電子書籍の厳選無料作品が豊富!

「南紀」とかの名前が付いた頃にはEF58も入って来ましたが、ED60、EF52の時代はどうしていたのでしょうか。特に上り列車は和歌山から入れていたのでは暖まるのは白浜を過ぎてからになり、寝台車で寝られるどころではありません。
といってそんな遅い時期まで雄ノ山トンネルを暖房車が煙で充満させていたという光景も想像しにくいです。
自分だったらDF50を天王寺まで連れてきて次位に連結しますが、まあそれはやってないでしょう。

EF58の配備はもっと早かったのかも知れませんが、少なくともEF61を製作した時代ではないでしょうし、その頃だったら昼行のPC急行だって有ったでしょうからなおさらだったと思われます。

A 回答 (4件)

おはようございます。



阪和線区間では暖房車を連結していました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ED60が阪和線で重宝されていたのは、車体長が短いので暖房車を連結しても編成長を抑えやすく、客車を増やしやすかった。
軸重が重い欠点があったED60ですが、阪和線は元々阪和電気鉄道時代に重量級の車両で高速運転志向があったので、路盤が強固だった。

そんな理由があります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

DF50は蒸気暖房を装備しているので、紀勢本線区間では機関車のみで。

南海線からの乗り入れ客車ですが、蒸気暖房だけでなく電気暖房を設けてありました。
南海線内で電車にけん引されている時は給電のジャンパー線を繋げて、電車から電気の供給を受けていました。
    • good
    • 1

南海直通車両があった頃は南海線内は電車けん引だったから、こちらは和歌山まで暖房は無し

    • good
    • 0

暖房車ですね。


暖房車は機関車と違って蒸気の消費量を一定に出来ますから機関車のような黒煙にはなりません。
阪和線のようにトンネルが限られた線区なら尚更ですねトンネルに入る前に東站を控えれば良い。
中央本線のようにトンネル連続区間でも暖房車を試用していたのですからね。

>自分だったらDF50を天王寺まで連れてきて次位に連結しますが、
お子様で解らないのでしょうがDLに余裕はありませんね。
    • good
    • 0

Wikipedia に記載されていないか?

    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


おすすめ情報

このQ&Aを見た人がよく見るQ&A