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日本は江戸時代には、西洋国とはオランダとだけ貿易していましたよね。オランダはキリスト教布教よりも貿易を優先していましたので。
長崎の出島にはオランダ商館長カピタンもいましたし、オランダ人貿易商やオランダ人船員などが来ていたそうです。
日蘭貿易はおよそ200年以上も続いたと。

オランダ人は幕府命令で厳しく監視されてて、長崎出島にオランダ人は押し込まれていて自由がなく息苦しかったという手記も残っているとか。 長崎の街に出るのも一苦労だったとか、許可が必要で。

でも、時代が流れていくと江戸時代の中期や後期の頃には、規制や監視が有名無実化していってて、出島のオランダ人は気軽に長崎の街に観光に出れたし。
それどころか、かなり気軽に大阪や京都の町にまで足を延ばして、観光や個人的商売を楽しめていたとか?
オランダ人が気軽に大阪や京都の町を観光している様子が、絵画や屏風に描かれて残っているとも。

どうなんでしょう、これってホントな話なんですかね? 日蘭貿易中途中からは、オランダ人は気軽に大阪や京都にも訪れていたのか。
行っていたとしたら、陸路かなあ? それとも海路で大坂の港まで行っていたのか?

日蘭貿易に興味ある人など、皆さんからのいろんな回答を待っていますね。

A 回答 (2件)

「日本誌」を著わしたケンベルを始め、将軍の謁見のために江戸に出向いた人やその通訳などが何人かいます。


https://www.ndl.go.jp/nichiran/s2/s2_1.html
 入国の窓口が長崎で、陸路で将軍のいる江戸に移動してますから途中の大阪や京都も通過し、さまざまなものを見聞しているようですよ。ただし、あくまでも街道沿いの地域をみているだけ。
 ただ、日本政府の許可を取って日本国内を旅行できるようになったのは明治政府になってからだそうですよ。
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この回答へのお礼

Thank you

江戸に向かう途中の大阪や京都も通過して、様々なものを見分していましたか。
あくまで街道沿いのようですけれど、回答ありがとです。

お礼日時:2025/03/22 15:40

江戸時代にはオランダ人 やオランダに雇われたヨーロッパ人が日本に来ています


三浦按針(イギリス人)をはじめ500人の外国人の名前が分かっています
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この回答へのお礼

ありがとう

500人もの外国人の名前がわかっているんですね、回答ありがとです。

お礼日時:2025/03/22 15:40

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