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ビザンツ帝国はローマ帝国から大きく変貌しているため、ローマ帝国とは別物と考える意見が結構強いですがピンときません。
そもそもローマ帝国自体が王政時代からコロコロ政治形態を変えてましたよね?
また他にも「キリスト教の国教化によってもはやローマじゃなくなってしまった」と言うようにも言われまくってますよね?
しかしこのキリスト教国となったのも先述の変化の一部に感じますし、何故このキリスト教国となっていった事がここまで言われるのか分かりません。

最後にローマを持っていないからローマじゃないと言うのはある程度理解できます。   
しかし一般的にビザンツ帝国と言われる時代の初め頃はすでにローマ市の重要性は下がっていたように感じるので、完全に納得できないです。

上記の理由からビザンツ帝国はローマ帝国そのものに思いますし、キリスト教ローマ帝国か渡辺金一氏が提唱したように中世ローマ帝国と呼ぶべきに感じます。

皆様はどう思いますか?

A 回答 (4件)

ローマ帝国は、東西に分裂して、その後、キリスト教も分裂して、


カソリック教会と東方正教会に成りました。
本家云々は歴史学者の売名行為と印税稼ぎなので、どっちゃでも宜しいの
では。
5代皇帝のネロが亡くなって、皇統は途絶えて、力の有る軍政管が
皇帝に成った時点でローマ帝国滅亡の見方も出来ますよね。
元老院は自分達が所有する財産を守れれば皇帝は誰でも良かった
のですから。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2025/04/09 23:18

ローマとはラテン人を祖とするローマ人によって運営された国家である。


ローマ市民権の解放的な性質によりローマ人の内実は時代とともに変遷してゆくが、「俺はローマ人だ」という人間によって運営されたことは変わりない。
しかしビザンチン帝国は実質、ローマ人とは生き方も価値観も異なるギリシャ人が支配した国家である。

ローマを持っていないことは実に重要である。
ローマとは「都市国家ローマを盟主とする共同体」だからである。
ローマを失えばもはやその国はローマではない。
現代のような国家ではない。

カエサルは首都機能を持つローマを手中にすることによって、当初劣勢だった対ポンペイウスの戦況を逆転させた。
オクタヴィアヌス時代のアウグストゥスも、アントニウスとの戦いにおいてはローマを手中にした利を存分に生かした。
末期の西ローマは皇帝の居所をラヴェンナに移したが、元老院はローマに居続けた。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2025/04/09 23:18

ビザンツ帝国こそ本来のローマ帝国でしょう。



ただ、現代の日本の世界史は、西欧史観に基づいた世界史になっています。

西欧史観でいえば、西欧は、早々に滅亡した西ローマ帝国の後継となった神聖ローマ帝国の継承者です。フランク国王カール1世とローマ教皇レオ3世がビザンツ帝国(東ローマ帝国)と東方教会の権威に対抗するためにでっちあでた形式上の帝国を神聖ローマ帝国と称したわけです。

ビザンツ帝国よりも神聖ローマ帝国を上位に見せたかったのは、あくまでも西欧史観ですが、それは近世世界の覇者が英国であり、現代世界の覇者が西欧移民が中核となって建国された米国であることと無関係ではないでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2025/04/09 23:18

王政時代や共和制時代のローマは


帝政ローマとは呼ばないと思いますが
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2025/04/09 23:18

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