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ちょっと前のことなんですが、ラジオで色即是空の意味を
たとえとして、目の前にある紙から、木が見え、森が見え
やがて宇宙につながるというような、新しい解釈があると話していましたが、私は、「色即是空」は、形のあるものはいつかは無くなるという、「無常観」として理解していました。ラジオの話が、「梵我一如」との混同のような気がしますが、新しい説があるのでしょうか。
どちらが正しいとかではなくて、私の考えのほうが一般的だと思いますが、皆様教えてください。

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A 回答 (2件)

どちらも正しいです。


色つまり目に見えるすべての物質(元素のもととなる素粒子)はある時は人の血や肉となり
ある時は木や森や石となります。
永遠ではなく無常です。
色即是空の意味は宇宙即自身であり無常であります。
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この回答へのお礼

有難うございます。

どちらも正しいです。
そのように認めたくない自分の心の中に、テロの種があるのかもしれませんが、何かを信じないと何も出来ないのも確かだと思います。分からないとなかなか認められなくて困っています。くわばらくわばら。

お礼日時:2001/09/26 19:46

専門ではないのですが…。

「色即是空 空即是色」、般若心経の一節ですね。

「色」は「実体、移ろうもの」、「空」は「空虚、実体がないこと」という解釈が一般的だと思うので、fishbowl66 さんの解釈も一般的なように思われるのですが、それだと後半の「空即是色」の説明がつきにくいのではないでしょうか。おそらくその部分の解釈によって、様々な意見の相違が起こるのだろうと思います。

私は、『全てのものは「縁」によって生成するのであって個々のものにはそれ自体の独立した実体がない』という、竜樹の中観派の哲学に基づく解釈が一般的ではないかとも思います。これは『全ては消滅する(あらゆる「色」→「空」)』ではなく、『人も花も動物も宇宙も、それぞれ独立した存在ではなく、連環のなかで全てがつながっている(あらゆる「色」=「空」)』という解釈です。ですから、むしろ「梵我一如」的解釈に近いですね。

大学在学中には、「色即是空」の「色」と「空即是色」の「色」は異なる、という説も耳にはさみました。前者の「色」は「仮りそめの実体」、それが「空」につながることで「真の実体」になる、という論でした。

しかし「是」という中国語は英語の「be動詞」にあたるので、竜樹の解釈が今もなお一般的であるように感じます。いかがでしょうか。

なお、どの程度、信憑性があるのかわかりませんが、参考サイトをあげておきます。

http://www1.ocn.ne.jp/~maka/sikisoku.html
http://ww5.et.tiki.ne.jp/~raiden/1419.htm
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/butu/hannya.h …
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この回答へのお礼

有難うございます。
「梵我一如」と「色即是空」を前者を世界観の広がりと捕らえ、後者を時間の概念として考えていました。
前者と後者が同じ様な意味では考え直さなければいけないのかも知れません。
ちなみに、i-junkieさんの仰る通り、無の使い方は雑な表現をしたと反省しています。

お礼日時:2001/09/26 19:35

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