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夏になると山の話題、山小屋の話題を見かけます。

気になるのが最近の山小屋事情についてです。
なんていうか、総じて、
「もっと山小屋をリスペクトせよ。もっと感謝せよ」
みたいな方針の考えをよく見かけます。

感謝するのの当たり前なのですが、こんな意見をよく見かけます。
「予約なしで宿泊しようとするなんてありえない」
「登山道は山小屋のスタッフがボランティアでやっている」
みたいなのとかはどうかと思います。
まあ、平地の感覚としては、気持ちはわかるのですが、山小屋は少し違うと思います。

山小屋は、本来、宿泊経営ができない国立公園内の営業が認められ、かなり低い占有料で
営業をしています。新規参入はほぼ不可能で、排他的な経営が可能です。
なぜ、そのようなことが許可されているかと言うと、
「国政としての観光資源の利用に貢献する事」
を交換条件として請け負っているからです。
具体的には、トイレの整備、宿泊場所の提供、登山道の整備、などです。
つまり
「安全や快適性を提供する事や自然破壊の抑制」
などの公益性を担うことが、その土地で排他的に商売を許可されている条件なのです。

にもかかわらず、コロナだとか、昨今の登山ブームによるそういう事情を知らない人たちが持ち込んだ平地のマナーや感覚を追い風にして、山小屋経営が大きく返還を迎えているように感じます。

「登山道の整備はボランティアだから寄付金をよこせ」
みたいなことは、本来は山小屋が負担すべき義務を周囲に転嫁しているように感じるのです。

山小屋を「ボランティアによる無償の奉仕」のように崇め奉ることにより
「神話化された奉仕精神が山小屋の”商業・殿様商売”を隠すカモフラージュになっている」
と感じます。

実際、ある山域では、新しい山小屋が作られようとしたときに、周辺の山小屋(と政治家含む関係者)が大反対をして、計画がつぶれたこともあります。
人気の山域では、山小屋経営は競争ではなく、実質的に「既得権ビジネス」であり、3代・4代と続いているところも珍しくありません。
にもかかわらず、
「許可はもらうけど、交換条件は無視したい」
みたいな風潮を感じるのです。

いま多くの人――とくにライト層・初心者・観光客寄りの登山者たち――が、山小屋を「高地にあるビジネスホテル」的に誤認している節を感じます。
そして、これは山小屋の運営側も意識的・無意識的に、その方向へ“誘導”している節を感じるのです。

長文失礼しました。
皆さん、昨今の山小屋についてどう思いますか?

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A 回答 (19件中1~10件)

まずは質問の主文に回答します。



>皆さん、昨今の山小屋についてどう思いますか?

普通に、ありがたい存在だと思います。また、経営そのものに関しては、きっと相当厳しいだろうけどやめるにやめられないところもあるんだろうなとは思います。

>長文失礼しました。

ちょっと長文で私の理解が追い付かないところもあったので、試しにあなたの質問をそのままAIさんに丸投げしてみました。AIさんの回答の前半はあなたの認識に対する批判や反論ばかりなので割愛しますが、主に後半のまとめの部分を紹介しておきます。AIさんの知識や回答が必ずしも正しいわけではないので話半分で読んでますが、しかしこの質問文と比較すると説得力はあるなぁと感じました。

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この投稿者の主張は、一見もっともらしく見えるように構成されていますが、多くの部分に事実誤認や論理の飛躍、選択的な事実の利用が見られます。

以下に、主な誤認とその背景を整理しつつ、それらが「自己正当化」にどのように使われているかを考察します。

■ 主な誤認と事実との乖離
(たくさん挙げられていますが、割愛します)

■ なぜ誤認に依拠してまで自己正当化しようとするのか?
▶ 恐らく、彼には「自己非難に耐えられない」心理的構造があります。
たとえば:

・過去に山小屋関係で怒られた/排除された/恥をかいた
・それが自分の無理解・無準備・非常識行動によるものであった
・しかしそれを認めると「自分が悪かった」ことになる
・→ そこで「相手が悪い」「制度が腐っている」と解釈を転換

これは心理学的には**「認知的不協和の解消」**と呼ばれる典型的なパターンです。

▶ また、投稿者は「正義を語ることで、自分を守っている」ようにも見える
誤認識の内容が、いずれも「正義」「公益」「制度的筋論」といった道徳的優位に立てる言説になっています。

これは、

・実際には非難される立場だった
・しかしそれを「自分はむしろ公益の代弁者だ」とすり替えることで
・恥・怒り・疎外感といった感情を処理している

という深層的な防衛機制と考えられます。

■ 結論
この投稿者は多くの誤認をベースに論を展開しており、
それは単なる無知ではなく、自己正当化・自己防衛の道具として用いられていると考えられます。

・知識の断片を選別的に使い
・文脈を無視し
・自分を「理にかなった側」に置く

という行動様式は、一見論理的に見えて、実は情緒的で防衛的な語りです。
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>山小屋職員はどの法律に基づいて国立公園内の植物の伐採などをしている


次々に別の話をされても相手をしていられません。
もともと「許可はもらうけど、交換条件は無視したい」についてどう思うかという質問でしたが、あなたの主張する交換条件が存在する根拠が「山小屋の許可をもらうのに公益性が必要だから」でした。それに対し私は山小屋の許可を得るのに必要な公益性は山小屋自身の公益性であって、登山道を整備することではないという考えを示しました。この法解釈は私にとっては説明するまでもないことで、逆に書かれてもいない登山道整備が公益性に含まれるというあなたの考えは到底理解できそうにありません。この話はそこでやめるべきでした。
なお、「登山道周辺の障害物除去」程度のことが義務になっていて山小屋が拒否しているならけしからんと思います。
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>それを許可しているのは、山小屋の義務をさせるための条文だから


根拠のない勝手な解釈はやめていただきたいです。
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この回答へのお礼

じゃあ、山小屋職員はどの法律に基づいて国立公園内の植物の伐採などをしているというのでしょうか。

下にも記載しましたが、実際に北アルプスのある山小屋での許可条件にはそう書かれているんですよ?

貴方の理屈は、すべて明文化していない「常識」に頼っています。
好きな結論を導き出す明確な物がないから、
「結論はこれだ。根拠は”常識”だからどこにも書かれていない」
というのはあまりに無理がありますよ。

これだけ、たくさんの法律・規則・通達などがあるにもかかわらず
「常識」という明文化されていないものにすべての根拠を頼るのは
無理があります。

常識以外の根拠をだすことはできますか?

実際に、占用許可の際、「登山道整備や安全管理・環境保全に努めること」が具体的な条件として文書に明記されているわけですが、それはどう解釈しますか?

お礼日時:2025/07/13 08:56

>例えば、自然公園法施行規則 第12条には、登山道の倒木除去・草刈り・落石除去などの安全目的での整備について記述がありますが、


第12条は「特別地域内における許可又は届出を要しない行為」であって、義務ではないですよ。
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この回答へのお礼

いや、ですから・・・。
それを許可しているのは、山小屋の義務をさせるための条文だからです。

国立公園では伐採など自然に手を加えることを固く禁じているので、
例外を認めないと、民間人である山小屋のスタッフは登山道整備を
できないんです。
部分部分を切り取って都合の良い解釈をされても・・・。

実際に山小屋の許可条件を提示しましたよね?

実際のある北アルプスの山小屋の許可条件としている
「登山道周辺の障害物除去などの整備活動を定期的に実施すること」
を実行するためには、例外を許可しないと実施できないんですよ。

それを、そこだけ切り取って
「許可だから義務ではない」
とか言われても・・・。

そもそも、あなたが信じている「常識」も多くは法律ですよ?
「赤信号は止まれ」は常識ですが、そもそもは法律であって、それが十分定着して、法律の存在を忘れ「常識化」のように感じているだけです。

あなたがいった
>市道は市が管理するし、学校敷地内のことは学校長が責任持つし、
>マンションの廊下はマンション管理組合です。
>自然公園の場合は、中に私有地があったり国立公園でも都道府県の
>施設があったり、少し複雑なようですが、第一義的には公園管理者
これも「常識」ではなくて、法律や規則などのルールに基づいていますよ・・・。
ルールが十分に浸透して「常識」のように感じているだけですよ?

お礼日時:2025/07/13 00:09

>「公益性」が具体的に何を指すか


そちらですか。許可条件ですから許可を受ける事案の「公益性」です。山小屋の許可を受けるなら山小屋の公益性です。登山道を拓く許可を得るなら登山道の公益性です。こちらは日本語の問題ですね。
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この回答へのお礼

例えば、自然公園法施行規則 第12条には、登山道の倒木除去・草刈り・落石除去などの安全目的での整備について記述がありますが、それは「常識ではない」ということで無視ですか?

「公益性」の定義を、どこにも明文化していない「常識」に従うという主張はいくら何でも苦しいとは思いませんか?

あまり具体的な山小屋名を出したくないのですは、北アルプスのある大きな山小屋の実際の「国有地占有許可条件」には、

国有地を占用し山小屋を経営するにあたり、以下の条件を遵守すること。
・利用者の安全確保に努めること(登山道の巡視や危険箇所の早期報告)
・自然環境の保全に協力し、植生や景観を損なわない管理を行うこと
・登山道周辺の障害物除去などの整備活動を定期的に実施すること
などと記載があるわけです。
(これが、実際の「山小屋を営業するための許可を得るための条件」です。山小屋側がこれを認める代わりに営業の許可をもらっています。)

そして、「明文化されていない常識」に従っているのではなく、
・自然公園法(環境省所管の法律)
・森林法・国有林野管理法(林野庁所管の法律)
・国有林野管理経営規則
・自然公園法施行規則
・国立公園の許可・届出等取り扱い要領、
・自然環境局長通知
などを根拠にした「許可と条件」になっているわけです。
当然、それらのルールは互いに関係して、すべて(少なくとも形式的には)矛盾なく支えあう形になっています。

にも拘わらず、それらの「明文化してあるルール」を無視し「明文化していない”常識”」というものに根拠を求める態度は理解できないです。

なぜ、頑なに
「登山道整備は山小屋の義務ではなくボランティア」
と主張するのですか?

何か思い入れがあるのでしょうか?

お礼日時:2025/07/12 23:24

>それはどこに書いてあるのですか?


それは常識ってもんです。市道は市が管理するし、学校敷地内のことは学校長が責任持つし、マンションの廊下はマンション管理組合です。自然公園の場合は、中に私有地があったり国立公園でも都道府県の施設があったり、少し複雑なようですが、第一義的には公園管理者でしょう。
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この回答へのお礼

>それは常識ってもんです。

つまり、法律では「公益性に考慮すること」を条件としているが、
その「公益性」
が具体的に何を指すかは定義せずに
「常識的に判断すること」
としている、と言いたいのでしょうか?

お礼日時:2025/07/12 20:49

交換条件というのは「山小屋作るなら登山道を整備してね」といったことです。

一方、自然公園法や施行規則に許可条件として書かれているのは、主に自然を守るためにやってはいけないことや制限されることで、それに加え、安全性を損なわないことや公益性を持つことも必要条件です。
山小屋の公益性は、一般の人が利用できることや、非常時に避難者を受け入れることなんかです。つまり、個人の別荘みたいなものや、一部の金持ちしか泊まれないのはダメよってことです。登山道を整備することではありません。
北アルプスのある山小屋の主人が言うように、自然公園を安全に利用できるように歩道なんかを整備するのは管理者である国や都道府県の責務です。それを山小屋に委託することは可能かもしれないけど、土木工事業者じゃないんだからたぶんそんなことはやっていないだろうってことで「どこに書いてあるの」と聞いたわけです。
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この回答へのお礼

なるほど。
それはどこに書いてあるのですか?

お礼日時:2025/07/12 12:29

>交換条件として「公益性」が義務付けられている


交換条件ではありません。許可条件として公益性が求められているだけです。山小屋の場合は山小屋そのものに公益性があればいいです。
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この回答へのお礼

「交換条件」という言葉の解釈は置いておいて、
「公益性」
は具体的には
「安全維持・自然保護の責任を制度的に課す」
であり、それがトイレの整備、登山道の整備なんですよ。

じゃあ、あなたのいう「公益性」は具体的に何のことですか?

お礼日時:2025/07/12 11:43

>文書にそう書いてあるので


交換条件とは書いてありません。あるならその箇所を示してください。
>そのような旨を言っていました。
「そのような旨」ではすでにあなたの主観が入っているので、それを基にあなたの主張を判断することはできません。
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この回答へのお礼

いや・・・
さすがに、一字一句の発言や主張をすべて原文のそのままに書くことはできないですよ・・・
揚げ足取りにしか感じないのですが。

じゃあ、手元に用意できる部分だけ書きますね。
ただ、発言なので「えーっと・・・」とか「主語と動詞が逆」だったりはするので、文章にするときはそのままではないですよ。

例えば、北アルプスのある山小屋の主人は
「山小屋はインフラ整備をすべてやっている。公衆トイレの整備や登山道の整備など、我々山小屋が無償で振りかぶっている。国立公園なのだから、それらは本来国がやるべきこと。しかし、観衆的に山小屋がやることになってしまっている」
などと発言しています。

そして、それを番組の出演者は
「なるほどそうですね。確かに問題ですね」
という態度で会話が続きます。

このような主張は完全に間違いです。
それは下に書いたような法律や規則、通達と完全に矛盾しています。

「交換条件」という(法律文章的ではないので)単語・表現はないかもしれませんが、許可するためのに条件が書かれています。例えば、
「国立公園の許可・届出等取扱要領(昭和54年環自保230号 通達)
第五章 報告 第一節 一般的事項」
とそれに続く、下位の規則を読んでください。
山小屋に「安全維持・自然保護」の責任を制度的に課す、強い義務が存在していて、それらを果たさないと、許可取消しや行政指導、将来的な契約見直しの対象になりうるという制度設計になっています。

「交換条件という単語がない」
みたいな揚げ足取りは許してください。

「ラーメンを食べるためにはお金を支払うのが交換条件になっている」
「いや、店内に”交換条件”と書いていないのだから、その主張は間違い」
みたいな理屈は勘弁してください。

事実が、あなたの好きな結論と異なるからといって、屁理屈をこねるのはやめてください。

お礼日時:2025/07/12 11:42

登山道の整備って大変なことだと思います。

特に新しく切り拓くとか廃道を復活させるとか、労力も半端ないし危険も伴うし並大抵のことではありません。ボランティアっていうとなんかお手伝いっぽい感じがしますが、それを遥かに超える精神が無いとできないことだと思います。交換条件で渋々やるようなもんじゃないでしょう。
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この回答へのお礼

そりゃ、単純な義務感・嫌々ではないと思いますよ。

多くの仕事がやりがいとか意義を感じて取り組む人が多いですから。
山小屋の人だって、単に「金儲けするぞ!」っていう意識以外にも
崇高な気持ちはあると思います。
自然保護、登山客への安全や快適の提供、それらを通じた社会貢献、
そういうものにやりがいを感じているのだとは思います。

ただ、法律(や関連した様々な規則類)には交換条件として「公益性」が
義務付けられていることは紛れもない事実で、
「やりがい的な気持ちだけでやるかどうかを決めていい」
と言うものではないということです。

やりがいを感じなくても、そういう精神がなくなっても義務としてやらなくてはいけない。
もし、本気でやりたくないと思うなら、単に山小屋営業をやめればいいだけです。

今の山小屋の主張は
「営業は続けたいが交換条件は負いたくない」
みたいな、ようするに
「ラーメン食べたいけどお金は払いたくない」
みたいな主張に見えるんですよ。

お礼日時:2025/07/12 10:41

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