例えば、テロの報復や死刑に対する反対意見など、これに限らず何でもいいんですが、ある事柄について話し合っている時、意見の食い違いが出ると、こういう風に言う人がよくいますよね。

「もし、我が身に降りかかったら、そんな事は言えないと思う。」
「もし、自分の家族が巻き込まれても、今と同じ意見を本当に言えるか?」
「他人事だと思って言ってないか? 」

ある事柄について意見する時に、自分の身に降りかかった事を常に念頭において話さないといけないんでしょうか?
それだとどうしても感情的になって公平な見方が出来なくなってしまうと思うんですが。
確かに自分の身に起きた事として考えると、自分の意見もまた変わってくるのかも知れないけど、それとは別の理屈で意見するのは、批難される事なんでしょうか?
常に自分が被害者だったらという側面から考えてると、とても冷静な判断は出来ないと思うのですが。
議論するからには一般論で話すべきだと思うんです。
それともこんな僕は冷酷なんでしょうか・・。
皆さんはどう思いますか?

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A 回答 (11件中11~11件)

わたしもあなたの言う通りだと思います。



>「もし、我が身に降りかかったら、そんな事は言えないと思う。」
という理屈に従うなら、真理を言えるのは当の被害者しかいないということになりますね。

例えば似たようなのでよく聞くのは、「差別は、差別された者にしかわからない」というやつです。
この論がまかり通ると、結局世の中には「差別者」と「被差別者」の2者しかいないことになりますし、この2者の区別以外に個々の存在は無意味となってしまいます。これではいつまで経っても問題を全体化・共有化させることはできないでしょう。

今度のテロでも、確かに多くの犠牲が出ました。でも、それによる被害を受けた人と受けていない人を、どこで線引きするのでしょう。中には日本人の犠牲者もいましたし、友人を失った人、テロにより海外挙式を止めた人、テロによって不況にますます拍車がかかり被害を受けた人もいるでしょう。
その被害の程度はさまざまですが、少なくとも私たちは最小限の被害に済んでいるがために、この事件を冷静に判断することができます。
もちろん、無責任な物言いや偏見によるものは慎まねばなりません。しかし、被害の大きさによって、議論や意見の自由が阻まれることなどあってはならないことだと思います。
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