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私の友人は、関が原の合戦で有名な小早川家の末裔だと称しています。
しかし、私の記憶では、小早川家は戦後改易で、御取潰しあったのではなかったのでしょうか?
それとも、細々と生活して、今にいたるわけでしょうか?
関が原以降の小早川家について、教えてください。

A 回答 (3件)

小早川隆景の養子であった秀秋(おねの甥)が子供がいないままに死んだので大名家としての小早川家はとりつぶされました。


しかし、小早川隆景は秀秋を養子にする前に秀包という弟(毛利元就の庶子)を養子にしており、こちらは毛利の苗字に戻って毛利一門の吉敷毛利家として存続しました。
また明治維新後、毛利家の当主の子供に小早川の名跡を復活させました。
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この回答へのお礼

ほわぁ~
ドンドン、詳しくなっていきますね。ありがとうございます。
ちょっと人物関係を家系図とかにして考え込んでしまいました(笑)
名跡を復活させるなど、ちょっと裏技チックなこともできたんですねぇ~。歴史が好きだと自負していた自分が少し恥ずかしくなっちゃいました。

お礼日時:2005/07/06 19:39

小早川秀秋の死によって無嗣改易となりました。


その後、明治に入って毛利本家の系統の方が小早川家を再興して華族に列し、男爵に叙されています。

その後、現代まで続いているかどうかは存じませんが、明治に再興されていますからその方が小早川家の末裔の可能性はあるかと思います。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%97%A9% …
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この回答へのお礼

華族だったんですね。だから、友人はお金持ちなのか!とか納得してしまいました。
参考URLありがとうございます。大変、参考になりました。

お礼日時:2005/07/06 19:37

 関ヶ原のあと小早川家は断絶しています。

これは跡継ぎがいなかったためです。
 ただ、小早川秀秋の血筋ではなくとも何らかのかたちで一族(親類縁者など)が現代まで続いている可能性は否定できないと思います。
 真田幸村(正しくは信繁)の子孫と云われる方もいますよ。
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この回答へのお礼

本流が続いているというわけでもないですものね!
参考になりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2005/07/06 19:35

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