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信心深い人も世の中にはいるから神に祈ると願い事が叶ったりする事もあるのかも知れないですか?

A 回答 (8件)

まあ、お寺や神社も火事で全焼したりしているので、そんなもんはないと思いますね。

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宗教を持ってる人や、神様を信じてる人は、お祈りすることで気持ちが落ち着いたり前向きになれて、上手くいくことはあるんじゃないかな…♪

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都合よく叶えてはくれません。


願いがあってもそれに対して本人の努力を見た時に何かしらのキッカケくらいはくれるかもしれません。

何にせよ本人の諦めない努力が大事です。
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有る場所で願い事をしたら(嫌いな上司を何とかして欲しい)次の日仕事に行ったら、その上司に電話が入り、「今からですか?なぜ焼き肉に移動何ですか?」と話していて居なくなりました。

まさかと思ったので、次娘を連れて行ったら、帰る道で娘の車が動かなくなり知り合いの車やに頼んで新しい車を買ってやりました。娘は新車が欲しいと願ったそうです。帰る道で叶うとは思わなかった。と行ってました。その場所は単に観光で訪れただけで、信心深くもないです。
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宗教は否定しないですが、それでも、結局努力だと思います。

それと、その努力に耐えうる工夫だと感じます。例えば大谷翔平が寄付をする。それで、辛い練習にも耐えれると思います。役に立つという思いが可能にする。それは他に例とえるならオイルがエンジンを円滑に保つという感じです。
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人生では良いこともありますし悪いときもあります。


たまたま神に祈った時に良いことがあれば「神のご加護」と思うのですよ。

他の方のご回答で日蓮の書いた「立正安国論」を引用されていらっしゃいますが、立正安国論のポイントは「静謐を祈る」ことではありません。

立正安国論の内容は「このまま浄土宗などを放置すれば災害や天変地異、天体運行の乱れなどが起き、国内では内乱が起こり(自界叛逆難)、外国からは侵略を受けて滅ぶ(他国侵逼難)」と唱え、「邪宗への布施を止め、正法である法華経を中心(「立正」)とすれば国家も国民も安泰となる(「安国」)」というものです。

加えていえば法華経は釈迦没後数百年たってから成立したものであり、釈迦が語ったものではありません。
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願い事を叶えるためにあるのは神社さんぐらいでは・・?


信心はもっと「道徳」に近いものですよ。
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どうして「神」というものに限定されるのでしょうか??



宗教って、キチンと理解されていますか??
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