電子書籍の厳選無料作品が豊富!

太平洋戦争に至る経緯というのは、日本は安全保障のため、戦争に訴えざるをえなかったんでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • そもそも日清戦争に訴えたのだって、日本の安全保障の確保が目的だったんじゃないですか?

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/01/30 10:54

A 回答 (9件)

太平洋戦争に至る経緯というのは、日本は安全保障のため、


戦争に訴えざるをえなかったんでしょうか?
 ↑
ハイ、そういう面がありました。


当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、国民の1/4が
失業し、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
はっきりしません。

これに加えて、当時は社会主義運動が盛んに
なりつつありました。
うかうかしていると、体制すら崩壊しかねません。

また、米国は英国フランスなどにも大量の資金を
貸し付けており、彼等が敗戦になれば、貸し金が焦げ付く
可能性がありました。

それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
それでハルノートなどをつきつけたり
ABCD包囲網を敷いたりして、日本を追い込み
戦争に持ち込んだのです。

戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きずり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。
ルーズベルトの責任 〔日米戦争はなぜ始まったか〕

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。

マッカーサーは戦後、あの戦争は日本の自衛戦争であったと
米国議会で証言しています。

ハルノートのハルは、真珠湾攻撃を耳にして躍り上がって
喜んだ、という側近の証言が残っています。
「これで戦争ができる」

また、パル判事は、あのような要求を突きつけられたら
モナコのような小国でも銃を持って立ち上がっただろう
と述べています。




そもそも日清戦争に訴えたのだって、
日本の安全保障の確保が目的だったんじゃないですか?
 ↑
そうですよ。
距離からいって、
半島は日本安全保障の要なのです。

元寇は、朝鮮半島経由で日本を
侵略しています。

あそこに、清国の軍隊が駐留するように
なったらマズいわけです。

それで、朝鮮半島の支配を巡って
清国との戦争になったわけです。

同じく、朝鮮半島の支配を巡って
戦争したのが、日露戦争です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

大変詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2025/02/03 21:25

それは理由のひとつでしかないんじゃないですか。

そもそも大陸への進出は安全保障+大陸権益が目的ですので。
 例えば日本の安全保障だけを考えるのであれば、日本海沿岸の防備を強化するだけで足りたのです。ロシアが南下しようが何をしようがそれは大陸の中の話です。ところが当時朝鮮半島が日本の支配下にあったことで安全保障問題が顕在化していったわけです。逆に言えば朝鮮半島に手を出していなければそんな必要はないということ。ただし国内の経済問題や市場確保など、大陸へ進出せずに国が生き延びられたかどうかはわかりませんけどね。
この回答への補足あり
    • good
    • 0

当時の大本営参謀たちは日夜激論を戦わせていました。


ある参謀は戦後になって、対米主戦論者に対して非戦論者が一喝した言葉を述べています。「米国と戦えば、日本中が火の海に包まれることになる。貴様、それでもいいというのか!」。その参謀は「火の海に包まれる」という意味がその時は分からなかったのですが、戦争末期に米軍の焼夷弾による凄まじい大空襲による地獄の猛火に焼かれる多くの人々を見て、ようやくそのことかと衝撃を受けたようです。

非常に正鵠を射た言葉だったわけです。

現実には正しく開戦がもたらす亡国の姿を予見していた非戦派の数も多かったわけで、「日本は安全保障のため、戦争に訴えざるをえなかった」というのは主戦派の日本を開戦に導くために考えた、根拠なき暴論っというか感情論でしかなかったということでしょう。
    • good
    • 0

あくまでも「太平洋戦争」という事なので、対アメリカ戦という事で回答いたします。



日本陸軍は、アメリカへの攻撃は計画していませんでした。

インドネシアから、西へ展開しインドからスエズ運河を通り地中海でドイツとの合流というシナリオを描いていました。

要するに、米海戦なんて言うのは、余計な事だったのです。
    • good
    • 0

ドイツが暴れてたからチャンスだと思ったんですよ!


二度とこんなチャンスはこないだろうからね^^
    • good
    • 0

火事場泥棒を繰り返していたからだよ。


満州、中国、仏印、さらに蘭印にも手を伸ばしたらアメリカから「いい加減にしろ」と怒られて逆ギレした。それだけです。
    • good
    • 0

明治維新時の外国の脅威は清国とロシアでした。


日清日露戦争の勝利で一息付きました。
不凍港を求めてロシアは南下政策を画策してました、緩衝地帯として
傀儡の満州国を建立しました、辛亥革命後中国大陸は内戦で、日本には
攻め込んで来ません、米国も太平洋を渡って攻めるには膨大な戦費が
必要なので、攻めて来ません、ロシアと米国の情報を得るだけで、
大日本帝国の防衛は当分は安定だったのです。

国民の欧米に並ぶ一等国への願望と、負け知らずの軍部との思惑が
一致して、万里の長城を超えて無用な戦争を始めてしまったのです。
パンドラの箱を開けてしまったのです。

満州国を建立した石原莞爾大佐は樺太とアムール川流域とカムチャッカ
半島を取るべきと主張して東条英機大将と意見が衝突して解任されました。
ユダヤ人を迫害するナチスドイツを嫌っていたのに、そのドイツと
同盟を結ぶとは、政府も軍部も慢心から狂っていたのですね。
近衛文麿首相と東条英機参謀総長兼陸軍大臣の判断で320万人の
国民の犠牲者を生む結果になりました。

現在でも中華人民共和国とロシアは日本国の防衛の脅威です。
    • good
    • 0

安全保障というか、生き延びるためだといえるでしょう。


名前は忘れましたが、米国人でも「私が米国からああいう要求を突きつけられたら、戦争に訴えるだろう」という発言をしていましたからね。
当時の米国大統領だったルーズベルトは、「これで戦争ができる!!」って日本軍の真珠湾攻撃のことを知って大喜びしたみたいですからね。
    • good
    • 1

判断が愚かだっただけでは?

    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


おすすめ情報

このQ&Aを見た人がよく見るQ&A