論理的とされる理系の学問を学んでいる方で、
占いや心霊現象等の論理的でないものをを信じている方は
どう言った理由で信じておられるのでしょうか?

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A 回答 (23件中1~10件)

えらく回答が増えていますが、なかなか、質問の内容が理解されないようですね。

私も理解できているかどうか。

こういう答えで回答になるかどうか、わかりませんが、
「理系の学問を学んでいる」人が、必ずしも、論理的な思考を身に付けているわけではない、ということ。
さらに、「非論理的なものを信じている人」が、本当に信じているかどうかも疑わしい。
オウムの事件で、「理系」の出身者が何人も関わっていましたが、村井とか、林とかいう人達が、論理的な考え方をみにつけていたかどうか。さらに、本当に麻原が空中に浮かんだりするのを信じていたかどうか。青山弁護士だって、法律知識はあるけれど、基本的人権が身についていないから、坂本弁護士殺害に平気で手を貸しています。
で、みんな、公判になったら、平気で麻原を裏切った証言をしています。

小学生のころから、たとえば、掛け算がわかっていなくても九九を覚えたら掛け算を使っているつもりになっているし、中高生でも、テストで点が取れたら内容が理解できなくても満足らしい。大学で「理系」の学部に身をおいていても、単に、テキストのまる覚えとか、教授の研究の手足しかやっていなかったりする。

本当に理系で論理的な考え方を身に付けてそれを実践しようという人で、本当に非論理的なものを信じている人は、実在するでしょうか。もし、実在するなら、その人にしか理解できないでしょうね。

この回答への補足

今回の質問で思ったこと

論理的とされる理系の学問を学んでいる方で、
占いや心霊現象等の論理的でないものをを信じている方は
どう言った理由で信じておられるのでしょうか?

今回この様な質問をさせて頂き沢山の回答を頂きました。
質問の意図を汲んでくださらない方が多かったのですがその多くの回答は
質問文の
「論理的とされる理系の学問を学んでいる方で、 」
の部分と
「占いや心霊現象等の論理的でないものをを信じている方は どう言った理由で信じておられるのでしょうか?」
を区切って
後半の部分のみに注目して回答されていた方が多かったように思います。

再三の補足もなかなか効果を得ず
質問の意図を理解してくださる方に出て頂けただけで感動を覚えました。

回答して頂いた方の回答履歴を見させて頂いたところ
過去に占いや心霊現象を信じるような発言をされている方が、
問題文の後半部分に固執されていたようです。

沢山の方から回答を頂き色んな方の意見(回答履歴も含む)を知ることが出来て良かったと思います。
色んな方の回答履歴を見させていただくとなるほどと思える発見もありました。
主に理系カテゴリで回答されている方が今回の質問者の中で少数だったのは少し残念ですが
(専門にされている方の意見も聞きたかったという意味で)私にとって得るものは多かったので満足しています。

補足日時:2001/10/04 05:19
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>私も理解できているかどうか。
とんでもない。
もう締め切ろうと思っていたところに最高の理解をしてもらえたので
ちょっとした感動を味わいました。
私も nozomi500 さんの回答とまったく同じようなことを考えていたのですが、
論理的な考え方を身に付けてそれを実践しようという人で
占いなどを信じている人のことをいきなり否定することは出来ないので
皆さんの意見を聞こうと思い質問をしてみました。
やはり、実在しないのかもしれませんね。
私の質問の意図がなかなか理解してもらえなかったのも
無意識的にそのような人がいないと皆さん考えていたからでしょうか?
結論としては2つともを矛盾なく論理的に理解している人は
いないということに落ち着きそうです。

>実在するなら、その人にしか理解できないでしょうね。
やはり、そうでしょうか。
もし、実在するなら理解してみたいんですけどね。

お礼日時:2001/10/04 05:19

No.23の補足です。



アインシュタインについての参考URLが抜けていました。

それから、論理的な思考をする人の場合、非論理的な事柄を自分で折り合いを
つけているということは「無い」と思います。
ただし、世間一般で「非論理的」だと思われていても、自分が「論理的」だと
思えば、それを受け入れていると思います。

参考URL:http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/rel …
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No.16のコメントの件で返答します。



>占いや心霊現象等の(私にとって)論理的でないものを自分自身の中で
>どのように両立させているのか?
>論理的なものと非論理的なもの(私にとって相反すると感じる2つのもの)
>を 自分自身の中でどのように折り合いをつけて共存させているのか?
>を聞きたいのです。

認識論の話は理解できませんでしたか?

それでは少し違った言い方をしてみます。
カントの経験論に基づき、物事を認識する際には客観的な事実よりも自分の主観が
先立つということは理解できましたでしょうか。

queschanさんは、「論理的なものと非論理的なもの」と区別していますが、学者の
中で「非論理的なもの」を「信じている人」というのは、そのことを直感的に正しい・
論理的だと捉えているんです。それが自分の主観となっています。たとえ、それが
心霊現象の類(たぐい)であっても。

そして、その自分の主観を自分で納得するために、自分なりの理論を持っています。
例えば、西洋占いを信じる人であれば「星回りがどうのこうの」と言うでしょうし、
中国の占いを信じる人は「五行陰陽説に基づいてどうのこうの」と言うでしょう。
(別の理論を持ち出すかもしれません)

ただし、その自分なりの理論が万人に受け入れられるとは限りません。
特に学者のような立場の人は、あまりいい加減な主張をすると学者としての信用が
薄れますので、確実な理論的裏付けと実証性がないことは、あまり人に言うことは
ないでしょう。

ただし、天才的な学者(ニュートンやユングのような)になると、その「非論理的なこと」を
説明するための「自分なりの理論」を実証するために、モーレツに研究をします。
そして、その研究が実った時にそれまでの常識は覆され、新たな学説が誕生するわけです。


アインシュタインを例に考えてみます。
現在の私たちは、アインシュタインが「特殊相対性理論」を発見してくれたお陰で
物体の速度が光の速度に近づくと、時間の進み方が遅くなるということを知ってい
ます。

アインシュタインが「特殊相対性理論」を考えるまでは、時間の進み方は均等であ
るというのが常識でした。それが変化するなどまさに「非論理的」なことであり馬
鹿げた考えだったわけです。

ところでアインシュタインですが、彼は16才の時に「光に乗ったら、いったいどんなふうになるのだろうか。」
という疑問を持ちます。そのことを説明できる既存の理論はありませんでした。

そこで彼は、コツコツと思索と研究を続けます。大学を卒業してからは学者ではな
く、特許局に勤務する一般人として。そして26才の時に「時間の流れは変化する」
というそれまでの常識を覆す発想がひらめきます。それは既存の理論からすると
「馬鹿げた話」であり「非論理的な考え」だったのですが、彼は自分の発想を確信
して、さらに研究を進めます。(参考URLを参照)

やがて彼の考えは「特殊相対性理論」として体系化され、それまでの物理学の常識
を覆す大発見となるわけです。


話が長くなりましたが、理解できましたでしょうか。
自分にとっては非論理的に見える現象も、別の人から見れば論理的と感じられるこ
ともあるのです。
そして、その非論理が覆された時に、新たな科学や技術の進歩が訪れるようになります。
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この回答へのお礼

>認識論の話は理解できませんでしたか?
自分では理解できていると思っています。
ただ、No.16 での回答のみから判断すると私の聞きたいように
2つの共存ではなく私にとって論理的でないものを
どのように理解しているかの説明に感じたので
話がそれないようにとコメントを控えました。

>自分にとっては非論理的に見える現象も、
>別の人から見れば論理的と感じられることもあるのです。
このことはわかっています。
だからこそ、"私にとって"非論理的というように表現しました。
しかし、No.24 での

>それから、論理的な思考をする人の場合、
>非論理的な事柄を自分で折り合いをつけているということは「無い」と思います。
という部分を読んで、nanashisan と一部分同じく
「2つともを論理的に納得している人はいない。」
という意見として納得します。

>ただし、世間一般で「非論理的」だと思われていても、
>自分が「論理的」だと思えばそれを受け入れていると思います。
本当は、世間一般で「非論理的」だと思われていても、
自分が「論理的」だと思ったときに、
論理的な人がどのようにそれを受け入れているのかという質問でした。

お礼日時:2001/10/04 05:16

queschan さんこんにちは。


私は物理学の研究をしている占い等を信じない立場のものです。

今までの皆さんの回答とお礼や補足を読んでみて
queschan さんの求めている回答と皆さんの回答との違いは
次のようなことではないかと思います。

これまでにあった回答は
論理的な考え方をする人が queschan さん(だけではないかもしれませんが)にとって
論理的でないように見える"ある1つの"ものを
どのように論理的に納得しているのかというものが多いように思います。

これに対し、queschan さんは
何回も補足で"共存"という言葉で説明しているところから
"ある1つの"ものを(占いであれ)ある定義をスタートに公理系のようなものを作り、
論理的に納得している人のことは理解出来ると考えておられるように思います。
(占いだけを論理的に理解している人や、科学だけを論理的に理解している人はOK)
ここで、さらに1歩進んで
"2つ"の異なる公理系のようなものを1人の人間が理解しようとするときに
それぞれの公理系には矛盾はないとしても、片方の公理系の中の定理を用いて
もう片方の公理系の矛盾を導けそう(queschanにとって、私もかな?)な場合
その人はどのように論理的に2つを"共存"させているのか
という意見を求めているように思います。

この観点からすると、今までに得られた queschan さんの
求めている回答は No.18 で解決した
「2つともを論理的に納得している人はいない。
 片方は論理的にもう片方はどこかで妥協して信じるということをしている。」
という nanashisan さんの意見1つということなのではないでしょうか?


長くなっていますが、ここから私の意見を書いてみます。
物理学のようないわゆる自然科学と占いなどの共存については
うまい理解が出来ていないですが、
(queschan さんと同じく共存させている人のことが不思議です)
数学(という哲学?)と占いなどについては共存は可能なのではないかと思います。
例えば宗教ではまず神の存在を定義として認めなければなりません。
この定義を認めなければその上に乗っている定理などはすべて崩れ去ってしまいます。
(宗教の例は少しずつ queschan さんの質問と離れそうで避けたかったのですが
占いなどの知識がなく例を挙げられなかったので)
数学も同様に定義を偽とすればそこから作られる公理系は崩れてしまいます。
2つともスタートは同じように認めたとすると
一人の中で2つの公理系が存在することになります。
ここで、数学で神を否定出来るわけでもなく
神が自然数はうそだなどと言うわけでもないので共存も可能なように思います。

しかし、物理のような自然科学と占いなどの共存について考えると
占いなどが自然科学を否定出来るわけではなさそうですが
自然科学によりテレパシーなどのおかしいところを指摘できそうなので
私もどのように共存させているのか聞いてみたいところです。

結局回答になってないですね。
一応、数学と占いなどの共存ならOKなのではという意見でした。
queschan さんは私より賢そうなので回答するのが怖い (;^_^A
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

これです。こういうことです。
私の"2つ"、"共存"という言葉がやっとわかってもらえました。
私も数学であれば共存することは出来るのではと考えていました。

これで、求めていた意見として
「2つともを論理的に納得している人はいない。
 片方は論理的にもう片方はどこかで妥協して信じるということをしている。」

「数学なら占いなどと共存は可能なのでは」
の2つを得ることが出来ました。

お礼日時:2001/10/03 19:53

あれ、いつのまにか増えてますね。

とりあえず私の回答の返答ですが、
>存在しないことを証明しなければいけないのだとしたら、なんでも在りになります。
>否定できないから、いるかもしれないと言って議論されている状況が理解できません。

?私の回答からなぜ「議論されている状況」が導かれたのかがわかりませんが、
議論はされていないと思います、少なくとも現在の学会などでは。(カントの話は初耳でした、cse-riさんに感謝)
テレビとかだったらそういう企画もあるのかもしれませんが、学会は存在することを証明しなくてはいけないので、そのような無謀なことに出る人は…今もいるのかな。まあ私は無謀に近いと思いますが、挑戦者はいるでしょうね。

さて、上記の質問では「論理的でないものを信じている方は」、とありますが、「論理的でないものを公でいると言っている方は」ってことですよね?私の先生は「信じている」が「公では言わない」方です。証明できないと感じている興味あるものに時間を費やすのではなく、証明できる、論理的なもので興味があるものに時間を費やす方が効率的だからではないでしょうか。結論が出ないものに対して「妥協して(回答欄からは誰に?orどういう意見に妥協、なのかはちょっと読み取れないのですが)」信じているというよりは考えるという行為を「凍結状態」にしている学者は多いと思います。

この回答への補足

私が聞きたいのは、論理的に物事を探求する人(質問文では理系の学問を学んでいる方とさせていただきました)で
占いや心霊現象等の(私にとって)論理的でないものを自分自身の中でどのように両立させているのか?
論理的なものと非論理的なもの(私にとって相反すると感じる2つのもの)を
自分自身の中でどのように折り合いをつけて共存させているのか?
を聞きたいのです。

補足日時:2001/10/03 19:51
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この回答へのお礼

>私の回答からなぜ「議論されている状況」が導かれたのかがわかりませんが、
導いたわけではありません。
>まあ私は無謀に近いと思いますが、挑戦者はいるでしょうね。
と shibako74 さんも仰るようにそういう人がいる以上
どこかで話にはなっているという意味です。

>「論理的でないものを公でいると言っている方は」ってことですよね?
違います。

>回答欄からは誰に?orどういう意見に妥協、なのかはちょっと読み取れないのですが
今は私にとって非論理的な一つの物事云々ではなく
補足にも書きましたが、2つの相反するようなことを論理的に理解している人は
どのようにその両者に折り合いをつけているのかということです。
したがって、誰にとかではなく自分自身の中でぶつかり合っている2つの論理のうち
一つをどこかで妥協するということです。

お礼日時:2001/10/03 19:50

すこし切り口の違う回答をひとつ。



遺伝行動学の本を色々書いている竹内久美子さん著「そんなバカな!」という文庫本を以前読んだのですが、その中に以下の様な内容のことが書いてありました。
”人間の行動は、いわゆる本能と呼ばれるものの他にも強く遺伝子に影響されている。””人間の歴史に於ける数々の戦争の結果淘汰が働き、神を信じるグループと信じないグループでは、信じるグループが勝ち残ってきた。””その結果、人間は神を信じるという形質をもつものが多く残った。”

ということで、実際の神仏オカルトの存在の有無は別として、何故信じるかという問いに対する答えは「そもそも人間はそうゆうものを信じやすいから(広い意味での本能)」ということになります。

極端な例ですが、ある人が「論理的に考えて人間に睡眠は必要ない」と判断してもやっぱ眠っちゃいますよね。話のレベルが違うかもしれませんが、こうゆう考え方もあるというぐらいにとらえてください。

この回答に対する自信は”なし”です。

この回答への補足

私が聞きたいのは、論理的に物事を探求する人(質問文では理系の学問を学んでいる方とさせていただきました)で
占いや心霊現象等の(私にとって)論理的でないものを自分自身の中でどのように両立させているのか?
論理的なものと非論理的なもの(私にとって相反すると感じる2つのもの)を
自分自身の中でどのように折り合いをつけて共存させているのか?
を聞きたいのです。

補足日時:2001/10/03 19:49
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>神を信じるグループと信じないグループでは、信じるグループが勝ち残ってきた。
というところは初めて聞いた考え方ですが、
新たな知識としてありがたく頂戴します。

しかし、補足に書かせていただきましたが
私が質問したいところはなぜ信じるかではなく
論理的な人がなぜ科学と占いなど2つともを納得出来るかということなのです。

お礼日時:2001/10/03 19:48

>これは普段論理的な思考をしている人でも


>科学で未解決の事柄を根拠なく信じてしまうのだということですね。
違います。科学で解明されていないことでも、心霊現象を体験したとか、占いと結果に相関があるとか、そういう生データを大切にする事が科学的であり理論的だと思いますが。逆に根拠もなく排除してしまう方が非科学的です。

>「2つともを論理的に納得している人はいない。
> 片方は論理的にもう片方はどこかで妥協して信じるということをしている。」
>ということで納得しました。
妥協という言葉には抵抗を感じますが、まっいいか。
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この回答へのお礼

>妥協という言葉には抵抗を感じますが、まっいいか。
妥協という言葉に抵抗を感じておられるあたりも含めて
nanashisan さんの回答を一つの意見として納得しました。

何度も回答していただきありがとうございました。

お礼日時:2001/10/03 19:45

なかなか質問に対しての期待した回答が得られないようでたいへんですね。



私自身は全然理系の学問を学んではいないのですが、似たような質問を私もした事があります。↓
『霊や超能力---------科学は万能か?』
話が違う方向で熱くなったのでレスをつけていませんが(理系の人は議論好きなんでしょうか・・)。関連URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=109526

私はあまりそういうものを信じませんし、また『世の中理屈で割りきれれない事もある』からといって霊を信じる理由にはならないですし、そういった考え自体論理的ではないと思います。(もちろん信じるのは自由ですが)
だからといって完全に否定する事も出来ません、何しろ分らないのですから。

基本的に『世の中の現象で解明できない事』はないと思っています。
今はまだそれが出来ていないだけで(恐らく解明する前に人類は滅びるでしょうが)絶対不可能という事はありえないと思います。宇宙の森羅万象になんらかの法則はあるはずです。

しかしただ、たとえ科学者でもお墓参りには行くでしょうね。
私もお墓参りも、初もうでも行きます。queschanさんは行きませんか?
例えば自分の亡くなった御先祖の写真を粗末に扱えますか?
本気で罰が当るとは思っていなくてもしないでしょうね。
テレビの「うらないコーナー」で『最悪の運勢!』といわれると2~3秒へこみます。queschanさんはへこみませんか?

普段の論理的思考とは別な所で意識が働くのではないでしょうか?
慣習や倫理観のような感覚に近いものだと思います。

論理的な物を信じる人でそういったものを本気で信じる人はそれらの事を queschanさんと違って「論理的ではない」と思ってはいないのではないでしょうか?(まわりりくどい言い方ですみません)

また恋愛、や宗教等、脳内生理学でそれら『物を信じる、愛するメカニズム』が完璧には解きあかされていない今でもそれらの現象は確実に起こっている訳ですから信じるも何もなく、それらと霊、占いと同列には語れないと思います。

この回答への補足

私が聞きたいのは、論理的に物事を探求する人(質問文では理系の学問を学んでいる方とさせていただきました)で
占いや心霊現象等の(私にとって)論理的でないものを自分自身の中でどのように両立させているのか?
論理的なものと非論理的なもの(私にとって相反すると感じる2つのもの)を
自分自身の中でどのように折り合いをつけて共存させているのか?
を聞きたいのです。

補足日時:2001/10/03 19:46
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>論理的な物を信じる人でそういったものを本気で信じる人はそれらの事を
>queschanさんと違って「論理的ではない」と思ってはいないのではないでしょうか?
私もそう思うのです。
そう思っていると推測したからこそ、その人の中で
「科学」と「占いなど」の2つの間で論理的矛盾が起こらないのか
不思議に思って質問しました。

お礼日時:2001/10/03 19:44

いろいろqueschanさんの意見を読んできましたが、問題は認識論をどう解釈するかにあるような気がしてきました。



queschanさんの意見としては
「占いや心霊現象といった理性で認知できない存在は信じられない」
ということかと思います。
これは哲学でいうところの「理性論」に当たります。
理性で認知してこそ、正しい認識が得られるという考え方です。
逆に言えば、理性で認知できない存在は疑うべきであるという立場になります。


ところが、科学者の歴史をひも解けば、意外なことに多くの一流の科学者が
この「理性的でないもの」にずいぶん興味を抱いていたことがわかります。
例えば、ニュートンは数学・物理学以上に「錬金術」にのめり込んでいました。
また彼は独自の聖書研究をしていたことも知られている事実です。

それからNo.1で述べたけれどもカントもそうです。
彼はほぼ同時代の大霊能者スウェーデンボルグを研究していました。彼が発揮した
透視・予知などの超能力について綿密に検証し、それがペテンでないことを証明
します。

他にも、深層心理学のユングなんかもそうですね。瞑想や予知夢を真剣に研究した
学者は彼がはじめてでしょう。


こういった一般の人から見てもぶっ飛んだ研究をしている人たちの行動は、理性論
の観点から考えると、まったく説明がつかなくなります。
あるかどうかもわからない、理性で考えれば考えるほど認識できない事柄に対して
真剣に取り組んでいるのですから。

そこで登場するのが「経験論」です。これは先ほど述べたカントという哲学者が
『純粋理性批判』という書物で提唱しています。

カントの認識論について短く説明することは非常に困難でして詳しくはご自分で
勉強して欲しいのですが、彼は先天的な認識の形式が存在することを発見します。
そして、対象からくる感性的内容が、主観の先天的な形式によって構成されること
で認識が成立すると説明します。

つまり、客観的事実の前に、本人の主観(しかも先天的=生まれつきな!)が存在
するというのです。
しかも、理性の働きによって現実的に存在しない存在を存在しているかのように
錯覚してしまうことも説明しています。(先験的仮象というらしい...)

あぁ、私の素人哲学ではだんだん文章で説明ができなくなってきました。
何を言いたいのかというと、客観的事実がどうであろうと本人の主観によって、
存在すると信じてしまうことがあるということです。

一言でいうと「思いこみ」なんでしょうが、その思いこみがやがて新発見につなが
り科学の進歩に貢献することもあるのですから、人間って不思議ですね。

この回答への補足

私が聞きたいのは、論理的に物事を探求する人(質問文では理系の学問を学んでいる方とさせていただきました)で
占いや心霊現象等の(私にとって)論理的でないものを自分自身の中でどのように両立させているのか?
論理的なものと非論理的なもの(私にとって相反すると感じる2つのもの)を
自分自身の中でどのように折り合いをつけて共存させているのか?
を聞きたいのです。

補足日時:2001/10/03 17:38
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>今までの補足の内容と合わせて良心的に意味を汲んでくださるならば、


>「占いや心霊現象等」⇒「私にとって論理的でないように感じられるもの」
>というような意味であることがわかると思います。

もちろん好意的に解釈すれば、そのような質問なのかもしれないとは考えました。しかし、補足の度に言い換えがされているので、こちらで勝手に解釈を変えないほうが良いと思ったんですよ。(^_^;

さて、そのような質問であると解釈すると、この質問は、
『私(queschanさん)には、占いや心霊現象等は論理的でないように感じられるけれども、じつは、論理的な解釈が可能なのですか?』
という質問に帰着するように思うのですが、違いますか?

この回答への補足

違います

補足日時:2001/10/03 13:55
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