アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

いつもお世話になります。文字制限があるので簡潔に書きます。

このたびの相談は、90才になる祖母の事です。
先月、脳血栓になり、左半身麻痺と嚥下障害と言語障害が残りました。
峠は越えたのですが、脳血栓後の2週間後からペースト状のものも一切食べなくなり、アイスクリームや水分も、無理に食べさせると食後、鼻から吸飲しないと痰で むせて 可哀想な状態にあります。
今は点滴で生命維持をしています。その時に、担当医から 胃ろうをすすめられました。

家族で話し合った結果「このまま、老衰という形でなくなるのが本人にとって、一番苦しくないだろう、胃ろうはしないでおこう」と結論がでました。
また、祖母の子供達(私たち夫婦には叔父叔母にあたります)にも相談したところ「胃ろうは本人が望んでいないだろうし、このまま老衰というかたちで」と結論がでました。

両親が揃って、担当医に伝えたところ「今は、病気というわけではなので(ですが、脳血栓以前から寝たきりでした)、このまま胃ろうをほどこさないのは、家族として見捨てるという事ですよ」と言われて、悩んでいます。

家族としては祖母が50代60代なら、胃ろうという道もあったかもしれないと思うのですが、いかんせん祖母は90才です。
胃ろうに耐えられる体力が残っているのか、また、胃ろうをしても結局は、床ずれや ほかの病気で高熱に苦しむのかと思うと
「胃ろうをしないことが 見捨てる」とは、どうしても思えません。

皆様のなかで、ご家族が胃ろうを経験なさったかた、また、医療従事者の
かたで、胃ろうを経験なさったかた、
また、家族に胃ろうをすすめられたが、胃ろうを選択しなかった方ご意見をお聞かせくださいますよう、お願いいたします。

A 回答 (4件)

質問を拝見して、さぞ大変なご苦労をされていることだろうとお察しいたしました。



生活の質とは、一言で言えば、日々の生活によっておばあさまの気持ちがいかに生き生きとしておられるか(例え寝たきり、食事ができなくても)ということではないか?と思うのです。
周囲に「死にたい」と漏らしておられるとのことなので、他の方も言っておられますが、生活の質が高いとは思えないのです。
たとえ胃ろうを作っても、体力はもとより、延命効果があるのかどうか、生かされ続けるおばあさまの苦痛はどうなのか....を考えると、take1chiroさんのおっしゃるとおり、苦しまずに安らかに最期を迎えさせてあげたいという考え方も、ありだと思います。

ただ、では逆にお医者さんの立場になってみればどうかというと、今の日本では安楽死が認められていないので、医学としてするべきことをしないで看取るというのは、どうしてもお医者さんにとっては抵抗があるのではないでしょうか。
家族が同意して治療を中止したはずなのに、その医者が殺人罪で起訴される様な世の中です。
そういう報道が出てしまうと、お医者さんにしてみれば「あとで家族(遺族)が『あの時、どうして治療してくれなかったのか』と意見をひっくり返すのではないか?」という一抹の不安が拭えないってのもあると思うのです。
そのお医者さんは、確かに物言いがきついとは思いますが、本当にあなた方ご家族の意思が固いのかどうか、確かめたかったのではないでしょうか。

いったん胃ろうを作ってしまうと、家族の希望で胃ろうを塞ぐことはできないので(人工呼吸器をはずすのと同じで、殺人幇助に問われるおそれがあります)、もう一度、お医者さんと話し合いをしてみて(ご両親だけでなく、take1chiroさんも同席した方が良いのでは?)再度、ご家族の思いを伝えた方がいいと思います。おばあさまが死にたいと漏らしていた事実なども、洗いざらいお話ししてみてはいかがでしょうか。
できたら、今後の方針について同意書みたいなものを交わすのが、お互いのためだと思います。
他の方も言われていますが、決めるのはお医者さんではなく、あなた方ご家族です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

私たち家族の思いとして、胃ろうを作ってしまうと塞ぐ事は出来ないという事が、一番悩むところです。
それは、家族の中でも おそらく そうであろうと検討はついていました。
だとすると、もし、最後に祖母が苦しんでいる時には、何もすることが出来ず、ただ、見ているだけという事になります。それは、最後を見送る家族の立場として、「ただ、日にちを延ばして、結局、最後におばあちゃんが こんなに苦しんで、胃ろうの意味はあったのか」と思うであろうことが想像できます。

昔のように、何日もご飯を食べないまま、そのまま、ひっそりと自宅で亡くなるといった形態が見られない今日では、胃ろうをしないという事は、これほどまでに大変な事なのですね。

私も同席できれば良いのですが、祖母というのも 夫の祖母であり、また、両親も夫の両親にあたります。両親はとても良い人なので、もしどうしても私が同席したいと言えば、同席させてもらえるかもしれませんが、
嫁の立場としては、そこまで、立ち入らないほうが良いのだと思います。
ただ、母が悩んでいるのを見ていると、もう少し、胃ろうの情報が欲しくて(母に、こういうケースもあるよ、と教えてあげたかったのです)
皆様にアドバイスをいただきたく、投稿いたしました。
 
私の同席が無理でも、夫が一緒に、話し合いをしに行くかもしれません。

また、お医者様の立場というものが、非常に良くわかり、助かりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/29 21:13

No.2です。



胃瘻を作る=将来床ずれができる、ではありません。

胃瘻の話から少し論点が広がってきているような感じがするのですが、コメントとして追記します。

脳血栓後のリハビリは一切ない。といわれた、とのことですが、これまたお粗末な発言ですね。脳梗塞で死んでしまった脳細胞は確かに戻りませんが、リハビリとは残った脳細胞で失われた機能を補うべくトレーニングすることがリハビリだと思いますので90歳を超えたらリハビリはない、というのは間違いだと思います。(それこそ拘縮予防の床上リハビリだって立派なリハビリです)

おばあさんにとって一番してほしいことは何かは、きついようですが、家族で決められるべきだと思います。第3者であるネット上の我々は判断に参考となる材料は提供できますが、決定、方針に対して賛成にも反対にも偏ってはいけないと思います。90歳を超えて息をしているだけ、という意識状態の方でも家族によってはそれだけでうれしい、と言って熱心に介護なさっている方もおられます。もちろんその反対のパターンもあります。患者さん自身は回復して自宅に帰れるのに「誰が面倒見るのよ。私は知らん!」とそれこそベッドサイドで言い放つ人すらいます。お金が絡むとさながらテレビドラマのような修羅場すらあります。どっちがいい、とは言えません。(もちろん私自身の家族だったら、自分だったらこうする、というのはあります。ここでは記載しません)

補足やお礼を読む限りではもうご自身の中で結論は出ているように思いますが、いかがですか?その結論をご自身だけでなく他のご家族の方にも尋ねてみて家族会議で今後おばあちゃんをどう看ていくか決められたらいいと思います。その決定に関して医者がとやかく言うべきではありませんね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

母に、こちらでの事を伝えたところ、母も、やはり胃ろうはしないでおこうと思っていたようで、自宅に連れ帰って、最後を看取るといった方向で定まりました。

また、お医者様の立場のことも、なるほどと うなずいていました。

皆様、お世話になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/29 22:35

栄養の手段として胃ろうがあるのであって、それをしないのは見捨てる、というのはなんともお粗末な医者の説明だと思います。

経管栄養なら鼻から胃へ管を入れる方法もあります。

食道に問題がある場合など本当に必要な胃ろうももちろんありますが、多くの場合は「そのほうが医療側の管理が楽、事故が少ない」という消極的な理由だと思います。

胃瘻自体は局所麻酔、内視鏡でできますので体力的には問題ないと思います。

本人、家族にとって最もよいと思われる方法を選択されるとよいと思います。医者にはあくまでその選択肢を提示する役割しかできず、決定権はありません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のアドバイスをありがとうございます。

胃ろうについてなのですが、こちらで検索したところ、結局のところ 床づれができたり、水疱生類天疱瘡で皮膚がただれたりと、その後の新たな苦しみが生まれる場合もあるのだと分かりました。
そして、結局、高熱にうなされて、苦しいのは祖母なのだと思うと、やはり、胃ろうをして、延命をすることがベストだとは思えないのです。
いかんせん、祖母は、もう90才なのです。
このまま亡くなったとしても、一応「天寿をまっとうした」と思うのです。

担当医は、脳血栓後「血栓による、麻痺などのリハビリは一切ありません」とのことでした。理由は高齢なためとの事だったと思います(母からのまた聞きなので、うろ覚えです。)
リハビリをする余地もないほど高齢だと認めているのに、でも、いたずらに命だけは延ばすのか、といった新たな疑問がわいてきます。

祖母にとって、祖母の目線で、一番良い方法は何なのか、家族としては
悩みます。
もし、よろしければ、もう一度アドバイスをくださると ありがたいです。

お礼日時:2005/05/29 12:12

主治医の発言は医学的には正しいが倫理的には問題があると思います。


胃ろうをしないこと=栄養が入らなくなることですから現状維持目的のためにはなります。しかしそれが本人やご家族にとって有益であるかというと疑問です。
大事なことですから厳密には本人を診察して判断したいところです。しかし、質問文から想像される状態は
生活の質(QOL)が高いとは思えません。胃ろうをしないのもおおいにありである可能性は高いと思います。
ここらへんは人によって考え方が違うところなので、正解の無い問題なのかもしれませんが、少なくとも私はご本人や本人を良く知る家族の意見を尊重しています。(家族と意見が合わなかったこともあります)いづれにせよ、後からトラブルになるとみんなが困るので意見を書面にまとめておいた方が好ましいと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のアドバイスをありがとうございます。

祖母の「生活の質」が高いのか低いのか、それすらも私たちでは分かりません…。
脳血栓以前も、ベットに半寝たきりで、おむつでした。食事の時には、ベットに起きあがって、柔らかめの普通食をとっていましたが、歩行は一切不可能でした。会話も、一応できたのですが、誰が誰とはわからないボケの状態でした。
脳血栓後は、母が病院に行くと「寝返りがうちたい」とか「○○さんに会いたい(もう、亡くなったかたです)」とか、聞き取りにくい状態ではありましたが、会話ができていました。
ただ、日に日に、食べる量が減ってきて、また、日中寝ている時間も増えて、結局、今は、ほとんど寝て過ごしています。
会話が出来ていたうちは、私が病院に行くと「もう、死にたい」と言っていました。
その時、「おばあちゃん、何を言ってるのよ、曾孫が大きくなるまで
がんばってよ」と冗談としてかわしてきましたが、家族の皆は、恐らく
それは、祖母の本心だろうと思ってきました。
脳溢血以前も「早くおじいさんに お迎えに来て欲しい」と常々もらしており、それは、祖母の冗談半分・本音半分だったと思います。
体力的に、もう、しんどかったのだと思います。

家族としては、見ることも聞くことも味わうことも、全て取り上げられた状態で、ただ、ベットに横たわっているだけの生活が、祖母にとって楽しいわけがないと思いますし、また、自分がその状態になったならと、置き換えて想像してみると、その生活は耐えられないのではないかと思うのです。

私には、あえてひっそりと逝かせてあげる事が、家族に最後に出来る精一杯の事だと思うのですが、両親は、やはり悩んでいます。

もし、よろしければ、もう一度、アドバイスをくださると、ありがたいです。

お礼日時:2005/05/29 11:59

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!