No.3ベストアンサー
- 回答日時:
義経の場合でいうと、「源」が姓、「九郎」が通称または呼び名、「義経」は諱(いみな)です。
諱は死後における生前の実名(じつみょう)で、通常の会話などでは用いず、もっぱら文書などに署名する際に使いました。従って、時代劇などで「義経殿」などというのは本来は誤りです。ただ、当時の記録などは当然諱で書かれていますから、後年物語化する際には諱で呼ばれるようになったのだと思います。
戦国時代以降になると、通称で伝わり物語化されることも多くなります。後藤又兵衛基次や長谷川平蔵宣以などは通称の方でよく知られていますね。このようにより庶民に近いか英雄視されているような武将は、通称で呼ばれていたようです。
又、通称ではなく役名や官位の方を名乗る場合もあります。大岡越前守忠相などはその例です。
No.5
- 回答日時:
武士の名前と言うのは 姓+通称+緯(イミナ)で成っていました。
これは、平安時代から明治維新までずっと同じです。「越前守」などの官名を朝廷から与えられていたり、主君から許されている人は、通称の代わりに官名を用います。通常は「姓+通称(官名)」、例えば「西郷吉之助」や「大岡越前守」しか使いません。誰かへの呼びかけは、「吉之助殿」もしくは「越前守殿」と、通称(官名)だけで呼んだみたいです。
正式な「名前」である「緯」は、本人しか知らず、時として本人もあやふやになるくらい、日常生活とは縁遠いものであったそうです。
薩摩藩士の西郷吉之助は、明治維新で活躍して新政府の高官になりました。戸籍制度が整備されたので、西郷吉之助さんの本名(姓+緯)を登録する必要が生じたのですが、周囲の者は誰も知りません。たまたま、何かの理由で西郷吉之助はどこかに出張していて確認できません。誰かが「西郷吉之助さんの緯は隆盛だ」というので役人がそのように登録したのですが、実は「隆盛」は西郷吉之助さんの父親の緯であったと後に判明しました。吉之助さんの緯は本当は「隆永」だったそうです。
東京に戻った西郷吉之助さん、一度登録した戸籍は訂正が難しいので、「西郷隆盛」として歴史に名を残すことになりました。
一方、西郷吉之助(隆盛)の弟の西郷小助さんも明治維新後に政府高官になりました。小助さんに役人が「西郷小助さんの緯は何ですか?」と聞いたら「リュウドウ(隆道)でごわす」と答えたそうです。ところが、聞いた役人が「ジュウドウ(従道)」と聞き違えたので、西郷小助さんの戸籍名は「西郷従道」になってしまいました。
緯は難しい漢字を使うので、しばしば「本人が自分の緯を読めない。しかし、緯は日常生活で使わないので何の不自由もない」ことがあったそうです。
この回答への補足
名前というものは姓と名からできているものと,思っていましたが、結構複雑なのですねー 名だけでも足りると思うのに(江戸時代以前は大部分の人に姓がなかったのに)一部の人は面倒くさいことしてたのですねー
補足日時:2005/08/12 20:30No.4
- 回答日時:
天皇から官位をもらう時は必ず氏名を名乗ることになっています。
家康も征夷大将軍になるときは、源朝臣徳川家康と書いています。この「源」が氏名(うじな)で、「朝臣」が姓(かばね)です。氏名(うじな)は、藤原・中原・源・平・橘等すべて天皇から与えられています。従って天皇には、氏名(うじな)がありません。また、姓(かばね)は、朝臣・直(あたい)・連(むらじ)・公(きみ)などです。それらは本来、それぞれの氏の首長に対する尊称であったと考えられています。従って、天皇にはそれもありません。
那須与一宗高で言えば、
那須氏は、諸系図に違いがあるようですが、藤原氏から出たようで、そのため藤原朝臣那須・・・となります。
那須は、苗字で地名から来ています。
与一は、余一とも書く通称(?)で、那須太郎資高の十一男のため「よぶんの一」といった意味もあると聴いたこともあります。宗高は、実名(じつみょう)でいろいに書くようで「宗隆」とも書いている系図もあります。
実名は、いろいろと変えるようで、戦国末期の武将の立花宗茂は、統虎・宗虎・親成・尚政・政高・俊正と変名して44歳の時加増を契機に「宗茂」に変えました。
No.2
- 回答日時:
こんにちは。
昔は天皇や公家,上級武士など高貴な人は,人に本名を教えないのが普通でした。つまり存命中は,名前はあっても,その名前で呼ぶことはなかったということですね。例えば鎌倉幕府の将軍ですと,鎌倉殿と呼ばれていました。ちなみに「幕府」という言葉も後世の歴史家が勝手につけた名称で,当時は無かった言葉なんですね。
ですから,当時は正式名という概念はなかったということですね。
No.1
- 回答日時:
源義経の場合姓が源で九郎は通名(通称)、義経が実名(じつみょう)ということになります。
で自己紹介するとすればたぶん源九郎でござるだけだったとおもいます。実名は記録とか正式文書には書かれてもふつうはめったに遣われるものではなく、主君でさえほとんど実名で呼ぶことはなく、それ以外の他の人が義経殿などと呼ぶことは失礼でさえありました。
那須与一の場合は那須は姓ではなく、正式の姓は源平藤橘のどれかだとおもいますが、これらの姓では同姓の人が多いので家ごとに所領の地名などをとって苗字としましたがその苗字です。
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