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【日本史】豊臣秀吉の時代の大阪城の城下町は現在の大阪城の西側の北浜エリアより大阪城の北側の関目エリアの方が偉い人たちが住んでいた高級住宅街だったのでしょうか?関目エリアの方が1区画が大きいことに気付きました。西側の北浜エリアは1区画が綺麗に将棋の升掛線になってますが小さい区画で商人が住んでいたのかなと思いました。

A 回答 (2件)

補足


豊臣時代の大名や市区についての論文です。
https://www.osakamushis.jp/education/publication …

正確に言うと、大坂城の西側の低湿地は、豊臣政権末期から町人居住地として開発が始まり、江戸時代の「大坂の城下町」といえば大坂城西側で、大名の蔵屋敷なども建ちました。城の東側は低湿地として未開発のままだったので、明治になって軍用地として利用されて、練兵場や兵工廠が置かれました。市街地化するのは戦後です。
https://www.toyotomi-ishigaki.com/hideyoshi/1609 …
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大坂城は上町台地の北端に建設されました。


大名屋敷や城下町も上町台地に作られています。
現在大阪城の東側と西側は湿地帯でした。その辺りが市街地化するのは明治以降です。
「【日本史】豊臣秀吉の時代の大阪城の城下町」の回答画像1
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この回答へのお礼

みんなありがとうございます

お礼日時:2025/04/03 13:51

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