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長篠の戦で信長軍は、鉄砲を3000丁集めたと言われていますが、昔の時代にどのようにしてたくさんの鉄砲を集めたのかを教えてください

A 回答 (6件)

下記URLに戦国時代の鉄砲の生産能力について言及されています。


結論から言うと、3000丁の生産能力はあったようなので、
後はそれを購入する資金と、生産地とのコネクションの問題です。

参考URL:http://wwwi.netwave.or.jp/~ynoguchi/yooko/sanada …
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この回答へのお礼

助かりました。さそっく参考のURLにアクセスして、必要なところをこどもに教えたいと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/27 23:26

 皆さんの回答に補足



境は今でも境打ちと呼ばれる刃物の名産地で、境鍛冶の鉄砲生産力は、国友を上回っていました。当時のヨーロッパには、それほどの生産力はなく(当時のポルトガルの人口は日本の5分の1以下、経済大国ではなかったのです。)鉄砲が戦争の主戦力になったのは日本より後のようです。
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下の方も言われている通り、信長の時代には日本は世界有数の鉄砲生産国になっていました。

鉄砲伝来のわずか数ヵ月後には国産化し、その後あれよあれよというまに国内に技術が伝わったみたいです。
しかし、鉄砲は作れても火薬の原料となる硝石は輸入に頼るしかなく、主要な貿易港を押さえた大名でなければ鉄砲で戦いなどできません。
というわけで、実は武田も上杉も今川も毛利も、鉄砲の重要さには気がついていながら、実際には使うことができなったようです。
その点、信長は堺などから硝石を手に入れるルートを確保していたみたいですね。
ていうか、これはほとんど井沢元彦さんの逆説の日本史からの受け売りっす。歴史に興味があるならこのシリーズ本面白いっすよ。
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戦国時代、日本の鉄砲保有率は世界トップでした。


すでに長浜、堺(ここは輸入かな?)などいたるところで量産され各大名だけでなく自治都市、農村、寺院まで保有されるくらいでした。

ある意味、新品は高いので、その散らばった鉄砲を回収して揃えた部隊もあります。秀吉とか。資金不足の秀吉が信長の指令通りに数を揃えるには中古市場しかなかったんですね。

オチは中古品なので即実戦で使えた鉄砲は多くなく、実戦前に整備しても2~3割は空砲だったそうで。ハッタリ秀吉ならではですね。秀吉軍財政及び補給担当、羽柴秀長の記述中にあったと思います。
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1) 今井宗久等、堺の政商とのコネクション⇔ポルトガル


2) 国友鍛冶(この合戦の頃は羽柴秀吉の領地ですね)

3) 西国諸将の差出(長篠に出陣しなかった近畿地方の武将に徴兵の代わりに鉄砲の献上をさせた)

であったと言われていますね。
数量から言えば1)が一番多かったでしょうね。
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この回答へのお礼

こどもの宿題でどこを探しても見つからず、助かりました。

お礼日時:2005/06/27 23:23

 この戦いで信長が集めた鉄砲の数は、実際には1000丁ほどであったといわれています。

そもそも、例の三段撃ちも作り話だという説もあります(今はその方が通説となっています)。
 鉄砲を集められたのは、信長の財力と早々に境の鉄砲鍛冶を押さえたことでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/27 23:24

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