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少し前からお釈迦様のことが気になり、仏教に興味を持つようになり、本やインターネットで調べていた所、禅宗の姿勢は自力本願であり、毎日の生活こそ修行の場であり、その毎日を大切に生きる。死んでからのことではなく、生きている今のための教えのように私は感じ取り、非常に魅力を感じており、興味津々なのですが、この教えの要素というのは本を読んでいてもつかめるものではなく、実践していく生活の中で初めて味わえるものではないか?と、思っていまして、生活の中に禅の教えを取り入れたいと思っているのですが、どういう手順をおえばいいのか全然わからなくて困っています。
私の母親が真如苑という宗教に入っていて毎日お経を唱えたり、定期的にお寺に行ったりしているのですが、禅宗でも同じ様なことをするんでしょうか?
だとしても、何処へ行きどういうことをすれば入会できるんでしょうか?そもそも「入会」って言うんでしょうか・・?
何も知らずに質問ばかりになってしまいましたが、何か足がかりになる応えを頂ければと思っています。
お願いします。
記し忘れました、
私の入りたい宗派は曹洞宗です。

A 回答 (7件)

はじめまして。

yonosan0421と申します。
すでに回答されている方と重複する部分があるかもしれませんが、お答えします。

ちょっとした縁があって以来、横浜市・鶴見にある曹洞宗の大本山(のひとつ)總持寺には足しげく参拝するようになりました。元は真言宗(密教)から勉強し始めたため畑違いとは言え、曹洞宗の寺院の「空気」というものには、とても心地よさを感じていたりもします。

一般的に、古くからある仏教宗派では「入会」的な事を行っていることは少ないようです。
入会に近いものとしては「入壇」…つまり「檀家になる」ことがあげられますが、今回のご趣旨とはだいぶ異なるでしょう。
むしろ、先に挙げられていた参禅会から始めるのがよいかと思います。
總持寺の例ですが、毎週土曜日は衆寮(道場)が開放されていて、自由に参禅することが出来ますし、月1回は1泊・ないし日帰りの参禅会が催されています。
宿泊参禅会であれば、座禅の合間などに法話や講習なども用意され、また食事・入浴などの作法についても(多少在家向けにアレンジされているものの)ほぼ出家僧と同じ作法で行えるので、かなり参考になるのではないでしょうか?もちろん、2日目の朝の起床時間も僧侶と一緒。朝のお勤めにも末席ながら参列が出来るようです。

曹洞宗の宗祖・道元禅師は、宋の天童山での修行と、帰国後の仏教と権力の密着にふれた実感から、徹底した「出家主義」を提唱し、現在の永平寺で「理想的な修行生活」の場を作ることを模索しました。
明治期に横浜に移転して作られた總持寺は、(宗派内での解釈は違うのでしょうが)そんな「強烈な出家主義」と「在家(あるいは信徒)」の接点であるといえます。

…ごめんなさい、趣旨はずれましたが、本来、宋踏襲的なもの、あるいはもっと広く「禅」的なものは、既存仏教以上に「出家」を必要とし、だから本気で実践をしたいのであれば僧侶になるしか道はなくなってしまいます。

それではボクたち門外の人間は禅に触れられなくなってしまう…だから在家の人間が気軽に参加できる参禅会などが用意されているのです。

總持寺や永平寺に足を運ぶのが地理的に難しいようでも、どの地域にも積極的に参禅会を催している寺院があるはずです。一度や二度参加しても…というようであれば開催される都度参加されてみては?
曹洞宗の禅は「只管打坐」。只ひたすらに坐り、坐ることで道を見つけ出す宗派です。俗に「禅問答」などといわれてしまう「公案」と呼ばれる問答で自己を磨き上げていく臨済宗系の禅とは異なり、余計なことを言う前にまず座禅をすること、それが大事なのだと思います。

参禅会を開催している寺院では、恐らく座禅の作法などとともに「どのような気持ちで座禅をすればよいのか?」をしっかり指導してくれるはずです。そうやって座禅をしながら、あるいは住職の法話を聞きながら教義に触れ、日常生活でどう「曹洞宗的に」生かしていくのかを導き出していくのがよいかと思います。

寺院によっては「講」(本山への団体参拝や法話会など)や「ご詠歌」の集まり(曹洞宗だと「梅花講」ですね)があったりもしますが、こちらはおおむね檀家優先だったりしますが、参禅会などで住職や講の皆さんと顔見知りになればお呼びがかかるかもしれません。そういうものに参加し、より教義に触れることが出来るようになれば、もっと道が開けるのでは?

以上、長文になりましたが、なにとぞご容赦ください。
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この回答へのお礼

こんな昔の質問に丁寧な丁寧な回答をどうもありがとうございます!全く知らなかったことだらけです。曹洞宗が「出家主義」だったとは・・。勉強不足です。まだまだ色々知りたいこともありますし、お寺にも行ってみようと思います。どうも、ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/02 01:09

締め切られていないので遅レスですが回答を。



根本的なところですが新興宗教への入会と既製仏教の宗派とを混同されているように見受けました(文体からもまだお若いようですね?)。

まず日本の多くの寺(既製仏教)には江戸時代からの檀家制度があり、ほとんどの日本人の「宗派」は改宗を行わない限り生まれたときに決まっています。

昭和に入り、多くの若者が都会に移住し、都会で独立した生計をたてるようになると檀家制度は昔ほどの意味を持たなくなりましたが今でも葬儀屋を頼めば「宗派」をたずねられるはずです。少なからぬ新興宗教(真如苑も含み)の信者は家の「宗派」はそのままにして新興宗教の会員になっています。



曹洞宗は代表的な鎌倉仏教ですから一般の末寺は改宗者を受け入れることはあっても入会というシステムはとらないでしょう、観光寺院では「xxx の会」などの名目で会員を募り、拝観や体験参禅が割引になるシステムをとることはあるようですがこれは改宗とは異なります。



参禅に関しては他の皆さんも言われているように近くの寺の参禅会などからまずはじめてみられるとよろしいかと思います。宗派(臨済宗か曹洞宗か)によってマナーは多少変わりますが体験座禅会程度だとそれほど気にしなくともよいかと思います。一度体験して自分が禅に向いていると思われれば禅の入門書などで作法、禅の心などを勉強されるのもよいでしょう。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございます。なるほど~。既製仏教には「入会」という感じのものはないんですね。そうでしたか。日本における仏教の宗派ってなんか不思議な感じがしますねぇ。私はなんにもしてないし、なんにも知らないのに真言宗です。やはり皆さんからお答え頂いたように一度お寺を訪ねてみます。

お礼日時:2005/07/02 01:06

誤解を招いてしまったなら、謝らなくてはいけませんね。

済みませんでした。山梨の曹洞宗のお寺とは関係が深いようです。

また、醍醐寺というお寺は、苑がお金をだしたからといって、建てるほど柔ではありません。
京都では真言の層は厚いので、お金で動く事は有りません。お見知り置きを。

「大乗の為にし二乗の為に為す無かれ」
「この泥あればこそ咲け蓮の花」

どの方面に進まれてもどうか、他のために
お互い頑張りましょう。
何度もお邪魔して済みませんでした。
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 誤解なさらないようにしていただきたいことがあります。


 真如苑と曹洞宗の関係が深いわけではありません。
 真如苑の教主の実家が曹洞宗であると言うだけで,真如苑という教団と曹洞宗という教団が密接な関係にあるわけではありません。
 
 真如苑は,真言宗醍醐派と親密な関係にあり,真言宗醍醐派の本山である醍醐寺には真如苑が建てたお堂があります。
 
 さて,曹洞宗にも日常に唱えるお経がありますから,毎日読経されている方も居ますし,定期的にお寺に行く方も居ます。うちの菩提寺である曹洞宗のお寺でも,月に1回,座禅会があり,座禅をした後,お経をやさしく解説してくださいます。お近くの曹洞宗の寺院を訪ねてみられてはいかがでしょうか。
 
 坐禅だけが禅ではなく,働くことも禅,食事を作ることも禅,食事をすることも禅,歩くことも禅なんだそうですが,まずは坐ることだそうです。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございます。
働くことも、食事を作ることもすることも、歩くことも、坐ることも禅。
とってもいいですね。
上手く説明できませんが、なんだかじんわり胸に届く言葉です。やっぱりもっとよく知りたい。
近くにお寺を見つけてはいるんですが、あまり大きなお寺じゃないためためらっているんですが。何か手がかりになるお話でも聞ければ幸いですよね。
京都も近いのでそちらを訪ねれば少し大きいお寺もたくさんありますし、とにかくどこかのお寺を訪ねてみようと思います。
ご回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/06/01 00:33

二度目お邪魔します。



>曹洞宗と真如苑が関係深かったなんて初めて知りました!

教主の実家の伊藤家菩提寺が、曹洞宗なんですよ。
そういうことでの繋がりがあったようです。
母方の方は、天理教だったそうです。

実際の話になりますが、
教団は人間の集まりなんですね、基本は。
人間の数だけ色々なスタイルがあるのがまた
宗教だと想っています。

質問者さんの言うとおりですので
ご自分の納得の行く方法で、釈尊に近づく事が重要なんですね。

なぜなら、仏教教団の中心は、仏*だからです。
また、今、教団の中心の継主も修行した人ですから
アジャリです。
教徒の質ではなく、法脈や教典、中心人物を良く比べてみて決められてはどうでしょう。

宗教は自由ですから。
教主も良く他教から来た方には「比べてください」
と言っていました。

お母さんにはお母さんの、質問者さんには質問者さんの教えのスタイルがあると想います。
また、苑は規制が少ないので、画一的に洗脳する教理は有りませんし。

教団には、尊敬出来る方もいれば、最低の人もいるし、また、教えをドロに漬けて破門される方もいます。人を信じるのではなく、教典にあるように、「教典の中に私は常住である」と釈尊が申すように教えの中心はどうなのか、それと自分の間にはなにも有りません。と想っています。

長くなって申し訳有りませんが、

仏教には、因縁の理が説かれています。
因があって果がある。
仏教では因縁、キリスト教では運命、科学では遺伝
ですね。

そういう意味で、お母さんは先祖の苦しみを
仰っているのだと想います。
釈尊の残した法に、お護摩とお施餓鬼があります。
お施餓鬼は先祖の因縁や苦しみを救う法ですね。

護摩は、真言系が有名ですので、苑も流れがあり
効験あらたかですね。

苑の魅力も、そうした救いだけではないので
是非、事務局とかに出向いて、噛みついても良いので(笑)聞いてみたらどうでしょう、
また、経文も、涅槃経を説いた時の釈尊の言葉はパーリー語だったので、現地の言葉を用いているので日本では聞き慣れない部分もありますが、涅槃経のエキスが凝縮されていますので、反発してでも、お母さんや、その上の経親にでも喧嘩になっても良く聞いてみる事ですね。

ああ、でも宗教は自由ですよ。

それと継主のすばらしさに触れる機会作ってください。お願いします。それから、他宗にも目を向けて決めて頂けたら幸いです。

京都の醍醐寺も是非!


*中心は仏と書きました。
 また、どの宗派でも、仏と開祖を中心とする部分ありますね。
 天台なら、最澄。真言なら、空海。苑では、教主になり日々の感謝には空海も入ります。
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禅宗、素晴らしいですね。


基本的に、質問者さんの仰るとおりですね。
また、曹洞宗も素晴らしい教えです。
僕も仏教フェチですが、是非深く、ブッダその人の
教えを深めて、境涯というものを深くされると良いなと考えさせて頂きます。

真如苑は、新興宗教と想われがちですが
真言宗 醍醐派の純仏教教団です。
所依の教典は、般若経・法華経・涅槃経です。
この点において実に、曹洞宗に近いと言えます。

また、良く仏教では密と言いますよね、例えば、
天台密、真言密とか、これは、修行して初めて解るもの
それが、密なるものと言う意味です。
質問者さんの仰る、生活の中に見いだすものなのです。まさに。まさに禅とはまさにそうですよね。

さて、宗教は自由なので、お母様が真如苑だから
アナタも真如苑で無くてはならない必要は無いですよね。と想います。

ただ、密なるものを極めるには、既成仏教では、出家受戒しなければ、極めるものでは有りません。

真如苑を僕が好評価している所は、
教主が、醍醐寺にて出家受戒し、在家の法も出家の法も全て終え、アジャリになっている点です。
しかし、密なるものは、一般人に説くと戒律違反になります。
そこで、新たな教団を設立して、在家でも救われる道を探し始めたのが、真如苑の始まりと言えます。
その中に、大槃涅槃経を紐解くと、法華経までは、出家を第一と唱えた釈尊でしたが、釈尊在世当時に、法華経を修得した弟子達の裏切りがあり、釈迦族殲滅という大悲痛事が起こりました。
また、晩年の釈尊は、旅をし、出家をしていない人々との積極的なコミニケーションを重ねます。
上記の悲痛事に加え、一般の人々を救おうと考えた釈尊は、法華経だけでは救われないと悟り、遺言の教えを残しました。それが、一日一夜で説いた涅槃経です。それまでのお言葉を是正する部分が多く見られるのが特徴です。
また、宗教学者にとっても、涅槃経は素晴らしいと再認識される昨今です。
また、最大の特徴は、最後の供養を在家青年チュンダ(純陀)が捧げた逸話が有る点です。
出家のエリート僧であった文殊菩薩が最後の供養に当たる予定だったのですが、釈尊は純陀の誠の心に打たれ、なんと、まだ見修行の純陀を選ばれたのです。
そして、教えを説き、出家も在家も救われる教えを遺言されました。

真如苑の教主は、大槃涅槃経を持ってすれば
在家の信者でも救われる事を知り
醍醐寺を離れ、新興宗教と想われてしまうかも知れないが、戦後、真如苑を確立したのです。

ですから、真言宗醍醐派では、真如三昧耶流として
お堂を建立しています。

また、僧階(坊さんの階級)を得ると、
文部省から認定されて坊さんに成れるわけですが、
真如苑は、伝統の法流がありますので、在家でも僧階を得る事が出来ます。

僕が言いたいのは、出家するなら、曹洞宗や禅宗、天台宗、真言宗系をオススメします。
在家で求めるなら、真如苑は理想の一つではないかと想います。

一度、京都 醍醐寺に行って、
教主(伊藤真乗)について聞いて見てください。
古仏転宝輪にてどう解釈されているか、、、。

仏教は素晴らしいですね。法華経も、法の華ですから法の最も美しい部分が説かれている素晴らしい教典です。華の後は実がなります。涅槃経は実の教えとも言えます。

涅槃経を中心とした、真如苑もそれなりの魅力があると僕は思っていますが、、、、

宗教は自由ですから、色々調べて、宗派選んで下さいね。曹洞宗でも涅槃経説きます。

曹洞宗と真如苑は関係深いので、紹介してもらったらいかがですか?
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この回答へのお礼

詳しい解説をどうもありがとうございます・・!
曹洞宗と真如苑が関係深かったなんて初めて知りました!
まず結論から言わせて頂きますが、実は私は真如苑に対してはあまり良いイメージを持っていないのです。
というのは、母の言ってることに全く信憑性を感じないし、反感も覚えます。母が真如苑に入信したキッカケは身内のガンと母自身の体の障害で、真如苑の人に「そのことは全て先祖の苦しみが表させている」と、言われたことで、試しに信仰してみたところ余命何ヶ月かと宣告されていた身内が3年生きた。母の体も楽になった。と言う結果が出たので、母の信仰は今も続いている。というものなのですが、そのことで母は「信仰すればなんでも上手くいく。」と思いこんでるような感じすらします。といっても読経をサボる時もあるし、そもそも読経している教典の意味すらわかっていないし、無駄に眠るし。私の求める信仰の成果は全く感じられないんです。私の母がそうなだけであってすなわち真如苑の教えもいけない!なんてことは思いません。「ご奉仕」などといって、近所の掃除をすることなんて素晴らしい行為だと思います。が、「家庭集会」だとかしょっちゅう集まりの場を持ち話し合いをする機会があるにもかかわらずいつまでも母の態度が変わらないのはその宗教の方針や活動内容のせいもあるんじゃないか?と、私は思っているのです。
でも、だからといって母に辞めることを強制するつもりもありません。どんなものでも母にとっての救いになるのなら、ないよりはマシだとも思いますし。ただ残念に感じるのは確かです。なんだか話しが脱線してしまいました。
何を言っても、私のほうがアンダーグランドマンさんよりも全然勉強不足だと思いますので、いつでも再検討の余地だけは持ち合わせています。
もっともっと色々知りたいと思います。どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/05/30 19:24

下記URLが参考になるのではないでしょうか?



入信しなくても、座禅会のようなのに参加することはできると思いますので、近所の曹洞宗のお寺を調べて、相談してみてはいかがでしょうか。

参考URL:http://www.sotozen-net.or.jp/
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございます。
紹介していただいたサイトには私も何度も訪れたことがありまして、坐禅会のことは知ってはいたんです。
が、一回キリだとか、1日、3日程度の「体験修行」だとかに一体なんの意味があるんだろう?継続してなきゃ意味ないんじゃないのかな?との疑問を抱えていることもあり、まだ未体験なんです。
やってみないことには批判もできませんよね・・。
やはり座禅会を開いてるお寺に一度行ってみることも考えてみようと思います。あと近所の曹洞宗のお寺も調べて何度かその前まで訪れたのですが、町の中の家と境内が一緒になったようなこじんまりした所で門(インターホンなどあって玄関のようなのですが)をくぐる勇気が出なかった。という、なんとも情けない次第でして。一度電話でもしてみるのがいいんでしょうね。
どうも、回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/30 19:01

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