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このサービスも秋の初めには終わるようです。
それにあたり。
このサービス、殊に哲学カテゴリにおいて、

・貴方の本当に知りたかったこと、聞きたかった解答はどのようなものですか?

・貴方の本当に伝えたかったこと、言いたかったことは何ですか?

以上二点を質問としたいと思います。

質問者からの補足コメント

  • ks5512さんは、信仰深い方だと記憶させていただいております。

    ks5512さんの問いに、少しだけチャレンジさせてください。

    命とは何ぞや?

    私は、すみずみまで澄み渡る、代えがたい祈りのような、微かで厳かな尊さであると思います。
    私たちは有限の生を持つものですが、その人生のうちに、代えがたいもの(命)を宿して生きる、存在だと思ったのです。

    伝えたかった事。
    人間とは、「神」により人生を導かれるものではない。

    貴方らしい、これは貴方の信じるところから生まれた破格の言葉であると私は感じます。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/04/29 17:19

A 回答 (5件)

順番が違うかも知れませんが、貴方の本当に伝えたかったこと、言いたかったことは何ですか?を先に書きたいと思います。



それは人間の精神世界の奥深さとか、理解のし難さですが、それは精神科医の役割りとか、精神科医達の学びの内容と云っても良いのかも知れません。

端的に言うなら、今の精神医学では『人間の心が如何して苦しくなるのか?とか、ではどうしたら人間の心は癒されるのか?』という事に対しては明確な答えは存在していません。

処が日本にだけ存在していると云われている『禅』にはその答えが存在しています。禅には教えられる経典などは存在していないと云う事ですが、人間が抱える疑問でも苦しみであっても『その根源にまで遡ってみるなら、疑問が湧き上る時答えはその疑問の中に既に用意されている。』と云われています。

人間の一番の苦しみの一つかも知れないものの一つに、死に対しての苦しみが在ります、それは親かも知れないし自分かも知れないし、連れ合いかも知れないし、自分の子供かも知れません。

こう云った苦しみにも、苦しみの原因があります。それが『人間の心が如何して苦しくなるのか?』の仕組みです、或いはメカニズムと云っても良いのかも知れません。

この苦しみの原因を発見した人が釈迦と云う人だったようです。

釈迦の教えは『死の恐怖でさえも安楽に変える事=究極の心の癒しの心理学』の発見という訳です。禅の修行僧がその師匠に『人生とは何ぞや?』と質問をした処で答えを教える事はしません、その理由は『お前は何故そう思うのか?』と逆に質問をして終わりです。

その理由はその疑問の中にこそ、その答えが存在している事を師匠が知っているからです。

簡単な種明かしをしたいと思います。それは人間の脳内に秘密があるからです、その脳の秘密をウイキぺデアの記事で御紹介します。

是はてんかんの治療のために左脳と右脳を繋いでいる脳梁の切断を一つの治療の方法として行っていた時代の話です、沢山の脳梁が切断された人が存在していた時代の研究成果の一つです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。

この研究はこれだけで終わってしまった為に、これ以上の進歩がなかったようですが、実は良く調べた場合では、大変な発見を含んでいますその理由を書いてみたいと思います。

左脳の人格は自我意識そのものと云った者です。処が研究を進めて欲しい内容は右脳の人格に付いてです。

右脳の人格に付いての文献が無いようですが実は大変の内容が含まれています。是こそが宗教に関係しているものです。

宗教の全てに登場している者が、右脳と関係しています。

キリスト教に於いては『神』と形容しています、ユダヤ教に於いては『在りて在る者』と云っています、仏教に於いては『仏性』=『命の働き』と云っている者です。

脳卒中になった為に右脳の自分と左脳の自分とを別々に感じて、その両方の記憶を、脳卒中から回復をした後で動画で語っているものが在りますので参考のために載せてみたいと思います。



この動画が語っている内容は、自意識と右脳の意識が共に通じ合いながら、仲良く出来ていると云った内容です。

こう云った脳梁の中での出会いを『自分自身を知る』と禅とか仏教では書いています。この現象とは脳梁の中で『ホットラインが開通した事を意味します。』ニ度と仲たがいとか心同士が矛盾しなくなるという意味です。

聖書風な言い方をするなら、今までのような出番争いをする事が無くなって、神の後からついて行くと云った意味です。『神と和解する。』という意味です。

人間の根源的な苦しみを宗教とか神とか仏が救ってくれるという意味になりますが、そのメカニズムを少し説明します。

神経症とか精神病とかが存在していますが、それらは今書いた事柄、脳内の人格同士の争いを云っています。端的な言葉で云い表すなら『心の矛盾とか、心の対立とか、心の分裂』という言い方が出来ます。

例えば恐怖症ですが、高所という場合でも、対人と云う場合でも同じ原因が作用しています。それは『漠然とした不安』と云っても同じですが『右脳からの言葉に拠らない情報』を怖がっている事を意味します。

従って恐怖症の原因は『自身の命の源』との仲違いが原因です。心を病むと云った苦しみは経験をした事がない人には説明が出来ない程の苦しみが付き纏いますが、自身の命の源からの脅迫を受けていると云った程の苦しみが在ります。

宗教に縋り付くという場合では、自分の命が無くなってしまうという場合に一番身近になると思います。『ガンが相当進んでしまって余命が無くなった場合等です。』

その他にも死に対する恐怖症(タナトフォビア)も同じですが、心の中で起こっている内容は高所恐怖症とかパニック障害等での心に起きるメカニズムは同じです。

人間の心が苦しくなるという場合では、心を苦しくさせている者が存在しています、その者は命を働かせている意識という者です。或いは納期が来た場合では納期が来たことを自意識に教えている者がいるからです。

こう云った自意識に沸き上がる感情とか考えを嫌う場合とか、湧き上がらせている者そのものを嫌う場合に恐怖症と云っています。

こう云った脳内の自意識に教えている機能を嫌う場合を恐怖症とか心を病むとか神経症と呼んでいますが、今の精神医学では『原因は未だ分かっていませんが、早期治療によって早く良くなります。』と謳っている精神科医達がインターネットに存在しているようですが、原因が分からない様では根本治療が出来ない気が致しますが、本当は如何なのでしょうか?と思います。

人間の心の内部とか深層心理では、常に出番争いが在ります。自意識が出番争いで勝っている場合を上がり症とか、神経症の症状に悩まされている状態を云っています。

優勝が掛かった一打を打つような場合には特に大事になっています。自我意識が打つのか。『自分を忘れた意識が打つのか?』という意味ですが、自分を忘れた意識とは『無意識の自分の事です。』

こう云った選択を自分の心の内部では、常にやっています。こう云った心の動きを知らないで自由自在にやっている場合を健常者と云っています。

こう云った内容を『本当に伝えたかったこと、言いたかったこと』として書いていますが、殆ど伝わる事が無いようです。』残念としか言いようがありません。

という理由から『貴方の本当に知りたかったこと、聞きたかった解答はどのようなものですか?』を書いてみたいと思います。

無意識の自分は『命を働かせている意識』という者です。釈迦が仏性と云っていたものですが、命あるものは総てが持っている者です。処がこの者は道元が『自分が持っていると云うのにどうして修行をしないと自覚が出来ないのか?』と疑問を抱いたのが仏門に入るきっかけになったと云う理由だったようです。

そうして禅の修行が完成する時、自分自身を知る=見性=悟りを開くと表現するようですが、禅では『生死の問題が解決した。』とも云う様です。生きる事も死ぬ事も同列に見る見方が完成するという意味です。

心を病むとか神経症になって苦しむとかという場合では、自身の心の矛盾とか対立とか分裂を感じている事を意味します。そうして完治すると云う現象が在りますが、それはその矛盾とか対立とか分裂が解消するという意味になります。

日本の禅宗での最大の集団、曹洞宗でさえ悟りなど無いと云っている様です、座禅している姿が悟りそのものと云った主張ですが、釈迦も道元も嘘付きと主張している今の世の中では、致し方ないのかも知れませんが、心の矛盾が心を病む原因という事と、その解消が出来る時『心を病む事も完治出来る事』を説いて行きたいと思いますが、なかなか難しい課題に見えています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
昨今の精神疾患の増加にも伴い、宗教や精神医学の活動需要は高まっていますね。

仰ることは、一言で言うと精神の統合なのだと思いました。私も長く精神を患う者としては、これは根本的な課題です。

心の苦しみが解決されること、死の苦しみが解決されること、それは、人類の大きな願いですね。

それを探求のモチーフにすることは、ごく自然なことだと思います。

私は、死者の冥福を祈る様なこころが、自分をも安らぐのではないかと、今は思っています。

お礼日時:2025/05/06 14:10

文明の根となるもの、それは世界のあるいは物事の根本をどこに置くかというものであると思います。



かつては宗教がそれを提示し、人々は信じていましたが、近代に至り科学が発達すると、人々は宗教を信じなくなり、科学的なものにそれを求めるようになり、現代に至っていると。

しかし、少なくとも現代の科学はそれを人々に提示することはできていません。科学の範疇ではないからです。
出来ているのは、「それは神ではない」という否定のみでしょう。現代は「否定」で成り立っている文明と言えると思います。

私の考えでは、それは(色んな言い方ができるでしょうけど)

・生命・人間が一番尊いものであること
・人間が考え出した諸概念、宗教・国家・企業・学問などが人間の上になってはいけないということ
・人間の中に特別な存在を作ってはいけないということー平等
・人間の自由を奪ってはいけないということ
・他者を苦しめてはならないということ

つまり「人間主義」と言えると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
分かりやすい説明の中に、否定しがたい一貫性のあるのを感じました。
私もおおむね同意します。

過去、宗教の時代には宗教の方が人間を従えてしまうこともありました。
現代、科学の時代には、答えのない虚無を人は抱えてしまいます。

この人間主義の為す答えは、一言で言うなら、愛と言うものなのでしょうね。

何故ならそれは人間が自ら発露できるもので、知性と両輪を為す、いや、知性よりも根底にあるべき、生きる意味と力の源泉であろうからです。

お礼日時:2025/05/05 10:13

若い頃は、学問というものに興味がなく、全く勉強をしませんでしたが、大人になって特に哲学に興味が出てきて、今では数学や物理学にも興味が出てきました。

もっと早くに、と思っても後の祭りですが。

何故興味が出てきたかと言えば、学問というものがほとんどが象牙の塔の住人の飾り物、あるいは商売の具になっていて、一般大衆の生活に役に立っていないから、それを何とかできないものかということでした。自分なりに学んで生活・社会の中に刷り込もうということでした。

ですから、哲学を観念の世界のものに止まらせるような立場には批判的です。
このカテである人に「学問は社会や人々の為にあるのですよね?」と言ったときに「よく言うよ」と言われたことがあります。

現在の文明は宗教中心から科学中心のモノに変遷し、進んでいるわけですが、宗教中心の文化というものは精神中心と言えると思います。しかし、それを否定し排除したために、いきなり科学中心の文明になったため、「根のない文明」だと思います。
その文明の根を考えることが、「哲学する」ということで、それを求めたかったのです。
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この回答へのお礼

スターバーストさん

ありがとうございます。
後の祭りなんてことはないですよ。
私は貴方の見解、学問は社会や人々のためにある、と言うことは、道徳的に良いことだと思います。学者の中には、自分の興味で学問を決定的に進めてしまう人もいますが、それが人々のためにならなければ、むしろその知見は危険を孕んでしまいかねません。モラルは必要です。

根のない文明の根を考えること、それが哲学であるとのこと、これは、社会や人々の精神的支柱を求める運動と私は理解しました。

貴方は世のため人のために、この哲学カテで求め続けたのですね。立派なことだと思います。

世の人々は欲するところがあり、それは高尚なものから様々な欲望まで幅がとても広くあると思います。

スターバーストさんの求めるところ、根のない文明の根となるべきものとは一体何だと考えられていますか?

よろしければ教えてください。

お礼日時:2025/04/29 17:13

・貴方の本当に知りたかったこと、


聞きたかった解答はどのようなものですか?
  ↑
書物にはない、ユニークな回答。



・貴方の本当に伝えたかったこと、
言いたかったことは何ですか?
  ↑
常に勉強し続けること。
高みに登れば、新しい景色が見えてくる
かもしれない。
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この回答へのお礼

ああ、良いですね。私の知るtanzouさんらしい学びの姿勢が感じられます。
私は幾度も名前を変えて来たので、他の方からはもはや誰だか分からなくなってしまいましたが、tanzouさんは同じアカウントで長いですね。
ムキムキ空手家の硬派のイメージですが、女性も好きそうな?印象を何故か持って居ます(笑)

お礼日時:2025/04/27 20:02

・貴方の本当に知りたかったこと、聞きたかった解答はどのようなものですか?



命とは何ぞや?


・貴方の本当に伝えたかったこと、言いたかったことは何ですか?

人間とは、「神」により人生を導かれるものではない。


◆良くbragelloneさんとは、そうしたやり取りをしたものです。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ブラジェロンさん、懐かしいですね。
少なからぬ時間を過ごしたこのサービスには思い出が多いですね。
真剣に問答をしたことも熱が入ったこともありましたね。

ありがとうございます。

お礼日時:2025/04/27 19:58

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