【復活求む!】惜しくも解散してしまったバンド|J-ROCK編 >>

日本は仏教が中心ですが、キリスト教信者もいます。キリスト教に篤い学校・老人施設・病院などもあります。
しかし、江戸時代はキリスト教は禁止されていました。キリスト教を信仰すると罰を受け、踏み絵などキリスト教信者を見つけては処罰という制度もありました。天草四郎を中心とした島原の乱も起きるなどしながらもキリスト教は禁止されましたが、隠れキリシタンも多数存在していました。
で、いったいなぜ江戸時代はキリスト教が禁止されていたのでしょうか???

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A 回答 (13件中1~10件)

 「創造主の元の平等」とは、「創造主の絶対性」。

つまり「創造主こそが万物の基準であり『善』である」ということでしょう。
 日本の封建制・伝統的価値観の破壊とみなされたことに関して、平等を説くことが「封建制の否定」に直結するとは考えにくいです。それでは当時の欧州では封建社会ではないとはいえないでしょう。また、仏教にも「皆有仏性」と、仏性の存在によって一切衆生の平等を説いていますが、そのことが封建制を否定する要因になったかといえばそうではない。「王法と仏法の冥合」は中世の日本史を知る上でも重要な課題です。(注・封建制はあくまでも政治システムの一形態であって、封建制だからダメという訳ではありません)

 前述したように、欧州では神権政治・王権神授という倫理観が存在しました。支配者の地位は「創造主」によって認められている。このような精神風土が存在していれば、「創造主の元の平等」と「支配者への忠誠」は対立しません。
 しかし、日本には欧州的な「神権政治・王権神授」という倫理観が存在しません。さらには「絶対的なる創造主」という観念が存在していない日本に、「絶対者としての創造主」と「創造主の元の平等」と説けば、神社・仏閣の破壊に象徴される、伝統的秩序の破壊と恐れられたのでしょう。
 つまり現代でも同様ですが、「自分たちの伝統的倫理観・秩序とは、全く異なる、あまりにも異質な思想」に対する嫌悪感。もしもキリスト教が日本人的な宗教観・倫理観・死生観・道徳観とさほど乖離がなければ、どれほど支配者が弾圧しようとも民衆は支持したでしょう。逆に言えばそれだけ支持を受ける思想は弾圧するよりも、秩序維持のために融和政策に転換するでしょう。そうではなく、禁教令に対して多くの民衆は受け入れた。解禁以後もキリスト教の拡大は進まなかった。
 結局、日本人の精神文化とキリスト教的世界観は相容れなかった、また、その溝を埋める機会がなかったのでしょう。
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この回答へのお礼

キリスト教は日本では今でも前途多難ですか…日本社会とキリスト教の違いは思った以上に複雑ですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/29 14:45

 どうして誰も指摘しないのでしょうか。


 一度でもキリスト教会の礼拝に参加すれば、すぐに分ります。
 礼拝の途中で、帽子かザルか柄杓(のようなもの)が回ってきます。
 
 つまり、貧富にかかわらず、参列者には献金の義務があるのです。
 キリスト教では(ほとんどの教派が)その場で現金を要求します。
(仏教の葬式では、かならずしも香典を出さなくても参加できます)
 
 江戸時代の鎖国経済は、通貨や財産の流出を許さないのです。
 かりに当時の宣教師たちが布教に成功していたら、ローマ法王あてに
国家予算の数パーセントが(無条件に)送金されているはずです。
 
 わたしは無心論ですが、反キリスト論者ではないので、聖職者や牧師
や信者の恩師や友人がいます。現代日本の信教の自由とは、関税を負担
すれば、自由に海外送金(献金)できるということなのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
金銭上の問題もあったのですね。

お礼日時:2005/06/29 14:44

将軍は民衆に対して絶対的な存在でなくてはなりません。

そのためには、将軍以外の『絶対的な存在』を排除しなくてはなりませんでした。

≪将軍のためにはできないことも、神のためならできる≫

では、国はひとつにまとまらずに、将軍に仕える者と神に仕える者に分かれてしまいます。
これでは、将軍は絶対!の世の中の秩序が乱れてしまうと思った幕府は、キリスト教を弾圧・禁止したのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
当時は幕府と将軍があったゆえに仕方ないとは思いますが、それでも信仰しようとした人たちはどのようにして秩序を整えようと思ったのでしょうか…

お礼日時:2005/06/29 00:31

江戸幕府のキリシタン禁制は慶長17年(1612)、幕府直轄領での禁制、翌18年に、全国さらに外国まで広げたものですが、キリスト教禁令にはさまざまな要素があります。


 キリスト教布教当初から信仰が拡大するにつれ、キリシタン大名領では神社仏閣の破棄が行われました。そのことから民衆側からもキリスト教を邪教視する風潮がありました。同時に寺社の破棄は、日本の伝統的倫理観の破壊と恐れられたのでしょう。

 次に創造主の元の平等、つまり創造主の絶対性ですが、それが日本の封建領主の倫理観とは相容れなかった。欧州では支配者と創造主は同一であるという「神権政治」、そこから発展した、王の地位は創造主より授けられたものという「王権神授」という伝統的倫理観が土壌にあります。そのような倫理観がない世界(日本)に創造主の絶対性を重んじる思想は、主君・領主への忠誠より、創造主への忠誠を優先させます。このことが天下統一のさわりになると、豊臣秀吉は天正15年(1587)に禁教令を発します。

 さらには外交政策の面。徳川家康は和平外交を進めるため、当初は信仰を黙認していましたが、慶長5年、オランダ船リーフデ号漂着により、プロテスタントであるオランダ・イギリスと交渉開始。日本市場の拡大を図るため、ポルトガル・スペインの締め出しを計画。そこでカトリックへの不利な情報と中傷を行いました。つまりカトリック国の侵略的意図。信徒を利用した反乱計画などをは、当時の幕府としては「天下統一のさわりになると」いう危惧をより拡大させました。禁制により教会の破壊・宣教師の国外追放。信徒の東北・蝦夷地への放逐などが行われました。
 徳川家光はさらに厳しく禁制を行いますが、寛永14年(1637)の島原の乱による衝撃から、鎖国政策の徹底とキリシタン弾圧はより強固となります。
 カトリックの海外布教は、プロテスタントに対する対抗措置という面がありました。その点、海外布教を重視していないプロテスタント国とは幕府は貿易を行えたのでしょう。

参考
『国史大事典』(吉川弘文館)

 ただし、禁制も太平の世が長く続くことで形骸化していき、当初はキリシタン監視の意味でもうけられた寺請制度も、寺院側からすれば「檀家としての勤めを果たしていれば、裏でキリスト教を信仰していても黙認する」という事実もありました。領主も「良き領民としての勤め」を果たす限りは信仰も黙認状態でもありました。キリシタンであると暴露しても、領主の監督不行届と罰せられる危険性があったからです。
 現在でも「カクレキリシタン」の家では、寺院の檀家であり、神社の氏子であり、家には仏壇・神棚が祀られて、同時にカクレキリシタンである。その信仰体系は仏教・神道・民間信仰とキリスト教が混在した、いわゆるカトリック・プロテスタントとは異なる信仰形態ですが、キリスト教公認以後も、カトリック・プロテスタントに改宗せず、先祖が守ってきた信仰として「カクレキリシタン」として守り続ける家があります。

資料
『オラショ―魂の通奏低音 カクレキリシタン』(宮崎賢太郎・長崎新聞社)
http://www.nagasaki-np.co.jp/jigyoubu/book/kakur …

『カクレキリシタンの信仰世界』(宮崎賢太郎・東京大学出版会)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4130104 …
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この回答へのお礼

詳しく回答していただきありがとうございました。
分からない点もありますが、当時の政治家たちは最初からキリスト教に嫌悪感を持ち、それが反乱などで強化され、ついにはキリスト教全面禁止と鎖国にいたった模様ですね。

お礼日時:2005/06/29 00:14

こんにちわ。



「宗教が力を持つとどれだけ怖いか?」を知っていたからではないでしょうか。
一向宗の話が出てきましたが、まさに信長・秀吉・家康は一向宗に苦しめられましたからね。
ですから、最初は南蛮貿易との絡みもあって認めていたのでしょうが、だんだん一向宗ににたモノを感じるようになって禁止したのではないでしょうか。

あと、天皇との問題もあったのでしょうね。
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この回答へのお礼

当時の役人はキリスト教が力を持つことを恐れていたようですね。ありがとうございました。
でも隠れキリシタンや天草四郎氏はそのことを知っていたのでしょうか…

お礼日時:2005/06/29 00:09

いろんな人が答えているので、その補足ですが。



当時日本を訪れていた宣教師の一団は。
どうもかな~り過激な宗派だったようですね。

ご存知の通り、キリスト教には様々な「派」があります。
その中でも、当のヨーロッパなどでは過激さ故に辺境への宣教という名目で流された人たち。
それが日本に来てっていうパターンだったという説があります。

そのため、神の下では人間平等といった考え方も、当時のヨーロッパ社会ではキリスト教と王政が共存していたにも関わらず、日本ではその過激さ故に、性急に進められたといった面があったのでしょう。

また当時の日本のほかの宗教が、多神教が中心であったのに対し、一神教のため、原理的には対立するものであったという面もあるでしょう。
特に一神教が原理的になればなるほど(ここで過激な派だったという意味が強くなりますが)、他の宗教との摩擦も大きくなります。
さらに現政権との摩擦は言わずもがなでしょう。
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この回答へのお礼

今でも摩擦状態ですか…だとすれば当時では禁止も仕方ないようですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/29 00:00

他国を侵略するときに、先ず宗教、次に商人を派遣します。


そこで協力者をつくっておいて、軍隊を派遣します。

キリスト教は、アジアにあった宗教と違って、政治家よりも神を上位に置きます。
国王や大名の命令よりも、教団の命令を優先するようになります。
そこが、当時の政治家が嫌った所でしょう。

死ねば極楽に行けるということで、死を恐れず暴動を起こした浄土真宗の一向衆とも近いものがあります。

当時の日本は、平和な社会が熱望されていました。
国内に平和が訪れたとき、さらなる戦争の危険性を防ぎたかったのでしょう。

ちなみに、今でこそ宗教団体は平和を口にしますが、昔は武力を持つ国家を越える団体だったのです。
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この回答へのお礼

これらの事情があれば、キリスト教排斥から反乱・隠れキリシタンの出現までもが説明できそうですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/29 00:28

隠れてまで信仰しようとする人がいたキリスト教なのになんで弾圧したんでしょうね。


私はその鍵は、幕府がなぜ鎖国したのかにあると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
鎖国との関連性は分かりませんが、きっと秘密のベールにでも包まれているのでしょうね。

お礼日時:2005/06/29 00:24

キリスト教は「人は神の下に平等」ですが、江戸時代は、徳川家康が幕府安泰の為に自らを神とし、神君家康と呼ばれています。

そして、士農工商という身分制度もあります。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
これだけ食い違いがあれば禁止・排除もやむなしみたいですね。

お礼日時:2005/06/28 23:58

こんばんは。



当時のキリスト教の布教活動は貿易と侵略に結びついていました。
(ポルトガルやスペインがそういう国だったわけです)

これを知った時の施政者が禁止しようとしたのは無理も無い話です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
某幼児・小学生向けのコンテンツで、西洋人はキリスト教を広めると称して国を侵略しようとしていたというのは聞いたことがありましたが、その後の鎖国はやりすぎだと思います…

お礼日時:2005/06/29 00:03

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キリスト教布教に熱心でなかった、なんてレベルじゃないです(^^;)。

キリスト教布教絶対絶対やりまっせん!!! 商売一筋!!!
だから我々オランダの船とだけ仲良くしてねっ♪♪♪

とゆー強烈アピールをしまくった結果です。
何しろ島原の乱の時、幕府に協力して、篭城中の日本人キリスト教徒たちに砲撃までしてますから。
(他の欧州キリスト教諸国からは「そこまでして金儲けしたいんか!?」と大顰蹙だったそうです)

当時のオランダにとって、対日本交易は結構な利益でした。
独占出来ればこんなにオイシイ話はないので、表から裏からアレコレと頑張っていたようです。
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●朝鮮王国●琉球王国●アイヌ諸族●
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エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
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まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
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その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
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そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
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ローマの支配は宗教的にもとても寛容だったと記憶しているのですが、それなのにどうしてキリスト教は迫害されたのですか?
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Aベストアンサー

ローマ帝国では、帝国に反感を示さない限り、宗教には立ち入らない方針を貫いていました。
そのため、ローマ帝国内には、エジプトのイシス神が大ブームを引き起こしたり、オリエントのミトラ教が広く信仰されたり、ギリシャ哲学の流れを組むオルフェウス教などが広まっていました。
ローマによるユダヤ滅亡においては、ユダヤ人がローマに反抗したために起きた事件で、ユダヤ教を弾圧したわけではありません。
マニ教やイスラムの弾圧は、キリスト教がローマの国教となってからの話で、当時のローマ帝国には存在していませんでした。

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現世において苦境にある貧困層にとって、脱出できない現状を捨てて、来世に望みをつなぐキリスト教は、当時唯一縋れる宗教だったため、貧困層に広まっていったと思われます。

現世よりも来世に望みをつなぐ宗教は、当時の為政者には不都合なものでした。
死を恐れないキリスト教貧困者は、為政者のいう事を聞かず、反感や暴動などに簡単に参加する事になります。
こういった危険な宗教に対しては、払底的に弾圧して消滅させるか、体制内に取り込むかしかありません。
コンスタンティヌス帝以前は、弾圧し消滅させる方向でしたが、弾圧せせきれないほど大きくなってしまい、最後には体制内に取り込む事で、キリスト教をコントロールする事になります。

キリスト教の弾圧を行ったのは、
ネロ帝(64年)、ドミチアヌス帝(95年)、トラヤヌス帝(107年)、ハドリアヌス帝(118年)デキウス帝~ヴァレリアヌス帝(250年~260年)、ディオクレティアヌス帝(303年)が、年表に記載されています。

ローマ帝国では、帝国に反感を示さない限り、宗教には立ち入らない方針を貫いていました。
そのため、ローマ帝国内には、エジプトのイシス神が大ブームを引き起こしたり、オリエントのミトラ教が広く信仰されたり、ギリシャ哲学の流れを組むオルフェウス教などが広まっていました。
ローマによるユダヤ滅亡においては、ユダヤ人がローマに反抗したために起きた事件で、ユダヤ教を弾圧したわけではありません。
マニ教やイスラムの弾圧は、キリスト教がローマの国教となってからの話で、当時のローマ帝国には存...続きを読む

Q「幕府」と「朝廷」の違いを教えて

中学校1年生の子供からの質問なのですが、

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と言われました。
お恥ずかしながら的確に説明できません。
教科書には説明が載ってないし、「先生に聞いてみたら?」と言うと
「先生は授業が終わるとすぐに職員室に戻ってしまうし、あまり質問しやすい先生じゃないもん!o(;△;)o 」
とのこと・・・(´_`;)

どなたか教えていただけますか?
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Aベストアンサー

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるということはほとんどなく、武士に言われるがままに任命していたわけですから、実権は武士の側にあったということになります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D
これを端的にお子さんに説明するのは難しいかもしれません。
ただ、今の天皇陛下も政治的な実権はまったくなくて象徴として存在しているわけなので、それとちょっと似ているというような説明は、できるかもしれませんね。(今でも首相を任命するのは天皇と決まっています。ただし天皇が首相を選ぶことはできず、国会が選んだ人を形式的に任命するだけです)

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるという...続きを読む

Qオランダは何故、鎖国中でも貿易できたのか?

中学の時の社会科教師が、クラスのやる気の無さにキレて教えてくれなかったのですが。

江戸時代に西洋の国なのにオランダが貿易を許されていたのは何故なんでしょうか?

オランダはキリスト教の布教活動はしなかったんでしょうか?

10年ぐらい気になってます。

Aベストアンサー

本当に大まかな話なので、ひょっとすると間違いがあるかもしれませんが・・・

安土桃山時代から江戸時代にかけて日本で布教されたのはカトリック系のキリスト教でした。広めたのはイエズス会の宣教師で、フランシスコ・ザビエルが有名ですね。

また、彼らが広めたカトリックは、偶像崇拝(キリスト磔刑の十字架や聖母図を信仰の対象とし、拝むこと)をするキリスト教なので、日本人の信徒はマリア像や十字架をあがめました。
それで、幕府がキリスト教を禁じた際、信徒かどうかを確かめるために、踏み絵をさせた訳です。(カトリックの信徒にとっては十字架や聖母図は踏めませんからね)

ところが、そのころ日本に進出していたオランダ商人はプロテスタント系キリスト教(偶像崇拝を否定するキリスト教)信徒が多かった(ここ以降は多少あやふやな記憶ですので、あまり自信ありません)ために、「我々はキリスト教ではない。証拠に十字架なんぞはいくらでも踏んでみせる・・・」というようなやり取りがあって、「オランダはは邪蘇教(ヤソ教=江戸時代におけるキリスト教の呼び名です)ではない」というのが幕府の公的見解になって、出島でのみ貿易を許可された・・・という話だったと思います。

ただ、実際は、幕府もオランダが「ちょっと変わった」キリスト教であるということは知っていたようですが、鎖国しているとはいえ、世界の状況も知っておいた方が良いということで、目をつぶっていた・・・という話もあります。

長くなってしまいましたが参考になれば・・・

本当に大まかな話なので、ひょっとすると間違いがあるかもしれませんが・・・

安土桃山時代から江戸時代にかけて日本で布教されたのはカトリック系のキリスト教でした。広めたのはイエズス会の宣教師で、フランシスコ・ザビエルが有名ですね。

また、彼らが広めたカトリックは、偶像崇拝(キリスト磔刑の十字架や聖母図を信仰の対象とし、拝むこと)をするキリスト教なので、日本人の信徒はマリア像や十字架をあがめました。
それで、幕府がキリスト教を禁じた際、信徒かどうかを確かめるために、踏み絵を...続きを読む

Qキリスト教と植民地支配

過去の歴史をみるとアジアやアフリカにヨーロッパのキリスト教の宣教師が最初やってきてその後に植民地支配がはじまるとありますがわからないのはどうしてキリスト教の布教をしてから植民地支配がはじまるのでしょうか?別にキリスト教を布教をしなくてもいきなり侵略できるのにしなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

質問者の方は、「ヨーロッパ諸国は、キリスト教の布教の後に軍隊を送り、植民地にした」と言われていますが、宣教師などを送り込んだのは、カトリック諸国(スペイン、ポルトガル)であって、ブロテスタント諸国は行っておりません。

これは、当時のカトリックとプロテスタントとの宗教のおかれた状況の違いです。

当時のユーロッパでは、宗教改革の真っ只中で、カトリックは、ヨーロッパにおいて、その勢力を大幅に失いました。
それに対し、カトリック側は、イエズス会を中心として、反宗教改革を行います。
その一巻が、海外への布教活動でした。

ポルトガルの場合、まず交易船が現地に行き、現地の確認をすると、イエズス会の宣教師が向かいます。
その場所が、ポルトガルにとって有益な地と判断された場合、そこに拠点を造ります。
この場合、武力によるか、平和的に行うかは、相手しだいです。
ポルトガルの場合は、人口も100万人程度と少ないため、むやみに植民地を拡大せず、あくまで拠点支配にとどまります。
イントではゴア、中国ではマカオ、アフリカのモザンビークなど。

スペインの場合、コンキスタドールなどが、自分たちで勝手に金銀を奪い取るため軍隊を送り、その地を征服してしまいます。
スペイン王室は、その内の一定割合を王室に収める事を条件に、侵略を容認します。
そのため、スペインの植民地は、鉱産資源の豊かな場所がほとんどで、鉱産資源の無い場所や、交易に利点となる場所で無い限り、積極的に殖民を行っていません。
フィリピンの場合、フィリピンは、当時スペインの植民地だったメキシコの植民地で、中国とメキシコの航路確保のために占領しました。
スペイン軍にしても、軍勢は、コンキスタドールの私兵ですから、数百人が限度で、相手がチョットした勢力であれば、占領は不可能でした。

スペインが滅ぼした大きな勢力として、アスティカとインカがありますが、アスティカの場合、スペイン軍というよりも、反アスティカ部族(トルティカ族など)をスペイン軍が結集させ、アスティカを包囲し攻略しています。

インカにしても、当時インカ帝国では、アタワルパとルスカルが、皇位をめぐって戦争中で、ピサロとアタワルパが結び、ルスカルを倒して、インカ帝国に取り入ります。
その後アタワルパを捉え、インカを乗っ取ります。
インカでは、皇帝に権力が集中していたため、皇帝の名代として命令するピサロに反抗できず、のっとられてしまいます。

スペインにしろポルトガルにしろ、まともな国家を占領するだけの力は、当時ありませんでした。
それらを行うのは、イギリス・フランス、オランダといった諸国で、これら諸国は、キリスト教の布教には熱心ではなかったため、質問者のご質問のような事き有りませんでした。
(フランスの場合、カトリックが優位にたっているため、イエズス会などの布教が有りますが、これは占領されてからの話しです。

質問者の方は、「ヨーロッパ諸国は、キリスト教の布教の後に軍隊を送り、植民地にした」と言われていますが、宣教師などを送り込んだのは、カトリック諸国(スペイン、ポルトガル)であって、ブロテスタント諸国は行っておりません。

これは、当時のカトリックとプロテスタントとの宗教のおかれた状況の違いです。

当時のユーロッパでは、宗教改革の真っ只中で、カトリックは、ヨーロッパにおいて、その勢力を大幅に失いました。
それに対し、カトリック側は、イエズス会を中心として、反宗教改革を行いま...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
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