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「判株」とはどのような権利で、どうやって入手したのでしょうか? また日本全国に一般的なものだったのでしょうか
小生の生まれた村(備中国内)では領主から新たに交付してもらう方法と、「潰れ株」を入手する方法があったようです。他村・他領からでもよかったようです。
これを持っていると具体的にはどんな利点があったのですか? 「一人前の百姓」と見られたこと、寄り合い等で発言権が増した程度しかわかりません・・・

A 回答 (2件)

おそらく「百姓株」のことですね。

↓に詳しいです。
いわゆる、地主だと思えば大きな間違いはないようです。

参考URL:http://www.tabiken.com/history/doc/S/S061L100.HTM, http://www.tabiken.com/history/doc/P/P158C100.HTM
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この回答へのお礼

ありがとうございました。今後もよろしくお願いします。

お礼日時:2005/06/03 01:18

江戸時代には種々な株が存在しました。


身分株というべきものと、経済に関するものとがあったようです。

封建制度では身分は世襲を原則としましたが後世になると貨幣により身分を売買するようになり、同心株、与力株など町人で裕福な人が身分株を購入し武士階級の仲間になるケースが出てきました。
養子制度の変形です。

判株という制度は良く知りませんが、おそらくこの身分株に当たるものでしょう。
朱印状のように領主が発行する書き付けを入手(購入
)し、士分相当になる為のものではないでしょうか?

民間人でも功績のある場合、名字帯刀を許すという制度があり士分になれましたがそれを金で買うのだと思います。
当然身分相当の扱いを受け名主、年寄りの会議に出席出来るし発言権もあるわけです。

株は売買の対象ですからお金さえあれば領主に願い出て上納金を納めて入手するか市場に出回っている「潰れ株」を購入するわけです。
性格上他領のものは通用しないと思うのですが・・・

経済上の「株」は酒造株、質屋株のような同業者の仲間入りをするのに必要なものでした。

日本全国に存在したかどうかは判りませんが財政の苦しい所は大なり小なり似た制度はあったかも知れません。 
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
netを検索したところ似たものが数件ありました。判株はこの藩(浅尾藩)独自とは云えないまでもそれに近いものだったようです。藩内のある村では6割もの百姓が所有していましたので、 判株=地主 ではなかったようです。どのような権利が行使できたのかこれからも調べてみます。
お詫びですが、質問で「他領から・・・」と記しましたが、取り消します。他村から入手した例があったのですが、再度調べたところこの村は他領ではなく同じ藩でした。申し訳ありません。

お礼日時:2005/06/03 01:16

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