電子書籍の厳選無料作品が豊富!

侘び寂びの文化が流行った時代にですね…なんで「酒道」みたいな芸事は確立しなかったんでしょうか?

日本酒は素晴らしい文化だと思います。なのにお茶を飲むだけで…茶道だけで満足してしまうなんて、あまりにストイック過ぎると思いませんか?日本酒だって、器の研究にも繋げられただろうに…どう思います?

質問者からの補足コメント

  • お茶だってその時代は、高価な商品だったのではないですか?

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/02/17 19:31
  • 銀閣寺の時代に決まってるじゃないですか?

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/02/17 19:33
  • 歴史区分を特に意識してるわけではないですよ。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/02/18 09:06

A 回答 (10件)

酒は古代から神事に欠かせない文化でした。


侘び寂びの文化より遥かに昔からある神事・祭事として、節目節目に大勢で酒宴をして盛り上がる文化があったわけです。

侘び寂びの文化は、大勢で盛り上がる酒文化とは一線を画しますが、ひそやかに月や星などの自然を愛でるアクセントとしての酒の楽しみ方はあったでしょう。

とはいえ、茶は健康志向の飲食物ですが、酒は身体に害を及ぼす毒です。
神事・祭事として騒ぐには良いかもしれませんが、芸道として真摯に追及することにはあまり向かないと思われます。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2025/02/18 13:02

>歴史区分を特に意識してるわけではないですよ。



矛盾を指摘してるんです。
分からんよね!
    • good
    • 0

>銀閣寺の時代に決まってるじゃないですか?



銀閣寺の時代という時代は歴史区分には無いよ!
勝手に作らんといてwww
この回答への補足あり
    • good
    • 0

日本酒との付き合いは万葉の頃在り、日本文化に深く浸透してます。


日本文化は酒抜きでは語れないと思いますが。
    • good
    • 0

今の様に娯楽が溢れてる時代とは違い、娯楽と言えば酒盛で盛り上がるくらいしか無かった時代です。


芸事と言う発想はなかったと思います。

時代が下って明治期。
税収入の一番多かったのは酒税です。
時代が下った明治期でさえも娯楽と言えば酒盛だったからです。
    • good
    • 0

美味しい日本酒が造れるようになったのは、茶道がメジャーになったかなり後の時代のことですから。

タイミングの問題。

吉宗さんの時、米価の調整を、日本酒の製造量でしています。米が安いときに、お酒造りを多くし、米が高いときは、お酒造りを控えると。ご飯を重視して、お酒は二の次、軽く見られてます。
    • good
    • 1

「詫び寂び」とは「詫び暮らし、寂び暮らし」つまり貧乏暮らしなのです。


酒なんか飲む余裕はない!
 
ついでに言えば一茶の茶道が、わびさびを目指していたのに、秀吉は究極の逆、黄金の茶室、茶釜を作った。合うわけがない。
この回答への補足あり
    • good
    • 1

酔い、酩酊するものが何故芸事にする必要があるの?



作法はありますが、芸事にする必要せいを感じません。
    • good
    • 0

誰がどこで入れようが変わらんし


へべれけになって収拾つかんのでしょう。

ま、日本酒だけが清酒でもないし
三々九度のような盃を交わす儀式がまったく無いわけではありません。
    • good
    • 0

侘び寂びの文化が流行った時代?


いつのことですか?
この回答への補足あり
    • good
    • 2

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


おすすめ情報

このQ&Aを見た人がよく見るQ&A