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陸軍大学校に入ることを目指した人達って極右だったのですか?

A 回答 (4件)

いいえ。

当時の陸軍士官のうちの優秀なものが入校できる幹部養成学校です。右翼左翼に関わらず出世を目指す将校が入るところですね。
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陸大入校は右翼左翼で計る話ではありません。



そもそも陸軍大学校とは、将来の高級指揮官や参謀として、小部隊戦術を超えた師団・(軍団)・軍やそれ以上の単位での作戦・指揮統制を研究し学ぶところでした。士官学校では『作戦要務令』を学びますが、これは師団長の決心の下で小隊長・中隊長・大隊長として軍事行動を行うための教科書です。
陸軍大学ではこれが『統帥綱領』になります。師団が連合した軍(諸外国では軍団)での作戦、外地での作戦・兵站、他国軍との共同作戦などについて研究することになります。

陸大を出た場合、慣例では大佐進級がおおよそ保証されます。将官の9割以上は陸大卒業者か、技術将校(陸軍砲工学校優等生や東京帝大への派遣学生の経歴を持つ砲兵科・工兵科将校)で占められていました。

そもそもが、戦前の日本は現代よりもはるかに格差の開いた社会でした。また、エリートコースの典型たる旧制中学校→旧制高校→帝国大学は相応に学費がかかりました。
このため、授業料がかからず、かつ卒業して少尉に任官すると即高等官(現在で言えば国家公務員二種)の海軍兵学校・陸軍士官学校は人気の進学先でした。こうした士官学校志願者が全て当時から見てすら右翼だったとは到底言えません。

陸軍大学校進学者を出すことは連隊の名誉でもあり、士官学校での成績が優秀な少尉は連隊旗手や連隊副官として受験勉強に専念させることも多かったとされます。現代の進学校に無理やり置き換えると、入試の成績がトップだった生徒を東大理三へ送り込むべく、学校側が全面的にバックアップするようなものです。

ちなみに陸軍最大の不祥事たる二二六事件で騒ぎの中心となった歩兵第一連隊・第三連隊の若手将校たちのうち、陸大入校者は村中孝次くらいです。いわゆる皇道派青年将校たちは陸大入校を嫌っており、いわゆる右翼的な思想を持つ将校は陸大に入校しない傾向があったとされます(村中のように、連隊の名誉になる、自身も陸軍将校だった親や親戚の強い意向、などにより陸大入校を果たした人もいた模様)
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藪から棒だけど旧日本軍の話かな?



その論理から言うと、旧軍の高級将校は皆極右思想の人達ってことになるんじゃないかと思うが
実際にはそんなことはなかったので、そうすると君の推論が間違っているってことになるんだろうね
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戦前の日本で陸軍大学校を目指す人々は、基本的にエリート軍人であり、必ずしも極右思想を持っていたわけではありません。



陸軍大学校は、陸軍の中枢を担う人材を育成するための最高学府でした。入学するためには、陸軍士官学校を優秀な成績で卒業し、さらに難関の試験を突破する必要がありました。そのため、陸軍大学校に入学すること自体が非常に名誉なことであり、将来の出世コースに乗ることを意味していました。

もちろん、当時の日本は軍国主義的な風潮が強く、陸軍内部にも右翼的な思想を持つ軍人は存在しました。しかし、陸軍大学校の入学者全員が極右思想を持っていたわけではありません。彼らの中には、純粋に軍人としての能力を高め、国のために尽くしたいという思いを持つ者も多くいました。

右翼思想と一口に言っても、様々な考え方があります。天皇中心主義的な国家観を持つ者もいれば、対外強硬論を唱える者もいました。陸軍大学校の入学者の中にも、こうした様々な思想を持つ者がいたと考えられます。

したがって、「陸軍大学校に入ることを目指した人達=極右」という図式は成り立ちません。彼らはエリート軍人であり、その思想は多様であったと考えるのが自然です。
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