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現実の
泥にもまれる
男の美
誇れるのは
つよさなりけり



くもりなき
心のつきを
さきたてて
この世のやみを
てらしてぞいく

この2つ

どちらが上手いと思いますか?

質問者からの補足コメント

  • 現実のと載せたのは、櫻木健古さんの「度胸がつく本」ってタイトルの本からの引用です。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/02/07 14:22
  • LLMくんてだれですか?

    No.11の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/02/18 13:17

A 回答 (11件中1~10件)

57577は基本の定型ですが、それで無ければならないと言うものではありません。

57587でも良いし、31音で流れが良ければそれで良い場合もあり、また、破調と言って大きく崩しながらも短歌の体を保つものもあります。短歌は意外と自由な詩形なのです。

大まかに言って大事なのは、音、流れ、意味です。57577を守っていても、流れがぶつ切りだと歌としては良くありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2025/02/13 12:16

No.1へのコメントについて



> それより、おもしろみのある詩作る自信ありますか?

詩の良し悪しが分からんからって、無理に評価しようとなさらなくたって良いんじゃないですかね。
ところで、辞世には、どこかで聞いたような死生観をもっともらしく述べて悟り切った風を装う、つまりカッコつけてるだけのものが多い中で、この作は未練がましく何かビジョンを主張しているっぽい、という意味での面白さはありましょう。しかし、背景・文脈から切り離した単独の詩としては、まるで不出来ですね。LLMくんだってもうちっとましなのが書けそうに思います。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なにせ、司馬遼太郎さんの本より、「歌が上手いのは仕事が出来る」という1文から来てる物で。

お礼日時:2025/02/15 04:59

白と黒だけじゃ世界は光れない哀しみが照らす月もあるのさ



星に由来してもう一つ歌いました。貴方に贈ります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。失礼ながら、57577になってないですよね?

お礼日時:2025/02/13 05:44

両方とも、歌のように生きたいと言う理想を表現しているのだと思います。

歌としては明言しすぎて詩情に乏しい上に、哲学としても聖性に振り切れず人間臭さが残っているように思います。ただ、歌に選んだ題材としては後者の方が優れていると思います。何故なら、泥や男よりも、月の方が詩情があるからです。そして、元の歌が、下記の方が言う通り「曇りなき 心の月を 先立てて 浮世の闇を 照らしてぞ行く」であるなら、これは歌として成立しています。浮世の闇に浮かぶ月、伊達政宗の兜飾りのモチーフのようで、彼の意志が感じられますね。漢字の多くを平仮名表記にされているので、元の歌がかなり歪められてしまっています。浮世は憂き世とかけられています。憂は曇を連想させます。闇にかかる叢雲と月の組み合わせ、それでも切っ先高く輝こうとする三日月の飾りを兜につけて、世(夜)を啓こうとする意志が感じられます。良い歌ですね。

もし私が月をモチーフにするなら、次のような歌になります。

  黄昏に月星並び見上げてさ君と呼び合う名前がうれしい 

現代ではこんな感じですね。黄昏時には、月と金星以外の星はほとんど見えません。この二つの明かりを君と私に見立てて、黄昏(誰ぞ彼は、人影が判別できない宵闇)において、隣り合って名前を呼び合う嬉しさを短歌にしました。
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この回答へのお礼

回答どうも。やはり伊達政宗の名出したら、やはりそちらを誉めますね。

ちなみに前者のは、私、俺、僕、に因って出来た短歌です。
で、歌のように生きたいと願って出来たという覚えはあるのと除きたい部分もあるできなので、厳然たる物の道理で出来たと判断してください。

もう21年も前に作ったというより、当時出来た短歌です。57577にきっちりなってませんが。

作ったということならば、

わらいめし
いつになったら
つくるんだ
わらいめしにて
わらえるごはん

です。

trigger noteさんの月を題材にした短歌は、さぞかし兄弟姉妹が居る育ちなんでしょうね。
が、星の意味に犯人の意味が辞書できっちりなってるの知らないようですね。
僕、とある罰金刑起こし、年数たって、30歳の時知れました。
ドラマでやってるのはフィクションじゃない。演じてるのはフィクションですが。それと、月はやはり確か惑星だったか、衛星だったかですね恒星もありますが、そこまでの学習きっちり覚えになってません。

僕のは、一人っ子育ちなので、やっぱりというか、一人でもできることですね。

お礼日時:2025/02/07 13:16

引用の方法が不適切ですね。

なぜ作者を明示しない?
桑原武夫は「第二芸術論」で、大家の(作品の中では有名じゃない)句と、無名の人の佳作とを混ぜて見せた。そうすると、区別が付かないのだ。俳句や和歌のようにあまりにも短い詩は、作者が分かってるならそれも付記しないと、実際問題、解釈できない。
大学などでは、レポートや小論を書くときに引用の所作を習うでしょう。質問者さんは、そんな知的訓練を受けたことがないと見える。

曇りなき 心の月を 先立てて 浮世の闇を 照らしてぞ行く

伊達政宗の辞世の句である。質問者さんは、勝手に「浮世」を「この世」に変えている。なるほど浮世はこの世という意味だが、「この世の闇を照らす」では、必殺仕事人みたいで通俗的だ。
浮世は「憂き世」とも書き、ぷかぷか浮かんでるような定めのない世の中、憂(うれ)いの多い世の中という意味もある。その闇を、月の弱い光で照らす。満月ならまだしも、新月や三日月なら、暗くて照らせない。

このように、浮世や月は儚(はかな)さがある。それを勝手に「この世」と変えたら、台無しです。
最強の武人だった政宗が、明鏡止水の心境、それを明かりとして闇の乱世を歩んできた、と歌った。と同時に、死にゆく者のはかなさも示した。うまい。
質問者さんの質問の仕方はまずい。
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この回答へのお礼

回答ありがとう。

レポート、もう覚えないななりまし。先に述べた通り、哲学の講義があったのは覚えてます。僕が講義受けてましたから。

レポートに引用の所作?覚えないです。

小論に関しては、書かずに中退しましたので。


伊達政宗の名出したら、さぞかし褒める人ばかりだろうと察し、載せませんでした。あしからず。

お礼日時:2025/02/03 19:18

#5



>ただ、奥深さは、見いだせるのでは?

うーん、すでに回答でも少し触れましたが稚拙で自己陶酔的な表現しか見られないので文学的にはありかもしれないですけど、哲学的にどうかといわれれば「浅薄」さしか感じません
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この回答へのお礼

回答ありがとう。

詩は哲学的なのが王道なんですか?

お礼日時:2025/02/16 06:50

> 哲学的じゃないなら、どの分野では評価できるほどですか?



普通は文学じゃないですかね?
文学は多少稚拙だったり散漫だったりしてもそれを個性的な表現力と言い張ることができます。一方哲学の場合表現ではなく本質を深読みするので表層的な表現テクニックはあまり考慮されません。哲学的なうまさとは真理を探求しているかどうかにつきます。あなたの短歌(?)にはそれが感じられませんでした
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この回答へのお礼

私、文系の大学入学、在籍してました、で、哲学、必修科目か何かでした。

で、その当時、哲学の意味辞書にてきっちり、知れませんでしたが、30歳のとき、中学生のときに買わされた、辞書の1冊で、哲学の意味やっと調べることが出来まして、「奥深い道理」と載ってました。

この2つの短歌、確かに、真理を追求した物ではないですね。

ただ、奥深さは、見いだせるのでは?

ちなみに、前者は私が26歳の時に出来た短歌です。

お礼日時:2025/02/03 13:02

私もどんぐりの背比べという意見に同感です。



昔の人が詠んだ短歌でも名作(俳句でも川柳でもないので名「句」ではありません)とは限らず、下手なものは下手です。
たぶん文学者でなく、歴史上の偉人が詠んだものかと推測されます。
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どんぐりの背比べも良いところですね。



なぜ5行に分けて書いているのですか?
短歌や俳句は一行詩です。意図があって行を分けているとするなら、この詩における改行の意図とはなんでしょうか。

一つ目の歌について、
「現実の」って必要でしょうか。何も言わなきゃ泥は現実の泥ですよ。
下の句が七七になっておらず、六七と寸詰まりの印象を受けます。
「なりけり」としていますが、「けり」の意味を考えず雰囲気で付けている感がぬぐえません。泥にもまれる男を見て、誇れるものが強さであると初めて気がついた、というのはあまり共感を呼ばないと考えます。

二つ目の歌について、
「心のつき」とは何でしょう。月?(運の)ツキ?
「さきたてて」とは何でしょう。「さきたてる」という動詞は辞書にも載っていません。
なにか気の利いたことを言いたげだなとは感じますが、重厚な物言いの割に曖昧でふんわりとした内容なので困惑を覚えて終わってしまいます。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

改行の意図は、読みやすさです。

辞書は辞書でも古語辞典は読まれたでしょうか?

というとおおよそわかるでしょうから、載せますが、後者の方、現代の人が詠まれた短歌じゃないです。
つきは、月です。

で、名前を出さず、どんぐりの背比べと評されたので、名君と同じと判断出来るになりました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2025/02/02 18:07

哲学的にはどちらも評価できるほどのうまさを感じません

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。哲学的じゃないなら、どの分野では評価できるほどですか?

お礼日時:2025/02/02 17:02

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