありますが、その頃からすれば「まあ、こんなものだろう」レベルです。両方の編纂にかかわったのは中臣氏(のちの藤原氏)ですので、中臣氏の立場で書かれています。古事記は変体漢文で書かれているのに対し、日本書紀は漢文で書かれています。日本書紀は対外的であることを考慮し、漢文のネイティブである帰化人も携わっていたと考えられます。

これに少し焦ったのが、同じく宮中の祭祀にかかわっていた忌部氏で、このままでは忌部氏の功績が歴史から消えてしまうと考え、中臣・忌部相訴を経て忌部氏の「古語拾遺」編纂に至ります。古語拾遺には記紀に書かれなかったいろんなエピソードが書かれています。

例えば阿波忌部の天富命(あめのとみのみこと)は一族を引き連れ、阿波から黒潮に乗り房総半島にたどり着き、麻や穀物の栽培を広め、房総半島の先にある安房神社には天富命を祀った社殿があり「房総開拓の神」とあがめられています。つまり、現在の千葉の安房=阿波であることが分かります。

忌部氏が麻の栽培の専門家であったように、現在でも天皇の代替わりに行われる大嘗祭で天皇が御召になる衣裳、麁服(あらたえ)は忌部氏直系の子孫である徳島県の三木家で作ることとなっています。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40029440V10 …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

みんなありがとうございます

お礼日時:2025/01/27 18:57

天武天皇(てんむてんのう、? - 686年10月1日〈朱鳥元年9月9日〉)は、日本の第40代天皇(在位:673年3月20日〈天武天皇2年2月27日〉- 686年10月1日〈朱鳥元年9月9日〉)。


諱は大海人(おおあま)。和風諡号は天渟中原瀛真人天皇。壬申の乱に勝利して即位した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A6 …

で、古事記、日本書紀が作られたのは、

元明天皇(げんめいてんのう、661年〈斉明天皇7年〉 - 721年12月29日〈養老5年12月7日〉)は、日本の第43代天皇(在位:707年8月18日〈慶雲4年7月17日〉- 715年10月3日〈和銅8年9月2日〉)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E6%98%8E …

の時代です。つまり、天武―持統―文武という大和朝廷創始者の正統性を内外(唐)にアピールする必要があったということです。天武は天渟中原瀛真人天皇で、実際の位階は九州王朝の天子の配下である「真人(まひと)」に過ぎません。それが九州王朝の天子を退け、最初の日本国の天皇となったのが文武です。しかし、実際の権力者は持統です、この政権奪取、革命の正統性を主張したのが古事記、日本書紀で、歴史上から九州王朝を抹消しました。

しかし、古事記作成時点では九州王朝の『国記』、『天皇記』を入手できていないため、語り部である稗田 阿礼 (ひえだ の あれ、生没年不詳)の語る内容を偽造し、国内記事で古事記を作ることしかできませんでした。更に、その序文で文武―元明を中国の皇帝にも勝ると持ち上げたため、公開を取りやめ、九州王朝の『国記』、『天皇記』を簒奪した上で大和朝廷一元史観という皇国史観の歴史を捏造し内外にアピールしたということです。

従って、古事記は闇に葬られましたが一部のコピーが残り、僧・賢瑜によって写された真福寺本『古事記』三帖(国宝)が14世紀になり発見されたものです。

日本書紀は公式記録として完成した翌年の養老5年(721年)から開催されている朝廷主催の『日本書紀』の講義(日本紀講筵、書紀講筵)で官吏に教育がされてきました。

古事記の背景に焚書があることが序文に暗示されています。史官としての太安万侶の矜持を示すものと云わなければなりません。詳しくは、

多元史観の新発見
『古事記』序文を読み直す
https://www.furutasigaku.jp/jfuruta/simin09/tage …

『古事記のひみつ』著者、三浦佑之氏へ
https://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nakatta4/for …

I 天皇家一元史観からの脱却
https://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosak29/fur …
他、参照。■
    • good
    • 0

古事記は稗田阿礼と太安万侶に日本書紀は朝廷の官僚達に天武天皇が


命令して編纂されました。
共に編纂作業には30年以上費やしています。
乙巳の変で息子の蘇我入鹿が殺されたの知った蘇我蝦夷は、屋敷と蔵に
火を放って自害しました、その時に聖徳太子と蘇我馬子が集めた、帝紀
や旧辞など貴重な古書が焼失しました、資料集めからなので多くの時間
を費やした様です。

古事記は神代から33代推古天皇まで。
天照大神から初代神武天皇まで皇統の系図の成り立ちが詳しく
書かれています、万葉仮名での記載です。
2代から33代までは、婚姻関係の記載のみで旧辞(天皇が行った事)は
余り書かれて居ません。
特に2代~9代は皇后の名前程度しか記載されて居ないので欠史八代
などと呼ばれて居ます。
古事記は永い事読み継がれ無かったので万葉仮名の解釈が出来なくなって
いました、江戸末期に本居宣長が35年掛けて解釈分を編纂して
くれたので現代人が読める様に成りました。

日本書紀は神代~41代持統天皇まで記載されています、正規の国史
として編纂されました。
全体は漢文で旧辞で天皇が詠まれた和歌は万葉仮名で記載されてます。
別の口伝が有る場合は「一書(あるふみ)に曰く・・・」として併記
されてます。
古事記で記載されていた出雲国の事は書かれて居ません。

古事記も日本書紀も日本の統一には武力を殆ど使わず婚姻で同盟関係を
築いています、八紘為宇の精神です。

3000年前~17000年前の1400年間続いた縄文時代の遺跡からは
人を殺す武器と戦争の痕跡が見つかって居ません、平和な時代だった
のです。

各地に散乱していた、口伝をストーリー仕立てで編纂した太安万侶は
大天才!!と云うべき人で感嘆しますね。
    • good
    • 0

古事記は物語風の概史というべきか。


収録物語は話題になった物だけ選んだトピックス文書という感じですね。
日本書紀は国内だけでなく外国にもアピール目的で作った編年体文書です。
ただ年数は日本を古く見せようとかなり誇張して書かれています。
だからすごく日本の歴史は古く見えませんか。
はっきり言いますが、一〇〇歳を超える天皇があんなにたくさんいるわけはないのです。

天武天皇は造れと命令しただけ。

しばらくして亡くなる。

命令依頼受けたスタッフが引き継いで
元明天皇の頃に完成に持っていきましたね。

古事記は推古天皇まで
日本書紀は持統天皇が譲位して終わりですね。

どうやら、皇極天皇から生涯天皇制が終わって
天皇にも途中退位が始まったようですね。

質問者さんにいいこと教えます。
紀元二六〇〇年は大嘘です。
伊勢神宮二〇〇〇年も嘘です。

日本はそんなに古くない。
ただ、中国と違って約2千年間、王朝が変わらないということで
世界に誇る国ですね。

中国はころころ変わっていますね。


ああ、これは作り話。
こんなこと書けるのも日本が戦争に負けたからやなあ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

みんなありがとうございます

お礼日時:2025/01/26 13:29

既に回答がある通り、日本書紀は当時の世界共通語である漢文で書かれた、国家事業として何年もかけて編纂した正式な歴史書です。



これは私の勝手な想像ですが、古事記は編纂途中の日本書紀を盗み見てw書いたものだろうと思います。
    • good
    • 0

日本書紀は、中国に対して、日本も中国と対等な国家であることを示すために、中国の史記と同じような日本の歴史書を作成したものです。


内容はすべて中国人が読めるように漢文で作成されています。一部を除き、親子二代の中国人学者に記述してもらっています。全30巻。

古事記は、皇族や朝廷の要人用に、歌などでは日本語も数多く使用された歴史書。全3巻。あくまでも国内の要人向け歴史物語なので、文字量は少なく読みやすく作成されているほか、大和朝廷とは別系統の大国主の事績も比較的詳細に記録されている。
    • good
    • 0

『古事記』は稗田阿礼が口承したものを、太安万侶が書き留めていったということが記されています。


古事記』は、日本の建国の物語や美しい生き方を後世に伝えることを目的としています。『日本書紀』は、日本という国の成立や歴代天皇の事績をより詳細に記すことを目的としています。
昔話と歴史書の違いです。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


おすすめ情報

このQ&Aを見た人がよく見るQ&A