以前本で、額田王は巫女だった、という説とうねめだった、という説を読みました。
それについての詳細を知りたいです。
何か、少しでもいいので知っている事があったら返答お願いします。

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A 回答 (3件)

巫女については知らないのですが


采女については
服従の意思を示す為に朝廷に送られたその娘達=女官を采女といいます。


父の鏡王を地方豪族とすると(王は今の王様の意味ではありません)
采女であったとするほうが自然でしょう。

采女はある意味人質であり、また貢ぎ物でもあります。

そして「褒美」として譲られることもあったそうです。
(天智天皇が鎌足に采女を与えたように…また大友皇子の母親も采女です)

お話的には三角関係の方が面白いでしょうしそれもいいとは思いますが

個人的には弟(というのも怪しいですが)から兄へ、優れた「上等な奴隷」を、譲ったと考えた方が自然だと思います。

自由意志で大王を巻き込んで自分の意志で結婚するなど無理だと考えた方が、他の采女や、どう考えても政略結婚があったと思える系図を見る限りは自然だと思います。

それに、もう1人の恋の相手の中大兄皇子にはこれまた問題ありな恋人候補がいますしね。

この時代は正確なことがわかっていないので面白いです。

ちなみによく言われる恋の歌は
宴会の余興として恋の終わったもの同士の大人の歌。
という解釈もあります。


巫女については
この少し後の時代、他の斎宮がある皇子との恋仲を疑われて「斎宮」をやめ都に戻されたのではないか。
というような解釈をしている本もありますから
「巫女」というものが妻としてこの時代にいられたかは疑問です。

失意のうちに自害して果てたかもしれない娘に比べ、たいそう長生きしましたから案外かなりしたたかな女性だったのではないでしょうか・・
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この回答へのお礼

ほお、なるほど!すっごくためになりました。
早速レポートを作りたいと思います。
ありがとうございました!

お礼日時:2001/10/15 20:23

私も額田王や持統天皇やその時代に興味があって  先に書いてる方と同じく 天上の虹 やその他いくつも出ているマンガや小説などを読みあ

さっています   額田は最初は采女だったみたいです   でも額田だけではなく色々な所の豪族の  見目うるわしくかしこい娘が  天皇の所に出仕させるみたいな感じで集められたみたいで  額田や額田のお姉さんもその中の一人みたいです  そこから歌が上手で巫女の力もある額田が  特に天皇家のお気に入りになったみたいです  天武天皇や天智天皇が額田を争って取り合いしたのは  歌がうまくて美人だっただけではなくて  何か特別な力があったからではないかって書いてありました  それが巫女の力で神の声が聞けたとか  よく当たる占いができたからだって書いてましたよ  
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この回答へのお礼

巫女説の情報、ありがとうございました。
どうしても巫女説の情報が少なくて困っていたんです。
またマンガの方も探してみます。

お礼日時:2001/10/15 20:27

こんばんわ。

私も額田王やその時代に興味を持ってる者です。
私が知ってるのは釆女であり、巫女のような事もしていたのでは?
と、いうくらいです。と、いっても本当かどうかはわかりませんが・・・
里中満智子さんの「天上の虹」というマンガはご存じですか?
額田王やその時代の事がマンガになっています。
説は色々だと思いますが、読んだ事がなければぜひ、読んでみては?
額田王は万葉集にもたくさんの歌を詠んでいて、才能ある方だったんですよね。
釆女というのは知識とか教養とか家柄もそうですけど、そういうのが完璧な
女の人がなる職業?なんですってね。
詳しい答えになってなくてごめんなさい。
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この回答へのお礼

色々ありがとうございました。
マンガの方は、また図書館にでも行って探してみます!

お礼日時:2001/10/15 20:25

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Q天智・天武・額田王の三角関係を学会が否定する理由

(1)あかねさす 紫野行き標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る(額田王)

天智七年(668)五月五日、天智天智は蒲生野で大海人皇子(のちの天武天皇)・中臣鎌足など群臣を率いて薬狩りを行いました。
そのときに額田王が詠んだ歌ですね。

この歌に大海人皇子が返歌をしています。

(2)紫の 匂へる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも(大海人皇子)


また、次のような歌があります。

(3)香具山は 畝傍(うねび)を愛(を)しと 耳成(みみなし)と 相争(あひあらそ)ひき 
神代より かくなるらし 古(いにし)へも 然(しか)なれこそ 現人(うつせみ)も 褄(つま)を 争ふらしき (中大兄皇子)

(1)(2)の歌を受けて(3)の歌は、天智・天武・額田王の三角関係をうたったものだとする説があります。

ところが、学会では(1)(2)の歌はいずれも相聞歌(ラブソング)ではなく、雑歌に載せられていることなどから、宴会の席でのざれ歌、
(3)は単に神話の世界を詠んだ歌だとしています。

でも、表だって相聞歌だと言うことができないから、雑歌に載せられているんじゃないか、と思ったりします。


また、ただ雑歌に載せられているから三角関係ではなかった、というだけの理由ではあまりに考証が雑です。
まさか、それだけの理由ではないだろうと思います。

学会天智・天武・額田王が三角関係にあったとする説を否定する詳しい理由をしりたいです。
よろしくお願いします。

(1)あかねさす 紫野行き標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る(額田王)

天智七年(668)五月五日、天智天智は蒲生野で大海人皇子(のちの天武天皇)・中臣鎌足など群臣を率いて薬狩りを行いました。
そのときに額田王が詠んだ歌ですね。

この歌に大海人皇子が返歌をしています。

(2)紫の 匂へる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも(大海人皇子)


また、次のような歌があります。

(3)香具山は 畝傍(うねび)を愛(を)しと 耳成(みみなし)と 相争(あひあらそ)ひき 
神代より かくなる...続きを読む

Aベストアンサー

既に結論は出ているようですが、日本の学界は
まさに史料至上主義で、史料に無いことは
単なる推測でしか無いという立場です。

この考えは正確性を期すためには必要なスタンスですが、
同時に、常識でわかりそうなことすら排除してしまうとか、
情報操作された史料しかないとそれが定説になってしまう
欠点があります。
特に、常識については(その時代の人は)わざわざ記録しないことが
多いので、結果的に学界の定説がピントのずれたものになりがちです。
(史料の少ない時代は無論のこと、比較的近い時代でもわざわざ記録しない
庶民の生活などが、実は定説が無いとか珍しくありません。)

こういうのは、学会の主流の考えが変わらないとどうしようもない
部分ですが、それを変える礎としてブログ等で発表するのは
決して無意味ではないと考えます。

Q額田王について・・

額田大王について知りたいのですが、どこで生まれたとか何年に生まれたとか言うプロフィール的なことがかいてあるHPっていありませんか??
是非教えてください

Aベストアンサー

 額田王について詳しいことはほとんどわかっていません。そもそも古代の人はいつどこで生まれたとか、そういうことは相当な重要人物(天皇とか)でないかぎりあまりわからないのが普通です。
 生まれた土地については、額田という名前からして額田郷ではないかという説もあるようです。ウィキペディアに多少のっています↓
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A1%8D%E7%94%B0%E7%8E%8B

 他にもいろいろな説があるようです。個人のホームページなのでどれほど信用できるかわかりませんが、下のページには和歌から出身地を推理しようとする試みがのっています。信憑性は別としてこれはこれで話として面白いので貼っておきます↓ 
http://www.page.sannet.ne.jp/s-endo-kyoto/flame10/nukatatooti/nikatatooti.htm

 あと、書籍になりますが、永井路子の『新・歴史をさわがせた女たち』『歴史のヒロインたち』という本にちょっとした一般向けの解説があります。永井路子は歴史小説家ですが、学者と対談したりいろいろな情報源を使っているので、そこそこ信用できるし手軽に読めると思います。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167200228/qid=1119835330/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-1567516-3777139

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167200201/qid=1119835480/sr=8-5/ref=sr_8_xs_ap_i5_xgl14/249-1567516-3777139

 額田王について詳しいことはほとんどわかっていません。そもそも古代の人はいつどこで生まれたとか、そういうことは相当な重要人物(天皇とか)でないかぎりあまりわからないのが普通です。
 生まれた土地については、額田という名前からして額田郷ではないかという説もあるようです。ウィキペディアに多少のっています↓
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A1%8D%E7%94%B0%E7%8E%8B

 他にもいろいろな説があるようです。個人のホームページなのでどれほど信用できるかわかりませんが、下のページには和...続きを読む

Q「海軍善玉説」「陸軍悪玉説」

皆さんこんにちは。

先の大戦で、「海軍善玉説」「陸軍悪玉説」
と言うのをよく耳にしますが、どういった理由で
善玉、悪玉と評価されているのでしょうか?

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

この場合善玉も悪玉もありません。
大体参謀本部が陸軍と海軍に分かれていて事有るごとに対立してました。普通は陸主海従が基本であり海軍国のイギリスだってそんなアホな事はしてません。この辺りは日露戦争での活躍した海軍の増徴が原因なんですけどね。

それに開戦にしたって確かに陸軍は満州抑えるだけで良しとしてれば良かったのに支那本土まで出張ってますから愚かの極みなんですが海軍にしたって山本五十六提督からして「1~2年は暴れ回って見せますがそれ以上は・・・」と言ってる側から真珠湾へ出張ですからこれ以上の猪突猛進は無いでしょう。しかもこれはアメリカ留学経験者が率先しての話ですよ?
陸軍は玉音放送盤を奪おうと叛乱寸前までいってますが海軍は海軍で食料その他物資を運ぶ輸送船団護衛部隊の燃料使ってまで何やったかご存知ですか?戦艦大和の特攻ですよ!燃料無くてまともに船も動かせないし食料は底を尽いて国民の大量餓死及び叛乱一歩手前までいってる状態で「水上部隊の誇りを示す!!」とか言ってるわけです。これには流石に同じ海軍で輸送船団の護衛部隊の参謀は電話口で「大バカヤロー!!」と絶叫するほどにイカレていたんです。まぁ陸軍は陸軍で竹やりでB-29を本気で打ち落とすつもりだったらしいのでどっちもどっちもですけどね。

笑えないジョークとして
ドイツ軍はソ連軍とアメリカ軍とイギリス軍と戦争した。
イタリア軍はイギリス軍と戦争してからドイツ軍と戦争した。
日本軍は陸軍と海軍がそれぞれ互いに戦争しながら暇を見つけて米・英・中・ソと戦争した。
なんて事も一部で言われています。

海軍善玉説は戦後に海上自衛隊を創設するときに専門性が高く旧海軍士官をリクルートするのに悪玉だと余計な邪魔が入るからと後付けした話というのが私の見解です。

この場合善玉も悪玉もありません。
大体参謀本部が陸軍と海軍に分かれていて事有るごとに対立してました。普通は陸主海従が基本であり海軍国のイギリスだってそんなアホな事はしてません。この辺りは日露戦争での活躍した海軍の増徴が原因なんですけどね。

それに開戦にしたって確かに陸軍は満州抑えるだけで良しとしてれば良かったのに支那本土まで出張ってますから愚かの極みなんですが海軍にしたって山本五十六提督からして「1~2年は暴れ回って見せますがそれ以上は・・・」と言ってる側から真珠湾へ出...続きを読む

Q五行説。陰陽五行説の英訳?

タイトルの英訳文を求めております。
御存知の方はいらっしゃいませんか?

Aベストアンサー

英語版の Wikipedia を見てください。

五行:Five Movements, Five Phases, Five Steps/Stages, Five Elements など数種類の訳があるようです。

陰陽:yin-yang (またはハイフンなし)と中国音で書いてあります。

なお,日本語の「説」を theory と直訳していいかどうか,迷います。上述のページでは concept と書いてあるからです。また,両者をくっつけた「陰陽五行」といういいかたが英語でもあるかどうかも疑問です。まあ,ヒントは出てきましたから,いろいろ検索をかけて実際の用例を探してみてください。

Q梓巫女や神職について知りたい事があります。

昔は各地を周る梓巫女や歩き巫女がいたと聞きます。
これと同じように特定の神社に属さなかった男性の神職の方や
各地で神託や呪術を行っていた男性はいたのでしょうか?
またそれの呼び名や資料があれば教えて頂ければ幸いです。

宜しくお願いします。

Aベストアンサー

たぶんそれは「御師(おし)」のことだと思います。
頼朝の時代前後からあったと思われます(記録があるということ)が、御祷師から変化した名前です。
これは基本的に大きな神社の属しており、神職の仕事をしたり布教活動に全国を歩いていました。

これとは別に巫女は直接神様に仕える女児などを言いますが、昔は男子も使えており、「物忌み」と呼ばれました。近世まではした働きの男子を「神人(じんにん)」ともいいますが、作業上の優劣は巫女より下だったようです。要するに下男。

巫女の大切な役目としてナンナギと呼び或いは「神招き」とも言います。つまり霊媒師のことです。
当初は神社について布教をしていた御師や巫女が、やがて神社と関わりなく地方を歩いて不況や神招きを行ったことで、特に女性を「梓巫女」と呼ばれるようになったようです。
これらの職についてはほかにも「巫(ふ)」とか男性は「ゲキなどという呼び名があり、(というか神道は各神社に継承されるもので、神社本庁のような統括組織はなかった)その役割も様々だったと考えます。

これら物忌みとか神招き或いはカンナギという言葉には男女の区別はありませんが、男性の場合は特に男児に限られていたようです。
でもやはり持て囃されたのは女性で、男性は次第に数を少なくしたようです。

神社関係の本でこのような俗世的なものが出てくるのは希です。というのも神社を離れたものでは遊女的なものも多かったからです。もちろん男性もです。
ですのでこれらについて直接書かれている本については存じません。
私が基本的に資料としているのは、御師などについては岡田米夫著の「神社」、或いは全体的な歴史については神社新報社の「わかりやすい神道の歴史」などです。

たぶんそれは「御師(おし)」のことだと思います。
頼朝の時代前後からあったと思われます(記録があるということ)が、御祷師から変化した名前です。
これは基本的に大きな神社の属しており、神職の仕事をしたり布教活動に全国を歩いていました。

これとは別に巫女は直接神様に仕える女児などを言いますが、昔は男子も使えており、「物忌み」と呼ばれました。近世まではした働きの男子を「神人(じんにん)」ともいいますが、作業上の優劣は巫女より下だったようです。要するに下男。

巫女の大切な役目として...続きを読む


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