平安時代の貴族の屋敷について教えてください。<(_ _)>

藤原氏の様な名門大貴族ではなく、橘氏の様な派閥から外れた貴族(ぎりぎり殿上できるくらいのレベルです)の屋敷はどのような造りになっていたのでしょうか?
どういった名前の部屋があり、どの様な人が使用していたのか、それぞれの部屋にどの様な意味があったのか等々教えて頂けると嬉しいです。

また、もし、見取り図等が書いてあるホームページをご存知の方がいらっしゃったら、URLを教えて頂けないでしょうか?

どうぞ宜しくお願い致します。<(_ _)>

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A 回答 (2件)

典型的な寝殿造りの鳥瞰図がありました。


http://www.izu.co.jp/~tatami/nenpyou/sinden.htm

説明文を補足しますと、池にそそがれる流れの位置がやや対照的すぎますが「曲水の宴」などが行われました。

また庭の東西の門のある屋根つきの塀の部分は「中門廊」
といいます。

真ん中の寝殿造りは、現在京都御所で見られる「紫宸殿」や
移転されて醍醐寺三宝院などに見られます。

http://isweb20.infoseek.co.jp/feminine/sanusagi/ …
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/orion/jap/hstj/k …

ヤフー検索では「巌島神社」や宇治の「鳳凰堂」まで出ていますが、様式的に寝殿造りでも建築史では別の神社仏閣部門になります。

寝殿造りの概略と変遷:
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/8702/ …

・・・図面は本でないと見つからないようです。

参考URL:http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/8702/ …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。<(_ _)>

とても詳しいサイトを紹介して頂いて嬉しいですっ!! (^。^)
鳥瞰図とあわせて見ると、イメージしやすいですね~っ♪
今まで漠然としか理解できていなかった貴族の邸宅ですが、かなり具体的に理解することができました。

どうもありがとうございましたっ! <(_ _)>

お礼日時:2001/09/26 15:28

寝殿造なんて邸宅を作れるのは三位以上の上級貴族位だったそうですね。


見取り図等はないですが、下のURLに当時の中級下級貴族の邸宅について記載されている部分があります。

参考URL:http://www.ne.jp/asahi/trpg/chiya/heian/muneaki/ …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。<(_ _)>

やっぱり、寝殿造なんてそうそう作れなかったんですね~。(^_^;)
平安貴族というと、どうしてもあのゴージャスな邸宅が浮かんでしまうのですが、中級以下の「マイホーム」はやっぱり大変だったんですね…。

とても参考になりました!
どうもありがとうございます。<(_ _)>

お礼日時:2001/09/26 07:31

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Qフランスの貴族(爵位)について

レンタルでドリュー・バリモア主演の「エバーアフター」を見ました。映画の内容は童話のシンデレラです。
そこで質問なのですが、あの悪い義理の母親は何故、シンデレラの父と結婚しても貴族のままなのですか?
たしかに爵位にも個人に与えられるものと、代々受け継がれるものがあると思いますが、男爵夫人が農家に嫁ぐとどうなるのでしょう。裕福な農家に貴族の下位である男爵の娘が結婚することはあるとは思うのですが、結婚したら爵位はなくなると思うのですが。
またシンデレラの異母姉妹はどうなのでしょう。王の前でシンデレラは継母のことを「母」といっておきながら自分のことを「召使」と呼んでいます。一方、異母姉妹は母とともに宮殿に行っており、貴族のようです。教えてください。

Aベストアンサー

『エバーアフター』を観ていないので、あくまで、一般論ですが・・・。

英語の"baroness"には、『男爵夫人』と『女男爵』(女性の『男爵』)の二つの意味があります。
英語に限らず、フランス語などでも、同じ単語で『○爵夫人』と『女○爵』の二つの意味を持つことが多いです。

ご質問のケースは、『女男爵』のことではないかと思います。(字幕の訳が間違っている?)

『女男爵』の場合、その女性は結婚後も爵位を保持できます。

Q織田信長は平氏?源氏?藤原氏?橘氏?忌部氏?

『尾張の織田家は元々は藤原氏、橘氏に連なるものであり、熱田神宮とも深いつながりがあったようです。
尾張の物流を司る津島神社の宮司家に連なる者であり、津島港を押さえていたため、尾張守護の斯波氏や尾張守護代の織田本家もうかつに手を出せない立場にあったようです。

尾張における海運の発祥は、日本武尊が東国遠征から帰ったあと婚姻すると約束した美夜受比売の兄、建稲種命。
この人が尾張水軍を率いてた人で、尾張氏。
藤原氏を中心とした物部連に連なる人です。
この美夜受比売がのちに日本武尊から預かった剣こそ、通称、「草薙の剣」と呼ばれる「天叢雲剣」です。
そして、その剣を収め、祀ったのが熱田神宮です。
今でも熱田神宮の奥には「天叢雲剣」が御神体としてあるらしい。
このように熱田神宮は常に、尾張の物流の根幹を握っていたようです。」

という内容を読み聞きしたのですが、本当に織田氏は藤原氏=熱田神宮に関係する家系なのでしょうか?
(信長が平氏を名乗ったのは知っています。)

Aベストアンサー

『織田系図』・『織田家譜』では平重盛の子資盛の遺児、親真を祖とし、初めは近江国津田荘に、そして越前国丹生郡織田荘の織田剣神社の神官へ養子となり織田氏を称したとあります。
 しかし、永正15年(1518)に守護代織田達勝が円福寺に出した禁制では「藤原達勝」とあり、信長も天文18年(1549)に出した禁札に「藤原信長」と署名しています。信長が平姓を名乗ったのはご承知の通り天下統一に向けて、源氏である足利家への抵抗からでしょう。そのため、平氏の落胤に結びつけた系図を作成したというのが妥当ですね。

 ですから織田氏は、藤原氏であり越前国丹生郡織田荘を本拠としていたというのが、通説となっています。ただ信長が途中から平と氏を変えたように、「織田は藤原氏だった」というよりも、「織田は藤原氏を名乗っていた」ぐらいに見るのが妥当ではないでしょうか。昔は地方ほど無姓の者は「藤原」を名乗って、ステータスとしていた時代もあったのですから。それが大量に藤原氏の流れを汲む一族が生まれる一因となります。

 また藤原だったから攻めなかったというのも、後世の後付の域を出ない内容でしょう。今目の前にいる肉親ですら平気に争っていた時代に、そんな大昔の氏族つながりがどれほど意味があったでしょう。

「氏神というものは複数存在するものなのでしょうか」
氏神が本来の“氏の祖神、祖先を祀った神社、あるいは神”という意味ではなく、郷土の産土神や有力神を氏族の守護神としたものという意味で使われているのであれば、複数存在してもおかしくはないでしょう。それ以前に藤原氏であれば氏神社は奈良の春日神社ですが、藤原といっても鎌足や不比等の流れを汲むものではなく、ステータスとして名乗っていた藤原であれば、そほど意識はしないでしょうね。

 尾張氏(おわりうじ)は天火明命を祖神とし、本宗家は天武天皇13年(684)に姓(かばね:氏とともに朝廷より賜る称号)を連(むらじ)からより高いの宿彌(すくね)に改められます。

 熱田神宮は当初、尾張氏が奉斎していましたが、12世紀初頭からは藤原南家の熱田大宮司流が大宮司を勤めます。

『国史大辞典』吉川弘文館
『日本史諸氏諸家系図大辞典』講談社

『織田系図』・『織田家譜』では平重盛の子資盛の遺児、親真を祖とし、初めは近江国津田荘に、そして越前国丹生郡織田荘の織田剣神社の神官へ養子となり織田氏を称したとあります。
 しかし、永正15年(1518)に守護代織田達勝が円福寺に出した禁制では「藤原達勝」とあり、信長も天文18年(1549)に出した禁札に「藤原信長」と署名しています。信長が平姓を名乗ったのはご承知の通り天下統一に向けて、源氏である足利家への抵抗からでしょう。そのため、平氏の落胤に結びつけた系図を作成したというのが妥当で...続きを読む

Qヨーロッパの貴族の爵位について

ヨーロッパの中世から近世の貴族の爵位はどのような基準で与えられるのでしょうか?
位の高さの順位は、公爵>侯爵>伯爵>子爵>男爵 だとサイトなどで調べるとなっていますが、
王家の子が男爵になったりする例もあるみたいです。
公爵はどのような官職にあるとなる、などという決まりなのでしょうか・・・?
生半可な理解しかないので、ずれた質問だと思いますが、ご親切にお答えいただけますと嬉しいです。

Aベストアンサー

爵位の中でも公爵・侯爵・伯爵と子爵・男爵には違いがあります. つまり, 公爵・侯爵・伯爵の爵位は本来土地についていて, たとえば「○○伯爵領を治めているから○○伯爵」という形になります. 一方子爵・男爵は家についているので, 「○○子爵が納める領地 (がもしあれば)」は「○○子爵領」と呼ばれます. 爵位と領地との関係が逆になることに注意. とはいえドイツ以外では絶対王政の進展とともに土地を失い, その結果現在ではほとんど土地とは無関係になっています.

で, 伯爵以上であればほかにも子爵なり男爵なりの爵位も持っていることが多いです. その場合, 当主は本来の爵位を名乗り, 継嗣は「2番目の爵位」を儀礼称号として名乗ります.

「王家の子」といっても, 現在の国王からの距離によっていろいろな爵位になります. 爵位が法的に生きているイギリスの例だと, ウェセックス伯爵エドワードの長男ジェームズ (つまり女王エリザベスII世の孫) がセヴァーン子爵に叙爵されています. 一般的には「国王の息子は公爵」であることが多いんだけどたまに (ウェセックス伯爵のように) 例外もあります.

爵位の中でも公爵・侯爵・伯爵と子爵・男爵には違いがあります. つまり, 公爵・侯爵・伯爵の爵位は本来土地についていて, たとえば「○○伯爵領を治めているから○○伯爵」という形になります. 一方子爵・男爵は家についているので, 「○○子爵が納める領地 (がもしあれば)」は「○○子爵領」と呼ばれます. 爵位と領地との関係が逆になることに注意. とはいえドイツ以外では絶対王政の進展とともに土地を失い, その結果現在ではほとんど土地とは無関係になっています.

で, 伯爵以上であればほかにも子爵なり男爵なりの爵...続きを読む

Q伊達氏、真田氏、徳川氏、豊臣氏、毛利氏、武田氏、北条氏

伊達氏、真田氏、徳川氏、豊臣氏、毛利氏、武田氏、北条氏
は今でも続いているんでしょうか?それとも滅んだんでしょうか?

Aベストアンサー

大名家は直系の子孫は絶えることが少なくなく、親戚周りから養子が入って血脈を継ぐことで氏族としては繋がっています。
北条氏も狭山藩1万石の大名として幕末まで続き、創価学会の北條浩(4代目会長)などが出ています。
徳川氏は家光の(男系の)血脈は館林藩越智清武で絶えていますが、8代将軍吉宗の血脈として、德川恒孝氏が徳川宗家でしょう。
豊臣氏は氏(うじ)ですから、木下家が豊臣氏であり、足守藩木下家として幕末を迎えます。
血筋としては、真田信繁の3男に秀次の血が入っており、出羽亀田藩の家臣として三次氏を称しています。

Qフランス貴族の「ド」と爵位

フランス貴族は「○△・ド・◆×」(適当ですみません)といった名称(というのでしょうか)になると思うのですが、実際、この「ド」とはどういった人たちにつけられるものなのでしょうか。
またそれは爵位などと関係しているのでしょうか。
そして「ド」の前後(上記でいう「○△」「◆×」にあたる部分)はどういった意味合いなのでしょうか。
名前と苗字かと思ったのですがどうやら違うようなことを耳にいたしましたので・・・

質問ばかりで申し訳無いのですが、一つでも構いませんので、お暇なときにご回答頂ければと思います。

Aベストアンサー

ド(de)はフランス語の前置詞/冠詞です。
ごくごく普通の単語で、英語のofに相当します。
全く特別なものではないので、
どういうった人につくか、ではなくて
どういったことが名前に表現されているかに依存します。

貴族の爵位を表すという用法は、
前置詞の起源・原因・手段・様態などを表す意味のときで、
duc de DD/duke of DD、つまりDD公爵となります。
フランス語の場合 de の後にh や母音がくると、
それが縮まるので、duc de AAや duc de HAU なら
duc d'AA や duc d'HAU となります。
つまりドと単独ではなく、ダ、デなど次の母音と重なってきます。
ジャンヌ・ダルクのd'Arc が有名でしょうね。

さてドがつく場合には爵位以外にも前置詞の限定の意味でつく場合があります。
つまり同姓の人がいた場合、地名などをつけて、どこどこのと限定するわけです。
日本の姓でも、住んでいた地名が姓となって例が多数ありますが、
これもそれと同じで、次第にド・なんとかのところが姓として
使われるようになります。
そういう場合、ドと次を合わせて丸ごとで姓となります。
さらにかつては貴族だった人がその後そののまま姓として用いている場合もあり、
はっきりいうと、ドがついているから貴族だとは全くいえません。
C. A. De Gaulle ドゴールなんかはドをもう単独では考えず
ゴールさんとはいわないわけです。

しかしなかには何個もdeがつく長い名前があります。
その場合、たいていは複数の爵位や、母方父方両方の姓を名乗っているなどです。
ま、簡単に考えれば、de 以後が姓で、前が名ということはいえるのですが、
貴族云々は名前だけではわからないのところで、
騎士クラスからドをつけていたので、非常に多くの人間がつけたり、
過去つけていたりするので、特にドは貴重でもなんでもなく
やっぱりだたの前置詞と考えるのが妥当です。
ま、名前に前置詞がつくのが奇異に思うかもしれませんが、
タイラノマサカドとか、日本でも昔はついていたんですよ。

ド(de)はフランス語の前置詞/冠詞です。
ごくごく普通の単語で、英語のofに相当します。
全く特別なものではないので、
どういうった人につくか、ではなくて
どういったことが名前に表現されているかに依存します。

貴族の爵位を表すという用法は、
前置詞の起源・原因・手段・様態などを表す意味のときで、
duc de DD/duke of DD、つまりDD公爵となります。
フランス語の場合 de の後にh や母音がくると、
それが縮まるので、duc de AAや duc de HAU なら
duc d'AA や duc d'HAU となります。
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Q平安時代の貴族について教えてください!!

1.平安時代の女性の生活に「物語」が果たした役割
2.平安貴族の男性の多くに日記を書く習慣があったが日々のメモは何と言われるものに記しておくのが普通であったか??

どちらか分かるほうだけでも結構ですので教えてください!!お願いします!

Aベストアンサー

1.について
「源氏物語」に関してしかわかりませんが、紫式部が中宮彰子の元に出仕したのが1005年、1020年には下総の国守の娘で13歳の菅原孝標女が「更級日記」の中で、「源氏物語」の噂話を聞き、早く都に上がって是非とも読みたいものだ、と語っています。
「源氏物語」の噂は早くも関東の受領階級の娘にまで憧れを抱かせる物語になっていたんですね。
実際に読んだ女性は物語の中に書かれている女君の美しい装束に惹かれ、襲ねの色などを参考にしたらしいです。
今で言うファッション雑誌のような役割も果たしていたと言うことです。
また、「源氏物語」の中で紫式部は学問や恋愛や女性に関する自分の価値観や考え方を表している場面が多々あります。
そんな部分は才女紫式部の人生観などを量り知る上で貴重な読み物だったと思われます。
勿論、菅原孝標女のように宮廷貴族の優美な生活や主人公光源氏に対する憧れも喚起したことは間違いないでしょう。

2.について
陰陽寮発行の「具注暦」という物があり、陰陽五行説に基づき年月日ごとに密教占星術や吉凶、歳位などの注が付けられ、貴族たちはそれを見て「物忌み」や「方違え」を決めていたそうです。
「具注暦」は定期的に発行されたらしく、その日ごとの余白に日記風の覚書を書き付けていたそうです。
その覚書をまとめて編集し、あらためて「日記」にしたケースが多いようです。
ただ、「小右記」の藤原実資などはマメに毎日、日記を書いていたそうですが。

1.について
「源氏物語」に関してしかわかりませんが、紫式部が中宮彰子の元に出仕したのが1005年、1020年には下総の国守の娘で13歳の菅原孝標女が「更級日記」の中で、「源氏物語」の噂話を聞き、早く都に上がって是非とも読みたいものだ、と語っています。
「源氏物語」の噂は早くも関東の受領階級の娘にまで憧れを抱かせる物語になっていたんですね。
実際に読んだ女性は物語の中に書かれている女君の美しい装束に惹かれ、襲ねの色などを参考にしたらしいです。
今で言うファッション雑誌のよ...続きを読む

Qイギリス貴族の爵位継承について

このカテゴリでは毎度似たような質問ばかりしてしまい申し訳ありません。
またもや疑問に思うことがあり、確認のため質問させていただきます。
どなたか詳しい方、よろしくお願いします。

イギリスの爵位継承はLetters patentに記された通りに継承するものと理解しております。

また、LPには通常 "heirs male of his body"=(爵位継承者は)初代の直系男子のみと書かれているかと思います。

そのため娘しかいない場合はspecial remainderを付与して娘の代だけ娘が継ぎ、
次代からはその直系男子で繋いでいくようにするか、あるいは(おそらくそういったspecial remainderが
出なかった?)娘が近親者や遠い血縁の者を婿に迎え、その男性に家と爵位を継いでもらう…
というような話を見たことがあるのですが後者の場合、確かに血縁とはいえLPの条件に合致しない
人間が継承できるものなのでしょうか?
別のspecial remainderが出ているという(男子ならば遠縁でも継承できる、といった)解釈であっておりますでしょうか。

また、ちょっと調べた所、跡継ぎの長男がいれば長男はheir apparent(法廷推定相続人)、
長男がいなければ弟か甥が跡継ぎとなってheir presumptive(推定相続人)と呼ばれる…と
いうのを見たのですが弟や甥というのは傍系ですよね。
つまり普通ならLPの条件に合わないと思うのですが、これも同じこと(特殊規定が存在する)でしょうか。

つまり確認したいのは「特殊な規定がない場合、爵位保持者に嫡男がいない限りその爵位は消滅する」
「爵位保持者の嫡男以外が(それが娘だろうが、弟だろうが、遠い血縁だろうが)
爵位を継ぐことができるというのはすなわち初代が授爵された際に
特別な規定が設けられている、あるいは改めて付与され授爵された位であるはず」
という二点の解釈に間違いがないかです。

どうぞよろしくお願いします。

このカテゴリでは毎度似たような質問ばかりしてしまい申し訳ありません。
またもや疑問に思うことがあり、確認のため質問させていただきます。
どなたか詳しい方、よろしくお願いします。

イギリスの爵位継承はLetters patentに記された通りに継承するものと理解しております。

また、LPには通常 "heirs male of his body"=(爵位継承者は)初代の直系男子のみと書かれているかと思います。

そのため娘しかいない場合はspecial remainderを付与して娘の代だけ娘が継ぎ、
次代からはその直系男子で繋...続きを読む

Aベストアンサー

詳しくないですが, ちと調べた限り heirs male of his body は「最初に爵位を受けた人の直系男子」であればよく, 「現在の爵位保持者」とは関係ないのではないかと.

つまり, 爵位を創設した A の子供を B, B の子供を C 及び D としましょう. この場合 A→B→C と爵位を受け継いでいきますが, C に子供がいなかった場合「A の直系男子」である D が受け継げるんじゃないかなぁ. そう解釈しないと, 「直系男子」でない者が爵位を継承したときに「代数を増やす」ことはないはずです.

逆にいうと, たとえ直系で爵位を受け継いだとしても「爵位継承条件の違う Letters Patent を受けた」場合には, そこで改めて「初代」という数え方をしないとおかしいはずです.

Q源平藤橘の橘

源平藤橘の橘で有名な歴史上の人物はいるのでしょうか?
源平藤が圧倒的に有名で橘は影が薄いのですが、なぜ源平藤ではなく源平藤橘とならび称されるのでしょうか? そんなにすごい勢力の家系なのですか?

Aベストアンサー

源、平は天皇家の子孫ですが、藤原、橘は豪族?の子孫で、源、平は地方に追いやられ、聖武天皇の時代は、中央で藤原、橘が権力争いをしました。
No.1のWikiにあるように、権勢を誇った藤原不比等のあと、橘諸兄が権力をにぎります。   これを追い落としたのが藤原仲麻呂です。    遷都問題で諸兄を凌ぎ、謀反を起こした橘奈良麻呂の変で諸兄は引退し、仲麻呂が権力を握りました。
聖武天皇、光明皇后の没後、庇護者をうしなった仲麻呂は、新羅討伐計画を無理に押し進め、謀反を起こし滅亡します。
藤原、橘両氏とも力を失うのですが、藤原氏は人を得て復活し、橘氏は表舞台から消えて行きました。

Qヨーロッパの貴族の爵位を大名にたとえるとどのくらい

最近、DVDでオペラを見たんですが、伯爵が劇の中の日本語字幕の中で「お殿様」とよばれていました。公爵とか伯爵、男爵、子爵などの爵位は、大ざっぱに言えば日本の大名とか旗本に換算するとどのくらい地位なのでしょうか? もちろん米食ではないヨーロッパでどのくらいの石高かなんてナンセンスですけど、イメージを御教えください。たとえば公爵なら、日本だと御三家か加賀藩クラスだ、というような感じです。

Aベストアンサー

ヨーロッパの貴族精度は、日本と異なり、領地ごとに与えられます。
国によって異なりますが基本的には、上級貴族に属するものとして、大公爵、公爵、大侯爵、侯爵、伯爵、辺境伯爵、宮中伯爵、城伯爵などがあります。
下級貴族として、伯爵、(準伯爵)、子爵、男爵、帝国騎士があります。
伯爵は、上級貴族に属する伯爵と下級貴族に属する伯爵があります。
準伯爵は、上級貴族の伯爵並の領土を持っている子爵を便宜上準伯爵と呼ぶ事があります。
帝国騎士は、神聖ローマ帝国のみに存在します。

基本的に大公爵は、国王に準じた地位に有る者を呼びます。
日本には存在しないと思います。
公爵は、国王の一族が叙勲されて領地を与えられた場合に与えられる爵位です。日本で言いますと徳川御三家に相当すると思ってください。
大候爵は、大きな領土を持つ他部族を併合した場合に与えられる称号で、日本で言いますと豊臣政権下の五大老のようなものとお考えください。
侯爵は、大候爵より小さな他部族の族長に与えられる爵位で、日本の外様大名と思ってください。
伯爵は、国王の部下が叙勲された場合に与えられる爵位で、日本の譜代大名と旗本の中間だと思ってください。
辺境伯は、国家の辺境に派遣されて領地を持った伯爵で、与えられた領地内で、国王並の権限を与えられた場合に与えられる爵位で、辺境が開発されて辺境ではなくなると、その権限が伯爵を完全に上回り、侯爵なみの権限となります。
宮中伯は、皇帝の身の回りの世話をして与えられた爵位です。
城伯は、皇帝の持ち城の城代を代々勤める人で、日本では大阪城代とか京都所司代などに相当します。

下級貴族の伯爵は、上級貴族の部下が叙勲された者(日本では陪臣)や国王から叙勲されてもその地位の低い者(御家人)などに相当します。
子爵は、日本の代官が世襲化したも、男爵は地方の豪族程度とお考えください。

一代限りの貴族「○○卿」というものもあり上級貴族並の扱いになります。

また、大貴族というものが有りますが、これは国王より特権を与えられた上級貴族です。
スペインに「オリバーレス公伯爵」と呼ばれる人がいました。
この人は、本来「オリバーレス伯爵」でしたが、スペインの宰相として功績を認められ、大貴族となり、さらに公爵領を与えられました。
通常公爵のほうが各が上なので、公爵を名乗るのですが、伯爵で大貴族と認められているため、公伯爵と呼ばれました。

爵位間には、基本的に上下間はありません。公爵が伯爵に命令するような事は通常ありませんが、貴族間で主従関係にある場合は別です。

また、はじめに述べましたが、これらの爵位は領地に与えられるもので、領地を併合したり買収した場合は、それらの称号を併せ持つ事になります。
伯爵でも、公爵領を併合した場合は、公爵の爵位も持つ事になります。

ヨーロッパの貴族精度は、日本と異なり、領地ごとに与えられます。
国によって異なりますが基本的には、上級貴族に属するものとして、大公爵、公爵、大侯爵、侯爵、伯爵、辺境伯爵、宮中伯爵、城伯爵などがあります。
下級貴族として、伯爵、(準伯爵)、子爵、男爵、帝国騎士があります。
伯爵は、上級貴族に属する伯爵と下級貴族に属する伯爵があります。
準伯爵は、上級貴族の伯爵並の領土を持っている子爵を便宜上準伯爵と呼ぶ事があります。
帝国騎士は、神聖ローマ帝国のみに存在します。

基本的に...続きを読む

Q小日向氏 越後橘姓

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01201.htm
上記に
【小日向氏】が越後橘姓を称する。
と記されていますが、もっと詳しいことを知りたいです。

●小日向氏とはいかなる氏族なのか?
●小日向氏の本拠地はどこ(やっぱり越後?)で、どのようなことを行ったのかなど・・・

小日向氏に関することならば、どんな情報でも結構です。
教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

新潟県上越市安塚区にある直峰城の城主だったようで、直江兼続の実家である樋口氏の前の城主のようですね。下記にそれが記されています。どういう経緯で城主が交代したのか等、詳しいことは分かりません。

参考URL:http://ishigakiotoko.web.fc2.com/shiro/niigatak/nomine/nomine.htm


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