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「の」「こと」の使い分けについて、強調構文では「の」しか使えない、と説明をするサイトがよくあります。例えばあるサイトでは、

1:強調構文  
「私が生まれたのは小さな町だ」、「私が注文したのはスパゲッティだ」のように名詞を強調して述べる強調構文の場合、「〜の」しか使うことができません。

とありましたが、
「私が生まれたことは快く受け入れられなかった。」
「私が注文したことは相手に不快を与えた。」
これらは「こと」「の」でも大丈夫です。

これはどうしてでしょうか。
「強調構文」ということ自体間違っているのでしょうか。
どうして上の例の2文が「の」でしか表せないのでしょうか。

よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

「強調構文」ということ自体間違っているわけではありませんが、それは単に結果論、現象論で、それが語のどのような意義、構文により表されている「の」かという意義と意味の関係を正しく理解しないと明らかにはなりません。



抽象名詞「の」は抽象的な実体認識を表し、「こと」はそれより具体的な行動、行為などを「できごと」として「こと(事)」と表現しています。「の」は「こと」より抽象的に「私が生まれた」という事実を抽象的な実体として捉え直したもので、この場合は「その事実の存在自体」を表し、それが「小さな町」であったと述べています。「私が生まれた」という事柄、事態は「小さな町」という具体的な「こと」ではないので、「生まれたこと」では不適切になります。「私が生まれたことは誰にも知らせなかった」のような場合は「私が生まれたのは誰にも知らせなかった」と言えますが、「こと」の方がより具体的で内容が明確になります。

このように、事態、事柄、またより抽象的な事態を抽象名詞で変わらぬ固定的に捉え直し、それを「~だ」と肯定判断することによりその内容を強調する表現になっているということです。

「私が注文したのはスパゲッティだ」も同様で、「私が注文したこと」ではなく「もの」を表したいので、単なる「もの」ではなく抽象的な実体として「私が注文したの」と抽象名詞「の」で捉え直し表現しているということです。

 彼が言ったことは誤りだ。

の場合には、内容を「事(こと)」として捉え直していますが、

 彼が言ったのは適切だ。

の場合は、「こと」ではなく、「言った」という経緯を「の」で捉え直しています。

このように、「こと」「の」では対象の捉え方の抽象度が異なります。■
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この回答へのお礼

勉強になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2025/06/30 15:24

「の」は助詞、文字通り(他)を助ける詞、単独では具体的な意味を持ちません。

もちろん存在することの意味はあります
「こと」、例「一旦こと、が起これば・・・」、「こと」単独で立派な名詞(代名詞)なんです。
「こと」は代名詞とはいえ名詞である以上、より具体的な内容が表現されます。
「の」は所有格としても使われます、所有格→所有権が及ぶ・
それにつられて何を想定するか、出生地の特性?(例では町の規模、その他)、これが強調と受け取れるだけの結果欄にすぎません。
「こと」で置き換ええると、単純な描写表現のみになります。
>「私が生まれたことは快く受け入れられなかった。」
「こと」名詞である以上具体的な事実、「生まれた、というゆるがせないない事実。
「の」で置き換えると、事実関係のみではなく、神の思し召し?、何かの因果関係?等事実関係以外の内容も含みます。
その中で、何かの必要があって・・・なんかの場合は確かに強調になるのかも?
妙な知識が先行して、ここは強調とばかりに使うと飛んだ恥かも・・・?。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2025/06/30 15:24

形式名詞のお話でしょうが、件のサイトが具体的でないので何とも。


https://freelance-support.site/2023/04/26/formal …

また強調構文については、下記のように変更しても全く問題ないように思えます。変更後も構文自体は有効で、強調の意味は失われませんよね。
「私が生まれたところは小さな町だ」、「私が注文したものはスパゲッティだ」
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2025/06/30 15:24

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