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江戸時代えた・ひにんとされていた人たちの住んでいたところが
被差別部落とされ、いわれのない差別が未だ存在する というところまでは
わかったのですが、えた・ひにんはどういう理由で決められたのでしょうか?

わたしは東日本の出身で、部落問題についての知識・認識がないも同然です。
歴史の授業でも、教科書の短い記述をただ読み聞かされただけでした。
先生に質問にいったのですが、あまりよく教えてもらえませんでした。
先生もあまり詳しくわからなかったような感じです。

学校やマスコミ、その他公の場で
この問題を大々的に扱われることはまずありませんよね?
完全に差別を根絶するためには大いに論じられてしかるべきだと思うのですが
なぜでしょう?

どなたか教えてください。

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A 回答 (11件中1~10件)

こんにちは。

私が社会科(日本史)で習ったのは、江戸時代、幕府が「士農工商」という階級を作った時、一番下の「商」階級の人たちの不満を押さえるために、その下に架空の階級を作り、犯罪者や反体制の人々(例えば豊臣残党や幕府に取りつぶされた大名などの家臣等幕府に恨みを抱く人)等を捉えて犯罪者とみなし充てたと教わりました。

学校やマスコミなどがまともに扱わないのは、「解同タブー」というのがあるからではないでしょうか。
日本のマスコミには沢山のタブーがあります。「解同タブー」もその一つです。

具体的には「部落開放同盟」というグループが、「糾弾権」という権利を主張して「糾弾権」を認めないと「差別である」と言って糾弾集会を開いて、行政職員、教職員などをつるし上げたり、暴力をくわえたりして威圧し、行政などから特権を得るなどの事件が実際にありました。

http://member.nifty.ne.jp/ZENKAIREN/11.html

このような事例は結構全国で起こっており、現在では判例によって島崎藤村の作品にあるような「差別の実態」「糾弾権」というのは否定されていますが、日本の行政は実力行使をする集団に甘く、「差別」の名によるごり押しによる特定団体の不法な利益享受という問題があります。

http://www.blhrri.org/blhrri/kenkyu/data/hanrei/ …

実際の現在起きている問題としては、被差別地域出身であると一部心ない人達による就職、結婚時の差別が問題になる事があり、こちらがたまに問題になってます。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
はじめて知ることばかりで、勉強になります。

「糾弾権」とは具体的にどういう権利なのか、調べてみようと思います。

「就職・結婚の差別」って、理不尽としかいいようがないですよね。
質問でも触れましたが、それをなくすには
「部落差別はまちがっている」ということを広めたほうがいいと思うのですが
ものすごくいろいろな問題が絡んでいるのですね。

お礼日時:2001/10/08 19:38

直接の回答にはなりませんが気になったので投稿させてください。

人それぞれの考えといえばそれまでですが,この問題を知らないほうがよかったとか,教えられない方がよかったというのが回答の一部にありましたが,私はそれは違うと思うのです。知らなければ差別がなくなるのかと思うとそうではないですよね。そっとしておけばなくなるのなら,とっくの昔になくなっているはずです。知らないほうがよかった言う考えはこの問題を自分の問題としてとらえず,他人の事としてとらえているかだと思うのです。もしそれを知ることでいじめや差別が助長されるのならば,それは学校や職場で行われている同和教育の不十分さに問題があるのだと思います。例えば下の方の書き込みにあるような,事前に十分な学習もせずにいきなりビデオ見て感想を書く。これでは,差別を助長すると言われても仕方ありませんよね。ただそのことを習った,習わないかが問題ではなくて,何のために学習するのか(したのか)を理解する必要があると思います。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
わたしもpusutaさんと同じ考えをもって質問したのですが
kussa-さんへのお礼にも書いた通り、それが少し揺らぎました。
でも、pusutaさんのご意見を聞いて再び
正しい教えかたであれば、やはりみんなが心に留めておいたほうがいいように
思えました。
「正しい教えかた」なんて簡単に書いてしまいましたが
それもものすごく難しいことですよね。

お礼日時:2001/10/09 20:19

>完全に差別を根絶するためには


転居も婚姻も進学も本人の自由になっている現在、差別は無いといえます。
人畜の死体の処理なども専門業者がしますし、食肉店も花屋も被差別部落出身者でなくてもなれます。
えた・ひにんはどういう理由で決められたということよりも、生れ落ちたカーストから一生抜けられなかったということが問題なのです。
現在隠そうと思えば住所と戸籍を移動すればOKです。
ちょっと前までは被差別部落民を雇うと団体でサボタージュしたり暴力行為が目立ったりしたのですが、今ではなくなっているのでは?就職差別の必要性がなくなりました。
結婚も結婚後、核家族でマスコミなどで勉強しながらお互いに親とは違った生活ができるので問題が生じません。
カーストにとらわれていた時代には上級士族や被差別民など対象の少ない階級は近親結婚を繰り返しました。家庭教育も特徴があって、就職してから対人関係・言葉遣いなど苦労して覚えました。
そんな苦労なんて誰でもあるわけで、現代では自分にふさわしい環境を選んで生きていくことで解決してしまいます。
各種コンクールでも出身によって当落が決まるということはなくなりました。
>この問題を大々的に扱われることはまずありませんよね?
当然です。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
就職差別はなんで起こったんだろうと疑問に思っていたので、参考になりました。
cotikuさんのおっしゃる通り、理由よりも
差別の悪循環が続いてしまった背景を考えるべきかもしれませんね。
詳しく教えてくださって、大変参考になりました。

お礼日時:2001/10/09 20:01

>えた・ひにんはどういう理由で決められたのでしょうか?



まぁ色々有りますが、昔は肉屋(というより肉の解体業)はえた・ひにんでしたね。肉を解体することは汚らわしいとされていたのでしょう。
もちろん他にもいろいろあるのですが・・・

私は20代なかばなんですが、中学校で教えられるまでは部落問題を知りませんでした。知った後もあまり気にしていません。私の親の世代(40~50代)も気にしていないようです。
ただし祖父母の年代(60以降)は気にしているようでした。
実は近所に「部落」があるんです。その地域は山に囲まれ、周りから隔離されたような地形です。
私の姉が高校時代にその地域の人と仲良くお付合いしていたのですが、それを知った祖父が激怒しました。「あの地域の人間と関わるな!」と言ったそうです。
それまでその自分の近所に部落があるなんて知らなかったの驚きました。

ただ、祖父は部落だから嫌っているというよりは別の理由があるようでした。
部落の人達は農作物のできない地域に追いやられてしまったので、時折他の地域の畑で農作物を盗んだりしていたようで、私の祖父も被害にあったことがあり、そのことで嫌っているようでした。

部落だからということで単純に差別してる人もいますが、このような理由で差別する人もいるようです。

他の方も言ってましたが、同和問題についてはあえて学校で教えないほうがよいのかもしれません。私や私の周りも教えられなければ全然知らずに生きていたと思います。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
みなさんがおっしゃる通り、事実を知るとすごく悲しい嫌な気持ちを感じます。
もちろんのことですが、kurioさんのおじいさん・おばあさん世代が悪いわけでも
差別に苦しんでいた人たちが悪いわけでもないのに
差別がずっと続いてしまったということを、特に悲しく感じました。

お礼日時:2001/10/09 19:46

この問題に中立的に書かれているのは


「被差別部落の歴史」原田伴彦  朝日選書34 朝日新聞社
 です。かなり詳しく書かれていますので、図書館などで手にとって見てください。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
図書館に行って探してみます!

お礼日時:2001/10/09 19:22

少し論点からはずれるかもしれませんが勘弁してください。


私が高等部に所属していたとき「部落差別」のビデオをLHLでみて感想文をかけという課題がありました。
内容はサッカー選手でエースだった主人公が部落出身という理由で選手から外されると言う内容です。部落地方の出身と言うだけで近所の人のたいおうもがらっと変わるのです。
私は感想文に「部落差別自体知っている人が少ないこの時代にわざわざいじめを促進させるようなことをしない方がいいと思う。私は現にこのビデオを見るまで部落差別を知らなかったのでしらない方がよかった」と書いて提出しました。
とても気分が悪くなりました。今でも思い出すだけで嫌な気分になります。
忘れてはいけないこともあるけれど忘れて方がいいこともあるというのはこのことなのだと私は思うのですが
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
わたしは間違った差別が繰り返されないために事実と向き合い
心に刻みつけることが必要なのではないかな、と思っていたのですが
ご意見をお聞きして忘れたほうがいいのか、忘れないほうがいいのか
わからなくなりました。
思い出したくないことをあえて教えてくださって、ありがとうございます。

お礼日時:2001/10/09 19:18

事前にお断りさせて頂きたいのですが、私自身は斯様な古くから存在する


部落差別等に対しては非常に心苦しく感じ、今回の補足説明はそれらを
助長、肯定、揶揄するものでは無い事をご理解下さい。
先の皆様が詳述されておりますので、私の回答は割愛させて戴きますが
語源について触れられておりましたので、補足として少しばかり・・・

これらの所謂、「えた・ひにん」という呼称の意味するところですが、
これは漢字で表すと理解しやすいかと思います。
「ひにん」とは「非人」、つまり人にあって人に非ず
「えた」とは「穢多」、つまり穢れ多い
という非常に侮蔑的な意味の言葉であります。
 
補足まで。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
本当に、いわれのない不当な差別としか言葉が見つかりません。
やっぱり、少なくとも
こんな差別は間違っている、絶対してはならないということは
子どもにきちんと教えるべきだと思うのですが......

お礼日時:2001/10/08 20:43

 えた・ひにんがどういう理由で決められたかということを、突き詰める必要は無いのではないでしょうか?



 ご自身が勉強されてわかられたように、この身分制度は、江戸幕府が統治しやすいように、民衆の心理を巧みに利用したに過ぎないのです。

 士農工商のかかで、一番強いのは、本当は商人です。
 お金を持っていることは、権力をもっていることなのです。それで、江戸幕府は、商人の地位を低くすることにより、その影響力を弱めようとして、身分制度を作りました。

 しかし、やはり、商人の顔を立てて、さらにその下に身分を作ったのです。そして、民衆のストレスを、身分の低い人に向かって発散させるために、えた ひにんの人たちがエスケープゴートにされたのですよ。
 人間は、立場の強い人に自分の意見をいって自分のみを危うくするよりも、弱い人をいじめて、その場のストレスを晴らす方が楽ですよね。そんな人はよく見かけるでしょう。

 その人間心理を巧みに利用した徳川幕府の計略に私たちはいったいいつまで踊らされればいいのでしょう。

 自分は、いいかげんにしてほしい!!
 と思います。自分の親は戦前生まれの人間なので、特にそういったことにこだわって、不必要な知識をいっぱい教えられてしまいました。どんなに、自分が「そんかこと知りたくない」といっても無理やり教えられて、いまでもすごくいやな記憶です。
 だから、自分は絶対後世に詳細を伝えたくありません。

 必要な知識は「徳川幕府の政治的計略」だけでいいのです。
 
 たまたま、その時代に何らかの事情があって、えた ひにんになった人にはそれなりのことがあったかもしれません。それが何百年も後の子孫に一体何の関係が有るのですか。

 また、ある場合には差別される立場でも、ほかの場合では英雄と言うこともあるのですよ。例えば、アメリカのワスプ(つづりを忘れました)と呼ばれる、人たちは、本国のイギリスで居場所が無くなって、アメリカに渡っていった人たちですが、今では建国の祖として尊敬されています。

 江戸時代だって、犯罪者として断罪された人たちの中には、豊臣家の家臣の人たちで、関ケ原で負けた人たちも含まれているのですよ。あの時小早川が寝返らなければ、淀君にふたりめの子供が生まれていなければ、歴史の歯車がチョットでも違っていれば、犯罪者となる立場になった人は反対だったのです。

 差別を根絶させる方法は簡単です。人をいじめる誘惑に負けなければいいんですよ。誰にでもできることですが、みんなしません。なぜなら、人をいじめるのは気持ちがいいとどこかで思っているからですよ。

 あなたから、やめてください。そして、そんなことを言う人がいたら論破してください。それで、孤立してもふんばってください。その勇気がみんなにあれば、差別は明日からでもなくなります。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
ご意見にとても考えさせられました。

特に
「自分の親は戦前生まれの人間なので、特にそういったことにこだわって、不必要な知識をいっぱい教えられてしまいました。どんなに、自分が「そんなこと知りたくない」といっても無理やり教えられて、いまでもすごくいやな記憶です。
 だから、自分は絶対後世に詳細を伝えたくありません。」
というところには衝撃をうけました。

「たまたま、その時代に何らかの事情があって、えた ひにんになった人にはそれなりのことがあったかもしれません。それが何百年も後の子孫に一体何の関係が有るのですか。」
とmasakajiさんがおっしゃっている通り
わたしも、子孫にはまったく関係ないのにおかしい!と思っていて
そんな悲しい間違いが起こってしまった背景を詳しく知りたいと思ったのです。

最後のお言葉、本当にその通りですね。
部落差別はおかしいと心から思いますし、わたしは絶対しません!

お礼日時:2001/10/08 20:31

差別の問題は先の方たちが述べて居ますので省略します。


下記のサイトに えた・ひにん について書いて有りました。

何故そのように言ったかは語源としての記載はありませんが、参考にして下さい。

参考URL:http://www.pref.nara.jp/dowak/siryou/siryoucente …
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
教えていただいたHP、さっそく見ました。
背景も複雑なものがあるとわかり、参考になりました。
新たに疑問に思ったことがいろいろあったので
勉強してみようと思います。

お礼日時:2001/10/08 20:05

専門家ではありませんが、小学校で割と詳しく学びました。


部落の部とは、部民(べのたみ)といってある専門技術をもった、技能者集団だったと聞いています。大陸から新技術をもたらした帰化人なども含まれるそうです。特に武具製作に携わる人々は、特殊技術が外部に流出しないように、定められた土地からの出入りを厳しく制限されていたそうです。また、武具の製作に持ちいいられる、皮革加工を行なう際に四つ足の動物を用いることも多く、これが殺生を禁じる仏教の教えを守らないことになってしまいます。
このような背景を踏まえ、時の為政者たちは、差別的身分に縛り付けることにより、
他の身分の者との交流をなくすことで、技術が流出しないようにしたそうです。
つまり、彼差別部落の人は、もともとは専門的な技術を持った集団だったのです。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
わたしが知りたかった根源の部分を教えていただき、勉強になりました。
小学校でそこまできちんと教えるところもあるんですね。

本当は産業の発展の功労者である人たちが
長い間不当な差別を受け続けることになるなんて
本当に間違ったひどいことだと改めて思います。

お礼日時:2001/10/08 19:48

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普通に・・・・と言う気持はよくわかります。

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中学校では「時の権力者が世の混乱を治めるために低い身分の人を作って不満のはけ口にした」などと習った気がします。しかし、この"低い身分"の人たちはどのようにして選ばれたのでしょうか?貧しい農民をこの身分に割り当てたのでしょうか?私の思いつきでは前科のある人やその家族などをこの身分にしたのではないかと思ったのですが、実際はどうなのでしょうか?

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こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

まず、身分制度についてですが、士・農・工・商ですが、次にくるのは「非人」「穢多(えた)」の順です。

で、ここで、あなたの質問に答えるとしたら、地方の成立は雑多な部分もありますので、話が長くなります。そこで、江戸および江戸時代についてのみお話をいたします。

確かに、士農工商の序列ではありましたが、実際としては、士・工・商・農、という序列が正しいと思います。

年貢(税金、または、武士の給与)確保のため、武士の次に農民が位置しましたが、士農工商で一番苦労したのは、農民でした。

まず、「非人」について:

元々は「人非人」あるいは「僧侶」の意味でした。つまり、人間界を捨てた「世捨て人」のことを指しました。やがて、賎民(せんみん=貧しい人)を指すようになり、中性では「穢多」と混称されるようになってきました。しかし、江戸時代に入ると両者は「厳密」に区別され、「非人」は良民(平民)のなり下がりとして位置づけられ、良民への復帰の道が開かれていました。
「穢多」と違っているところは、「皮細工等の生産に従わず」卑属な遊芸や物貰いの独占権を持ち、「穢多」よりも上位に位置していました。

「非人」にも2種類あり、「抱非人(かかえひにん)」と「野非人(のひにん)」とに分かれていました。

「野非人」は今日で言われる「路上生活者」。つまり、ホームレスで、主に、農村部で飢饉や病気などにより年貢が納められなくなった者が「人別帳」を離れて江戸へ流入した者たちでした。つまり、「無宿者」と同じ考え方です。江戸でも厳しく取り締まりをし、一定の区域に住まわせたりしましたが、効果はなく、後の、「無宿狩り」などへと発展していきました。

一方、「抱非人」は、例えば、
(1)姉妹伯母姪と密通した者。
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(3)主人と下女の心中で主人が生き残った場合の主人。
(4)15歳未満で無宿の子どもが盗みをした時。
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そして、「非人」は、上記(1)~(4)などの罪で非人になっても、家族や親類縁者が、多少の「銭」を支払うことで、平民に戻れたのです。

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彼らは、例えば、死んだ牛馬を百姓から貰い受け、その肉を食い、皮は皮製品などにしました。この斃牛馬(へいぎゅうば=死んだ牛馬)の取得権は「穢多」の何よりの独占権でした。
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この「穢多」の歴史は、戦国時代に戦国大名から鎧(よろい)や鞍(くら)などの武器としての皮製品調達のために、当時は長史(ちょうし=村のまとめ役)に皮製品の上納を命じたことに始まる、と、されています。その見返りとしては、年貢を安くしてもらったり、とかの恩恵も与えられました。

しかし、江戸時代に入ると、「穢多」は、、「士農工商・非人・穢多」と「非人」より下位に位置づけられ戦国時代と同じような職業に従事し、一生涯「平人(ひらびと、または、ひらんど)=庶民」に戻ることはできませんでした。

こうした「非人」や「穢多」は、収入があってないようなものでしたので、租税を課せられることもなかったので、やがて、その租税免除により、幾らかでも貯えをし、土手などから、平地に土地を持つ者も出始め、大きな意味で「部落」ができました。

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しかし、昭和43(1968)年に、差別部落の人を探し出す事件が発覚し、大企業での採用取り消し、部落民との結婚禁止などという事件が発生し、同年、「閲覧」および「公開」を禁止し「永久封印」とされました。

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こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

まず、身分制度についてですが、士・農・工・商ですが、次にくるのは「非人」「穢多(えた)」の順です。

で、ここで、あなたの質問に答えるとしたら、地方の成立は雑多な部分もありますので、話が長くなります。そこで、江戸および江戸時代についてのみお話をいたします。

確かに、士農工商の序列ではありましたが、実際としては、士・工・商・農、という序列が正しいと思います。

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Q部落出身かどうか調べるって・・・。

 今日彼と話してたんですが、彼の親は、私が部落出身者でないかどうかを調べるっていうんです。彼は怒って親と口も聞いてないみたいです。私は自分がそうなのかどうかは全くわからないけど、もしそうだとしたら結婚は無理なのかなぁ・・と考えてしまって悩んでいます。調べるってどういう方法があるのですか?彼との話で「部落出身者は他の地区の人と結婚できないから身内同士で結婚したりするらしい」って言ってたんですけど、うちの親戚も身内同士で結婚したりしているし、また私の両親はかなり田舎の出身なのでもしかして・・・って思ったりします。なんか自分がこういうのを気にしないといけないっていうのがすごく悲しいです。引越ししていても調べたら分るものなのですか? もし私の文章を読んで気分を悪くされた方がいらっしゃったら申し訳ありません。無知なので何もわかりません。どなたか教えてください。

Aベストアンサー

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つまり部落出身かどうか。
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いちいち全部の住所を書き直してられないため
一部分に二重線を引っ張って住所を一部分手書きで訂正します。同和地区の差別反対が起こってから
昔、急速にその作業が行われました。
その修正をしているかそうでないかで
分かるそうです。
あくまでも同和出身を調べる一つの手段であるため
これだけで分かる場合も有るし
分からない場合も有ります。
以上、父から教えてもらったことです。

Qたくさんの方に教えて頂きたいです!結局、部落差別って何なのでしょうか?

僕は北海道出身です。
北海道には『部落』と呼ばれる地域がありません。
ですから部落差別と呼ばれるものも存在しないと思います。

青春時代を関西の田舎町で過ごしましたが、その時初めて『部落差別』なるものの存在を認識し、とても大きな衝撃を受けました。
『同和教育』なるものも北海道の小学校では教わった記憶がありませんし、未だに根強い差別意識が残っている事に疑問を感じています。

部落地域に住む方々の過去などは関西在住時に友人達から説明を受けましたが、いまいちそれも良くわかっていないというのが現状です。

『なぜ部落と呼ばれる地域の人たちは差別の対象となるのでしょうか?』

ちなみに僕自身は『部落』が何なのかという認識が薄く、周囲の人たちが言う事を全く気にせずに(詳しい事を知らずに)普通にお付き合いをしてきた経緯がありますし、今もそのような認識をもっています。

なお、差別的な認識は全くない状態でこの文章を作成しましたが、何か問題があれば質問自体を削除して頂けるように管理人さんにお願いするつもりです。

Aベストアンサー

多くの方が現代の事柄を中心に回答されているので、私は近世地方史(加賀藩)研究者としての立場から、江戸時代の実態について少し述べてみます(ただし、こうした差別は江戸時代以前からあったと考えられています)。
江戸時代までの日本には仏教の影響もあって四つ足の動物を食べる習慣がありませんでした。また、人や動物の死骸に触れることは忌み嫌われていました。
しかし、世の中の誰かがそれをやらねばならなかったのも事実です。例えば道端で死んだ牛馬の処理、死刑に処せられた人の始末、皮製品の製作等々の作業です。
そこで、古代、あるいは中世ころからこれを家業とする一族を作り(あるいは自然に生まれ)、専門家集団として一般農民とは一線を画していたのです。
いつのころからか(少なくとも江戸時代初期以前)、こうした一族は人間以下のものとみなされ、不当な差別を受けるようになっていきます。差別は生前のみとは限らず、ある地域では死後においても墓石の法名に「畜○○」などと書かれました。
一説には、農民にしっかり働かせるため、農民以下の存在として工・商を置き、さらにその下に非人を置いたとも言われています。
一族は差別を受けた反面、法的な保護も受けていました。例えば牛馬の処理はこれらの一族が独占しており、刑場での作業も一般の農民や町民が使われることはなかったのです。
こうした差別は明治政府によって撤廃されたのですが、そのころに作られた壬申戸籍では「新平民」と記載されてしまいました。そのため、戸籍を見ると部落の出身であることがすぐに分かってしまい、色々な悲劇を生み出すこととなりました。
明治維新からすでに130年以上経過しております。インドのカースト制度などでは、名前で階級が分かってしまい、また宗教上の理由からも差別の撤廃が困難なようですが、日本では戸籍を調べるにも限界があり(明治期の戸籍はもうほとんど調べられない)、いずれはなくなるものと思います。またそうであることを願ってやみません。

多くの方が現代の事柄を中心に回答されているので、私は近世地方史(加賀藩)研究者としての立場から、江戸時代の実態について少し述べてみます(ただし、こうした差別は江戸時代以前からあったと考えられています)。
江戸時代までの日本には仏教の影響もあって四つ足の動物を食べる習慣がありませんでした。また、人や動物の死骸に触れることは忌み嫌われていました。
しかし、世の中の誰かがそれをやらねばならなかったのも事実です。例えば道端で死んだ牛馬の処理、死刑に処せられた人の始末、皮製品の製作...続きを読む

Qえた・非人は使ってはいけない差別用語ですか?

先日電車の中で差別の話ではない時大声ではないですが「えた・非人」と言ってしまいました。私は学校で習った言葉だし、部落のような差別用語ではないと認識していたので思わず口にしてしまったのですが、電車を降りてから、「発言してから降りるまで恥ずかしくて仕方なかった、頭おかしいのと違うか!もし部落の人が聞いていたら今頃どこかに連れて行かれてるところだ・・・」とひどく非難されました。電車のなかでこの言葉を発した私はやはり非常識で頭がおかしい人になるのでしょうか?お教えください。

Aベストアンサー

こんばんは。

えた・非人は差別用語ですが、もうその言葉自体、存在はうすい気はしますね。

どなたが非難されたのかは知りませんが、「頭がおかしい」「今頃どこかに・・」というのは、ずいぶん乱暴な言い方ではないかと思います。
そこまでおかしなことをしたわけではない、と思ってもよいと思います。
もしかしてもしかしたら、被差別部落出身の方がいらっしゃったかもしれません。それはわかりませんが、お若い方とお察ししますが、若いゆえに「あ、若いから」と気にもされなかったかもしれません。

けど、被差別部落出身の方(特に年配者)はこういうことを気にされる傾向はあるのじゃないかと思います。どのような経緯で話されたのかはわかりませんが、もしも差別的に使っておられたとしたら、やはりよい気分はしないと思われます。

あまり気に病まないでくださいね^^
あなたを注意した方も、あなたにしっかりわかってもらおうとして大げさに言ったのかも知れません。

今回のことが、差別や差別用語について、深く考えられるよいきっかけになるといいですね。

本当に世界から差別がなくなったら、「差別用語」という言葉自体も必要なくなって、いつか死語になってくれる、わたしはそう信じてます^^

こんばんは。

えた・非人は差別用語ですが、もうその言葉自体、存在はうすい気はしますね。

どなたが非難されたのかは知りませんが、「頭がおかしい」「今頃どこかに・・」というのは、ずいぶん乱暴な言い方ではないかと思います。
そこまでおかしなことをしたわけではない、と思ってもよいと思います。
もしかしてもしかしたら、被差別部落出身の方がいらっしゃったかもしれません。それはわかりませんが、お若い方とお察ししますが、若いゆえに「あ、若いから」と気にもされなかったかもしれません。

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Q部落の人は育ちが悪いのですか?

部落の人は育ちが悪いのですか?

母の家庭の育ちが悪いように思います。
具体的には、兄弟が多いのですが、学歴、学力が極端に悪かったり、
娯楽の話題が低俗だったり、
母は人(主に父など)のお金を盗むことばかり考えています。
それとは逆に娘の私には良い暮らしをさせようと必死になっている傾向があります。

母の実家の場所をネットや古地図で調べると
都内ですが部落の地域でした。

差別をする意図はないのですが、部落の人とは
えた、非人のような育ちという事なのでしょうか?

Aベストアンサー

部落の人とは、おおよそ先祖がえた、非人であることを指します。なので、そこらへんの認識は正しいです(元犯罪者とかも入りますけどね)。
育ちが良いか悪いか、という質問に対して答えますと、平均すると悪い方が多いです。
別に先天的に人間が悪いのではなく、部落の人々は過去に劣悪な環境に押し込まれ、その環境が現代に続いていることが多く、そのため育ちは悪くなりがちです(悪い環境とは狭い地区に家が固まっているなど。今でも改善できていない地区は多いです)。私は仕事柄、部落の方々と接触することが多いですが、立派な方もいますし、常識のない方もいます。ただ、それでも平均値をとれば育ちは良くはありません。
なので回答は、育ちは平均値をとれば悪い、ということになります。
けれど「部落の人だから」という理由で悪いと決まったわけではないので、よく付き合うことが重要だと思います。
それでもダメな人だと思うなら距離をあけるのもいいでしょう、でも、それは部落以外の人にも言える話です(母親は別ですが)。
なので、部落など気にせず、ダメな人はダメ、良い人は良い、と考えて人間関係作っていけばいいんじゃないでしょうか。

部落の人とは、おおよそ先祖がえた、非人であることを指します。なので、そこらへんの認識は正しいです(元犯罪者とかも入りますけどね)。
育ちが良いか悪いか、という質問に対して答えますと、平均すると悪い方が多いです。
別に先天的に人間が悪いのではなく、部落の人々は過去に劣悪な環境に押し込まれ、その環境が現代に続いていることが多く、そのため育ちは悪くなりがちです(悪い環境とは狭い地区に家が固まっているなど。今でも改善できていない地区は多いです)。私は仕事柄、部落の方々と接触すること...続きを読む

Q部落差別はまだ根強く残っているのですか?

私は奈良に生まれ、人生の半分以上を京都で過ごしました。

京都は部落が多いと言われますが、私は京都の地で生きる中で、部落差別をこの目でありありと垣間見たことはありません。
部落という言葉自体、中学校の道徳の授業で取り扱っただけです。

・部落は特定の土地を指す
・もともとは人々が忌み嫌う職業についていた人を差別したものだった
・部落差別は部落出身者が差別されることを指す

学校で学んだのはこの程度です。
京都に部落が多いと聞きますが、実際何処が部落なのか、私含め、同級生は誰も知りませんでした。
親ももともと京都の人間ではないせいか、「どこが部落なの?」と聞いても「多分、○○(家から車で2時間ほどの場所)がもともと部落だった場所じゃないかな」「家売りだした時ここの土地が安いから、恐らく部落なんだろう」と、曖昧な返答があるだけでした。


ただ、私の親の少し上の世代は、確かに部落という言葉に敏感だなと感じます。
私の友達が部落の出身だったらしく(本人さえ知りませんでした)、結婚相手の男性の母親が素性調査を行い、部落出身だという事で結婚を反対されたということがありました。


また、私の経験として、部落出身だという方と知り合ったことがありました。
その方はとても貧しくて、「自分が職に付けないのは部落出身で差別されているからだ」と言っていました。
よく金銭を貸してくれと頼まれ、「大学の授業料払わないといけないし、今月教科書買わないとだから・・・」等と断ると、「私の命より自分が優先か、大学にいく余裕があるくせに」とよく言われました。

部落の近くに住んでいる人たちは、それは部落出身の人たちの気質で、そういう気質だから嫌われるというのもある。実際金銭を強請られて怖かっただろう?といっていました。


確かに私はその時怖いという恐怖と同時に、関わりたくないという気持ちがありました。
しかし、それは部落とは関係なく、その人自身の人間性が招いたものです。
部落出身の方は、そういった周りの態度が差別だと言っていましたが、私は部落差別は一切関係ないと思っています。


こういった経験からの疑問です。
部落差別は、未だに根強く残っているものなのでしょうか?
それとも、私のような、いわゆるゆとり世代が部落について無知・無関心・無責任なだけでしょうか?
また、京都人というだけで「部落差別で冷たい人間」と言われたことがありますが、本当に京都に住んでいる人たちにはそのような気質が備わっているのでしょうか?



差別について無知でお恥ずかしい限りです。
よろしくお願いします。

私は奈良に生まれ、人生の半分以上を京都で過ごしました。

京都は部落が多いと言われますが、私は京都の地で生きる中で、部落差別をこの目でありありと垣間見たことはありません。
部落という言葉自体、中学校の道徳の授業で取り扱っただけです。

・部落は特定の土地を指す
・もともとは人々が忌み嫌う職業についていた人を差別したものだった
・部落差別は部落出身者が差別されることを指す

学校で学んだのはこの程度です。
京都に部落が多いと聞きますが、実際何処が部落なのか、私含め、同級生は誰も知りま...続きを読む

Aベストアンサー

京都市内については現在は「根強い差別」なるものは残っていません。
部落が怖かったのは昭和後期までで、今残っているのは「部落利権」です。

>京都人というだけで「部落差別で冷たい人間」
京都でややこしいのは昔部落だった地域に韓国・朝鮮人が入り込んで
いるからですね。おまえら部落と直接関係ないやん!と言いたい。
(しかもヤクザも絡んでいる)

関西で現業職(環境局・上下水道・交通局)公務員の犯罪や事件が
多いのは公務員の部落採用枠と言うのがあって優先的に部落地域の
人を採用したためです(今は廃止されています)。
部落出身者の救済の為だったのですが実際にはヤクザ・チンピラが
公務員として多数潜り込んでいるんです。
(大阪の公務員で刺青入れている人が多いのはそういう理由)

>しかし、それは部落とは関係なく、その人自身の人間性が招いたものです。
まさにその通です。
真面目に試験を受けて採用された公務員にとっては部落採用枠の
公務員が度々事件を起こすのは非常に迷惑でしょう。
一般市民としてもエセ同和活動で税金が無駄遣いされるのは困ったこと
だと思います。

Qえた・ひにんについて

私たちは今、同和問題について話しあっています。
そこでいくつかわからないことがあったので、知っている方がいましたら、
ぜひ教えてください。

・「えた」「ひにん」とありますが、江戸時代に、どんな基準でその人たちは
 決められたか

・現在、実際に部落問題で差別を受けた例などがありましたら具体的に教えて
 ください。

同和問題を学ぶといっても、実感がわかないことが多いです。
私にとっては、本当にそんな差別があるのかすら信じられません。
みんなが正しいことを学べるようにぜひ教えてください。

Aベストアンサー

「穢多」「非人」に関しては、様々な学説が有ります。
現在も、「被差別部落」をめぐる研究が日々行われており、基本的にはその研究結果を待たなければなりません。

大雑把に言って、
「エタ」「非人」-「被差別部落」の歴史は、明確な範囲で言えば「平安朝」までさかのぼれます。
「myau」さんが参考URLに挙げられた、ページでも「かわた」の事が書かれていました。
当時すでに、「牛や馬などの死体処理(myauさん)」を生業としている人々が、存在しています。
この仕事は、水が必要になりますので「川」のそばに居を構えていました。
また、処理した(基本的には、志望した牛馬の埋葬など-病原菌の発生予防など-。その際、肉の解体などが行われた)後に残った肉と「皮」の加工もしていた。
「川」と「皮」のどちらかが、「かわた」の語源らしい。
当時、すでに生産活動から離れていた貴族層は、人間の埋葬も彼らに依頼したみたいです。
貴族層にとっては、「死」は忌む事で、「穢れ」であり、その処理に従事する人々は、「穢れ」た存在として忌み嫌われて、また、恐れられていました。
ですが、動物であれ、人間であれ「死」は避けようの無い現実であり、彼らの存在は必要とされていたのです。
それゆえ、近くには居て欲しくないが居なくては困るので、一定の距離を保った地域を「居住地」として定め、移動を禁止しました。
此れが、「部落」の起源。
その後、身分制度が確立した際に、幕府は彼らの存在を利用したわけです。
ですから、身分制度によって「穢多」「非人」が作られたのではなく、制度に「組み込まれた」というのが、事実に近いと思います。

さて、彼らがどのような経緯をもって皮加工の技術を習得したのか、また、その先祖はどんな存在なのかは、様々な説があり、確定しているものでは有りません。

「穢多」「非人」に関しては、様々な学説が有ります。
現在も、「被差別部落」をめぐる研究が日々行われており、基本的にはその研究結果を待たなければなりません。

大雑把に言って、
「エタ」「非人」-「被差別部落」の歴史は、明確な範囲で言えば「平安朝」までさかのぼれます。
「myau」さんが参考URLに挙げられた、ページでも「かわた」の事が書かれていました。
当時すでに、「牛や馬などの死体処理(myauさん)」を生業としている人々が、存在しています。
この仕事は、水が必要になりますので...続きを読む

Q神戸で近寄らないほうがいい場所は?

私の息子が来春より神戸に住むことになりました。
先ごろアパート探しに私も一緒に行ってきたのですが、不動産屋さんの話では「神戸ははっきり言ってガラは良くないです。」という事でした。
確かに某組の本部があるところですし、それは想像してはいたのですが。
三宮や元町には行ってみましたがとてもおしゃれな街という感じで好印象はありましたが、陰の面もあるかと思います。
念のためですが、「○○には行かないほうがいいよ。」とか「○時以降は変な人がいるよ。」とか教えていただけたら嬉しいのですが。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。
「神戸」と言っても広いですよ^^;
その不動産屋さんの言ってる通り「ガラの悪い地域」は神戸市内のあちこちにあります。
高級住宅街近辺なら、まぁ大丈夫でしょうが賃貸物件も少ないですし、見つかっても家賃、高いですよ^_^;

>息子のアパートが長田区付近にあるのです。
先日行って見た時には静かな街中で商店街もありとても住みやすそうな所だったので安心していましたが。
長田区といっても広いのでそのアパートは住むのに問題は無さそうですが。
もしよろしければ長田区のどの辺りか大雑把で構いませんので教えていただければ嬉しいです。
◎長田付近・・・ですか^^;
具体的な地域を出すと、そこに住んでいる人が見てたら怒りそうなので(当然ですが)書けません。ご理解を^^;
震災後にほぼ長田区全域が様変わりしていますし、新しい建物も増え、商店街も新しく再興していますので、見た目的には「静かな街中で商店街もありとても住みやすそうな所だったので安心して・・・」と感じたのだと思います。
ただ、長田区は神戸市内でも「特殊な地域」です。地元民でも避ける場所(出来るだけ近寄らない)はあります。
取り合えず、長田付近でしたら・・・
長田駅~三ノ宮駅(JR、私鉄含めて)周辺には、夜(特に深夜)には近付かない事ですね^_^;
また、全ての商店街は「メイン通り」以外には入って行かない事。
「路地裏」「裏道」のような場所へは行かない事。
「生田神社」(特に北側)には近付かない事。
夜、新開地の商店街を歩かない事。
湊川公園にも近付かない事。(特に夜間)

震災後は、かなり治安は良くなっていますが、まだまだ危険な場所は残っています。
キャッチもありますし、変な客引き(禁止されていますが)も未だにいます。
また、夜間の駅周辺には「訳の解らない若者達」がたむろしています。
中には、トンでもない奴等もいます。

おしゃれなイメージの神戸市ですが、治安の悪い所はありますし、震災前のように「ここには近付くな」といったものではなく、どこへ行っても「ガラの悪い連中」がいる、といったように「ガラの悪い地域」の特定が出来なくなっています。
震災後は、広範囲に亘ってしまっています。
昼の顔と、夜の顔は全然違いますから・・・

・・・といった事が、地元民としての参考意見です(~_~;)

こんにちは。
「神戸」と言っても広いですよ^^;
その不動産屋さんの言ってる通り「ガラの悪い地域」は神戸市内のあちこちにあります。
高級住宅街近辺なら、まぁ大丈夫でしょうが賃貸物件も少ないですし、見つかっても家賃、高いですよ^_^;

>息子のアパートが長田区付近にあるのです。
先日行って見た時には静かな街中で商店街もありとても住みやすそうな所だったので安心していましたが。
長田区といっても広いのでそのアパートは住むのに問題は無さそうですが。
もしよろしければ長田区のどの辺りか大...続きを読む

Q東京の東西、地域差別は存在しますか?

1年半前に四国から就職のため上京して来ました。
現在、足立区に住んでいます。

最近、取引先の方と少し話す機会があり、
その場で足立区に住んでいることを伝えたところ、
なぜ足立区を選んだのか、
と尋ねられました。

始発もあり、職場へのアクセスもよかったし、
家賃も安めに抑えられています。
街も騒がしすぎず、田舎過ぎずで
私自身は今の住所を嫌だとは思っていないのですが、

その取引先の方はやたら
東のほうの人間はちょっと・・・
とか、
西の人間は東には住めない
というようなことを言っていました。


正直、そんな偏見めいたことをはっきりと言う人を
目の当たりにしたのは初めてで、驚きましたし、
かなり腹が立ちました。

取引先の人は実際に住んだことないのに、人の価値を住所で決めるみたいな発言が信じられません。
あの人は○○にすんでる、ああ、そんな雰囲気だね・・・
みたいな

でも、上京してきてからそんな雰囲気を何度か経験したのも事実です。
はっきりとは口にしないけど、そういうニュアンスのことを
足立区在住の直属の上司が、取引先の方とは逆で、
若干卑屈めいたことを言っています。
隣のデスクで毎日くらい・・・・
実際私も地域の評判が気なりはじめました。


地方からやってきた私として同じ東京なのに・・・って思います。
東京で出会った同年代の友達からはそんなこと全く感じません。

仕事上、上司も取引先もこれからずっと付き合っていかなければなりませんが、今後一緒に働いていけるのか不安になるくらい不快です。


実際、東京に住んでいらっしゃる方はどう思っているのでしょうか?
もし、そういう偏見?みたいなものがあるとしたら、
なぜなんですか?

綾瀬のコンクリート殺人事件のような凶悪犯罪が
いくつもおきているわけではないですよね?



今上記のようなことの後なので、少し憤慨していて
文章がまとまっておらずすみません・・・

できれば意見等、聞かせてほしいです。
お願いします。

1年半前に四国から就職のため上京して来ました。
現在、足立区に住んでいます。

最近、取引先の方と少し話す機会があり、
その場で足立区に住んでいることを伝えたところ、
なぜ足立区を選んだのか、
と尋ねられました。

始発もあり、職場へのアクセスもよかったし、
家賃も安めに抑えられています。
街も騒がしすぎず、田舎過ぎずで
私自身は今の住所を嫌だとは思っていないのですが、

その取引先の方はやたら
東のほうの人間はちょっと・・・
とか、
西の人間は東には住めない
というよう...続きを読む

Aベストアンサー

古い言葉ですが、「川向こう」という言葉があります。江戸時代、隅田川から東は江戸の郊外でした。両国橋の名称は武州と総州の協会にあったことから来ています。ただ、この頃の江戸の縄張りというのは大変狭く、現在の新宿、渋谷も江戸には含まれていない田舎でした。当時、両国は相撲興行や芝居の興業地で、畑や田んぼが広がっていた東京西側に比べればよほど開けた地域だったのです。どちらかといえば、この時代では繁華な東側に比べれば、西側はど田舎といってよいと思います。ちなみに、江戸時代、都内のスラムというと、四谷の鮫が橋が真っ先に上がりますが、神田などにもスラムはありました。

明治以降、東京は鉄道建設の関係で、西側に発展し、東側は取り残される形になります。
また、戦後から昭和40年代にかけて、隅田川と荒川に挟まれる地域は地下水くみ上げに伴う地盤沈下によって0メートル地帯と呼ばれ、住宅地としては、台地である西側に劣っていました。
さらに、この地域では、堤防近傍を低所得者層が簡易住宅を建てて不法占拠して居住しているような状況(実質、スラムです)もあったため、相対として、東側の地盤沈下は進みました。

とはいえ、これらは、もう30年以上前の話です。今更、そういうことを話す方は珍しいですね。古い世代だと、上記のような差別用語ギリギリの意識を持った方もおられると思いますし、最近は下品なネットからの再普及があるのかもしれません。

古い言葉ですが、「川向こう」という言葉があります。江戸時代、隅田川から東は江戸の郊外でした。両国橋の名称は武州と総州の協会にあったことから来ています。ただ、この頃の江戸の縄張りというのは大変狭く、現在の新宿、渋谷も江戸には含まれていない田舎でした。当時、両国は相撲興行や芝居の興業地で、畑や田んぼが広がっていた東京西側に比べればよほど開けた地域だったのです。どちらかといえば、この時代では繁華な東側に比べれば、西側はど田舎といってよいと思います。ちなみに、江戸時代、都内のスラ...続きを読む


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