重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

電子書籍の厳選無料作品が豊富!

努力と成長に関する比喩表現について
①努力すれば「花は咲く」
②努力すれば「花が咲く」
の2つは、伝えたいことの方向性は一緒ですが若干異なるように感じます。
この違いをうまく言語化したいです。
個人的には、①は努力すれば咲くであろう花のビジョンが先にあって、ほら想像したとおりに花が咲いたよという印象が、②は努力すると何が起こるかは未知で、努力した後に花が意識の中に現れる印象があります。

↑こんな風に、2つの違いを上手に表現できないんです。回りくどいというか、表現が拙いというか正確さに欠けるというか・・・アドバイスお願いします。ちなみに、言語の専門家でも何でもないので、助詞の意味や分類・機能さえ分かっていません。

質問者からの補足コメント

  • 「は」と「が」の違いを理解することがこのQAの目的ですが、より焦点化すれば「頑張れば花は咲くよ!」「頑張れば花が咲くよ!」という2者の励ましに登場する花は、
    前者は「その花については既知、どんな花が咲くかイメージできる」
    後者は「その花については未知、どんな花が咲くかイメージできない」
    というようなニュアンスを伴います。後者の方が爽快で爽やかな印象を受けます。前者はマイナスが0になるような、後者は0からプラスが芽生えるような。巧く表現できませんが、ニュアンス・印象の違いが確かにあり、後者の方が、好意的な励ましに思えます。この”ニュアンスの違い”,”好意的に感じる理由”をよりスッキリと修辞的に説明する言葉が見つかればうれしいです。

    ※No4までの回答のおかげで、ここまで思考を整理できるようになりました。回答をくださった皆さまに感謝しています。

      補足日時:2025/02/02 22:45
  • Bing AI によると

    花が咲く
    新しい情報の提示: 主語としての「花が」強調され「咲く」という事実を新しく伝えています。例えば「どの植物が今咲いていますか?」という質問に対して「花が咲いています」と答える場合、この文は新しい情報を提供しています。
    例 山の中で珍しい花が咲いていました。

    花は咲く
    既知の情報の確認や対比: 主題としての「花は」が強調され何か別の情報や対比を導入するために使います。例えば「葉っぱが枯れているけど、花は咲いている」というように花が咲いていることを前提に他の情報と対比しています。
    例: 花は咲くけれど実はつかない。
    この「新しい情報の提示」に、新鮮さや爽やかさ、希望のようなものを感じて、「頑張れば花が咲くよ!」という励ましの方が 私には 好意的に感じるのかもしれません。

      補足日時:2025/02/02 22:54
  • No10でいただいた回答に対する、お礼の内容について

    >(正しいのかどうか懐疑的な点)
    >①普遍・個別・具体 と 抽象・具象 とが類別において対等な要素であるのかどうか。
    >個別・特殊・一般・普遍 が★集合論的★な空間を感じるのに対し
    >具体/具象・抽象 は概念的な空間を感じます



    >(正しいのかどうか懐疑的な点)
    >①普遍・個別・具体 と 抽象・具象 とが類別において対等な要素であるのかどうか。
    >個別・特殊・一般・普遍 が★物質的★な空間を感じるのに対し
    >具体/具象・抽象 は概念的な空間を感じます

    に読み替えていただければ幸いです。(集合論的 と 物質的 の読み替え)

      補足日時:2025/02/07 03:19
  • お付き合いいただきありがとうございます。(No15の回答を頂いた時点)

    予想もしない深い展開になり思考の整理が必要かつ難しくなってきたので、思考の整理をしてみます。ただ自分のために。
    ※整理してみて、根気との勝負。やりすぎ感…。自己嫌悪。

    以下は私の思考であり間違い・誤解が含まれる可能性があります。また、他のウェブページを参照して得られる内容は膨大なので、読み切れていないか、目を通せていいません。なお、#ラベルは無視してください。単なる参照先です。#は回答の順番を、#の後は回答者様のニックネームの頭文字を表します。その行の内容は私の思考の箇条書き以外の何物でもありません。回答者の思考は全くなく回答者に何の責任もありません。必要に応じて回答者と私のみが訂正できます。

    続く

      補足日時:2025/02/08 03:35
  • ●QAの問いの整理
    ①努力すれば「花は咲く」
    ②努力すれば「花が咲く」
    の2者に“ニュアンス・印象の違いがある理由”“②の方を好意的に感じる理由”をできるだけ的確な言葉で説明したい。

    ●問いに対する回答
    ・【が】は主語の強調 #1コ
    ・【花は咲く】は単に「花が咲くこと」を表している #1コ ★1
    ・距離感(【は】遠、【が】近)、力感(【が】の方が思いを引き込む感じが強い) #2角 ★3
    ・【は】は【が】の特別・特殊な場合 #3h
    ・【花が咲く】は単にそれだけの意味 #3h ★1と矛盾
    ・【花は咲く】は、ある条件が背景にあるが省略されている ~~~、花は咲く。 #3h
    ・【が】格助詞さらに主格。舞台の主役。【は】係助詞。舞台における主題の提示。 #4f
    ・【が】未知、【は】既知 #補2AI ★2
    ・時間の差(【花は咲く】未来的、【花が咲く】過去的) #5角  ★3

    続く

      補足日時:2025/02/08 03:36
  • ・自他の差(【花は咲く】他者の出来事、【花が咲く】自分が関わっている感) #5角  ★3
    ・【花は/花が】花自身の意思の有無の違い(対応は記載なし) #6角  ★3
    ・未知既知論は機能主義的な誤り #7ア ★2の否定
    ・助詞は話者の主観の直接の表現。【花が咲く】は面前の個別の花(【が】は格助詞)、【花は咲く】他と比較・対照(特殊性、【は】は副助詞) or (普遍性、【は】は係助詞) #7ア
    ・【は】主題の提示。【花は】花一般を表す。【が】主語。【花が】具体的な個別の花。 #8d
    ・解決が困難なこともある。結論を急がない。 #9f
    ・普遍性=抽象性,個別性・具体的=具象性 #10角

    続く

      補足日時:2025/02/08 03:37
  • ・言語表現は感性を媒介して生じるものではない。言語は概念による規範を媒介して表現される。語・文・文章などの諸単位に応じた規範があり、表現の構造を媒介している。形式主義/機能主義に陥ってないけない。<言語法>の構造をきちんと理解・意識する必要あり。 #11ア
    ・時差・距離・自他・軽重(意の)・主観・客観 #12角  ★3の総括
    ・(#13f は問いに対する直接の回答でない)
    ・余計な〝含み〟が感じられないので「が」のほうが好意的な励ましに思えるのでは。 #14 1
    ・(#15ア は問いに対する直接の回答でない)

    ●備忘録
    ・そもそも、「は/が論」は超難題。専門家でも意見が分かれ、多くの議論されているが、結論は得られない。

    続く

      補足日時:2025/02/08 03:37
  • ・機能主義へのブレーキを。話者が無意識で用いる「は/が」の例に対して、後付けで機能の分類をしようとしている。機能が先にあって「は/が」を使い分けているわけではない。また、機能の分類の前提をきちんと整理することも必要。語・節・文・文章などの構造が曖昧なまま、どの空間で機能を分類するのか。
    ・機能の分類は、類別(交わりなく、かつ、網羅)を目指さなくてもよい。※網羅は目指すだろうが、複数の機能を備えることもある。
    ・AIによる回答を鵜呑みにしない。AIは便利だが人間の方があたたかく尊い。
    ・正しい/正しくないが困難な議論は“主義”を生み、主義がぶつかり合うと他者を誹謗・中傷しかねない。注意。
    ・「他山の石」?。各意見を必要に応じて自分に取り入れる。正しい正しくない、正解、を求めすぎない。妥協も大切。都度自分をアップデート。
    ※「他山の石」の用法に注意。通常、良い意味では使われない。

    続く

      補足日時:2025/02/08 03:39
  • ・考えすぎ注意。「貴重な人生の時間の無駄」を常々意識しよう。
    ・「は/が」野田尚史による五つの分類。
    ・言語の最小単位には注意。「湯」は、これ以上分割できそうにないが、hot water と2つの概念に分割できる。概念こそが、言語の最小単位なのでは?という現段階の理解。
    ・“弁償法”による思考もときには必要。弁証法は高度な考え方だと思うが、その具体例を調べてみると理解がすすむ。

    終わり

      補足日時:2025/02/08 03:40

A 回答 (15件中1~10件)

結論から書きます。


〈2つの違いを上手に表現できない〉のは当然のことです。
 当方もそんなことはとうていできませんし、コメントを入れているほかの方にも無理でしょう。
 長い間、ことばの専門家たちがアレコレ悩んでいる〝超〟難問なのですから。
 類似の質問はグズグズになることが多いので、スルーするようにしています。今回は質問者がきわめてまじめに訊いているようなので、コメントする気になりました。
 まず下記をご覧ください。

【日本語教育能力検定試験「マンボウ」総記の「が」】
https://yousei.arc-academy.net/manbow/term/detai …

 このサイトは日本語学習者向けのもので、かなり定評があります。こういった考え方が一般的です。
 ここでは【総記の「が」】というタイトルで、「は」と「が」について解説しています。
〈助詞の「は」と「が」を使い分ける方法の説明として、今までになされてきたものを野田尚史が五つに分類してまとめている。〉は主として下記の書物の話です(この書物も有名です)。
【はとが (新日本語文法選書 1) 】
https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E3%81%AF%E3%8 …
「は」と「が」について非常に詳しく書いてあり、5分類は以下のとおりです。

(1)新情報か旧情報かによって使い分ける方法。
(2)現象文か判断文かによって使い分ける方法。
(3)主格がどこまで係る(=つながる)のか、文末まで係るのか、節の中だけにしか係らないのかによって使い分ける方法。
(4)主格が対比の意味を表すか、排他の意味を表すかで使い分ける方法。
(5)指定文か措定文かで使い分ける方法。

 いままで多くの専門家が研究したものをまとめた5分類ですから、安易に否定することはできないはずです。
 ただ、それでも「は」と「が」の問題は解決などしません。この問題には多くの側面があるからです。(1)〜(5)のいずれも、「そういう側面もある」「そういう考え方が当てはまることもある」ということです。すべての問題を説明できるものではありません。

 ちなみに、ほかのコメントの中に出てくる「個別性」「特殊性」「普遍性」などのキーワードは、一般には受け入れられていない「特殊な考え方」です。元々はまったく別ジャンルの話のようで、「は」と「が」の問題に当てはめるのは、(是非は別にして)「特殊な考え方」です。そのため、↑の5分類にも出てきません。アチコチの質問サイトで批判的な意見も目にします。
 この話を始めると、いつも難解で不毛なやり取りになります。過去にそういうやり取りが何度も繰り返されています。下記に一例だけあげておきましょう。ネット検索すれば、同様の例が多数出てきてウンザリします。当方はできるだけ近づかないようにしています。今回の質問の解決にもつながらないでしょう。質問者はどう感じますか。
【普遍・特殊・個別をハガの違いに適用しようとするのは無理筋】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13233721.html?isSho …


 さて、こんなことを書いていても問題の解決にはつながらないので……。
「は」と「が」全般のことはとても手に負えないので、今回の質問に限りましょう。ヒントになるようなことを書くために少し強引な考え方をします。できるだけ日常的なことばでやさしく書くことを心がけますのでお付き合いください。。
 質問者が書いている「既知」「未知」は↑の(1)と近いでしょうか。ちょっと違う気もしますが。
 この考え方が有効な場面もあるのですが、多くの場合、「そういう側面もある」「そういう考え方が当てはまることもある」という程度のことなのでは。
【「は」と「が」の違いは、 「は」は その主語が「未知」で 「が」は「既知」 goo 念仏】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12680508664.html
===========引用開始
 未知が「ガ」で、既知が「ハ」です。下記のように〈2)初出の「が」、既出の「は」〉と書いても同じことです。
 ただし、これは絶対のものではなく、「こういうふうに考えることができる場合もある」ということです。
 もしこのルールが絶対なら、長編小説の登場人物は、最初が「ガ」で、以降は「ハ」しか使えなくなります(笑)。そんなことはありません。
===========引用終了

 あるいは「Bing AI」の説明の中に「対比」というキーワードが含まれているように、(4)の要素もありますかね。
 当方は「は」に関してきわめて大ざっぱに下記のように考えています。
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12285486151.html
===========引用開始
 実態は膨大な量の例文を解析しないとわからないだろう。そんなことをしているとたいへんなので、予想値で書いてしまう。それぞれの出現割合は下記くらい。煩わしいので「約」さえつけない。

1)主題         80%
2)対比         10%
3)限度・強調+4)その他 10% 
 だいたいこんなもんだろう。異論がある人はどうぞ。ちゃんとした統計に基づく異論があればすぐに訂正します。(←オイ!)
 全体の80%を占めるのが、「主題」のハ。問題になることはあまりないから、細かい話はとりあえずパスする。だって、ほとんどの人はわかっているから。
 問題は、それ以外の20%の部分。(略)
 主題以外の半分を占めるのが「対比」。
「彼ハ賢いが、僕ハ愚かだ」 
 こういう場合のハは対比の働きと考えるのが素直。
 とは言っても、けっこう微妙なことが多い。たとえば、ある人が「彼ハ賢い」と書いたときに、ほかの誰かと対比しているか否かは他者にはわからない。この段階では単なる主題と考えるべきだろう。「彼ハ賢いが、僕ハ愚かだ」と並べられると、「対比」であることがわかる。
 そう考えると、「主題」に見えるハのかなりの部分は「対比」かもしれない。何%なのかはわかりません。 
===========引用終了

 このように、普通は「主題」。比べる対象がはっきりしている場合には「対比」……と考えるのが無難なのでは。
 ここから先は当方の個人的な意見が強くなります。
①努力すれば「花は咲く」
 この「は」も「主題」と考えるべきでしょうが、「が」との違いをはっきりさせためには「対比」と考えるほうがよさそうです。
 (一応)「花は咲く」けど、「実はならない」(あるいは「花は咲く」けど、「すぐに散る」)……といった(否定的な)〝含み〟がある気がします。
「一応咲くことは咲くんだけど……」という感じです。 
②努力すれば「花が咲く」
 この「が」は、いわゆる主語を表わすものでしょう。
 余計な〝含み〟が感じられないので、素直にそのままの意味に受け取れます。
 そのため、「が」のほうが〈好意的な励ましに思え〉るのでは。

〈(否定的な)〝含み〟が感じられるか否か〉では、質問の答えになりませんか。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

(他の回答と同様に)内容の密度が濃い回答をありがとうございます。密度が薄いお礼になってしまい申し訳ありません。

>ことばの専門家たちがアレコレ悩んでいる〝超〟難問
これで今回の問いに答えがでないことがよく分かりました。これは、前向きな諦めであり、 1311tobi さんの言うとおり、このQAの結論になりそうです。

マンボウのサイトの「野田尚史が五つに分類」はとても分かりやすく、具体例と巧みな説明によって、5つの分類を短時間で学習することができました。

さらに
>(1)〜(5)のいずれも、「そういう側面もある」
という捉え方は”スタンス”としてストレスがなく、ほっとします。(このQAにエネルギーを注いで疲れを感じるので。回答者の方々に失礼極まりない。すみません。)

>ちなみに、~~~「個別性」「特殊性」「普遍性」などのキーワードは~~~「特殊な考え方」です。元々はまったく別ジャンル~~~
このことに関しては、深入りしません。”ちなみに”が嬉しい

>この話を始めると、いつも難解で不毛なやり取りになります。~~~質問者はどう感じますか。
「は/が論」に答えはなく”主義”のようなものが生じている、さらに、こっちの考え方が正しい/正しくないといった論争になりかねない、というのが私の今の段階の理解です。このQAを通じてそう学びました。大切にしたいのは、綺麗ごとを言えば「互いに尊重し合えれば平和」、でも、「こういった摩擦があるから研究が前に進む」というのも事実だと思います。自分の考えが間違っているかもしれないと謙虚になり、人を傷つけず、暴走しない、それでも時には情熱を持って議論も必要。、、、思うままに書いてみました。

>ここから先は当方の個人的な意見が強くなります。~~~
~~~お礼欄の文字数制限もあり大きく割愛~~~
>余計な〝含み〟が感じられないので、素直にそのままの意味に受け取れます。
> そのため、「が」のほうが〈好意的な励ましに思え〉るのでは。
>〈(否定的な)〝含み〟が感じられるか否か〉では、質問の答えになりませんか。

それだ!という答えには感じられませんが、そのような背景があり、好意的感が出ているのかもしれません(冷静に思考できていません)。〈好意的な励ましに思える〉ことについて、正面からの回答をいただけたことが、ただただ嬉しいです。

お礼日時:2025/02/08 03:14

>①普遍・個別・具体 と 抽象・具象 とが類別において対等な要素であるのかどうか。


>個別・特殊・一般・普遍 が★物質的★な空間を感じるのに対し

自然・社会・精神の在り方として個は特殊と普遍の統一という調和する矛盾として存在しています。

それだけではなく、例えば一つ一つの個別的な家は住宅とか、倉庫とか、犬小屋とかというような特殊なあり方それ自体を、同時にあちらにもこちらにもある一つの普遍性として見ることが必要です。特殊性は普遍性とは別のものとして普遍性とは切り離せない関係で存在するだけでなく,【特殊性が同時に普遍性でもあるという別の普遍性】に於いても問題にされます。この二つの異なった普遍性を、混同したり取違えたりしてはいけない訳です。

助詞「は」に特殊性を表す副助詞と普遍性を表す係助詞がありますが、単に形式だけではなく、この立体的な弁証法的なあり方を正しく捉えないと混乱します。

野田尚史などが説く「ハとガ」の5分類などは、こうした弁証法的な関係を全く理解できないために単に現象論、機能論を並べているだけで、認識の相違を全く捉えることができていません。

言語表現自体が感性的な形式と概念による意義、意味の統一という調和する矛盾の実現であることが本質的に判っていないのが現在の言語学の現状です。

こうした言語学、日本語学の現状に追随して、あれこれ並べてみても何の進展、解決にもならないことに注意しましょう。

なお、具体、抽象は概念の抽象度、程度の問題です。

文は詞と辞の組み合わせである節の立体的な構成を持ちますが、詞、辞単独のいわゆる一語文も許容されています。

また、日本語の「湯」は英語では"hot water”と二語になるように、概念化の単位も言語により異なります。■
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お付き合いいただきありがとうございます。

言語を議論するにあたって、概念が媒介している、ということをアスナロウさんより学び、このことに関して機能は後付けであり、概念が先行している、という理解に至りました。ここに、語や節、文、文章などの構造を意識しないといけないことも理解しました。この理解のもと、
>日本語の「湯」は英語では"hot water”と二語になるように、概念化の単位も言語により異なります。
とても興味深く、新しい気づきになりました。語そのものが構造の最小単位ではなく、概念こそが、言語の最小単位であると感じました。

また、言語法について研究を進める上で、弁証法的な視点を持った考察が時には必要なことも。まだ、弁証法的な思考に追いつくことはできませんが、たいへん勉強になります。

お礼日時:2025/02/08 03:28

>考えることは面白いし大切にしていきたいと思います。


満点。
以て他山の石となす。
コピペ丸投げで記憶する必要はありません。
自分の理解の程度にピッタリと思う部分だけを自分の理解の中に組み込むだけ、表現、言葉を変える方がスムーズに、ならそれもありなんです。
人は思っている内容の半分しか表現できない、聞く方はさらにその半分しか理解できない。
言葉での表現も100%事実という保証はありません。
自分が理解した内容に沿うように言葉を変える必要もあり得ます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

答えが得られない問いについての妥協の大切さ。付き合い方。自分の更新の仕方。回答ありがとうございます。

お礼日時:2025/02/08 02:30

AIによる回答の例文を加工?してみました。



1「葉っぱが枯れているけど、花は咲いている」
2「葉っぱが枯れているけど、花が咲いている」

3「葉っぱは枯れているけど、花は咲いている」
4「葉っぱは枯れているけど、花が咲いている」

1と2は「葉っぱが枯れている。だけど」と、いったん前節で区切りたくなります。そうして読むと、後節の「は」と「が」には距離感が、そしてその距離感の遠近を、抽象性と具象性に置き換えてみたくもなります。
また、文節同士のつながりが不自然と云うか、ぎこちなさを感じます。
話者の頭が混乱しているようにも。この混乱?は意外性という事なのか、とも思いました。

3と4は前節と後節のつながりが自然です。その後節の「は」と「が」は、1と2と同様に感じます。

あれこれと考えてみましたが「は」と「が」には、使われ方によって時差・距離・自他・軽重(意の)・あるいは主観、客観などが含まれてくるように思いました。

結局は、めぐりめぐって、既存の「文法」が云うところの「主格」とか「係助詞」と云う言葉を使うことに落ち着くしかないのかな?なんて思い始めています。
そうして「文法」をマスターするには、棋士の藤井聡太氏のような頭脳が必要なのかも、なんて思いが沸いてきたので、ここでいったん「思考停止」することにします。

※ 「頑張れば花は咲く」「春になれば花は咲く」
  「頑張れば花が咲く」「春になれば花が咲く」
  に付いては、、、嗚呼、もう疲れました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「が」と「は」を組み合わせて4種類の文章を作った考察は興味深いです。

>「は」と「が」には、使われ方によって時差・距離・自他・軽重(意の)・あるいは主観、客観などが含まれてくる

“使われ方”がポイントで、この例では、「葉っぱ」や「花」あるいは「けど」の言葉の影響もありそうですね。

お付き合いいただきありがとうございました。

お礼日時:2025/02/08 02:26

文法に対する誤解があるようなので補足させていただきます。



言語表現は絵画、音楽などの直接感性的な表現と異なり、概念による規範を媒介とした表現で、言語規範は本質的です。概念には具体から抽象へと様々な段階があります。

言語は規範によって支えられ、規範の媒介によって具体的な意味を持つ表現が成立するのであり、この表現に対する規範の先行と媒介という点で絵画や彫刻、音楽などと本質的に異なっています。

言語は規範に基づく特殊な表現であって、語・文・文章という言語表現の諸単位諸段階に亘って様々な規範が表現の構造を媒介するのであるから、それぞれの単位における法則を【語法】・【文法】・【文章法】と呼び、全体を【言語法】とでも名付けるべきものです。けれどもすでに言語学に於いては言語表現の組織ないし秩序の法則を【文法】と呼ぶことになっているので、広く解釈する必要があります。

従って、<文法>とは何かと言えば、【諸規範の媒介によって成立するところの言語表現の構造についての法則】を指す言葉だということができます。

規範そのものは意志の特殊なあり方で、そこに対象世界の持つ普遍性、論理性が反映しており、それゆえにⅭhat-gptなどのLLMが成立する根拠があります。

この規範の定める語の意義、と文・文章に表現される話者の認識の表現との関係である意味との相違と関係を正しく捉え理解することが重要です。

そして、語には客体自体を概念化した客体的表現の語である詞(いわゆる自立語)と話者の主観を直接に概念化した辞(いわゆる付属語)があり、助詞、助動詞は辞に分類されます。

こうした言語表現の構造、本質を正しく捉え語の意義を理解しないと形式主義、機能主義的な理解に陥ってしまいます。

詳しくは、三浦つとむ『日本語はどういう言語か』(講談社学術文庫)他を参照下さい。■
    • good
    • 0
この回答へのお礼

(この場を借りて…。1つ前の回答(No10の回答)へのお礼について補足で訂正しましたので、関心のある場合には「質問者からの補足コメント」もご覧ください。)

回答ありがとうございます。

> 全体を【言語法】とでも名付けるべきものです。けれども~【文法】と呼ぶことになっている

<文法>というコトバについての理解を促していただきありがとうございます。語、(たとえば「節」はここに入る?)、文、文章 の諸単位を意識すること=構造を意識すること で、思考のブレが是正されるのだと考えました。回答の後半では、「語」はさらに「詞」と「辞」に分解されました。
※「語」に対して、「詞」「辞」の属するカテゴリーを表すことばはありますか?

「花は/花が」のニュアンスの違いが、語からくるものなのか、文からくるものなのか、文章からくるものなのか。どの広がりの段階でニュアンスの差異が生じるのか。議論の前提が明確でないまま「機能の差異」を論じても、その差異をもたらしているものは何であるか曖昧になる、ということなのかなと考えているところです。

重ね重ね、貴重な回答をありがとうございます。


(追記)
概念による規範/規範の媒介/規範の先行と媒介/言語は規範に基づく特殊な表現/規範が表現の構造を媒介する/規範そのものは意志の特殊なあり方/規範の定める語の意義、と文・文章に表現される話者の認識の表現との関係である意味との相違と関係/語には客体自体を概念化した客体的表現の語である詞(いわゆる自立語)と話者の主観を直接に概念化した辞(いわゆる付属語)があり、助詞、助動詞は辞に分類/詳しくは、三浦つとむ『日本語はどういう言語か』(講談社学術文庫)他を参照下さい

について、回答を一度・二度読んだ程度では、説明の始まりとなる「規範」の意味を含め、私には理解が及ばず、ゆっくり吟味できず、申し訳ありません。

お礼日時:2025/02/07 03:52

寄せられた回答や、その感想を見て思いついた言葉は“抽象と具象”です。


複数の回答の中で使われている普遍性・個別性・具体的と云う言葉は、この“抽象や具象”に当たるように思いました。

ただ、この感覚がズレていないか不安で、さらに読み返したりしています。

補足コメントで「頑張れば花は咲くよ!」のニュアンスは「その花については既知、どんな花が咲くかイメージできる」また「頑張れば花が咲くよ!」の方は「その花については未知、どんな花が咲くかイメージできない」となっていますが、逆に捉えて受け止めています。

その補足コメントを見ながら思ったのは、使われ方でイメージ(文法?)が変わってくるのだなぁ、と。
「頑張れば花は咲く」「春になれば花は咲く」
「頑張れば花が咲く」「春になれば花が咲く」

普遍性=抽象性
個別性・具体的=具象性

こんな感じで受け止めてみましたが?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

抽象と”具象”という視点がこのQAで明示されたのは初めてですね。
普遍性と個別性・具体性 を"あえて" 抽象性と具象性 に対応させるとしたら
> 普遍性=抽象性
> 個別性・具体的=具象性
は親和的に感じます。ただし、この分析は、正しいのでしょうか?(正しくないと、否定したいのではなく、素朴に混乱しています。)

(正しいのかどうか懐疑的な点)
①普遍・個別・具体 と 抽象・具象 とが類別において対等な要素であるのかどうか。
個別・特殊・一般・普遍 が集合論的な空間を感じるのに対し
具体/具象・抽象 は概念的な空間を感じます
(ここでも「が」と「は」を無意識に使い分けている自分…)
②「花は/花が」を含む文章に対して、何が抽象・具体なのか。(flowers と leaves などのフォーカスとしての具体なのか、a flower と the flower の花に対する解像度としての抽象・具体なのか)

こう、表現してみて、「空間」という言葉を持ち出したり、英語で説明してみたりと、さらに迷走しています。(思考が整理できず、また散らかってきました。)論理的に回答できずに申し訳ありません。

話は変わりますが、
> 使われ方でイメージ(文法?)が変わってくるのだなぁ、と。
>「頑張れば花は咲く」「春になれば花は咲く」
>「頑張れば花が咲く」「春になれば花が咲く」
どんな風にイメージが変わってきますか?

お礼日時:2025/02/07 03:15

意味の相違が理解できている以上、文法での説明をどの様に理解し当てはめるかいかんになります。


前もっで、こうだ!と決めつけるのが困難であることにも気づくはずです。
常に疑問を持ち続け、簡単に決論を得ようとしないことです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

文法ありき、ではなく、あくまで文法は「あてはめ」「決めつけ」であるのですね。この視点は忘れたくないなぁと感じています。

> 常に疑問を持ち続け、簡単に決論を得ようとしないことです。
疑問を持ち続けることは大切ですね。”簡単に”結論を得てはいけない。
AIの利用などまさに、その危険性大ですね。

時間は有限だから、人生の節々で”結論”づけることは避けて通れない。でも、それをAIがこういったからとか、教えてgoo!の1つの回答で全て分かったつもり、専門家らしい回答者の意見こそ正解という気持ちのバイアスには注意していかなければと気づくことができました。また、AIは便利だけど、AIではない、日本の(世界の?)どこかに存在する人間が、時間を割いてQAで教えてくれるという尊さのようなものにも気づくことができました。

「主役」「主題」の視点について疑問を投げかける回答もありましたが、言葉についてのフレーミング(枠づけ)である以上、完全に正しい・正しくない、という結論は得られず、あまりに拘り過ぎると”主義”論争に陥ってしまう、他者を攻撃していまうことになりかねない。日常的なコミュニケーションについても気を付けていこうと思いました。

何が正しいのか、正しい・正しくないがそもそも得られるのか、根元にあるものは何か、いちいちそんなことを考えてばかりでは、時間的にも社会的にも窮屈ですが、考えることは面白いし大切にしていきたいと思います。

お礼日時:2025/02/05 02:53

「は」は主題の提示です。

ですから花一般を想起させます。「が」は主語を示しますから動作するまたは存在する、主語としての個物ということになります。
従って「花は咲く」は花全般、「花が咲く」は具体的な個別の花が咲く印象を与えます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>「は」は主題の提示です。ですから花一般を想起させます。「が」は主語を示しますから動作するまたは存在する、主語としての個物ということになります。
> 従って「花は咲く」は花全般、「花が咲く」は具体的な個別の花が咲く印象を与えます。

この主題・主語による理解は、私には分かり易いです。さらに、「一般」や「個別・個物」などの言葉を使った説明で理解が深まりました。

「想起」という視点。日常的な会話において、私たちは無意識に、この「想起」を行っているのだと思います。この無自覚な「想起」について、機能として説明があれば、より深く知り得てみたいです。「文法」や「言葉の機能」が”後付け”であったとしても、それは”無意味”を意味しません。理解は前進します。

お礼日時:2025/02/05 03:03

助詞「は」と「が」の相違を既知/未知、新情報/旧情報に結び付けるのは機能主義的な発想の誤りです。

一体、誰にとって、つまり話者にとってなのか、聞き手にとってなのか意味不明です。

この点は、

 助詞「は」と「が」 : 新情報/旧情報、既知/未知論の誤り
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9928 …
を参照下さい。

助詞は話者の主観の直接の表現で、格助詞「が」は個別性の判断、副助詞「は」は特殊性、普遍性の判断を表します。

花が咲く
は、眼前の個別の花を表しています。こうした個別の対象、事象の経験が重なり、

花は咲く。
の場合、葉は咲かないが花は咲くのような他との比較・対照による特殊性の判断を表す副助詞と、「花というもの」は咲く、のような普遍性の判断を表す係助詞の二種類があります。

吾輩【は】猫である。
箱根の山【は】天下の険
の「は」は普遍性を表す係助詞、

これ【は】ペンで、これ【は】鉛筆です。
今【は】やまなか、今【は】はま、

などの「は」は特殊性の判断を表す副助詞の「は」です。

民法第八九八条を見ると、

相続人が数人あるとき【は】、相続財産【は】その共有に属する。

と「は」が二つ続けて使われています。最初の「は」は相続人という特殊性な場合を取上げるところから使われた「は」で、次の「は」はその特殊な条件のもとでの普遍的なあり方を取上げることから使用された「は」です。【特殊性の下での普遍性を二種類の「は」で立体的に扱っている】もので、「は」に二種類を認めないとこの法文を文法的に説明することができません。

格助詞「が」は、

むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさん【が】いました。

のように、個別の対象を取上げる場合に使用します。そして、このお爺さんとお婆さんの特殊性を取上げるときには、

おじいさん【は】山に芝刈に、おばあさん【は】川へ洗濯にいきました。

のように副助詞「は」を使用します。詳しくは、

助詞「は」と「が」の使い分け  事例(1)
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=1012 …

「カキ料理構文」に見る「ハ」「ガ」論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9262 …
他を参照下さい。■
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。回答の文字制限がつらい…

>既知/未知、新情報/旧情報に結び付けるのは機能主義的な発想の誤り 話者にとってなのか聞き手にとってなのか意味不明

「機能主義的」については私は不勉強ですが、自分が機能を知りたい欲求に駆られていることに無自覚だったのでハッしました

それとは別に、誰にとって既知/未知については、少々すっきりしません。英語の a と the の違いは両者にとってのような気もするし話者主体・話者先行であるようにも感じます(意味不明というのは語気が荒い?)


>新情報/旧情報、既知/未知論の誤り

興味深いのは「は」と「が」の違いに関心を持つことは珍しくなく、さらに既知/未知の視点で分類する事例があるということです。それが誤り、または1つの局所的な認識でしかないことをアスナロウさんの回答から教えていただきました


>助詞は話者の主観の直接の表現で、格助詞「が」は個別性の判断、副助詞「は」は特殊性、普遍性の判断

助詞は話者の主観であること
格助詞「が」…個別性 副助詞「は」…特殊性・普遍性
という分類・表現はこれまでの回答で初出であり、2者を整理したい私にとっては貴重なです

> 花が咲くは、眼前の個別の花を表し~こうした個別の対象、事象の経験が重なり
> 花は咲くの場合、~副助詞と、~係助詞の二種類があり

「眼前の」については(私は)腑に落ちませんが、個別・特殊・普遍は分かり易いです。


以降の【 】で説明された事例はとても分かり易いです。(民法の事例がとくに興味深い)
特殊性と普遍性の違いは分かりましたが【が】のもつ“個別性”はまだ理解が難しい…(個別性と特殊性が混乱します)


>>「が」と「は」は排他的な関係~~「鳥は」は主題などと言ってみても何故「が」と「は」が排他的であるのかを説明することは不可能
>> 未だに主語と主題の相違の議論に終始しているのが現状
>> 「カキ料理は広島が本場だ」構文

難しい…けれど奥が深く興味深いです。

言葉の機能は後付けのもので人間の情意こそが根元にあること、”分類”することは否定されることではないが分類を持って全てを整理しようということは危険である、という思いにかられました。少し言葉に敏感になり、失礼な内容も含まれていてすみません。ですが、貴重な回答をありがとうございました。

お礼日時:2025/02/05 02:36

補足をみて思いました。


使う状況次第で与える印象は違ってくるようですね。

新たに気付いたのは、花自身のチカラ、或いは意思で咲いている様な感じを表現したい時と、ただ結果的に咲いている事を伝える場合との使い分けが出来そうだと。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

花自身の意思の有無という視点も面白いですね。

お礼日時:2025/02/05 01:53

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A