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「労をねぎらう」って、同じことを繰り返しているような気がして、変だなあと思います。もしかしてこんな屁理屈は私だけが考えているのでしょうか?

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A 回答 (4件)

こんにちは。



「労」は名刺
「労う」は動詞

と、分割してお考えになったらいかがでしょうか?

かくゆう私も
(>もしかしてこんな屁理屈は私だけが考えているのでしょうか? )
同じ事を考えました。

「労を労う」
確かに、字づらにすると重なるのでヘンですから、
ご質問者様のように
「労をねぎらう」と表記します。
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「歌を歌う」「上に上げる」と同じですね。


「歌を唱う」と字を換える人もあります。
その伝で行けば、「労を犒う」でしょう。
動詞を仮名書きにするのも一案ですね。
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 こんにちは。



 まず、「ねぎらう」という和語があって、それにあとから漢字を当てたんではないかと思います。漢字輸入の際のちょっとした齟齬ではないでしょうか。

 私も、手紙などを書いていて、似た表現を書いちゃうことがあります。あの話、話しましたよね、なんてね(「労」とは少し違うけど)。

 話ずれるかもしれないけど、昔の日本には、もともと日本にあるものを、日本名もあるのに、学者が、わざわざ漢籍から似たようなものを持ってきて漢字を当てちゃう、ということが多かったようです。

 英語にもありますよね。なんていったっけ、同族語だっけ? Live a Lives.なんて。

 私は、文章を書く時、もともと和語だったものは、なるべくひらがなを使うようにしてます。見た目にやわらかくなるし。

 ご参考になれば。
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1です。



よく確認せずに変換ミスしてしまい、ごめんなさい。
×名刺
○名詞
です。;;
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Aベストアンサー

幹事の立場ですから、

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GOOD LUCK.

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Aベストアンサー

 元来「ねぐ」という言葉は、上下それぞれの方向に分かれているようです。
1.請(ね)ぐ、祈(ね)ぐ
 祈り願う。「福を祈(ね)ぎ給ひき」(摂津風土記)
2.労(ね)ぐ、犢(ね)ぐ
 ねぎらう。「かきなでそ労(ね)ぎ給ふ」(万葉集)

 従って、骨折りを慰めたり労を謝する労(ねぎら)いとして考えた場合には、同僚や目下のものへの「労(いた)わり」の色が濃く、これが目下の立場で目上の方に向かっては、お願いやお祈りの姿勢がその基本になるものなのでしょうか。

 そう言う意味では「労(いた)わり」言葉は避けて「御礼」やら「お願い」「お祈り」の意味で「ありがとうございました」「またよろしくお願い致します」「お気をつけてお帰り下さい」などや、その組み合わせがいいのかも知れません。

 一方これを、いわゆる挨拶言葉としてとらえれば、もはやその職場や周囲の事情に相応しい言葉遣いが多々あっても、また世間一般的な用法とのズレがあってもおかしくないと思われます。ケースバイケースといいますかローカルルールありと。郷に入れば…であり社風であったり。

 どだい、挨拶は咄嗟となりがちであり、それだけに目下は先に声を出すようにとかの規準はありますが、職場などでは得てして上司の方が切り上げの先手を取って急に「どうもご苦労さん、じゃ、お先に」とでも声かけされたら、目下の方としては即応のタイミングもままならず慌てて詰まってしまい、オウム返しが精一杯という事態も良くあることです。
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 むしろ恐いのは、目上に接した際の日頃の合いの手や反応言葉のような気がします。
話しかけている上司に対して、「なるほど」「うんうん」「へぇー」「ひゃー」「助かりました」「困りますね」「そりゃ嬉しいですよ」などといった単純な、それだけに何気ない<地>がツイこぼれ出る時なのかも知れませんが…。

 
 

 

 元来「ねぐ」という言葉は、上下それぞれの方向に分かれているようです。
1.請(ね)ぐ、祈(ね)ぐ
 祈り願う。「福を祈(ね)ぎ給ひき」(摂津風土記)
2.労(ね)ぐ、犢(ね)ぐ
 ねぎらう。「かきなでそ労(ね)ぎ給ふ」(万葉集)

 従って、骨折りを慰めたり労を謝する労(ねぎら)いとして考えた場合には、同僚や目下のものへの「労(いた)わり」の色が濃く、これが目下の立場で目上の方に向かっては、お願いやお祈りの姿勢がその基本になるものなのでしょうか。

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「物書き」のひとりです。

まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか(わる)」がないことです。常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。音訓表に無いものの代表的なもの(よく使われるもの)として「全(すべ)て」「画(えが)く」「〇〇に依(よ)れば/拠(よ)れば」などが思いつきます。

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「物書き」のひとりです。

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教えて下さいっ!
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私は「いずれか」だと思うんですが、辞書に「いずれか・いづ--。」と書いてあり、???になってしまいました。
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「お送り致します。」でもOKです。

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例えば「ご連絡します」の「ご」も同様です。連絡するのは
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相手に頼む場合は「お送りください。」です。

http://mc2.civillink.net/biz/biz.html

http://allabout.co.jp/gm/gc/297603/

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私達支部と組合と職場の上司の20人位で2年任期の半分が過ぎたので慰労会を開催します。 
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直したほうがいいところありましたらお願いします

Aベストアンサー

こういう質問では、もう少し前提を詳しく書かないと適切な回答が得られないですよ。

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『皆さんこんばんは、支部長の○○です。本日は何かとお忙しい中、また暑い中にもかかわらず慰労会にご参加いただき有難うございます。
 また本日は組合執行部から○○様、そして○○支社の○○部長様にもご出席いただき、心よりお礼申し上げます。
 
 私達が○○支部の役員に選任されてやっと1年たちました。これまで力不足の私達をいつも支えていただいた皆様方には、あらためて厚くお礼申し上げます。折り返し点を過ぎて、残された1年間で様々な課題解決に向けて一生懸命取り組んでいきたいと決意を新たにしています。
 どうか引き続きご指導賜りますよう、よろしくお願い申し上げまして開会のご挨拶とさせていただきます。』

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タイトルどおりなんですが、ふと疑問に思ったので質問させていただきます。

よくメールや資料などに上記の言葉が記載されていると思いますが、どっちが正しい(もしくは両方正しいが使用方法や相手によって違う?)のかわかりません。ちなみに私は関係各位を使っています。

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Aベストアンサー

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フラメンコ研究会会員各位なら相手を特定しているので個人に準じた扱いとなり、現代でも許される範囲の
使い方といえるでしょう。

以上がコメントです。結論として、間違った使用法も含めて「各位」を使いたい人が依然として多いので、
関係者各位、お得意様各位、父兄各位のように使用しても一般には違和感なく受け入れられるでしょう。

個人的意見としては、「各位」が「皆さん」という呼びかけ(相手を特定しない)なので、更に「関係者」とか
「お得意様」という不特定多数をさす言葉を重ねるのは
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恥ずかしながら「~を一つずつ(づつ)あたえる」と入力したいのですが「づつ」と「ずつ」どちらが正解なのでしょうか?
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Aベストアンサー

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【解る】理解する。ことの筋道がはっきりする。
【判る】判明する。明らかになる。
【分かる】上二つの意味を併せたいい方。
『常用漢字音訓表』(昭和56年10月1日内閣告示)に、「分かる」はあるのですが、「解る」と「判る」は載っていません。「解」も「判」も常用漢字表には含まれていますが、「わかる」という読み方が載っていないのです。新聞やテレビなどのマスコミが「分かる」を優先的に使う理由はそこにあります。
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Q「目からうろこ」ってどういう意味

よくテレビを見ていると、(バライテー系の情報番組)アナンサー諸氏が「これが本当の”目からうろこ”ですね。」
と、コメントしている場面をみかけます。この
「目からうろこ」とは、どんな意味ですか?

Aベストアンサー

目からうろこが落ちる
普通、「目から鱗が落ちる」という場合、思いもよらなかった発想や考え方に、目が開かれるような思いになったことや、全く新しい体験を経験することによって、考え方がいっそうされたようなときに使うようです。つまり、偏見や先入観から解放されて、自由なものの見方や考え方に至った場合に、「目から鱗が落ちる(あるいは落ちた)」と言うようです。

実は、この「目から鱗が落ちる」という言葉は、「豚に真珠」と同じように聖書の中の言葉なのです。この言葉は、使徒行伝の9章にでてくるのですが、この9章は、イエス・キリストが死んでまもなくの、キリスト教がキリスト教としての歩みを始めた極めて初期の時代のことが記されています

アナニヤがサウロの上に手を置き、「イエス・キリストが、あなたのところに私をおつかわしになった」ということを告げたとたん、サウロの目が見えるようになったのです。このとき聖書は、「サウロの目から鱗のようなものが落ちて、再び見えるようになった。」といっています。そしてここに、「目から鱗が落ちる。」という言葉の語源があるのです。

 サウロという人は、当時のユダヤ教の学者の中では一級の人物ガマリエルと言う人の弟子でした。そういった意味ではエリートと呼ばれるような立場にあり、自分の力と才覚でいろんなことを考え実行できる人であったと言えるでしょう。そのサウロが、人生の一大転機の時に視力が奪われ、人に手をひいてもらい、自分の力ではなく他人に頼らなければ何事もできないということを経験するのです。まさしく、人間の能力や力の限界といったものを経験したのです。

それは、厳格なユダヤ教徒からキリスト教徒になるという、信じる内容の変化だけでなく、自分の力と才覚によりすがって生きていく生き方から、自分の力と才覚の限界をしって、ただ神によりすがって生きていく生き方へと目が開かれていく転換でした。その境目に「目から鱗のようなものが落ちた」のです。
 そういった意味では、「目から鱗が落ちる」ということの本当の意味は、人間が自分の力や才覚を誇り生きていくような生き方ではなく、自分の限界や無力さを知り、神に頼るということに気がつくということなのかもしれません。

参考URL:http://homepage2.nifty.com/mitaka-christchurch/scales.html

目からうろこが落ちる
普通、「目から鱗が落ちる」という場合、思いもよらなかった発想や考え方に、目が開かれるような思いになったことや、全く新しい体験を経験することによって、考え方がいっそうされたようなときに使うようです。つまり、偏見や先入観から解放されて、自由なものの見方や考え方に至った場合に、「目から鱗が落ちる(あるいは落ちた)」と言うようです。

実は、この「目から鱗が落ちる」という言葉は、「豚に真珠」と同じように聖書の中の言葉なのです。この言葉は、使徒行伝の9章にでてく...続きを読む


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