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TVや映画で時代劇を見ていて、江戸時代に行ってみたいな、なんて思ったりします。
その一方で
「現代とは何もかも違う江戸時代では、庶民が生活を維持していくのはかなり難しかったろうな」
とも思います。
医療、教育、福祉、人権保護などは現代とはまるで違うでしょう。

江戸時代には北町奉行、南町奉行、火消し盗賊改方があったそうです。
これらの奉行の仕事は現在の東京都庁や警察、裁判所、消防のような任を担っていた、と聞きます。
とりわけ北町奉行、南町奉行は激務で、激務のあまり、月ごとに交代制で開庁、閉庁とし、
開庁時には深夜まで庶民からの訴えの調査、吟味をしていて、閉庁時も同様に仕事に追われていた、とのことです。
でも今のような三権分立がしっかりしていたわけではないでしょう。
人殺しなどがあっても、大手の商家の旦那や、侍が被害者ならばそれなりに捜査もするでしょうが、庶民の名もない人が被害者になった場合は、捜査などされずに終わってしまったのではないか? と思います。
あるいはだれか適当な容疑者をでっちあげて、拷問にかけて無理やり虚偽の自白を誘導して処刑したのでは? と思います。(お茶の水の明治大学の博物館にそういう拷問用具が展示してあります ちなみにこの博物館は無料で入れます。皆さん、どうぞ 笑)

また近所同士のいざこざや、金の貸し借りなどの民事訴訟なども、袖の下(わいろ)でいくらでも裁判結果を左右できたのでは? と思います。

江戸時代の民事訴訟、刑事訴訟ってどのような内容だったのでしょうか?
ちゃんと捜査したり、吟味してもらえたのでしょうか?

A 回答 (3件)

当時は「公事」と呼ばれ、民事を含む訴訟や刑事事件について、調査、審議、判決、執行までまとめて管轄していました。


江戸の町奉行所の場合、北と南に奉行1人、与力は25人、同心は100人ずつ配置されており、月番で交代でした。内部で職掌も決まっていたので、実際にはかなり少ない人数で分担していたのです。当然それだけで回るはずもないので、同心が私費で岡っ引きを囲い込み、補助業務をさせていたのです。事件捜査は意外とちゃんと行われており、証拠主義が貫かれ、証拠を突き付けて自白をさせるのを原則としていました。拷問は、最終手段で、拷問をしなければ自白させられない担当者は「筋が悪い」と人事評価されました。当然冤罪事件もあったでしょうが、再審とか弁護士なんて制度は無いので、「犯人」は泣き寝入りです。万が一、真犯人が名乗り出ても、「御公儀の決定にイチャモンつける気か」と握りつぶされたでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

>事件捜査は意外とちゃんと行われており、証拠主義が貫かれ、証拠を突き付けて自白をさせるのを原則としていました。

当時からちゃんと証拠主義をとっていたんですね

>拷問は、最終手段で、拷問をしなければ自白させられない担当者は「筋が悪い」と人事評価されました。

なるほど。時代劇での描き方では、事件が起きると奉行所の下っ端役人が「被害者に対して恨みをもっている者が下手人に違いない」と型にはめた見立てを行い、それに従って「被害者を恨んでいた者」は証拠もなく取り調べられ、自供しなければ即拷問、即自供、即判決、というのがお定まりですが、違っていたんですね。

>当然冤罪事件もあったでしょうが、再審とか弁護士なんて制度は無いので、「犯人」は泣き寝入りです。万が一、真犯人が名乗り出ても、「御公儀の決定にイチャモンつける気か」と握りつぶされたでしょう。

冤罪事件もあったんですね。真犯人は一審目さえ逃げおおせれば後は野に放たれたんですね。
怖いので江戸時代に行くのはやめます。

お礼日時:2025/04/17 13:26

火消し盗賊改方ではなく、火付け盗賊改め方。

放火プラス凶悪な強盗専門の特捜です。
拷問に関しては、江戸中期、大岡越前のときに、町奉行の取り扱いに関しては、原則禁止。今の警察の取調べとほぼ同じレベルでやってました。のちに火盗改のみ独自の判断で、黙認。

町奉行は、月番の時は警察のように取締り。非番の時に裁判所っぽい役割。ついでに、都知事みたいな仕事もしてたようです。
 今の一課が担当するような事件は、少なかったようです。いわゆるお白州も、最初と最後は奉行がやりますか、中間の取調べは与力が代理で執務。持つべきものは優秀な部下です。

細かい御近所トラブルは、町内の年寄りが間に入って解決。奉行所に持ち込むことは、めったに有りません。若干、泣き寝入りのパターンもあったようですけど。

大規模な犯罪に関しては、町奉行や寺社奉行が合同で裁判。五社掛かりといいます。裁判官が5人いるようなものですから、全員の買収不可。天一坊事件の時、これでニセのご落胤と暴いてます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます
買収はできないんですね。

これで江戸時代に行っても安心ですね。

お礼日時:2025/04/17 12:48

面白く読ませて貰いました。


まず、いくつか訂正が必要かと。

火消し盗賊改方は消防でなく、今なら公安警察です。
重犯罪と専門とする組織です。(放火は当時は重違反罪)

奉行所は、それほど激務ではない。現在あんら1つの交番程度の仕事量です。
忙しいのは番所の十手持ちです。(時代劇の銭形平次です)
庶民のいざこざはここが取り締まるから、奉行者は町民の大きな事件しか扱えない。武士や神仏に関する事件は管轄外です。
だから、1か月勤務で1か月は休暇です。忙しからでなく、侍が余っていたから。

拷問器具の話、治安維持のため庶民を脅すため見せていた。
実際に使うことは無かった。
番所では、たとえば枕探しをした女を知り調べでは、縛り上げようとすると
女は裾を広げて抵抗、膝より上が肌蹴ることは違法な取り調べとなる。
特に女の肌の露出には注意が。それくらい取り調べは役人の方が苦労した。
ました拷問器具は、違法でしかない。
どうしても時代劇というフィクションの影響で誤解は仕方ないです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます
今も昔も放火は重大犯罪ですよね
奉行所は交番だったのですね。
だったらもっとたくさん、江戸中にあってもよさそうなものですが・・・
東京の交番の数は他の府県の比じゃありませんからね。
山手線の内側なんて、大きな四つ角に立って、どの方角に行っても1キロメートル以内に必ず交番が見つかる、というぐらい多いですもんね

拷問器具は実際は使っていなかったんですね
正座が苦手なんで、石抱責にあったら、すぐにうその自白しちゃいますよ。

お礼日時:2025/04/17 12:53

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