重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

電子書籍の厳選無料作品が豊富!

お菓子など食べ物を人に分け与えず1人で食べる人と、それを「分けて」「ちょうだい」と貰いたが人。

どちらが意地汚くて意地悪?

A 回答 (5件)

人が食べてると「分けて/ちょうだい」といって貰って食べてるけど、自分が食べてる時に「分けて/ちょうだい」と言われると「嫌〜」という人です



漫画みたいだけど、実際います
    • good
    • 0

他人の物を欲しがるのは良くないとされています。



以下は長いので、興味があればお読みください。

●悪の根源こそ「他人の物を欲しがる心理」

嫉妬や逆恨み、八つ当たり、自己肯定感の低下、そして犯罪。全ての源泉は他人の物を欲しがる心理から生まれています。ですので「分けて欲しいと訴える人」は、断られても仕方ないですし、分ける事を強制するという発想は悪の思想です。これらが蔓延した国は大概において滅びています。

●幸福は分けることは出来ますが貰うことは出来ません

幸福であるためには「持続可能である」という保証が必要です。その場しのぎで解決できても、次が無ければ不安になりますよね。なので幸福が根付かない場所は「その場しのぎ」ばかりなんですよ。

「政府を脅したらバラマキしてもらえた。こんなことが在る
 なんて思わなかった。みんなも一緒に自民党を攻撃しよう。
 懲らしめれば、どこかで、またばらまいて貰える。働かない
 で済むかもしれないぞ?」

●国家が率先して国民を不幸にしている

ただで何かがもらえる。こんな事を覚えさせたら、その人の人生は歪んでしまいます。政府が率先して弱者を誘惑していたら、何とかなる物も何とかならなくなりますよ。

「誰かを不幸にしたければ、簡単だ。『今回限り』と言って
 甘やかせばいい。その人の運命はそれで詰んだも同然だ」

●昔から他人を潰す方法として「施し」が使われた

ライバルを消すためには、「今回限り」と言って無償で助ければいいんです。これは穏便な淘汰の方法です。昔からよく知られています。助けられた人は恩を返そうとせずに、必ず次の助けを求めます。そして見苦しく求める姿を他人にさらすでしょう。この段階で「排除したい人」と他の人の目に映るようになります。本人は分かってないでしょう。そうなれば、その人は助かりません。これが手を汚さずに、誰かを消す方法です。この「今回限りの
親切」という猛毒を「甘やかす」と言います。

●貧乏人を嫌う人ほど、無償の施しをする

気が付いて欲しいのは、リベラル思想(皆に優しくして、平等を訴える)をを展開したのは、米国の富裕層だということです。この人たちが貧乏な方々を好きなわけがないですよ(これは経験上知っています)。単に彼らは「ただで貰える」という感覚を弱者に覚えさせて「自滅するように仕向けた」だけです。

「一度、自分の権利だと思うと、弱者ほどその発想を捨て
 きれない。その権利を過剰に主張するように成り、否定
 されることが生命にかかわると感じる様になる」

●淘汰されつつある状態では?

甘やかされた弱者は、過剰に権利主張をしだすでしょう。その姿勢が傲慢に映るため、中立でいた人々も反発しだします。こうなると弱者を守るべきではないという主張を大勢の人が言い出します。こうしむける事で富裕層は「富裕層ではない人たちの同士討ち」を誘い、富を持たない方々の嫉妬から逃れようとします。

これを分割統治と言います。

●私たちが忘れてはいけない事

私たちは「他人の物を欲しがる人」を敵としてみなし、許さない姿勢を崩しては行けません。そういう雰囲気をみんなで作らないといけないんです。そうすれば、「弱い方」も最初から諦めて、求めようとしないでしょう。つまり誘惑に抵抗できます。また、その雰囲気は、私たちも誘惑から守ります。

「他人の物を欲しがる人を懲らしめる代わりに、自分もその
 様な事をしないと心に誓う」

これが善人に成るための基本です。

●親切は実力のあかし、実力の無い者が行う親切は偽善

他人に何かを分けるときは、「次も面倒を見るという誓い」を立てなければならないのです。一般にその誓いを立てた人を親と言います。「今だけ施す」というのは偽善であり、善ではありません。

・誰かの命を守るという「助ける」は誰もがやらないといけない
・誰かに幸福を分けるという「助ける」は、持続できる人のみやるべき

こういう暗黙のルールがあるので、持続的にお菓子を分け与えることが出来ない人は、一回も分け与えてはいけないのです。

●親切をしては行けないの?

「それじゃ他人に親切が出来ないじゃないですか?」

「そうだよ。真の実力を磨いて、持続的に誰かを幸福
 にする力がない人場合は、善人気分を味わう事は許
 されず、意地悪な人と罵られる定めなのだよ」

つまり、実力があるなら分けて善人気分を味わえば良く、実力が無いなら分け与えず、冷たい人と罵られるしかないんです。それは実力が無い当人が悪いという事です。

●実力は大事

実力が無いのに善人気分を味わいたい人は偽善者と言われます。そして実力が無い人は、意地悪、ケチ、冷たいと罵られる事が必要なんです。努力もせずに、善人気分を味わいたいというのは、考え方が甘いのです。そういうズルを許すと、社会が壊れます。他人に何と言われようとも「他の人の物を欲しがるのは悪である」と言い続ける勇気が必要なんですよ。

「実力が無い人は、嫌な人として他人に嫌われている状態
 が自然である。嫌われたくない人は努力をする」

これを能力主義と言います。

●まとめ

「誰かを持続的に助けても、平気な自分になれるかも?」

こんな未来を信じて、日々の努力を重なるべきでしょう。そうなっていないのならば、ケチと言われても仕方ないんですよ。実力が無い自分が悪いのですから。ただし、そんな時は思ってください。

「他人へ物乞いを続け、譲ってもらえないときは逆恨み
 をする人。これを一生続けた人生」

こんな人生ほど最低の人生は無いのだと。そういう人よりマシであると喜ぶべきでしょう。

以上、ご参考になれば。
    • good
    • 1

どっちも別に。


独り占めしたいタイプの人間かどうかはわからないうちは、お願いすることに問題あるとも思えません。
わかってるのにそれでもしつこく貰いたがる人間や、ケチだのと責める人間は、敬意が無いと思います。

ちなみに私は独り占めにこだわるタイプではりません。そんなことで喜べるのならどうぞって感じです。
    • good
    • 1

こんにちは。



んー。肝心なことを。一般にそういう状況における「あげない人」のもっているお菓子は「あげない人のもの」であり、「貰いたがる人」の貰おうとしているお菓子は「貰いたがる人のものではない」と思うんですよ。

もしそうだったら「あげない人」は自分の権利を主張しているだけ、「貰いたがる人」は自分の権利を勘違いしているだけ(問題がある)、だと思います。

所有権がないお菓子を取り合っているなら話は変わるでしょう。声が大きいか、力が大きい方の人が勝つとかいう話になると思うんです。勝った方は「当然」というでしょうし、負けた方は「意地悪と相手を責める」でしょう。
    • good
    • 0

私なら交換しようと言います。



お昼の定食屋なら、海老店と香の物とか。
対等な関係がいいです。

お菓子なら、相手にたばことチェンジもあり。
無いも無いなら、拒絶です。
WIN-WINが良いからと。

あげないのも貰いたいのも卑しいです。
素直に交換しようと返すのがマナー。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A