親子におすすめの新型プラネタリウムとは?

ルネサンス美術の特徴、作品におけるルール(人物の配置など)を教えてください。ルネサンス美術に詳しい方、宜しくお願いします。

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A 回答 (5件)

ルネサンス以前から西洋美術にはルールがありました。


配置で言うなら例えばキリストの磔刑です。
キリストは他の罪びと2人とともに磔刑にかけられました。
キリストから見て右側が良い側、左側が悪い側とされているため、
キリストの左側にはメシアなら救ってみろと
キリストを罵った悪い盗人が描かれ、
右側にはこの人に罪はないと言った良い盗人が描かれます。
他にも持ち物やその他様々な要素で絵を読み取ります。
そのルールをまとめたものが
イコノグラフィーや図像学という学問です。
参考URLでそれについて紹介しています。

ルネサンスの特徴としては他の方のおっしゃる通りだと思います。
ただ、その後のバロック以降とは違い、
黄金比という数学的に美しい比率を使って
静かな美しさを追求した所に
ルネサンスとその後の違いがあると思います。
ルネサンスであまりに完璧な美しさが確立されてしまったため、
その後の時代はあえて比率を崩してダイナミックな表現をしています。
あとはメディチ家という大きなパトロンの存在でしょうか。

参考URL:http://www.paintweb.jp/text/icon.html
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たとえばキリストが主役の絵なら、キリストの頭部に消失点が来ている、などでしょうか。



あと、受胎告知の絵では、大天使ガブリエルが左側、聖母マリアが右側(観賞者から見て)になっていることが多いそうです。例外もありますが。
百合のかわりにオリーブの葉が描かれていたらシエナ派、とか。

ルネサンスはその後のバロック期と比較してみてもおもしろいですよ。
左右対称や安定感を重視するルネサンスと、ドラマチックな躍動を描くバロック、というふうに。
その意味でNo.3さんのあげたカラヴァッジオはむしろバロックの画家と思われます。ダ・ヴィンチやミケランジェロの時代から100年くらい後です。

それからルネサンスは、人文主義など当時の社会的背景と切り離せません。
文学・芸術に造詣の深い貴族や名士が、芸術家のパトロンになっていたわけです。有名なのはメディチ家とかがありますね。
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 ルネサンス美術といってもいろいろありますよ。

狭義にはイタリアルネサンスを指しますが、広くは北方ルネサンスやイギリスルネサンスも含めて言うことがあります。

 イタリアルネサンスはNo.2の方がお書きになったようにギリシア・ローマの題材や、キリスト教の題材を人間的に描いたものが多いですが、ブリューゲルなどフランドルの画家達は農民生活を細かく描いたり、子供の遊びやことわざなんかを絵にすることもしていました。ドイツのアルブレヒト・デューラーなんかは陰鬱な版画を描きましたし、ハンス・ホルバインは肖像画やだまし絵なんかも描きました。

 あと、ルネサンスに関して特筆すべきはカラヴァッジオの影響ですかね。カラヴァッジオは「絵画を破壊した」と批判されましたが、リアルで劇的な作風は一世を風靡し、のちの絵画に大きな影響を与えました。
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詳しいわけではないのですが、特徴としてまず目につくのは、人体表現がリアルで解剖学的ということではないでしょうか。



ダヴィンチ、ミケランジェロなどの作品を見るとわかりますが、昔からあるキリスト教の登場人物や場面題材にしつつも、表現は人間的です。
たとえばバチカンのシスティーナ礼拝堂のイエスは、痩せてはおらず、筋肉質な青年として描かれています。

遠近法も特徴の一つであるようです。

ルネッサンスというのは「再生」の意味があり、美術だけでない多岐に渡る文化全般に渡る革新運動で、「文芸復興運動」と訳されるようです。
14、15世紀のイタリア、特にフィレンツェが有名ですよね。
中世の権威的なカトリック支配を離れ、ギリシャ・ローマなどの古典に戻り、人間的・自然主義的になろう、と。
だからシスティナのイエスは、ギリシャ・ローマ彫刻的に肉感的なのでしょう。

ルネッサンス美術に限らず、そもそもヨーロッパ美術はキリスト教文化の影響が色濃いです。
聖書の中の場面、ピエタ(キリストの遺骸を抱く聖母マリア)像など。
17、18世紀以降はまた違うのかもしれませんが、大雑把に言って、ヨーロッパ美術はキリスト教抜きでは考えられません。
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タイムリーでルネサンス美術の本を見ていたので



結構キリスト教関連が多いかと思います。
女性の体つきもふくよかで丸い感じにかかれていて。

個人的にはすごくこの時代の絵が好きなので。
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Qルネッサンスについて

疑問があるんですが、
(1)ルネサンスの時のアートはスタイル、技法、道具の点で、前の時代のアートとどう違うんでしょうか?

(2)ルネサンス時代の画家はどんな新しい技法を使ったのか。

(3)それとルネッサンス時代で3人もっとも有名な人を上げるとしたら誰でしょうか?いっぱいありすぎてわかりません!それとどういう風な点で著名になったんでしょうか。

(4)どういう風に古代ギリシャ、ローマはテーマ、神、女神の点でルネサンスアートに影響を与えたんでしょうか??

いろいろありますがよろしくおねがいします。そこまで深いところまではいいんですが、簡単な説明で結構です!

Aベストアンサー

イタリアルネサンスについてでよければ、全部は答えられませんが・・・

(1)ルネサンス以前の中世の絵画は主に宗教画で、
字を読めない人たちにキリスト教を伝える手段としてのものでした。
そのため、キリストやマリアは荘厳に描かれ、今の感覚で言えば無表情で立体感なく不気味に描かれ、
画家の個性を絵に出すことはありませんでした。
しかしルネサンスでは画家がキリストやマリアを人間らしく描くようになり、絵に画家の個性を出し始めました。
芸術が人間らしくなった、本物らしくなった、
それが中世とルネサンスとの大きな違いです。

(2)レオナルド・ダ・ヴィンチが命名した「空気遠近法」。遠くのものほど色彩を弱めるそれまでの遠近法に加え、レオナルドは輪郭や色をぼかすさらに精妙な遠近法を始めました。

(3)ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、
三人目は人しだいですが、ボッティチェリなんかが有名。

(4)ミケランジェロは古代ギリシャの神の像の裸体表現や人体の動きを取り入れました。
活き活きとした人体表現の点で影響を与えました。

Q西洋の美術史or宗教史に詳しい方、教えて下さい

 先日ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』を見ていてふと感じた疑問について、質問させてください。

 当時(AC1500年ころ)のイタリアって、たしかキリスト教圏でしたよね。
 でもヴィーナスって、ギリシャ神話の女神ですよね?
 キリストやマリアの絵を描くのなら分かるのですが、なぜギリシャの神様を描いているのでしょうか。
 ボッティチェリに限らず、ルネサンス期にはたくさんの画家がギリシャ神話の絵を描いていたと思うのですが、どういう理由からなのでしょう。

 ギリシャの神様を信仰していたわけではないんですよね?(キリスト教圏ですものね)
 当時の人々のあいだでギリシャ神話が(聖書的な意味でなく)物語として大流行していたということでしょうか?
 それとも、女性のヌードを描くのには、ギリシャ女神の存在がちょうど良かったということでしょうか?(普通の女性のヌードを描くのは不道徳、でも神様的な人のヌードなら神聖なものだから描いてもOK。とは言えやっぱり聖母マリアみたいな信仰の対象のヌードを描くのは気が引ける。そこで他宗教の女神が採用された……みたいな感じでしょうか? でもこの説だと女神限定の話になってしまいますね)
 あるいは、とにかく古代ギリシャの作品の真似をしたかった、ということなのでしょうか?(ルネサンスって古代ギリシャ芸術とかを復興させるのが流行ってた時期のことですよね? 古代ギリシャ人は普通に信仰の対象としてギリシャの神々を描いて、ルネサンス期の人はそれを真似てみたってことなのでしょうか)

 長くなりましたが、質問を一言にまとめると「なんでキリスト教徒がギリシャ神話の絵を描く必要があったのか?」ということです。

 私は美術の知識も宗教の知識もほとんどないので、あまり難しい言葉は使わず、簡単におおざっぱに説明してもらえると嬉しいです。
 また、質問文中で見当違いなこと・勘違いなことも言っているとは思いますが、どうか多めに見て、細かい間違いは流してやってください。
 よろしくお願いします。

 先日ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』を見ていてふと感じた疑問について、質問させてください。

 当時(AC1500年ころ)のイタリアって、たしかキリスト教圏でしたよね。
 でもヴィーナスって、ギリシャ神話の女神ですよね?
 キリストやマリアの絵を描くのなら分かるのですが、なぜギリシャの神様を描いているのでしょうか。
 ボッティチェリに限らず、ルネサンス期にはたくさんの画家がギリシャ神話の絵を描いていたと思うのですが、どういう理由からなのでしょう。

 ギリシャの神様を信仰していたわ...続きを読む

Aベストアンサー

この問題は「美術史」や「宗教史」という狭い範囲で考える方が、分からなくなると思います。

おっしゃるようにボッティチェリは、ルネサンス時代の人です。
ルネサンスというのは、それまでキリスト教でがんじがらめになっていた精神を解放しようとか、古典古代の文化の中に人間らしさを見出そうという人文主義が花を開いた時代です。

ルネサンス期までの絵画というものは、技術的なレベルが低かったというのもそうですが、題材が基本的にキリスト教に関係したものばかりだったんですね。そうではなく、宗教に捉われない自由な題材を芸術として表そうとしたわけです。
しかもこの時代は、キリスト教が生まれる前の古典古代の文化への興味が強まった時代でもあります。
この二つの理由を考えれば、ギリシャ神話などが芸術の対象になるのは、むしろ自然の流れではないでしょうか。

この時代の芸術家や人文主義者というのは、古いキリスト教の思想などに対して懐疑的・批判的な面があったと同時に、古典古代の文化に対して憧れのようなものがあったと思います。決して宗教としてギリシャ神話を信仰したりしていたわけではないと思います。「神」というものが出てはきますが、ギリシャ神話は「神話」であって、「宗教」とは捉えていなかったと思いますよ。

ちなみにボッティチェリの後半生は、宗教画ばかり描いていたそうです。サボナローラという宗教家の影響で、「ヴィーナスの誕生」や「春」のような絵は描かなくなり、過去に描いたキリスト教的でないものの多くは焼いたと言われています。
なので、これらはとても貴重な絵なんですね。蛇足かもしれませんが…。

この問題は「美術史」や「宗教史」という狭い範囲で考える方が、分からなくなると思います。

おっしゃるようにボッティチェリは、ルネサンス時代の人です。
ルネサンスというのは、それまでキリスト教でがんじがらめになっていた精神を解放しようとか、古典古代の文化の中に人間らしさを見出そうという人文主義が花を開いた時代です。

ルネサンス期までの絵画というものは、技術的なレベルが低かったというのもそうですが、題材が基本的にキリスト教に関係したものばかりだったんですね。そうではなく、宗教に捉...続きを読む

Qレポートの書き方

こんばんは。
冬休みの課題で、「美術館に行ってレポートを書く」というものが出ました。
ですが、あまりレポートを書いたことが無いので書き方がわかりません。
アイヌ文様の美というのに行こうと思っているんですが・・・
やはり写真もレポートには入れた方がいいでしょうか?
レポートの書き方に次いでわからなくて困っています。
美術が好きなので、良いレポートを書きたいと思っています。
どうか、書き方を教えてください。お願いいたします。

Aベストアンサー

美術大学に在籍しています。ご参考程度に、私の経験からアドバイスをさせて頂きます。


全体の構成としては
(1)表紙(主題タイトル)
(2)本文

主題について、どういうところが自分にとって魅力的なのか、
それにはどういう由来や歴史があるのか、何を意味するのか など
いくつかの項目に分けて考えると書きやすいと思います。

例えば…「印象派について モネの魅力」が主題だとすると
1.印象派とは
2.モネの生きた時代とその功績
3.代表作『睡蓮』の連作とその変化
(以下必要なだけ項目を設ける。最終的に、
ある程度自分の主観を入れた論述があったほうが「美術館に行って」という部分が活かされるので、良い と
私は思います。)

…など
主題の背景(アイヌの文化でしたら、アイヌ民族のことなど)から
徐々に幅を狭めていって、主題を浮彫りにしていくと読み手がすんなり入り易く、
印象に残るレポートができるのではないでしょうか。
又、写真は効果的に入れていったほうが良いと思います。
レポートの読み手はその内容について知らないわけですから
いわば教科書や新聞のようによりわかりやすく情報を伝えることを考えると…
あったほうが、親切なように感じます。

(3) まとめ
上にも記述しましたが、「美術館に行って」ということなので
美術館に対する感想、今回レポートを作ったことによって気付いたことや良かったことを書き、あとがきとします。
ある程度の長さがあったほうが説得力があると思います。
又、最後に
参考にした文献(本やWEBページ)について「参考文献」として記述しておきます。(箇条書きで大丈夫です)
本はタイトルとISBN、WEBはタイトルとURLを記述します。
版権的な問題のためもありますが、これだけ色々調べました というアピールにも繋がると思います。


私は以上のような手順で、レポートを書いています。
わりと高評価を頂くこともあるので…ある程度参考にして頂けると思います。

余談ですが
「美術館の入場券の半券を
表紙かはじめのほうに展示タイトル・日時・場所 の明記と共に貼って提出しなさい」という指定で
レポートを作ったことがありまして…
指定が無くてもそうすると、なんだかそれらしくなる気がしますので、
ちょっと使える手かもしれません。


レポート制作 頑張ってくださいませ!
微力ながらお力添えできていましたら幸いです。

美術大学に在籍しています。ご参考程度に、私の経験からアドバイスをさせて頂きます。


全体の構成としては
(1)表紙(主題タイトル)
(2)本文

主題について、どういうところが自分にとって魅力的なのか、
それにはどういう由来や歴史があるのか、何を意味するのか など
いくつかの項目に分けて考えると書きやすいと思います。

例えば…「印象派について モネの魅力」が主題だとすると
1.印象派とは
2.モネの生きた時代とその功績
3.代表作『睡蓮』の連作とその変化
(以下必要なだけ項目...続きを読む

Qなぜヨーロッパの絵画には裸の絵が多いのか?

詳しい人がいらっしゃいましたら教えてください。

Aベストアンサー

こんばんは。

遠い昔、西洋美術概論の授業で習った事ですが・・・裸体画を描く事は、西洋美術の観点から行くと、古代と中世と近世では、裸体画の持つ意味合いが全く違うと思います。

先ず、ギリシャ・ローマ・ヘレニズム文化に見られるヌードは、写実ではなく理想を追い求める=神に近き存在となるべく、写実の上に理想美を付加した「完全体」を創りあげたものです。その殆どは男性の強さと美しさを兼ね備えた裸体像であり、それは人間の精神の理想理想を追い求める一媒体として、裸体表現は不可欠であったのでした。その為、この時代には裸体の彫刻が沢山見られるのです。

カトリック世界である中世に於いては、性を匂わす裸体は背徳であり、無意味な芸術・写実的裸体はご法度となりました。しかし、モチーフとしての「裸体」にメッセージを付加する事で許されていた部分があります。
例えば、創世記のアダムとイブのように、罪悪を知る前の「純真無垢」と言う意味や、着衣をしていない事で「剥き出しの心=真理」を表すようになってきました。
カトリック文化のこの時代、沢山の聖書をモチーフにした絵が描かれた中、そう言った意味でこの時代には裸体画が描かれてきました。

確かに近世になってからは、そう言ったメッセージ性も薄く、もっと世俗的になってきました。
今現在、「芸術」として見られている作品でも、肉体美を愛でるのではなく、貴族の男性などがこぞって画家に描かせ、部屋の奥深くで楽しんだりする為に描かれたものも数多くあります。目線も男性に媚びるものが多くなった為、19世紀後半にはフェミニズム運動を展開してヌード批判が行われた事もあります。
しかし反面、普遍的モチーフとして、最初にお話した「人間の精神の理想を追い求める一媒体」としての考えも残っているため、「神話・聖書的要素」になぞらえて、こぞってヌードを描いていたのではないかと思われます。

ちょっとうろ覚えの所もあるので自信はありませんが・・・御考察の一部に加えて頂けたら幸いです。

こんばんは。

遠い昔、西洋美術概論の授業で習った事ですが・・・裸体画を描く事は、西洋美術の観点から行くと、古代と中世と近世では、裸体画の持つ意味合いが全く違うと思います。

先ず、ギリシャ・ローマ・ヘレニズム文化に見られるヌードは、写実ではなく理想を追い求める=神に近き存在となるべく、写実の上に理想美を付加した「完全体」を創りあげたものです。その殆どは男性の強さと美しさを兼ね備えた裸体像であり、それは人間の精神の理想理想を追い求める一媒体として、裸体表現は不可欠であった...続きを読む

Qバロック絵画について

バロック時代の絵画で、バロックの特徴が顕著に現れているのはどの絵だと思いますか?
またバロック時代の特徴といえば具体的にどんなものを指すのでしょうか?ルネッサンスのとの違いが良く分からないので、具体的に教えていただけないでしょうか。お願い致します。

Aベストアンサー

あまりにも様式が多種多様なので人物表現手法を比較してみます。

ルネサンス時代は「個人」という概念が生まれ、
描画手法に科学的アプローチが施されています。
それはルネサンス以降の時代も描画手法の基礎となっている。
代表的な画家は、アルブレヒュト・デューラー。
形態は均整が取れ、知性を感じる。

バロックは画家がそれぞれのスタイルを求め模索を始める。
光と影の扱いが劇的で、精神的な写実といった作品が増えてくる。
革新的なのはカラヴァッジョ。
フランス・ハルスの肖像画は心象が微笑として表出している。
ムリーリョの作品は愛情に溢れ、女性にファンが多いのでは。

Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。
それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか?
たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?

Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む


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