『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜ人々を魅了したのか >>

先日、60年前の東大入試が今と比べてどうだったのかについて、知人と議論になりました。
(60年前にこだわるわけではなく、「かなり昔」という意味なのですが)

知人の考えはこうです。
当時は今と比べると、大学へ進む人の数が圧倒的に少なかったのだから、東大の倍率も今よりかなり低かったに違いない。
現在の入試問題に比べると、暗記しなければならない知識の量もずっと少なく、簡単なものだったに違いない。
よって、受けた人はほとんど合格したに違いない。
と、いうものです。

上記2点のどちらも確認したわけではないのに、知人がこの考えにかなりの自信を持っているのは、その頃の時代の人で、大学へ行ったという人で、早慶よりも低い大学の人をほとんど聞いたことがないからだというのです。
知人は、現在の日東駒専に入れるくらいの人なら、当時の東大に合格できたのではないかと言っています。

私はそうは思えません。
確かに、今よりは倍率は低かっただろうし、入試問題も現在のものとは、かなり違うかもしれません。
でも、60年前は今のように、予備校や模試など、受験に向けて様々な対策を立てる方法があったわけではないし、暗記量が少ないから簡単な問題だったのというのではなく、むしろ、本人の「本当の頭の良さ」が問われるような問題が出たのではないかと思うのです。

そこで、60年くらい前の東大の入試問題を手に入れて、知人に見せるのが一番良い方法だと思うのです。
どこで手に入るか分かりますか?
もしくはみなさんのお考えを教えてください。
よろしくおねがいします。

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A 回答 (7件)

旧制の教育制度の場合


明治時代に西洋列強に追いつくために、日本を代表する大学として東京大学を作り、高等教育をここに集中させます。
明治19年の時点で帝国大学となり、明治30年に京都に帝国大学ができると東京帝国大学となります。
日露戦争後の日本の資本主義の発達と共に、高等教育を受けた勤労者の需要が出てきます。
旧制高校というのは、帝国大学の教養部門の位置づけです。
どこの旧制高校に入っても、旧制高校の定員より帝国大学の定員の方が多かったので、明治末期まで無試験でした。
つまり、みなさんが指摘されているように、高校受験が大変だったのです。
大正中期にあまりの高校受験の厳しさと高等教育を受けた人の需要が増えたことで、旧制高校が増設されます。
それ以前は、ナンバースクールのみでした(例外あり)。このときの改正により、地名を冠した旧制高校ができます。
松本高校、松江高校、などです。
これにより、旧制高校の定員が増えました。
大学も増設されますが、一部人気のある大学の学部では、入学試験も行われます。東京帝国大学の法学部もそうです。
これに対して、京都帝国大学の法学部は、確か最後まで無試験でした。
いずれにしても、高校受験が一番の難関でした。
ですから、旧制高校の問題を参考にされるのが良いかもしれません。

旧制の時代には、中学卒業生が今の大学卒業生の価値がありました。
大学は、同世代の2パーセントというのが、昭和初めの水準だったかなと思いますが、いつの時代だったかは不確かです。

大学に進学するには、すでに言われているように経済的な負担もあります。
旧制大学の時代には、卒業年齢が27歳くらいになり、死ぬ年齢が早いことを考えると、働く期間が少なくなります。
大学卒業だと待遇が全く違いました。
初任給も卒業した大学の学部ごとに違いました。

このように大学卒業に権威があったわけで、それにつながる旧制高校の入試も難しかったと思います。
ただし、旧制高校によっては、
難解な問題を出し、合格点を低くする高校
標準的な問題を出し、合格点を高くする高校
に分かれていました。

なお、以上に述べたことは、社会的に高い評価を受ける帝国大学およびその予備課程である旧制高校についてのものです。

日本の社会が多少とも豊かになり、遊学のための進学が増えてきた時には、私立の学校がこれらの学生を受け入れました。
そのときの大学でほとんど無試験の大学もありました。
しかし、
旧制中学卒業自体が、評価される地位です。
経済的な負担に耐えられる資産が必要です。
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この回答へのお礼

なるほど。
旧制中学、旧制高校、大学の関係がとてもよくわかりました。
この事実からも、当時東大に入ることが、現在に比べて決して簡単だったわけではないことは明らかですね!
これから試験問題の方も調べてみて、知人に「ぎゃふん」と言わせることができそうです。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/30 01:10

ちょっと補足しておくと、当時あった高校、高等専門学校は多分皆大学になったと思われます。

では高校は、というとこれは旧制中学が高校になりました。例えば北壮夫さんが書いていることですが旧制松本高校は信州大学になりました。また師範学校なんていうのもあって、これは大学の教育学部や教育大学になりました、などなどです。旧制岐阜第一中学は県立岐阜高校の前身になります。
さらに国立の高校がありましたが(いわゆるナンバースクール)第一高等学校はご存知ですね?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
旧制中学が今の高校になり、高校・高等専門学校が今の大学になったんだとすると、当時、旧制中学→高校→大学という進学をした人がいたということは、大学は現在で言う大学院のような感覚だったのでしょうかね。

お礼日時:2005/05/29 23:48

東大の資料室の表示にはこんなふうにあります。




-----------------------
A3: 東京大学の入試問題をしらべるには

↑FAQ(東大編)Top
戦前の入試問題

総合図書館では以下の資料を所蔵しています。
『帝国大学年鑑』帝国大学新聞社(昭和9年~13,17~19年 総合図書庫 ZA:388)

その他に,大学史史料室では,以下の資料を収集しています。
詳しい所蔵は,入学試験問題収録資料類をご参照ください。

『帝国大学入学受験提要:附入学試験問題集』高木亮編 文信社刊
『帝国大学入学提要:附入学試験問題集』文信社編集部編 文信社刊
『帝国大学案内』帝国大学新聞社編・発行
『帝国大学年鑑』帝国大学新聞社刊

戦後(昭和20年以降)の入試問題

大学史史料室等では以下の資料を所蔵しています。

『大学入試案内』東京大学新聞社編・発行
大学史史料室所蔵入学試験問題収録資料類参照
『東京大学新聞』東京大学新聞社
例年3月下旬頃当年の入試問題を掲載
総合図は1ヶ月保存 情報学環(旧社情研)で縮刷版所蔵
『全国大学入試問題正解』 旺文社編(1951年-)
所蔵無し NacsisWebCat等参照
東京大学のHPを見る
過去3年分は,東京大学HPに公開されています。

------------------------

>地方に住んでいるので、なかなか行く機会はないのですが、

 地元の図書館を通じてコピーを取り寄せる
ことができるのではないかと思います。


こっちのほうに内容があります。

http://www.adm.u-tokyo.ac.jp/gen/gen3/archives/m …


以上の内容から適当な学部の問題に
絞って、これらの本のいずれかを
地元の図書館で借りることができるかもしれません。

貸し出し禁止になっていると駄目ですが、
大学や他の図書館の本を、地元の図書館
経由で借りることは普通にできるはずです。

参考URL:http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/sogoto/FAQ_1.html#Q3
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この回答へのお礼

詳しい資料名まで教えていただき、ありがとうございます。わざわざ東京まで行かなくても、当時の入試が手に入るかもしれないんですね。
地元の図書館で、確認してみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/29 23:42

伝聞なのですが、易しかったようです。


理由は「学徒出陣」によって大学生まで戦地に行かねばならなくなったからです。若者の絶対数が足りなくなったんですね。
ある時期の帝大の文系は無試験だったと聞いてます。
確か、「死神博士」をしていた、あの俳優さんも東大卒だったかと。
入試も旧制高校に行くまでが大変で、そこから先は、よほどの低い成績か、選り好みをしなければ帝大に進めたと。
さしたる確証はありませんが、ご参考まで。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

一つ訂正です・・・
60年前というと、ちょうど戦争の頃ですよね。
その頃はちょっと事情が特殊なので、戦争の影響が受験に出てくるよりももっと前、ということでお願いします。

>入試も旧制高校に行くまでが大変

No.1さんもおっしゃっていましたが、高校へ行くまでの方が大変だったんですね。知りませんでした。
では、その頃から優秀だった高校がNo.3さんの言うように、戦後大学になったんでしょうかね。

お礼日時:2005/05/29 12:37

60年前というと戦争がまだ終わっていないあたりですか。


そもそも入試はあったのかな?
ともかく旧制、最後の東京帝国大学の新入生が1946年。新制大学としては1947年からですね。他の学校も大体そうなんで、それ以前は大学そのものが希少価値なんです。
たとえば現在の横浜国大なんですが、当時は横浜高等商業学校でした。いわゆる高等専門学校や高等学校が戦後に大学になっていくわけで、だからこそ「学士様」などという言い方があったり、逆に「大学は出たけれど」というそこまでのエリート候補さえ職が無い、という不況の様子を示す言葉があったりするわけです。

いずれにせよ上の学校へいく、ということそのものが、一定の学力や家の社会的地位を示す時代だったのでその権威は今とは比べ物になりません。試験についてはよくわかりませんが少なくともかなり高度なことを大学へ行く前から勉強していた気配があります。

本当に勉強がしたい人、また本当に周囲から優秀と認められた人しかそもそも進学できなかったわけで、入試はともかく学力はずっと上じゃないのかな、と思います。
まあそれでほんとに偉い人なのかというとそれはまた別ですが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>いずれにせよ上の学校へいく、ということそのものが、一定の学力や家の社会的地位を示す時代だった

知人は、家に経済力があれば、ほとんど誰でも合格できたというのです。

>本当に勉強がしたい人、また本当に周囲から優秀と認められた人しかそもそも進学できなかったわけで、入試はともかく学力はずっと上じゃないのかな、と思います。

そうですよね!私もそう思います。

お礼日時:2005/05/29 12:28

当時、大学といえば、国立の場合帝大のみです。


私学は、早慶、同志社その他正確には知りませんが、ごくわずかでしょう。そもそも、早慶よりも低い大学というのは、ほとんど存在しなかったわけです。

今と違い、日東駒専に入れるくらいの人は、中学校にも行っていなかったはずです(私の両親は行っていません)。それくらいの人は大学はおろか、中学にも行かず、働く以外の選択肢は無かったのです。

残念ながら、入試問題については知りません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
知人の意見では、当時の数少ない大学が、今と同じレベルで存在していたのではなく、どれも今で言う日東駒専くらいの難しさだったのではないかというのです。
私は大学自体の数は少なくても、東大などは相当難しかったのではないかと思うのですが・・・

お礼日時:2005/05/29 12:19

東大新聞社が毎年出してる「東大(西暦)」という本があるのですが、5~6年前のものに戦前の入試問題がちょっとだけ載ってました。


手元にないので記憶が曖昧ですが、英語、仏・独語の問題が難しいと感じた記憶があります。
特に英訳は哲学者の名言や、小難しい言い回しの文だったのでレベルの高さに驚きました。生物等には知識問題も多かったです。
確かに60年以上経って各学問は発展したのでしょうが、問題を見る限り、知識量はかなり必要と感じましたし簡単でもなかったです。
この本は大学図書館なら置いてあるかもしれませんが、可能性は低いと思います。
詳しい資料がお望みなら、東大図書館に当たれば恐らくあると思います。

私は戦前の高等教育についてはそれほど詳しくありませんし、当時の制度や状況は頻繁に変わっていたそうなので、あまり正確なことはいえませんが、
戦前は大学入試より高校入試のほうが熾烈だったそうで、倍率は大体10倍だったとか。(都心/地方、伝統/新設校で大きな違いがあったそうですが)
参考書、予備校等の現代まで続く受験文化もありました。あまりに熾烈なため浪人もいたそうです。(安岡章太郎だったと思うのですが、受験の苦労を書いていた気がします)
東大等の帝国大学へは基本的に高校卒業者が進学しましたが、東大法学部(倍率は2倍ほどだったと聞きました)などを除けばそれほど競争率は高くなく、無試験の場合も多かったらしいです。(時代によって異なります)

下記は駿台の歴史です。予備校の歴史と戦前の受験の参照になると思います。

参考URL:http://www.sundai.ac.jp/ayumi/index.htm
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この回答へのお礼

おはようございます。

やはり東大図書館で探すのが一番みたいですね。
ひょっとしてインターネットで見つけられないかと思ったのですが、見当たりませんでした。
地方に住んでいるので、なかなか行く機会はないのですが、やはり問題を手に入れるのが一番の証明になると思うので、機会があったら行ってみます。

それにしても、当時は高校受験のほうが厳しかったんですね。では、その時点で選別されていたということですから、「競争率は高くなく、無試験の場合も多かった」としても、誰でも簡単に入ることができたということにはならないですよね。

お礼日時:2005/05/29 12:07

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Q昔と今の大学受験の難易度

この質問までの経緯を説明しますと

<高校で>
担任「今は少子化で、選ばなきゃ誰でも大学に入れるからねー。お前らは幸せっちゃ幸せだよねー。俺らのときは、ベビーブームって言って、倍率とか大変な数字だったから、きつかったんだけどね・・・今より受験は難しかったよ。」

<予備校で>
英語講師「長文も昔と比べるとすごいレベルが上がったんだよね。昔の早慶の英語も今みたら、楽に感じるよ。そんだけ求められてるものが増えたんだろうね。」

数学講師「医学部の数学なんかも、昔はもう少し易しかった。理工系のが、全然難しかった。全体的に難化してる。」


どっちもなにか違和感あるんですけど、実際はどうなんでしょうか。
科目ごとの評価でも構いませんので、お聞かせください。

Aベストアンサー

僕もNO2さんに賛成ですね。
単純に大学がどんどん定員を増加し続けてるので入学が簡単になるのは当たり前です。

と言うか大学側のスタンスが「優秀層を採る」から「育てる」方にシフトしてる部分が大きいです。
大学の入試科はそれで採ってるのに、その考え方が大学全体に一体化無く、昔のスタンスで講義を進めようとする教授が多いのが問題ではないかと思います。組織の問題ですね。
要するに育てる能力が低い=無能だと言う事ですけれど。
例えば外国人学生はどんどん増えてますが、日本語で授業をしてスコアが悪いのをその学生の責任にするようなものです。英語なら理解できたかもしれないし、適切な語学サポートがあれば優秀だったのかもしれない。数学受験で入ってないのに、それも分かっておらず「数学の能力が低い」と言ってプンプン怒ってる。そういう先生は少なくないですね。

事実、東大入学レベルは上位0.8%ぐらいなんですけど、ハーバードは上位5%程度で入れます。
でも後者の方が圧倒的にレベルは高いですよね。
日本は多様な人材を採ってそこから育てて行こうって言う欧米型にシフトしてる印象を受けます。
プロ野球のスカウトと同じですね。
4番バッターばっかり採っても勝てないんですよ。
それで使えなかったら可哀相だけどこぼれていくだけだし。
いまの大学入試ってそういう感じですよ。


個人的に、試験自体は「受験地獄」と言われた80年代の第二次ベビーブームから90年代前半が最難関だったと思います。特に都市圏の私立は難関で日当駒船なんかでも浪人生があふれてました。
医学部も難関だったのですが、一気に難関化したのはバブル崩壊以後の1990年代中盤からですね。
今の医学部は医療費抑制が話題になる中で医師ブームも落ち着いたし、医学部定員はその時期の200%になろうとしてますから最難関の時期に比較すれば簡単にはなってます。まだまだムズかしいですけど90年代後半の医学部ってギャグみたいにムズかったですから。
薬学部などは90年代に乱立した為に易化がとても進んでますけどね。
バブル崩壊後はあらゆる業界が不況でリストラも進まなかった為に大手企業が0採用などを行いました。結果悲惨なものになりましたし、特に割を食ったのは事務や営業の担い手の文系職でした。
よって国立理系、公務員、医師などが手堅いと言うことで一気に難化しましたね。
親に聞いたら当時の公務員なんか「滑り止め」「コネばっかり」だったそうですから、今の時代とだいぶ違いますよ。


そういう「流れ」みたいなものはあると思いますよ。
日本ではマイナーですけどIIT(インド)や北京大(中国)は1000人に1人の秀才しか受からないと聞きます。じゃあ東大と比べてどっちが上か?って言うとランキング上は圧倒的に東大なんです。
人口が違うんですから国によって難易度が違うのは当たり前のことです。


今の大学の試験自体は易化してると思います。
一方で過去の人の映像インタビューを見てみるととてもレベルが低いですし、プレゼン能力は無いなと思います。
バブルだけでなく6,70年代も面接はほとんど「がんばります」で受かった時代だったと思われます。
英会話能力やネット関連の能力も相当低かったでしょう。求められてないし、機材も無かったですから。
1970年の大阪万博のガイドの英語を聞いてると相当酷いですからね。
でも当時は日本で最高峰の才媛で英語の得意な女子大生ばっかりだったと聞きます。
あれぐらい喋れる奴はいまの大学生では腐るほどいますからね。
要するに試験自体は易化してるけど、若い世代が特別あほなわけではないだろうと言うのが僕の意見です。
もし試験内容がプレゼンと英会話、ワードエクセルなどのIT系であれば、現代の若者の圧勝ですよ。

こういうのは気にしないでいいと思います。
また時代そのものより個人の努力や優秀性が大事だと思いますよ。
日本が文明開化する前後で英語やオランダ語を取得したのは漢文(中国語)素読を幼少期に行っていた武士の若者たちでした。
「生まれた時代が悪かった」なんて言わずに一生懸命に英語を勉強してたようですし、以後の世代の庶民なんかよりずっと立派な英語を使いました。
だから優秀な奴も無能な奴もどの世代も一定存在するんだと思います。

僕もNO2さんに賛成ですね。
単純に大学がどんどん定員を増加し続けてるので入学が簡単になるのは当たり前です。

と言うか大学側のスタンスが「優秀層を採る」から「育てる」方にシフトしてる部分が大きいです。
大学の入試科はそれで採ってるのに、その考え方が大学全体に一体化無く、昔のスタンスで講義を進めようとする教授が多いのが問題ではないかと思います。組織の問題ですね。
要するに育てる能力が低い=無能だと言う事ですけれど。
例えば外国人学生はどんどん増えてますが、日本語で授業をしてスコアが...続きを読む

Qひとむかし前の大学受験は?

1960~1980頃の大学受験がどんな感じだったのか知りたいのですが
当時のことを書いてあるサイトや書籍をおしえてください。

Aベストアンサー

60年代末期~70年代初頭にかけては大学紛争がピーク。
東大医学部の学生がインターン制度に抗議。これに端を発し、またたく間に全国の大学に広がりましたね。東大に限らず以前より他大学医学部でも登録制度に対する問題はあったようで、また、多くの国公立・私立でも学費値上げ等に対する反対や抗議はあったようで、ここにきて一気に紛争に発展。
確か東大はその年の入試を中止したと思います。それほどに国を揺るがす出来事だったのです。

あと、国立大は一期校と二期校があり前者が一流(メジャー)、後者が二流(マイナー)というイメージがあり受験生や家族もそういった色眼がねで捉えていて、特にへんぴな地方国立大に行くより華やかな都市部の私立大へ行く傾向は当時からあったようです。

入試偏差値は当時も今も大きく変わりはないかと。今も昔もいい大学は入試の難易度が高いのも変りません。
東大・京大、をはじめ旧帝大、一橋、東工大、東京医科歯科、全国の国公立医学部・歯学部、をトップとし(偏差値:60以上)、私立では関東の早・慶、立教、明治、中央。関西では同志社、関学、といった特に伝統的名門校が上位で、理系単科大では東京医科、日本医科、順天堂医学部、東京理科、芝浦工大、東京歯科。女子大は津田塾、東京女子、日本女子、など。(偏差値:概ね、文系60以上、理系55以上)

60年代末期~70年代初頭にかけては大学紛争がピーク。
東大医学部の学生がインターン制度に抗議。これに端を発し、またたく間に全国の大学に広がりましたね。東大に限らず以前より他大学医学部でも登録制度に対する問題はあったようで、また、多くの国公立・私立でも学費値上げ等に対する反対や抗議はあったようで、ここにきて一気に紛争に発展。
確か東大はその年の入試を中止したと思います。それほどに国を揺るがす出来事だったのです。

あと、国立大は一期校と二期校があり前者が一流(メジャー)、後者...続きを読む

Q戦前の大学の難易度

概ね昭和初期の日本の大学の、

東京帝国大学
陸軍大学校
海軍大学校

では最も難関だったのはどれでしょうか?

Aベストアンサー

軍人の学校というものは、時代によってかなり人気が上下します。

その昭和の初期は大不況の最中ですから、経済的に厳しい人にあっては、東大以上の値打ちのあるところとなります。
逆に、東大を始め、帝国大学に進学する学生は、大げさに言えば、生まれついた時からそういうコースを選べれる人生だったのです。

今は、農業高校からでも東大でも受験できます。しかし、戦前の学制はもっと若い年齢のうちに振り分けられているのです。
旧制中学から旧制高校にいくこと、これが帝大に行く絶対条件でした。旧制高校に入学できれば、ほぼ(どこでもいいなら)帝国大学には進学できました。さすがに東大は少々難しかったにせよ、そういうものだったのです。ですから、大学受験での受験地獄はありませんでした。むしろ一番の関門が、高校受験でした。
そして、同じく、中学卒業時に海軍兵学校や陸軍士官学校の受験資格がありました。どこの中学からでも相当な秀才が行ってます。東京帝大も十分射程距離の学生です。

それと、学力だけでない難易度もあります。体格や体力もですが、特に海兵においては、海外に出る機会が多く、欧米先進国の士官に見劣りしないようにという考えが働いたようで、男前が多かったですよ。
男ぶりに自信がないから陸軍にするという人もいるくらいでしたからね。

ということで、海軍兵学校というのは、当時の女学生から絶大な人気がありましたよ。

それでも、東大の法学部は当時の高等文官試験の合格率が高く(高文は単なる公務員試験ではなく色々と特典もありますから)別格だったでしょう。
それが崩れたのは、第2次世界大戦の最中、大学生も徴兵免除がなくなった頃からでしょう。このときは文科は免除なし、理科は免除でした。それで、徴兵逃れに医者になるものが増えたんですよ。帝国大学でなくてもいいと、地方の医科大学の進学者が増えました。(戦前は国民保険制度がないので、かならずしも医者が儲かるとは限らない)

軍人の学校というものは、時代によってかなり人気が上下します。

その昭和の初期は大不況の最中ですから、経済的に厳しい人にあっては、東大以上の値打ちのあるところとなります。
逆に、東大を始め、帝国大学に進学する学生は、大げさに言えば、生まれついた時からそういうコースを選べれる人生だったのです。

今は、農業高校からでも東大でも受験できます。しかし、戦前の学制はもっと若い年齢のうちに振り分けられているのです。
旧制中学から旧制高校にいくこと、これが帝大に行く絶対条件でした。旧制高校...続きを読む

Q旧帝大ってどんくらいすごいですか?

旧帝大ってどんくらいすごいですか?
私の祖母はめっちゃ旧帝大信者です
姉が私立大なのですが 実家帰るたび嫌味を言われていてかわいそうです
信者はうちの祖母の世代に限るんでしょうか?
皆さんは「旧帝卒」って聞くとどう感じますか?
教えて下さい

Aベストアンサー

国立大の話をすると、各県に教育学部と医学部が必ずあります。学校の先生とお医者さんは、各県に必ずいる大切な職業で、しかも高等な教育が必要だから、地元に養成機関を作ったんですね。また、ほとんどの県で、工学部か農学部、希に水産学部があります。これも地元の産業を担う人材を育てたい、ということですね。
旧帝大は、これら各県の枠では収まらない優秀な人材を集めて地元の産業の枠を超えた、国として産業や学問を発展させよう、という研究機関となります。北海道、東北、関東、中部、近畿、九州の各地方(なぜか中四国にはないんですよね)にあります。
特徴としては総合大学として、文学部、商学部、法学部、理学部、工学部が必ずあり、各分野の進歩を担う人材の育成を目的としています。
要は、「研究者」つまり「学者」を養成することが大きな目的です。

対して私立大の両雄、早稲田、慶応の例で書くと、これらは、社会に実際に役立つ人材を広く育成することが目的で、「実学」(実際の社会活動に役立つ学問)を教えることが主になります。
たとえば、建築の話ですると、
旧帝大は建築学の権威を育てたいと考え、私立大は優秀な建築家を育てたい、と考えているわけです。

ここでのポイントは、学者さんと技師さんとで、どちらを尊敬するか、ということですね。
昔は多くの人は中学にも行かずに職人や商売人になりました。職人は技師と同じ職場にいますし、経営者も商売人と直接関わる間柄になりますよね。技師さんや経営者さんは大学を出ていても身近な存在なんです。大学を出たばかりの設計技師さんよりも、現場で腕を磨いた頭領の方が優秀なことも多かったでしょう。
でも、身近に学者さんはいなかったでしょう。

で、回答になりますが、「旧帝大卒」と私が聞いた場合、研究者になるための一通りの作法を学んだ人だ、という認識を持ちます。実際に研究者になっていなくても、学んだ、つまりそういう考え方を習ったというところがキーになります。お茶の師匠になっていなくても、その作法を習った人は、茶道とは、というところを知っているだろう、というのと同じです。

これ、言い換えると、「私大卒」と私が聞いた場合、社会に実践的に役立ついろいろなことを知っている、身についている、と思います。

上下がある話ではなく、社会に貢献するやり方の違い、だという認識です。

国立大の話をすると、各県に教育学部と医学部が必ずあります。学校の先生とお医者さんは、各県に必ずいる大切な職業で、しかも高等な教育が必要だから、地元に養成機関を作ったんですね。また、ほとんどの県で、工学部か農学部、希に水産学部があります。これも地元の産業を担う人材を育てたい、ということですね。
旧帝大は、これら各県の枠では収まらない優秀な人材を集めて地元の産業の枠を超えた、国として産業や学問を発展させよう、という研究機関となります。北海道、東北、関東、中部、近畿、九州の各地...続きを読む

Q早稲田は昔はバカだった?

早稲田大学卒業の年配(おおむね60代以上)の方は、よく大学の話になると
「いやあ、私なんか早稲田ですから。
 田舎者でも入れるような二流大学でしたから・・・」
と謙遜します。
早稲田卒業なら立派に自慢できる経歴だと思うのですが、どうして早稲田卒を謙遜・卑下するのでしょうか?

1 本当に、昔はバカしか入れない大学だったから。
2 本当は東大京大に行きたかった。同級生もみんな東大京大なので、早稲田は恥ずかしい、とおもっているから。
3 年配の人は謙譲の美徳を常としているので、単に謙遜しているだけ。
4 早稲田は早稲田でも実は夜間部卒だった。
5 本当は早稲田大学ではなく、バカ田大学の卒業生。
6 そのほか。

もし、昔はホントにバカだったとしたら、いつごろから偏差値の高い学生が集まるようになったのでしょうか?

早稲田関係者の方、ご回答お願いします。

Aベストアンサー

昭和41年に早稲田大学に入学しました。
昭和41年は、早稲田の学費値上げのストライキで授業が開始できず、入学式が5月にずれ込みました。

当時はまだ日本は貧しかったので
普通レベルの国立大学>早稲田大学
でありました。
埼玉大学に合格した同級生は
埼玉大学>早稲田大学
と言っておりました。

確かに二つのことは言えました。
1.国立大学に入学すると親に経済的負担をかけない。つまり孝行息子であると。
2.早稲田しか受けない学生は三科目を必死にやれば入れる。しかし、国立は科目が多いから必死に三科目やっても入れない。つまり国立大学の学生は付け焼刃ではなく本物の優等生だ。

私も素直に上記を認め
普通レベルの国立大学>早稲田大学
だと思っておりました。

ところが日本が高度成長で豊かになってから評価が変わりました。
「私立でもいいよ」と言ってくれる親が増えました。

考えてみれば、お金があるなら埼玉大学に入るより、早稲田のほうが楽しそうです。四年間の学生生活をエンジョイできそうだし、卒業生も多い。で、今では
早稲田>普通レベルの国立大学
となっているようです。

昭和41年に早稲田大学に入学しました。
昭和41年は、早稲田の学費値上げのストライキで授業が開始できず、入学式が5月にずれ込みました。

当時はまだ日本は貧しかったので
普通レベルの国立大学>早稲田大学
でありました。
埼玉大学に合格した同級生は
埼玉大学>早稲田大学
と言っておりました。

確かに二つのことは言えました。
1.国立大学に入学すると親に経済的負担をかけない。つまり孝行息子であると。
2.早稲田しか受けない学生は三科目を必死にやれば入れる。しかし、国立は科目が多いから必死に三...続きを読む

Q3、40年前の私立大学入試

3、40年前は、私立大学は今ほど人気がなく、早慶でも、そこまで難易度は高くはなかったという話を聞いたのですが、これは事実でしょうか?

Aベストアンサー

本当です。30年前か、40年前かというので、話は違ってくると思います。

当時は、頭がよくて、なおかつ裕福な人だけ大学に進学する傾向がありましたから、競争率自体は、低かったと思われます。

県立のトップ高校でも、進学せずに就職したり、結婚する人が結構いましたから。

また、早慶だけでなく、願書さえ出せば合格する大学もあったそうです。(青山学院大学とか日本大学など)。

今から45年位前の話です。


親がそうそうたる大学を出ていても、子供はそれに及ばずというケースも多々ありますよね。
そういうのも、時代背景とか関連があるのかもしれないです。

でも当時は、国立大学の人気が高く、旧帝大なんか今よりはるかに難しかったものと思われます。

Q東大医学部の難易度について

私の親戚の子供なんですが現在私立中学2年の子がいます。学校のレベルは全国レベルでいうとそれほど上位ではなく県内でいうとそこそこといったレベルです。
小学生の頃から理数系が得意で県内でも上位クラスでした。本人曰く将来医者になりたいと言ってるのですが家がそれ程お金持ちでもなく行かすならなら国立の医学部しかやれないと親は言ってます。年末その子に会って勉強の話しを色々してたんですが冗談まじりで目指すなら東大医学部いきたいな~と言ってましたが親曰く今の段階では到底そんな学力はないそうです。
もう10年近く前になりますが同じ小学校からその親戚の子が通っている私立中学に入って一浪の末阪大医学部に進学した子がいるんですがその子は小学校の低学年の頃から神童と噂される位の秀才で誰もが東大に行くものと思ってたんですが現役で阪大医学部を落ちました。これから推測すると東大の医学部はやはり全国トップクラスではないと無理なんでしょうか?私の学生時代とある業者の全国模試で800点満点中800点取った人が志望大学東大医学部とある本に載ってたのが印象に残ってるのですが東大医学部に入るにはそんなキチガイじみた学力が必要になるんでしょうか?また合格圏内の偏差値ってどれくらいなんでしょうか?
ぜひアドバイス宜しくお願い致します。

私の親戚の子供なんですが現在私立中学2年の子がいます。学校のレベルは全国レベルでいうとそれほど上位ではなく県内でいうとそこそこといったレベルです。
小学生の頃から理数系が得意で県内でも上位クラスでした。本人曰く将来医者になりたいと言ってるのですが家がそれ程お金持ちでもなく行かすならなら国立の医学部しかやれないと親は言ってます。年末その子に会って勉強の話しを色々してたんですが冗談まじりで目指すなら東大医学部いきたいな~と言ってましたが親曰く今の段階では到底そんな学力はないそう...続きを読む

Aベストアンサー

大学の入試に関して言えば

東大の定員は約3千人で大学進学を志望する全国の受験生がおよそ60万人。大雑把に言って全受験生の上位1%ぐらいの学力の人が東大に受かるのね(甘く見ても上位2%という所かな)。

で、その中でも医学部に進学できる理科3類は他の回答者もいう通り90名のみ。だから同じ理科系の理科1類にA判定(この判定をとった人なら合格可能性は80%以上で、余程の失敗が無い限りまず受かる)をいつもとるような生徒でも、志望が理科3類だとC判定(合格可能性50%程度)にも達しないのはザラ。

単純に言うと、東大理科3類は大学受験の文字通りの最難関で、受験生全体の上位0.01%ぐらいの人が受かる。

偏差値で言うと、(偏差値というのは母集団の内容で変わるんだけど)
河合塾とか駿台とかがやっている普通の受験生が対象の全国模試で大体偏差値60以上の人のみが受ける「東大模試」というのがあるんだが、その東大模試で偏差値70オーバーでないとまず受からない。
つまり、普通の全国模試レベルだと偏差値80クラスね(普通だと偏差値は75で打ち止めにしちゃったりするけれど・・)。合格圏でいうならその模試の成績優秀者として名前がでるうちの上位100番までぐらいと考えるべきだね。もう一度書けば、普通の全国模試で偏差値70では理科3類は受からない。

あ、それから、現在の国立大医学部のレベルは大体東大に受かるのと同じ程度と考えればいいんじゃない。だから、ご質問の阪大医学部に合格した人はけっこう成績が良かったのよ。

最後にアドバイスを書けば、いま中2のその親戚の子だって、これから4年間学校でダントツの1位をとり続けるぐらいの頑張りができるなら理科3類に受かる可能性はあるけれど、たいていの場合は、現実に目覚めて志望校を落とすから・・
その時に無駄かつ無理な励ましをしない方が良いってこと。
本当に理科3類に入るためには、キチガイじみた学力が必要なんだからね。国立大医学部でも東大に入るのと同じぐらいの学力が必要ということは覚えといてね。

一応、理科3類の合格者も、今年志望している者も身近にいっぱいいるという立場からの話なんだけどネットだとなんとでも言えるからこの話を信用するもしないも質問者次第。

大学の入試に関して言えば

東大の定員は約3千人で大学進学を志望する全国の受験生がおよそ60万人。大雑把に言って全受験生の上位1%ぐらいの学力の人が東大に受かるのね(甘く見ても上位2%という所かな)。

で、その中でも医学部に進学できる理科3類は他の回答者もいう通り90名のみ。だから同じ理科系の理科1類にA判定(この判定をとった人なら合格可能性は80%以上で、余程の失敗が無い限りまず受かる)をいつもとるような生徒でも、志望が理科3類だとC判定(合格可能性50%程度)にも達...続きを読む

Q東大の理1と理2の違いは?

僕は次から高1になるのですが、大学は東大の理系を考えています。
理3が医学部だということは分かっている(し、行く気はない)のですが、
理1と理2の違いがあまりはっきりしません。
学部進学の際、どのように振り分けられるのですか?
できれば具体的な人数なんかのデータがあればいいのですが・・・。

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>工学が1、農学が2、理学部ではそんな変わんないって感じでしょうか。

理学部はひとくくりにできませんよ。
物理学科、数学科などは理1優勢ですし、化学科だと同じくらい、生物学科なら少し理2優勢といった感じです。
#2で示した集計表のとおりです。
細かいこと言い出すと、工学、農学も学科によって色合いがかなり異なりますよ。

大まかなことを言えば、#2の文中に示した進学振り分けについての資料にありますが、
理科一類 工学部・理学部・薬学部・農学部
理科二類 農学部・理学部・薬学部・医学部・工学部
↑は、それなりに人数比率も反映した順番になっていて、理1なら工・理が大部分を占めるし、理2なら農・理・薬が大部分を占めます。

ここまでいろいろ書きましたが、どちらかというと、momomoredさんには#2の集計表とにらめっこしてほしくありません。
むしろ、大学側からの「進学のためのガイダンス」(http://www.u-tokyo.ac.jp/stu03/guidance/H16_html/index.html)や、#2の進学振り分けの資料の中の各学部の紹介とか、あるいは、各学部のホームページ(学部ごとにホームページをもっています)を見て、できれば研究室のホームページまでチェックして、具体的に何がやりたいか、そしてそれをやるためには東京大学のあの研究室で学びたいんだ、ということをしっかりと意識することのほうが大切だと思います(それがなかなかできないわけですが…ハイ)。

あくまで#2の集計表とかは参考までにね。#2で書いたように、入ってから行きたくても行けない学部・学科なんてものはほとんどないですから(文転もありですよ)。
目標高く勉強のほうがんばってください。

>工学が1、農学が2、理学部ではそんな変わんないって感じでしょうか。

理学部はひとくくりにできませんよ。
物理学科、数学科などは理1優勢ですし、化学科だと同じくらい、生物学科なら少し理2優勢といった感じです。
#2で示した集計表のとおりです。
細かいこと言い出すと、工学、農学も学科によって色合いがかなり異なりますよ。

大まかなことを言えば、#2の文中に示した進学振り分けについての資料にありますが、
理科一類 工学部・理学部・薬学部・農学部
理科二類 農学部・理学部・薬学部・...続きを読む

Q1980年ごろに大学受験をされた方いますか?

これはネット上で見つけた1980年の偏差値表なんですが、慶應の偏差値の低さにびっくりです。
早慶というより、完全にマーチ関関同立の一角という印象を受けます。
当時の慶應はどのような扱いだったのでしょうか?


http://www.geocities.jp/gakurekidata/hensa1980.html

<1980年駿台予備学校偏差値 1980年代々木ゼミナール>
63.2 早稲田政経(政治)  68.8 早稲田政経(政治)
60.1 早稲田法       64.6 早稲田政経(経済)
59.8 早稲田政経(経済)  64.4 早稲田法
58.3 中央法(法律)    63.4 中央法(法律)
57.8 上智法
55.9 同志社法       63.4 上智法
55.7 中央法(政治)
55.6 早稲田商
55.5 学習院法       62.8 中央法(政治)
              62.8 同志社法
55.5 慶應経済       62.3 上智経済(経営)
54.6 慶応法(法律)    62.1 学習院法(法律)
               62.0 慶應経済
               61.4 明治法
54.1 明治法        60.5 関学法
54.1 立教法
53.7 青学法        60.5 慶應法(法律)
53.6 関学法        60.5 慶應商
52.7 慶應商        60.4 立教法
51.5 明治政経       60.1 青学法
              60.0 学習院法(政治)
51.0 法政法        59.4 慶応法(政治)
50.5 慶応法(政治)    57.0 法政法
50.4 南山法
50.0 成蹊経済

これはネット上で見つけた1980年の偏差値表なんですが、慶應の偏差値の低さにびっくりです。
早慶というより、完全にマーチ関関同立の一角という印象を受けます。
当時の慶應はどのような扱いだったのでしょうか?


http://www.geocities.jp/gakurekidata/hensa1980.html

<1980年駿台予備学校偏差値 1980年代々木ゼミナール>
63.2 早稲田政経(政治)  68.8 早稲田政経(政治)
60.1 早稲田法       64.6 早稲田政経(経済)
59.8 早稲田政経(経済)  64.4 早稲田法
58.3 中央...続きを読む

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1970年代に大学生やってたので、質問者さんの要請とはすこしずれるのですが、当時と今と若干感じは異なりますが、早慶はやはり私大の両雄という感じでしたよ。
あの頃と今の違いは
早稲田政経が私大トップ、東大文系の滑り止めはここが定石。
一般に 早稲田>慶応 だったが、これは早稲田が受験生も多くて人気!の面もある。慶応が偏差値的に低く感じられるのは、数学必修の学部が多くて、いわゆる私文洗顔者が敬遠していたのが大きいと思われます。反面、旧帝大の併願先、或いは国立理系の併願先にもなっていた。
経済は定評があるので、地方の旧帝や神戸、横国クラスだとどっちにしようか迷う感じでした。今は慶応選ぶ人が圧倒的でしょうからそういう意味では随分評価は上がったと思います。これは早慶ともに。
それと当時は偏差値がちょっと上下よりスクールカラー重視だったような気がします。いわゆる早稲田>明治>中央>法政のバンカラ系、慶応>上智>立教>青学>明学 のオシャレ系、ではっきり分かれていたと言うか。立教と明治を受けるなんて感じはなかったです。そういう意味でも早慶はそれぞれのラインのトップで、マーチとはやっぱり「名前では別格」でした。
実際は、早慶の下位学部よりマーチの上位学部を優先する人は結構いましたよ。そういう意味ではマーチの一角、云々は言えるかもしれません。今ほど大学名=ブランド 意識は強くなかったと言うことでしょう。

1970年代に大学生やってたので、質問者さんの要請とはすこしずれるのですが、当時と今と若干感じは異なりますが、早慶はやはり私大の両雄という感じでしたよ。
あの頃と今の違いは
早稲田政経が私大トップ、東大文系の滑り止めはここが定石。
一般に 早稲田>慶応 だったが、これは早稲田が受験生も多くて人気!の面もある。慶応が偏差値的に低く感じられるのは、数学必修の学部が多くて、いわゆる私文洗顔者が敬遠していたのが大きいと思われます。反面、旧帝大の併願先、或いは国立理系の併願先にもなって...続きを読む

Q旧帝大の医学部と慶應医学部

医学部受験者です。
旧帝大(東大以外)の医学部と慶應の医学部に合格してしましました。

国立の方を第一希望として頑張った結果ですが、親戚・友人・先生などほとんどの方から慶應への進学を勧められています。

慶應は実家から通学圏内ですが、国立の方はアパート暮らしをしなくてはなりません。

慶應を薦める人は大学としての格が上と言います。また、実家から離れた国立大学へ進学すると関東に戻って来れないとも言います。

借金してでも慶應に入るべきと言われ、本当に迷っています。

・そんなに慶應大学の医学部の格が上なのでしょうか?自分にとっては学費のかかる私立大学がそんなに優秀とは思えないのです。

・大学所在地での勤務を余儀なくされる。又は関東に戻ってきても、立場が弱いというのは本当なのでしょうか?

Aベストアンサー

同じことで悩んだ経験のある人間です。

貴方がどれだけ医学界の事情に明るいかは分かりませんが、基本的には自分の将来の拠点としたい地域が決まっているのならばそこの地域で力のある大学に行くのが常識です。今は医局という形での各大学の勢力図も昔ほどではなくなりましたが、その大学の関連病院という形で地域別の大学の力は色濃く残っています。その意味で関東圏に住んでいる人間で将来地元で働きたいなら関東圏における慶應の力は非常に強いのは事実です。関東圏では東大、慶應で勢力が二分されますし、入れば分かりますが慶應の医学部には三四会というOB組織があり、卒後のバックアップなども良くも悪くも慶應特有の連帯感で国立大学よりも強いです。

慶應の力がどの程度かということですが、国立大学医学部、中でも旧帝国大学医学部を各地域の医学界の頂点ととらえる考え方の中でも慶應医の力は別格です。そりゃあ国立大学より学費が高いですから東大理三とダブル合格すれば理三に行くのが当たり前ですが、過去には理三に行かずに慶應医に行った人間もいるぐらいのレベルです。もちろんこれは極めてレアなケースではありますが、入学時点で将来臨床医になると決めており、尚且つ慶應医出身者が親戚などにいる人にとってはあり得る選択だと思います。

私も貴方と同じで国立第一志望で旧帝に受かり最初はそっちに行こうかと思いましたが、親の意見、予備校関係者の意見などを総合して結局慶應医に行きました。ちなみにその時の予備校の人の意見としては、どちらでもよい、研究医になるなら旧帝へ、関東の人間なら縁もゆかりも無い土地に行くより地元の慶應、などのものがありました。私はその時点では研究に行く可能性も視野に入れていたので迷いはしましたが、結局のところ、将来的に関東圏で働く予定であったことが決定的でした。

もちろん、実際は地方の旧帝に行っても卒後関東圏に戻ってくることは可能です。ただ、その場合、関東の大学の医局に所属する形が一般的ですからそこでの立場は当たり前ながらその大学生え抜きの人間よりは弱いです。誰だって他校出身者より自分とこの後輩の方が可愛いもんですから。特に慶應の医局に所属した場合、医局構成員の多くは慶應生え抜きであり、教授もほとんど慶應出身者という状況です。慶應という組織は医学部に限らず全般的に慶應命、排他的な部分が非常に強いですから、外の人間から見たら嫌な感じということも多々あると思います。。よって将来関東で働くつもりなら慶應医がいいでしょう。

逆に旧帝医に行くメリットは何か。

第一にお金ですね、学費。これは確かに大きいことは大きい。ただ、貴方の場合、自宅通学が不可能になりますからいくらアルバイトするといっても親の仕送りに頼る部分もあるのが普通です。そうなると結局のところ、学費の差がそのまま慶應に行った場合との金額の差にはなりません。日々の生活で親に負担してもらう部分は自宅を離れた場合の方が当然上がりますから、実際には6年間で1千万弱ぐらいの差に縮まるでしょう。もちろんお家の経済状態にも寄りますが、この金額の差は将来のことを考えるならば必ずしも高すぎる金額ではないと思います。

それから、次のメリットとして一般的なのが研究ですか。
確かに研究面でのバックアップは国立の旧帝の方が受けやすいという部分はあると思います。ただどれほどの差なのか。慶應がまったく研究していないかと言えばそんなことはありませんし、新聞に載るような研究をしている先生方もたくさんいます。そして優秀な研究をしている先生の研究室には国や企業からのバックアップはかなりあります。結局、いかに研究費のバックアップを受けられるかどうかは国立、私立の差よりも研究の内容であると感じます。

まあ、最終的な結論としてはどちらに行ってもいいと思います。どっちに行っても将来的に後悔するようなことになることはない大学間での選択ですから。
私はもう一度同じ状況に置かれて考えるならばやっぱり慶應を選ぶと思いますが、選ぶのは貴方ですからね。

最後に参考までに慶應入って良かったと思えること、逆に良くなかったと思うことを書いておきます。
まず、良かったこと。
卒業試験がありません。各大学、国公私立問わず医学部ではどこも卒業試験がありますが、慶應にはありません。よって卒業は極めて楽です。毎年全員卒業であり、卒留(卒業留年)はいません。
出席、特に臨床系の出席が甘い。基本的に学生の自主性任せなのでかなり遊べます。もちろん最低限、きっちりと試験を通さなければ進級していけませんが、効率よい学習が出来る人なら高学年になっても相当遊べます。自分もかなり遊んでました。

良くなかったこと。
部活に入らない人間への風当たりが強い。これは慶應に限らないかもしれませんが、慶應では特にその傾向が強い気がします。入学早々、絶対に部活(それも運動系の部活が望ましい)に入れと命令されます。興味の無い人間には苦痛な気がしますが、将来的にも部活がどこだったかははじめましての次に来る慶應出身者同士の挨拶代わりみたいなものですからどこかの部活に一度は所属しておいたほうがいいとは思います。基本的に途中でやめる分には平気です。6年間ずっとは部活に所属し続けず、途中でやめる人間もけっこういますから。
ポリクリ(5~6年次に行われる病院での臨床実習)が長い。これは苦痛です。国家試験の準備したい時にしつこくポリクリがつきまといます。他大では6年の夏前でポリクリが終わり、9月以降は卒試と国家試験という流れが普通ですが、慶應では国家試験にはほとんど何の役にも立たないポリクリが延々と6年の11月末まで続きます。。ちなみに国家試験は翌年2月ですのでポリクリの間も計画的にやっていかないときついです。ただ、これは毎年学生側から文句行ってますので貴方が慶應に入学してポリクリやる頃にはもっと短縮されるかもしれません。

同じことで悩んだ経験のある人間です。

貴方がどれだけ医学界の事情に明るいかは分かりませんが、基本的には自分の将来の拠点としたい地域が決まっているのならばそこの地域で力のある大学に行くのが常識です。今は医局という形での各大学の勢力図も昔ほどではなくなりましたが、その大学の関連病院という形で地域別の大学の力は色濃く残っています。その意味で関東圏に住んでいる人間で将来地元で働きたいなら関東圏における慶應の力は非常に強いのは事実です。関東圏では東大、慶應で勢力が二分されますし、...続きを読む


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