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古今和歌集 巻十二 恋歌ニ・五五ニ

思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを

小野小町

この歌の表現技法は「倒置法」でいいでしょうか?
参考書によって、「倒置法」ではないので注意!
とあります。「倒置法」です。と言いきっているものもあります。

よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

倒置法ではありません。


この歌は上句切れで、「見えつらむ」でマルが打たれます。
倒置法と言いきっているのは、句末の「を」を、対象を示す格助詞だと誤解しているのではないでしょうか。
この「を」は格助詞ではなく、詠嘆の意を示す終助詞です。
「~だったのに」という反実仮想の含みをもった用法ですね。
この歌は上句が
「(その人のことを)思いながら寝たからその人の夢を見てしまったのかなあ」
という疑問文、
下句が上にも述べた反実仮想
「夢と知っていたなら覚めなかったのに」
という、それぞれ独立した文になっており、倒置文として下句が上句に入る余地はありません。
したがって、倒置法ではありません。
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この回答へのお礼

お返事遅くなって、大変申し分けありません。とてもよく理解できました。
ありがとうございました

お礼日時:-0001/11/30 00:00

 これまでの方が回答されているとおり、この歌には倒置はありません。


 日本語の文法では、主語が先で述語が後、修飾語が先で被修飾語が後、という決まった語順があります。「倒置」とは意味を強めるためにこのような句や語の順序を逆にするものですが、問題の歌においては上の句と下の句の間に主述の関係や修飾被修飾の関係が認められません。
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この回答へのお礼

お返事遅くなって、大変申し分けありません。とてもよく理解できました。
ありがとうございました

お礼日時:-0001/11/30 00:00

解釈が分かれているんでしょうね。


ですから、ここでも解釈が分かれることでしょう。

で、僕の意見ですが。

その人のことを思って寝たから彼が(夢に)出てきたのだろうか。
夢と知っていたならば夢から醒めないでいたかったものを(夢と知らずに醒めてしまった)。

という2つの部分ですね。
これが倒置だとしましょう。
夢と知っていたら夢から醒めなかったのに、彼のことを思って寝たから夢に出てきたのだろうか。
文意が取れないんですよ。
だから、倒置ではないかと。

ところで、平安時代は、夢に人が現れると、現れた人が夢を見た人のことを思っている、という考え方があったそうです。
この歌とはちょっと逆の話で余談なんですが。
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この回答へのお礼

お返事遅くなって、大変申し分けありません。とてもよく理解できました。
ありがとうございました

お礼日時:-0001/11/30 00:00

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Q小野小町について。

いま、学校の国語で小野小町の、「おもひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを」というのを調べてます。何か資料はないでしょうか・・・・

Aベストアンサー

意味は、
あなたのことを思いながら寝たので、あなたは夢にあらわれたのでしょうか・・・夢だとわかっていたならば、目をさまさなかったものを・・・
てなかんじです。
小野小町は楊貴妃・クレオパトラとならんで世界での3大美女といわれてます。今でもきれいな人のこと、○○小町っていいますよね。
それから、習ったとおもいますが、百人一首にも「はなのいろは~」の短歌のっていますよね。

個人的には小野小町よりも古い時代の短歌とかのほうが個人的にはとってもすきなんですが・・・
もしも「小野小町」じゃなくて短歌や相聞歌に興味がおありでしたら、角川文庫から出版されている「恋ノウタ~せつなくて」と「恋ノウタ~愛しくて」がおすすめです。著者は三枝克之さんです。
学校で習うよりもずっと実生活に密着した?おもしろい本です。恋の短歌ばっかです。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/komati.html

Q文学→古今和歌集

『思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを』

現代訳
(あの人のことを)恋い慕い続けて寝たから、あの人が(夢に)見えたのだろうか。
夢だと分かっていたならば、目覚めないでいたのに。

について
和歌に含まれた『恋』について120字程度の感想を考えているのですがこの場合どう書いたらいいのでしょうか?

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>夢だと分かっていたならば、目覚めないでいたのに。
こういう主題で感想を書くときは個人的な体験に及びそうでなかなか書きにくいですよね^^;

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Q小野小町について

小野小町の「思ひつつ寝ればや人 の見えつらんと夢と知りせば覚めざらましを」というやつについて調べ学習をしています。小野小町のこと、この歌の背景、現代訳などなどどんなことでもいいので知ってる人は教えてください。また、お勧めのサイトなどあったらURLはっていただければサイコーです!よろしくお願いします。

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「(あなたの事を)思いながら寝たからでしょうか、あなたが私の前に現れました。
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…ってかんじですかな。

参考URL:http://ww1.enjoy.ne.jp/~levert/novel/title.htm,http://www.yutopia.or.jp/~numakura/ehon/komati16.htm

Q思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを。 現代語訳→あの人のことを思いながら眠り

思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを。

現代語訳→あの人のことを思いながら眠りについたから夢にでてきたのだろうか。夢と知っていたなら目を覚まさなかっただろうものを。

↑の表現技法はなんですか?
わからないので回答をお願いします。

Aベストアンサー

反実仮想。事実に反して仮に想う、です。

Q歌の背景

「思ひつつ寝ればや人 の見えつらんと夢と知りせば覚めざらましを」という小野小町の歌のできた背景が知りたいです!どこか詳しいサイトなどあったら教えてください。また、直接書いていただいても結構です。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

和歌はまずは「国歌大観」(日本の和歌がすべて載っているの本)で調べましょう。
地域の図書館や、大学図書館にあります。

「思ひつつ」で調べて
どの和歌集に入っているか調べてみましょう。
どの和歌集に入っているかわかったら
その和歌集の全集で調べてみます。
訳などが載っている本に時々製作の背景が載っています。

いちおう検索にひっかかったHPを載せておきます。
けれど「参考」にするだけにして下さい。
人の意見を自分の意見のように書くことはいけないことと
ルールで決まっているので…

高校か大学生かわからないけれど
調べる努力をしてみて下さい。
自分で一生懸命調べた和歌は、一生忘れないものです。

参考URL:http://homepage1.nifty.com/HanaYugen/Diary001008-14.html

Q句切れについて

・人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほいける(紀貫之)
・秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる(藤原俊之)
・思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを(小野小町)
・(西行法師)
・玉の緒よ 絶えねば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする(式子内親王)

これらの句の句切れを教えてください。それと、「道の辺に 清水流るる 柳陰 しばしとてこそ 立ちどまりつれ」の季語と季節を教えてください。

Aベストアンサー

・人はいさ 心も知らず / ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほいける(紀貫之) 二句切れ。
・秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる(藤原俊之) 区切れなし。
・思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ / 夢と知りせば 覚めざらましを(小野小町) 三句切れ。
・玉の緒よ 絶えねば絶えね / ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする(式子内親王) 二句切れ。

道の辺に 清水流るる 柳陰 / しばしとてこそ 立ちどまりつれ 三区切れ。
季語:清水
季節:夏

それぞれ有名な歌ですから、辞書にも載ってるのではないでしょうか。

Q小野小町の恋について

高校で研究論文を書いています。
小野小町の恋について調べたいのですが
「恋多き女」と名高き小野小町なのに
深草の少将ネタしか出てきません。

ほかに誰と恋したんですか?
また、お勧めのサイトがあったら教えて下さい。

Aベストアンサー

こんにちは。

元々伝承の少ない彼女の事なので、何処まで真実かは分かりませんが、一応和歌のやり取りから分かっているのは
安倍清行(あべのきよつら)
小野貞樹(おのさだき)
文屋康秀(ぶんやのやすひで)
僧正遍昭(そうじょうへんじょう)
などがいます。
あと、本当かどうか真意の程は分かっておりませんが、当代きってのプレイボーイ在原業平とも関係があったと言われています。

一応、有名な和歌による逸話をご紹介すると、安倍清行との話で、ある法事に2人が出席して法華経の法話を聞いてから自宅に帰ってから、その法話に掛けてあえない寂しさを伝えるために

「つつめども 袖にたまらぬ 白玉は 人を見ぬ目の なみだなりけり」(転がっている玉を取ろうといくら包んでみても、私の玉はちっとも袖にとどまらんなぁ・・・と思ったら、何てこと無いその玉は、貴方に会えない私の涙でしたよ)

と、清行から小町に送りました。しかして小町からの返歌は

「おろかなる 涙ぞ袖に 玉はなす 我はせきへず たぎつ瀬なれば」(袖に玉するような涙なんてチャラいわ~!!私なんかあの法師様のお話にメチャメチャ感動して、滝のような涙を流しましたのよ!)

と言う、トンチンカンなのかはぐらかされた分かりませんが、返歌をしたそうです。恋多き女性、そんな風に殿方たちを翻弄していった方のようですね(^_^;)

先の方達の名前と小野小町、そして恋で検索したら、色々他にも面白い逸話が見つかると思いますよ。頑張ってよいレポートが出来るとよいですね。

ご参考になれば幸いです。

こんにちは。

元々伝承の少ない彼女の事なので、何処まで真実かは分かりませんが、一応和歌のやり取りから分かっているのは
安倍清行(あべのきよつら)
小野貞樹(おのさだき)
文屋康秀(ぶんやのやすひで)
僧正遍昭(そうじょうへんじょう)
などがいます。
あと、本当かどうか真意の程は分かっておりませんが、当代きってのプレイボーイ在原業平とも関係があったと言われています。

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Qテスト直前なのに、短歌の区切れがわかりません………。

短歌の句切れ、どのように見分けたらよいのかがわかりません。
感動の助詞(けりなど)がなかったら『句切れなし』なのでしょうか?

以下の句の句切れ、自分で考えても理解できず、家族や友人に聞いてもわからないと言う返事しか返ってこなく、
ネットで調べてもよくわからないので困っています。
どうぞよろしくお願いします。

・防人に 行くはたが背と 問ふ人を 見るがともしさ 物思もせず(防人歌)
・多摩川に さらす手作り さらさらに なにそこの児の ここだかなしき(東歌)
・君待つと 吾が恋ひをれば 我がやどの すだれ動かし 秋の風吹く(額田王)
・近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古思ほゆ(柿本人麻呂)
・うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思えば(大伴家持)

すべて万葉集で、とても一般的な句なのだそうですが、よくわかりません。どうかよろしくお願いします。

Aベストアンサー

「句切れ」とは、和歌や俳句において、意味の上でいったん切れるところです。
以下のような場合があります。

1、切れ字のあるところ。
「切れ字」は、「や」「かな」「けり」など。俳句の項目で調べると分かります。でも、松尾芭蕉は「全て切れ字」とも言っていて、本質的には奥の深いもので、一概に「これが切れ字」とは言えません
↑「けり」は「詠嘆の助動詞」です(「助詞」ではない)。

2、係り結びの結んであるところ。
係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」は連体形で結び、「こそ」は已然形で結ぶ。

3、終止形や命令形で言い切っているところ。

4、体言止めで言い切っているところ。
ただし、体言で句が終わっていても、そこへ「を」「に」などの助詞を補ってあとの句へ意味がつながるような場合は、ここを句切れとは考えません。

5、倒置法のあるところ。

6、呼び掛け法のあるところ。

韻文の場合、芸術的に感心できませんが、一応、「解釈(分かりやすい現代語に訳す)」をしてみると、句切れも分かるかと思います。

*防人に・・・
あの九州の警備兵として徴兵されていくのは誰の旦那さんかしらね、と訊く人を、見ることのうらやましさと言ったらないよ。なんの悩み事もなくて(あの防人は私の夫なのだよ、私には危険な国境に夫を送り出すという悩みがあるのだ)。
→「ともしさ」が体言止めで、意味的に倒置法なので四句切れです。

*多摩川に・・・
多摩川に晒して作る布を見ていた。その「さらす」という音でふと思い出したが、さらにさらにどうしてあの子がこんなに恋しいのだろうか。
→「多摩川にさらす手作り」までは、「さらさらに」を導くための「序詞(じょことば)」で、和歌の解釈としては内容的な意味はなく、「手作り」は体言止めで、二句切れです。

*君待つと・・・
恋人のあなたの訪れを待って私があなたを恋い慕っていると、私の家の簾を動かして、あなたの代わりに秋の風が訪れ、あなたはまだ来ないのだった。
→順当な流れのうちに結句まで言い切っている歌で、句切れなし。ちなみに、古今集以降だと、「秋風」を「飽き」との掛詞(かけことば)と考えて、恋人の訪れがないのを、恋人とが自分に「飽き」たからだ、と、別れや失恋を暗示するのですが、万葉集だとそこまで読むのは深読みと考えられるでしょう。単に季節がほんとに秋だっただけ。女心の寂しさは詠み込まれているけど。

*近江の海・・・
琵琶湖に夕方立つさざ波に群れ遊んでいる千鳥たちよ、お前が鳴くと、私はひどくしみじみと悲しくなって、昔のことが偲ばれてならないよ。
→「夕波千鳥」を呼び掛け法と考えても、単なる体言止めと考えても、いずれにせよ二句切れ。

*うらうらに・・・
うららかに照っている春の陽射しに雲雀が空高く舞い上がり、私の心はいっそう悲しいなあ。一人ぼっちで物思いに耽っているので。
→「心悲しも」の「も」は、上代特有の助詞で、詠嘆を表すので、ここで切れて四句切れ。春の憂愁(メランコリー)を詠い、万葉集としてはかなり進んだ、中古的美意識をもって詠んだ歌。雲雀の楽しそうなさえずりと、自分の憂鬱な物思いとの対比。

万葉集の和歌には、二句や四句の偶数で句切れのある歌が多いのです。
五七/五七/七
と「五七」のリズムが強調されるので、「五七調」と呼ばれます。
(古今集以降の和歌は、初句や三句の奇数句で句切れのある歌が多く、五/七五/七七と「七五」のリズムが強調されて、「七五調」と呼ばれます)
五七調の和歌は、五音という軽い上半身を、七音という重い下半身でしっかりと支えるので、歌体が安定し、堂々とした力強い響きをもたらします。
七五調の和歌は、反対に、七音という重い上半身が、五音という軽い下半身の上に乗っかる格好になるので、歌体はふらつき、なよなよとした流麗な流れの良い歌になります。

「句切れ」とは、和歌や俳句において、意味の上でいったん切れるところです。
以下のような場合があります。

1、切れ字のあるところ。
「切れ字」は、「や」「かな」「けり」など。俳句の項目で調べると分かります。でも、松尾芭蕉は「全て切れ字」とも言っていて、本質的には奥の深いもので、一概に「これが切れ字」とは言えません
↑「けり」は「詠嘆の助動詞」です(「助詞」ではない)。

2、係り結びの結んであるところ。
係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」は連体形で結び、「こそ」は已然形で結ぶ...続きを読む


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